それは洪水が浚った大地のように……全てが亡くなった
――一夜明けて
「昨日の今日でせわしないな。儀式が終わって一晩もたったらすぐに村を出るのか。」
ばたばたと帰りの荷造りをする侍女を横目に、何一つとして動く気のない令嬢を交互に見比べて、二人共の行動の差にも呆れながら子爵はそう尋ねた。
ぴくりとも荷造りを手伝う様子のなさそうな令嬢がしれっとした顔で子爵へと言葉を返す。
「もう用はないのですから早く王都へと戻るべきでしょう。それこそ無駄に時間をかけて私が国外へ逃げ出したのではないかと疑われた時に困るのは子爵様ではありませんか?」
「まあ、それはそうではあるが。」
「それに村長が亡くなったのですから、これから村の人たちは葬儀で忙しくなるでしょう。私たちがこのまま居座って邪魔になるわけのは心苦しい話です。」
「まあ……な。こっちもスミスの遺体が形の保ってるうちに領地へ戻さねばならんしな。」
気温の低い時期で良かったと言えなくもないと思いつつ子爵は頭を抱える思いだった。
「そう言えばあの方……スミス様の処理はどうするのですか?」
「誰があんなことを唆したかは調べなくてはならんが、あいつの家族には突然の病死ということで済ませるほかあるまい。傷がないんだ。裏切って手打ちにしたなんて信じないだろう。遺族への恩給のことをことを考えると頭が痛いが。」
領民にしろ傭兵にしろ人をかりだして傷を負わせたり死なせたりしたらそれなりの額を遺族に払う必要がある。それは貴族が負わせる役務だろうと必須だ。そうでなければ役務に従うような民はいなくなってしまう。とはいえ子爵も子爵で今回の護衛での報酬も下賜されるはずだったので、子爵は頭の中で損だったのかどうかを秤にかけていた。
やがて旅支度が済んだのか、パンパンに膨らんだ荷物の紐をぎりぎりと力一杯に縛り終えた侍女は本当に破裂しないかどうかを確かめるようにぽんぽんとその周りを何度か叩く。
「終わりましたよ。お嬢様。いつでも帰れます。」
「そう。ありがとうマヘリア。それじゃあ最後に村長の奥方様にご挨拶だけしておこうかしら。」
「良いですね。私も色々と料理を教えてもらいましたから、お礼を言っておきたいです。」
頷いて、そして何も言わすに令嬢がどうするのか尋ねるつもりで子爵を見ると、彼はため息交じりに肩を竦めた。
「当然俺も行くさ。今度は最初の時みたいに興味本位じゃなくてちゃんと世話になった礼を言いにな。」
「そうですか。待っていますかというつもりで聞いたんですが。そうですか。」
気持ち的に一緒に来てほしくないというのが令嬢の言葉に出てしまっていたのか、子爵はむっとした表情を浮かべながら立ち上がった。
そうして三人で村長の家へと訪れてみるとと酷く静かだった。たしかに一人になってしまったから物音は少なくなるかもしれないがそれにしてもあまりにも静かだと令嬢は思ってしまう。
「もしかして村の方で村長の葬式でもしているんでしょうか。」
素直に口にした侍女の言葉に、令嬢はしっくり来ずに表情をこわばらせた。
「……そんなことはないと思うわ。それだったらもっと村の中が騒然としていたはずよ。そもそも誰も村長の死を知らないみたいに……。」
そこではたと令嬢は言葉を止める。
「え?どういうことです?」
「……入るわよ。」
「え、ちょっと。ノックもしてませんよ。そんな勝手に。」
慌てる侍女の言葉も聞かずに令嬢はさっさと扉を開くと、そして何も言わずに家の中へと足を踏み入れた。
「ちょ、ちょっとお嬢様?駄目ですよ勝手に入ったら……。」
いや、急がないといけない。
逸る気持ちのまま止める間もなく入っていく令嬢の後ろを侍女が追いかけていくのを見て困惑しながらも子爵も後ろをついていく。そうして家の中を渡り、いつも奥方と話をしていたキッチンへとたどり着いたところで不意に令嬢の足が止まる。あんまりにも急に立ち止まるものだから背中へぶつかりそうになりながら侍女は立ち止まると、恐る恐ると後ろからキッチンを覗き込もうと背を伸ばした。
「本当にどうしたんですか。お嬢様。一体……あっ。」
悲鳴のように声を上げた侍女の視線の先には椅子に座る女性がいた。妙齢の美しい金髪の女性。それは見間違いもなく若返った村長の奥方だった。ただ、それだけだったら問題は何もなかった。椅子に座っているだけなら。問題だったのはその女性が口から泡を吹いてぐったりとしているからだった。遅れて後ろにいた子爵も「うっ……」と声を上げる。
