なぜ彼女が侍女として傍に居続けるのかその理由
侍女のマヘリアが構えを向けたことに驚いたのは対面したスミスだけではなく子爵もであった。
「おい、なぜマヘリアが前に出る。あいつを止めろ、逃げるというなら、俺がスミスの脚ぐらいひっ捕まえる。そのうちに馬でも使って逃げ去ってしまえ。」
「そうした場合、子爵様はどうなるのでしょうか。」
「俺の心配をしている場合か。俺の任務は護衛だ。お前らの命が助かっていればアルトマン子爵家としては家名を繋げることができる。だが、お前らが死んだら爵位も剥奪されることだろう!だから逃げろ!」
「では生きねばなりませんね。でも、どうせなら子爵様も生きていらっしゃる方が良いでしょう?」
「無理だ。スミスは俺の兵の中でも一番に腕が立つ。当たり前だが俺ですら勝てん。連れてきた他の兵士たちだろうとその場切り捨てられるだろうよ。」
「それは恐ろしいですね。マヘリア。という事らしいわ。首は切られないように気を付けてね。」
余りにも切迫して叫ぶ子爵に対して、令嬢は、いや令嬢だけでなく侍女も含めて二人どこまでものんきな雰囲気を漂わせている。それが裏切り者の、スミスの癇に障った。
「無防備な女性は殺せないとでも高をくくっているのか?」
どこか軽蔑も入ったその言葉に侍女はなんとも穏やかな表情で首を振る。
「いえ。あなたが誰であろうと殺す覚悟であることも。私たちを軽く殺せるだけの強さがあることも良く分かりますよ。何しろ、そう言う機会には恵まれておりますので。」
「だったら子爵の言う通り逃げた方が良いのでは?まあ、逃がすつもりなど毛頭ないが。後ろから刺す方が面倒がなくていい。」
「構いませんよ。戦場だと思って私を敵として殺しに向かってきていただければ。」
「侮辱しているのかな?」
「いえ、そう言うものでもありません。」
何度も言葉を交わす二人を見ていて子爵は妙な違和感を覚える。どうにも無手で女性の不利な侍女の方が圧倒的に冷静で余裕のあるようなふるまいをしていることにだ。それも虚勢ではない。どうとでもなると思っているような圧倒的な余裕だ。
やがて侍女の近くにまで令嬢が歩み寄る。
「良さそう?」
「問題ないと思います。でも、痛いのは嫌ですね。」
「ごめんね。頼りにしているの。」
聞いた途端侍女はにへらとなんとも嬉しそうに笑みを浮かべた。
「良いですよ。その言葉だけで。死ぬまで戦えちゃうんだから。私は。」
そうしてふんふんと気合を入れると侍女は改めてスミスに向かって体を向けた。単に向けたというわけではない。それは相手に駆け寄ろうとする、武闘でも剣劇でもありえない構えだった。もししいて何かと表現するならパンクラチオンでも始めようかと言うか前ではあった。その構えで何ができるのかと多少の侮りと意味不明さによる警戒でスミスは中途半端な構えをとってしまっていた。軽く左右に揺れながら侍女は覗き込むようにして相手へと尋ねる言葉をかける。
「名乗りを上げないのですか?男性の方は名乗りを上げられるのが好きなのでしょう?」
「女子供に名乗りを上げるなんて逆に恥でしかない。」
「そうですか……。じゃあ、私の方が名乗りを上げましょう。エヴァリング違爵が侍女、マヘリア。挑ませていただきます。」
まるで幾たびも決闘をこなしてきた貴族のように優雅に名乗りを上げた侍女の態度に微かにスミスは息をのむ。それを侍女が見て取ったそのほんの微かな間だった、スミスが息を浅く吸い、吐き出し……終わるその瞬間。狙いは買ったように侍女は左右へと跳びながら一気に間合いを詰めた。
「っ……!」
慌ててスミスがその動きを追って剣を払う。
ツッッッ――
切っ先が侍女の服をひっかいて微かに血を舞い踊らせる。
ただそれも、一瞬のことで、次のタイミングにはすでに侍女は逆方向へと身をひるがえしていた。慌ててスミスは距離を取り、そしてまた愚直に突っ込んでくる侍女の体に明らかな傷となる線を叩き込む。
「痛ッッ!!」
押しつぶしたような侍女のうめき声がスミスの耳元にまで聞こえてくる。
「やはり駄目だ。」
見ていた子爵が呻くように苦々しい声を漏らし、令嬢へと顔を向ける。
「おい、早くあいつを戻して二人で逃げろ。」
「駄目なのですか?」
「明らかにマヘリアは戦闘の素人だろう!?少しでも心得があればあの程度の攻撃は掠り傷もなく躱せるものだ。あのままだと、すぐに死んでしまうぞ!?」
それは相手のスミスにとっても同感であった、ただスミスの心の中には言いしれようのない不安が渦巻き始める。奇妙だったのは傷をつけようとも相手は一切もひるまずに追いすがってこようとする、その狂気じみた止まる気配のない挙動であった。
一度スミスは剣を振りおろすふりをして虚空を切るとそのままの勢いで侍女の体をガンっと弾き飛ばしてみる。だが、侍女は鼻血を出しながら平然と立ち上がり息を整えるそぶりすら見せずにまた勢いよく近づいてくる。
(なんだ?鈍なのか?)
正直にスミスが覚えた感想はそれであった。
傷もダメージも疲れもいとわず、ただ戦闘の下手な女が突っ込んでくる。異常であった。あまりにも異常ではあった。だが戦闘能力がないのならば、それだけ異常であっても何の恐れもない。浅い呼吸を繰り返しながら徐々に心の平静を取り戻したスミスは相手の大きな隙を狙いすます。狙うべきはこちらからの視線を散らそうと左右に動き回っている時ではない。確実にこちらへと向かってつかみかかろうとするその刹那を待てば良い。
果たして、その瞬間はすぐにやってきた。微かに強く地面を踏みしめた侍女はくっと身を屈ませて一気に距離を詰めようとした。
「やめろっ!それは――」
待たれていると叫ぼうとするよりも早く、侍女は思い切りに飛び込んで相手の胸の内を掴もうと必死に手を伸ばす。
「ハッ!馬鹿め!!!」
途端、手の中の剣をくるりと回したスミスはするりと切っ先と上に向かって跳ね上げた。
「ああ!」
苦々しく顔に掌を当てた子爵の声が響くと同時に、中空にはマヘリアの手首から先が綺麗に飛び上がって、そうして噴水のように真っ赤な血が噴き出して地面へと落ちていく。
「ハハハ、女ごときが剣士を侮るからだ!」




