その魂がいつか一人ぼっちで寂しくならないように
――同じころ村長の家の庭で
「お嬢さんも毎日のように来てくれるわね。飽きないの?」
庭で花壇に生えた雑草をつまみ取りながら村長の奥方が不思議そうに尋ねると令嬢はすました顔で首を振った。
「私にとっては飽きる飽きないと言うものでもありませんから。」
「そうかい?まあ私は話し相手がいてくれるだけで嬉しいから良いけれどね。今日は何をお話しする?」
「出来れば旦那様のことをお聞かせいただければと思いますが。」
「と言ってもねえ。大抵のことはお話ししてしまったと思うのよ。」
「では他のご家族のことはどうでしょうか?たしか息子さんがいらっしゃったのですよね?」
いつも明るく若く見える奥方はその老いた年齢に見合っただけの深い皺を浮かべて重々しく吐息を漏らした。
「そうね。いたの。かつてね。」
「すみません。気まずくなるかと思いまして控えていましたが、どんな子だったのか気になりまして。」
「気にしないで。私にあのような良い子がいたことは綺麗な記憶よ。何かの節に思い出すことも多いわ。どんな子っていえば、そうね、明るくて少し口が悪いけれど他人を気遣える子でね。そうね。ああ、そうだ。あの子爵様がいらっしゃるでしょ。あの人をそのまま幼くしたみたいな子よ。」
「それはそれはとても素直で良い子だったのでしょうね。」
褒めるように言いながらも令嬢はどこか眉を顰めて顔を渋らせていた。
「あらまあ、なんだ気に食わないみたいね。」
「気に食うとか食わないとかそう言うわけではありませんが、あの方が幼い様子を想像すると……大変に扱いが困りそうで、顔に出てしまいました。」
「あなたって、無表情なふりをしているけれど、随分と感情豊かよね。」
「そうでしょうか。あまりそう言ったことは言われませんが。」
「他の人の見る目がないのねえ。良いと思うわよ。私は。」
「そうですか。それで、息子さんとはどんな思い出があるのですか?」
「そうねえ。あの子はどちらに似たのか分からないぐらい馬とか牛とか生き物が好きで、小さいころなんて木馬のおもちゃが一番のお気に入りで毎日のように遊んでいたのよ。」
そんなことを嬉しそうに奥方はなんとも嬉しそうに話す。
「前に倉庫に入れていただいたとき、木馬のおもちゃがあるのを見かけました。」
「懐かしいわね。そんなおもちゃがあったこと今思い出したわ。今度だしてきて綺麗にしておこうかしら。お嬢さんは子供のころは何で遊んでいたの?お人形?」
「……子供のころですか。なんでしょうね。あまり憶えていなくて。」
「ふふ。まあ小さいころなんてそんなものよね。私も小さいころ何で遊んでいたのかしら。」
思い出すように少し上を見上げながら奥方は土で汚れてしまった指をぱんぱんとはたいて泥を落とした。
「それにしてもあの人に会いに貴族様が来るなんてあの子が生きていたら驚くでしょうね。」
「あまり大層な家柄のものではないですが……。」
言いながら令嬢は、これを聞いたらあの子爵が烈火のごとくに怒りだすだろうなとは思っていた。
「私たちからすればどなたも雲の上の方々ですよ。」
「そうですか……しかし奥様は私たちがなぜあの方に会いに来ているのかご存じではあるのですか?一応肉親でも知らせないようにとの厳命がされていますが。」
「聞いてないわ。でもなんとなくわかる。」
「なんですか?」
「あの人を殺しに来たのでしょう?」
一瞬、令嬢は言葉に詰まってしまった。
「なぜ……どうしてそう思うのですか?」
見抜かれたという冷たい驚きが無表情だった相貌を僅かに崩すのを感じながら令嬢は尋ねるが奥方は笑顔絶やさずにまるで雑談のように言葉を返す。
「そりゃだって。あなたが来たとき、ああ死神が来たんだって、直感的にそう思ったんだもの。あの人も私も老い先が短いでしょ。そんなところにあなたみたいのが来たらお迎え時が来たのねって、そう思うわよ。」