明らかに異常事態。それなのにもかかわらず令嬢は酷く静かに瀕死の奥方へと歩み寄っていく。
足音に気が付いたのか小刻みに体を震わせながら白目のような濁った眼を奥方は令嬢たちへと向けた。
「ああ……来たのね。ごぷっ……。」
口を開けた途端、あふれ出るように吐しゃ物が唇の間から零れ落ちた。
「砒毒を飲んだのですね。」
「ごほっ……分かるの……?」
「倉庫にあった黒い箱。触れたときに私の銀の指輪が黒ずみましたから、中に砒毒が入っているとは知っていました。」
ちらりと令嬢が視線を机へと向けると、恐らく砒毒が入っていたのだろう、黒い箱が開いて空になってしまっているのが見える。
「は、早く治療しないと!」
慌てふためいて侍女が近寄ろうとするが、それを令嬢は肩を掴んで止めと悲痛な顔で首を振った。
「落ち着いて。薬なんてないから助けるのは無理よ。」
「で、ですけどっ……。」
「うかつに吐しゃ物に触れるとあなたが毒に侵される可能性もあるわ。それよりもせめて話を聞きましょう。奥方様どうしてこんなことを?」
苦しそうな顔をしながらも奥方は肩を揺らして面白そうに笑う。
「どうして……。んんんぅ……げふっ!げふっ!……どうしてだなんて、あなたは分かってるんでしょう……?」
「村長の後を追うとでも言うつもりですか?」
「ふふ……あの人は分かってなかったわね……ぐ……私がどれだけあの人のこと好きなのか……。私はね、あの人がいない世の中で、もう生きていたくはないのよ……ごほっ……!ごほごほっ……!」
だばだばと吐しゃ物が床へと零れ落としながら奥方は言った。
「私たちが来た時からそのつもりだったんですか?」
「そうね……そう……はぁ……ようやく……息子の元へ行けるわ……。いまならあの人にも……追い……つけるかしら……。」
もう朦朧としてきたのだろう奥方の呂律も著しく怪しくなっていく。
「良いでしょ……?もう……休ませて……。」
「分かりました。お休みください……。」
頷いて令嬢はせめて静かに眠って欲しいと奥方の瞼へと掌を乗せる。
やがて苦しそうだった吐息が、切れ切れになり、そしてしばらくして止まった。
ひじ掛けに乗っていた腕がはたりと落ちて力なくぶらつくのを見て、黙っていた侍女は視線を伏せて無念そうに唇を噛む。その後ろでは子爵がわなわなと震えていた。
「なんだこれは。」
「なにとは?」
「これでは……俺たちがしたことが全て無駄ではないかっ。」
「そう思いますか?」
「これが無駄でなければなんだというのだ。」
「そうかもしれません。ですが私たちがやりがいを感じるためにこの方々が行動しているわけではありませんので……。」
「だとしてもだ……。だとしても。なぜこうなった。」
「気持ちがすれ違ったのでしょう。ただ一言、村長は奥様に罪を告白して、奥様は村長に死なないでほしいと言えば、それで変わったかもしれません。でも、この人たちはそれが出来なかったんでしょう。」
「馬鹿な……。馬鹿だ……。こいつらは……俺たちはっ!」
悔しそうに拳を握り締め、しかしどこを叩くこともできず子爵は腕で無理やりに思い切り振り降ろしてそれで済ました。
気持ちはわかる。悔しいのだろう。令嬢自身も自らの考えの至らなさに指先が冷え震えるのを感じていた。 ただそれでも無力感にさいなまれるより先に令嬢にはしなければならないことがあった。机の上に置いてあった黒い箱へと手を伸ばす。
黒い箱を持ち上げるのを見とがめた子爵が咄嗟に肩を掴み声をかける。
「おい。それをどうするつもりだ。」
「処分しなくてはなりません。あと、吐しゃ物を拭いて綺麗にしましょう。」
「遺体を綺麗にするのは分かるが、その毒物は。どこへもって行くというのだ。」
「どこへでも。どこか遠くに捨てましょう。」
「違う。なぜそんなことをすると聞いているんだ。」
「分からないのですか?自ら死したものは、神の教えに背いた罪人として村の墓には入れないのです。」
「あっ…………ああ、そう言うことか……。」
苦々しく口元からため息を漏らすように言った子爵の言葉に令嬢は頷いた。
「この人はこのままでは村長と共に墓の中で眠ることもできないんです。」
掴まれた肩の手を振り払い令嬢は半ば呆然としていた侍女の肩をつかみ揺さぶる。
「マヘリア、聞いている?革の手袋とそしてたくさんの水と雑巾を。それが終わってから村人に二人が病死したと知らせて。」
言い終わる前に侍女はその奥方の尊厳を守るために頷いて急いで駆け出していた。




