抱擁し全てを受け止めるのが侍女の務めなれば
マヘリアの手首を切断して高笑いを上げながらもうそのときスミスの顔は勝利を確信して口元を緩ませきっていた。
振り上げた剣を胸元に戻そうと、その瞬間だった、スミスの顔が一気に凍り付いたのは。腕を切り落とされたはずの侍女がその勢いを一切も止めることなく駆け寄ろうとしてきたのを目にしてスミスは瞬刻だけ動きを止めてしまっていた。
「それで――これで終わりですか?」
手を切り落とされながらも目の前に迫ってくる侍女の言葉にスミスは思わず悲鳴を上げそうになりながら慌てて剣を引いた。それが運が良かったのか悪かったのか、目の前に迫った侍女の腹に鋭い痛みが走る。
「ぐっ……。」
口元から血を吐き出した侍女のその腹には咄嗟に引いたはずのスミスの剣先が突き刺さっていた。それにスミスは慌てて気が付く。
「はっ!?……ははははっ!!運が悪かったな。」
笑いながらスミスは触れた切っ先へと力を込めて、そうして侍女の腹に、その薄く細い腹部に鉄製の剣の刀身をゆっくり差し込んでいき、そうして切っ先は体を貫き切って背中から服を破って姿を現していたのだった。
「ぐっ……ぐぷぅ……ぐぅ……。」
口元から大量の血を吐き出して侍女は顔面に血管が浮き出るほどに身体が硬直させ始めていた。それが見てもいられず、子爵は思わず目をそらしてしまう。しかしだからこそ、その傍らからいつの間にか令嬢がいなくなったことに気が付かなかった。
切っ先を貫き通したスミスは興奮と安堵のないまぜになった歓喜の声を上げて、雇い主だった子爵が見たこともないほどの笑顔を見せる。
「ふふふふ、くっくっくっく……驚かせやがって……これで……これで……もう邪魔者は…………あ?」
そこでハタと気が付いた。貫いたはずの切っ先が全く抜けない。まるで何かに締め付けられたかのように全く引き抜くことができない。そのことに気が付いた。スミスが顔を上げると、口元から血を大量に溢れ出しながら侍女はまるで母のように柔らかな笑みを浮かべていた。
「どうしたのですか?抜かないんです?自慢じゃありませんけど、離さないのは得意なんです。」
言うや侍女はスミスの体へと思い切りに腕を伸ばして抱き着いたのだった。その力は、まるで女性とは思えないほどに屈強で、軽く身動きした程度ではどうやっても振りほどけそうにもなかった。
「は、離せ!どけ!!」
「どきません……。」
「なぜだ。こんなことをしたってお前はどうやったって死ぬんだぞ。腹を貫かれて、手首を飛ばされて、あとほんの僅かでお前は死ぬ。」
「その数秒、あなたを捕まえておけばいいんです。私は最初からあなたと戦うつもりはなかったんです。ただ捕まえることさえできれば、私の役目はそれで終わりなんですよ。そうですよね?ね?お嬢様。」
振り返った侍女が向けた顔のすぐ近くには黒いヴェールを被った令嬢が目の前にいた。
「ええ。もちろん。本当につらい仕事をありがとう。マヘリア。」
まるで何の緊迫感もない会話を耳にしながらスミスは理解できないでいた。仮に令嬢がここに来ていたからなんだというのだ。もうマヘリアは血を流しきって死を待つしかないのに。それから令嬢を切り捨ててしまえばそれだけで終わる、もう勝ちが決まった話であるのに。
それなのに令嬢が近づいてきた瞬間得体のしれない恐怖が足元から縛りつくように駆け上ってきて、背筋がこらえきれないように震え、歯の根があわずに顎が震えてかちかちと歯が鳴った。
何度か瞬きをしながら令嬢はなるほどと頷く。
「どうやら、私の力のことは余り考えていなかったようですね。」
「なにを――」
問う前に、もうすでに令嬢の掌は、手袋を外した白い素肌を露出した掌は、スミスの首元へと触れていた。そしてもう片手は侍女の露出した片手に。そう黒装の令嬢の両手が触れてしまっていた。スミスがその行為の意味を知るよりも前に、すべては終わっていた。触れた令嬢の細い指の先に一際熱いものが奔流のように注ぎ込まれていく。
「あっ――――……」
最早その時、スミスの意識は闇の中へと消え去っていた。仄かに体が左右に揺れたかと思うと、力を無くした体躯は剣を手放して地面へと岩が落ちたかのような音を立てて崩れ落ちていたのだった。あまりにもあっけなく倒れこんだ男の姿を見て、令嬢はどこか苦しそうな表情をベール越しに浮かべていた。