「殺しに来たわけではないです。」
「あらそう?」
「一応は村長の功績として望みを叶えるために来ました。」
「それであの人は自分を殺してほしいって言ったんでしょう?」
道具をかたずけながらまるであっけらかんと奥方が言うものだからまた令嬢は驚いて、そして眉を顰めてしまう。
「……止めないのですか?」
「止められるものならね。いくらでも止めているわ。」
寂しそうに奥方は俯きながらつぶやいた。
そうしてため息とともに軽く首を振ったのだった。
「あの人が死にたがっているのは分かっていたから。ずっと。」
「ずっとですか?」
「そう、ずっと。」
「何故なのでしょうか。」
「何故なのかしらね。問い詰めたことはあったけれど、そんなことはないって言い張るのよ。」
「では勘違いなのではないでしょうか。」
「そう思う?そうだったら良いのだけれどね。間違いなくそうなのよ。私がどれだけあの人のことを見てきたのだと思う?何十年と一緒に暮らしていて間違いなくそう思うの。」
「なるほど……。いつからなのですか?」
「え?」
「いつからあの方が死にたいと思うようになったのでしょうか。それは分かりませんか?」
「そうね……私が出会ったころ、彼は間違いなく溌溂としていたわ。少なくとも新しい村を作るって前を見ていた。と思う。でも……きっと息子が死んでしまったときからかしら。あの頃からめっきり気落ちしてしまった気がするの。」
「それは他の方々が仰るのと同じですね。」
「そう……みんなそう思っていたのね……。」
悔いるように俯いたあと奥方は立ち上がって令嬢へと顔を向ける。
「ついて来てくれない?」
どこへ行くのか問おうかとも思ったが令嬢は何も言わずに頷くことにした。
奥方に連れられて向かったのは村の北方のはずれ。
それは墓場であった。
地面の所々に木や石材が撃ち込まれ、その根元には大きく土の盛り上がった部分があって、それが誰かが永眠しているのが察せられる。そのふくらみの中の一つに奥方は歩み寄っていった。
「ここに息子が寝ているの。」
「そうですか。」
深く問わず令嬢は胸の前で十字を切って祈りをささげた。
悲しみに満ちた顔で奥方は目を伏せる。
「ねえ、願い事を叶えられるのだったら息子を生き返らせることは出来ないのかしらね?」
「人に死者を蘇らせることは出来ません。人の死は神による定めなのですから。」
「そうよね……。変なことを言ってしまったわ。でも、息子が生き返ってくれればあの人も生きる希望を取り戻してくれる気がしたの。」
「残念ですが。」
「もちろんわかっているわ。分かってる。ただ私たちがいなくなったら誰も息子のことを思い出さなくなるでしょう。だからあなたにだけでも憶えておいてほしいと思って。」
「忘れません。息子さんのこともあなたがたのこともずっと。」
「……なら良かったわ。」
「私が憶えずとも神はすべて憶えていらっしゃると思いますが。」
「人の生きていく、歩んでいくこの世が全てを忘れさっていくものだからこそ、その中の誰かにこそ憶えてほしいと思うものなのよ。砂で作った城だからこそ、いつまでも残っていて欲しいと寂しく思うものでしょう?」
「良く分かりませんが、そう願うのでしたらそうしましょう。」
「お願いね。」
ぎゅっと手を握り締めて墓の前で祈りの言葉をささげる奥方の傍らで、令嬢もその墓を見つめる。墓碑となっている石の表面にはいくつもの深い溝が刻まれているのが見える。恐らくは文字なのだろう。
「刻まれている文字は何ですか。」
「息子の名前と冥福を祈る言葉が刻まれているらしいわ。女の私は学がなくって読めないのだけれど。」
「そうでしたか。」
忘れぬようにと、一文字だけでも心に刻もうと、口元をゆがめながら令嬢はその書かれた文字を自身の脳に染み込ませるようにして心の中で呟いていた。




