後悔はいつだって石に刻んだように心に残る
石碑に刻まれた文字を軽く読むとそれがなんであるか侍女にも分かってくる。
「これは……弔辞と名前みたいですね。」
最初に洪水で命を亡くした人たちへの鎮魂の言葉が並べられ、そのあとに亡くなった人なのだろう名前がいくつも彫り刻まれている。
「うーん……ロバート、ウィリアム、シモン、ヨシュア、ピーター、マチルダ、ヘレナ……こんなにもの人が亡くなられてるんですねえ。」
指折り名前を数えてみると七人の名前が残されていて、この小さな村において、それも始まりたての村にとってその数字はかなり大きな被害であっただろうことが侍女にだって伺われた。どこか悔いるように掘られた弔いの字句も長年の雨粒が垂れた染みによって泣いているようにも見えてしまう。知らず侍女はこの人たちの死後の安寧があるように神に祈っていたのだった。
「おや、あんたは……。」
後ろから声がして侍女が振り返る。
気が付くと村民の老いた男性が花を一輪もって慰霊碑に歩いて来ようとしているところだった。慌てて侍女が邪魔にならないように退くと、男性は軽く会釈をして慰霊碑に膝を曲げて花を置き同じように神へと祈り始める。お決まりの祈り文句が終わった後に十字を切ると男性は侍女に向かって顔を上げた。
「あんたは確かあのお貴族さんのお付きの人だったか。」
「女性の方のですけれどね。」
「まあ、どっちがなんなのかは知らんよ。しかしなんだこんなところまで視察に来るのかい。貴族ってのは暇だね。」
「何というか折角お世話になっているんですから、村の貢献者に祈りでも捧げておいた方が良いかと思いまして。」
「そりゃ何ともありがたいことだねえ。」
軽く笑って言う男性の言葉に、本当は村長のことを調べている一環で来た侍女は多少なりに申し訳ない気持ちになって、作り笑顔もひきつったものになってしまった。
「あの旦那様は……。」
「ジョンで良いよ。みんな、わしのことをジョンと呼ぶんだ。老いぼれの方のジョンって。」
「ああ、ええ、ではジョンさんも洪水で誰かお知り合いが亡くなったのですか?」
「まぁなぁ……。」
問われることは覚悟していただろうがそれでもどこか気落ちした雰囲気でジョンは近くの地面に座り込む。その雰囲気だけでも侍女はこの村にとって酷く重たい過去なのだと言うことが察することが出来た。
「あの宜しければなのですが、聞いても良いでしょうか?」
「まあ、構わんよ。この時の洪水でわしの友人が亡くなってな。時折こうして花を置きに来ている。何だろうななんとなくずっとやっておるが、これに意味があるのかは知らんがなあ。」
「意味はあるんじゃないですか。故人も嬉しいでしょう。主もその行為を見られているかと思います。」
「あると良いがな……。この歳になってくるとどうも不安になってくるよ。あちらで会ったとき、ろくに祈りを捧げなかったと恨んでいないかなとか思ったりする。若いあんたはそういう事考えたことあるか?」
「私は……私がもしもあの世に行ったなら、関わった全ての人に一本ずつナイフを刺されることでしょうね。」
そんなことをにこやかに侍女が言うものだからジョンは軽く目を見開いた後、すぐに冗談だと思ったんだろうカカカっと軽快に笑った。
「なにやったんだか知らないがね。まあ少し気が明るくなったよ。あんたらはなんだっけか村長に褒賞を持ってきたんだったか。」
「そうですね。」
「いつぐらいまでこの村に留まってくれるつもりなんだい?まあ物珍しい分にはしばらくいてもらっても構わんのだが。あんたらの方がこんな何もない村に居ても退屈だろう。」
「そんな退屈でもないですが、なにぶん正式な手続きと言うのに手間がかかるものですから。」
「そりゃ村長のやろうも大層なものを貰うんだろうね。ただ今更そんなものをもらってどうなるものかね。」
「何をもらうか知ってらっしゃるんですか。」
「知らんねえ。実際に貰えるまで口外しちゃいけないとか言ってたよ。そうなのかい?」
「そうらしいですね。でも、じゃあどうして貰っても嬉しくないだろうみたいなことを言うんです。」
「だってそりゃ……。あいつもう死ぬつもりだろう?」
一瞬、周囲の空気が凍ったように固まった感触を侍女は感じた。