そうしてもう一つの指先に触れていた侍女の口からはすっと血が引いていき、青白くなりかけていた顔は見る間に血色を取り戻していき目に光が戻っていく。
「あの!お嬢様、剣を抜いてもらっていいですか?」
侍女の言葉に、令嬢は慌てて「ああそうだったわね」とお腹に刺さった剣を無理くりに抜いてしまう。
「痛い!痛い!痛い!!!!痛いですっ!!!!てっ!!!」
「ごめん。ごめんなさいっ!」
それでも何とかお腹の真ん中から刀身は全て抜き去られる。が、異常だったのはその刀身に一切の血が付いていなかったことだ。それどころか破れた覗く肌に一切の傷がもう既になかった。
「腕は……ああ、ありました。」
飛んで転がっていってしまっていた切り落とされた手首から先を拾い取ると侍女は自らの切り口に当てはめる。それは余りにも異常な光景で、確かに骨から切り裂かれていた切り傷は見る間に肉が盛り上がり裂け目がふさがりそして、”まるでなにもなかった”かのように全くの滑らかな肌を見せていた。気が付くと一度服ごと切り傷を入れられた肌も全くの傷もなく、それこそ香油でもかけたかのように澄んで輝いていた。
一部始終を見ていた子爵は信じられないものを見た心地でしばらく放心していた。
「なんだったんだ今のは。」
体のどこかに傷がないかを確かめている侍女を他所に、足を怪我して倒れこんだ子爵の傍らに令嬢が訪れる。
「これが私たちの身の守り方なんです。」
「あぁっ?今のが?ただの自殺行為にしか見えんが……。」
「そう見えましたか。」
「つまりなんだ……侍女がまず相手の体を拘束する。何としても傷をつこうが構わないなにしろその傷は後でいくらでも回復するのだから。そういう事か……?」
「死んでしまうと駄目なので、それはマヘリアも気を付けていますよ。」
「それで拘束さえしてしまえば、お前が違爵の力で敵の命を奪い、侍女の体を治す……と。そんなもの戦闘でもなんでもない……。」
「そうですよ。生き延びるためだけになんとか昔の違爵たちが編み出された方法ですから。」
冷徹に言う令嬢の言葉に思わず俯いて軽くため息を漏らした後、また顔を上げて令嬢へと話しかける。
「その力で俺は治せないのか。」
「私の力が効くのは一人までですので。」
「不便だな。」
「細かく癒しの力を分けられたら役立つことも多いかと思いますが、主たる神に与えられた御力にはその制限にも意味があるのでしょう。」
「そうかな……きっとそうなのかもしれんな……それで、近くにきたからには立ち上がらせてくれるのかと思ったが、手も伸ばしてくれないのか?ずっと待っているんだが。」
何の気なしに子爵がそう言った瞬間、今まで鉄面皮のように固まっていた令嬢があまりにも驚いて目を見開く。
「触っても良いと思うのですか?いまさっき触れただけで人を殺したような私の手に、触れても良いと?」
「良くは知らんが。確か素手で、しかも二人同時に触ってなければ効果はないんだろう。なら良いだろうが。それとも俺は地面にはいつくばってるのがお似合いとでも?」
「いえ、そう言うわけではありません。」
驚いた顔を少しずつ平静に戻した令嬢は微かに躊躇いながら子爵の方へと、生を渡す方の手を伸ばしたのだった。それを掴んで子爵はかるく支えにしながら立ち上がった。ただそれだけだった、子爵も令嬢も何のてらいもなくすぐに手を放して侍女の方へと視線を向ける。彼女は服のお腹が破れて露出してしまったことを気にしているのかしきりに布で縛り付けようとしている。そんな気にすることじゃないのではと令嬢は思いながらも、彼女が満足いくまでそれを待つつもりではあった。
「なあ。」
先に言葉を口に出したのは子爵だった。
「なんでしょうか。」
「あの老人は……村長はどうなった?」
「お亡くなりになりました。奥様を若返らせて、それで笑顔で逝きましたよ。」
「そうか……。」
ため息とも感慨ともとれぬような大きな吐息に混じらせて子爵はそういうと空を見上げる。
「短い間ではあったが、どこか祖父と接してような感じがしていたよ。あのご老人には。」
自分に言った言葉ではないことを令嬢は理解していて何の返事も返さなかった。子爵が口の端から漏らした言葉は村の霧交じりの風へなじんでいき、そうしていつかこの地の土に埋もれていって消えていくのだろうと、なんとなく令嬢にはそう思えたのだった。