言い出したジョンこそは気のない態度をとっているが、視線をそらしてどうにも表情が強張っても見える。
言葉に躊躇いながら侍女はその真意を伺っていくことにした。
「そう……思うのですか?どうしてそう感じたのでしょうか。」
「長い付き合いだから見てりゃなんとなく感じるよ。病気になったのもそうだがいつからかなんか暗くなっちまいやがった。」
「死期が近づいて……と言う事なのでしょうか。」
「そうじゃねえんだよなあ。最近ってわけじゃないんだ、若いころのいつからかな。」
「いつ頃なんですか?」
「子供が亡くなったころ……いや、もっと前か。これは俺の推測でしかないがきっとこの川の氾濫があったころだろうかな。」
「それは……村長としての責任を感じてみたいなものでしょうか。村人を何人も被害に合わせてしまった負い目とか。」
「あるかもなあ。でも一番は親友が亡くなったからだろうと思うけれどねえ。」
「そう言えば親友の方が亡くなったのは聞いた憶えがありますが……そうですか。ここで亡くなっていたのですか。」
「そんなことも知ってるのかい。」
「色々と村の人たちに話を伺わせてもらいました。それでその親友の方と言うのはいったいどのような方だったんですか?いえ、そんな村長の心のよりどころになるような人なら魅力的な人だったんでしょうけれど。」
「何というかな馬鹿にしてもいいほどに真面目な奴だったよ。呆れるぐらい真面目でなあ。真面目を通り越して友人にだって悪い時は悪いって真っすぐにいうもんだから嫌うやつもいたけど、まあ争いごとが起きた時の仲裁役には向いてて、そう言うときには村長より頼りにはなったな。っと……どうした?そんな苦笑いして。」
「いえ、似たように難儀な方を知っていて、ちょっと……。それでどうして村長と仲が良かったんでしょうか?」
「どうしてなんだろうね。わしなんかは別の村でその二人に誘われてここに来た口から良く知らないが、二人はもっと昔から仲が良かったみたいだよ。よっぽどそんな村を作るなんて冒険するような人間には見えなかったけれどねえ。分からんもんだよ。」
「そんな相棒みたいな方が亡くなって意気消沈してしまったと思われるんですか?何十年も前の話なのだと思いますが。」
「だから推測でしかないさ。でも、あの頃からなんか暗くなったと思うんだよ。その後にようやく念願かなって結婚もできたと言うのにね。」
ほうっと侍女はそっちの話の方に思わず興味を持ってしまう。
「奥様と結婚されたのは洪水の後だったんですか?てっきり、結婚された後の出来事なのだと思っていましたが。」
「たしかな。あー……いや、確かにそうだったはずだ。結婚式の最中に親友のことを思い出して泣きそうになってた村長を慰めた覚えがあある。」
「それはそれは奥様はさぞかし困惑されてしまったでしょうね。折角の華やかな結婚式に。」
「いや一緒に泣きそうになってたのを二人とも慰めたんだよ。二人とも死んだ友人とは仲が良かったからなあ。」
「そうなんですか。じゃあ、三人で昔から仲が……ああでも、奥様は別の村で誘われてきたのでしたっけ。」
「村長か奥さんかどっちかに聞いたのかい?そうらしいね、奥さんの村に乗り込んだって時にはわしはいなかったから、わしも聞いた話ではあるけれど。」
ただそこでジョン老は大きくため息を漏らす。
「だからこそ無念だっただろうね。」
「村長さんがですか?」
「その親友だよ。これから村が大きくなっていくっていうのに、友人の結婚も自分の結婚だってまだだってのに洪水で流されちまってな。川下で見つかった時の顔は……。」
そこでぴたりとジョン老は口を止める。
そうして迷った後に何度か首を振った。
「ああ、亡くなった人のことをこんなべらべら喋るものじゃないな。村のことを聞かれることなんて普段ないものだから喋りすぎちまったよ。悪いなお付きのお嬢さん。これ以上は聞かないでくれ。」
「いえ、私も興味本位で色々聞いてしまって申し訳ありませんでした。」
謝る侍女の言葉に首を振ってジョン老は立ち上がった。
「これ以上喋らんように退散するよ。まあ村長のことをよろしくしてやってくれ。なんだかんだでみんなあの人のことを恩義に思っているんだ。」
どこか寂しそうに言うジョン老人の背中を侍女は何も言わずにただ見送ることしかできなかった。




