酔いては言葉も時雨模様に
――数日を過ごして
「村長。今日も来てやったがちゃんと生きてるか?」
憎まれ口をたたきながら村長の部屋に入ってきたのは子爵だった。ただそんな言葉にも村長はむしろ嬉しそうに頷く。
「いやあ、まあ、何とか生きております。おかげさまで。」
そう言いながら村長は顔を上げて、子爵の後ろにいた令嬢のユリアにも含めて頭を下げた。
「あなた方二人がいらっしゃってくださるから、どうにも家の中が華やいで死神もおちおち居座っていられないのでしょうね。どうにも死が遠ざかったような気さえします。」
そんな軽い冗談を村長が返しているうちに令嬢は会釈だけして家のリビングへと戻っていき、子爵はづかづかと部屋の中に入り込んで勝手に椅子に座り込む。
「そうか。調子が良いならそれに越したことはない。どちらにしろ明日の儀式までは持ってもらわんことにはこっちも困るからな。」
何の気なしに言った子爵の言葉に村長は急にそわっと心がざわつき顔を上げる。
「明日に決まったのですか。」
「あ?ああ……。それまでに死ぬようなことのないようにな……。もし死ぬのが怖くなったのなら素直に言えば良い。こちらは元々そのつもりなのだからな。」
どこか苦笑いしながら言った子爵の言葉に対してそれでも村長は穏やかな笑顔で首を振った。
「お気遣いありがとうございます。でも、私の気持ちはむしろ酷く穏やかで春の日の気候のように平静そのものです。」
「そうか……。」
なぜか子爵の方が表情を暗がらせた。ただそれも一瞬ですぐにいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「それで今日はどこに行く。どこを案内してくれる?」
ここのところ数日にかけて子爵は、村長の元を訪れては彼を負ぶって外へと連れだしていた。そのたびに向かう先は違って、村で一番料理の上手い家のところに子爵が持ち込んだ食材と一緒に訪問して料理を振舞ってもらったり、ある日はただ空を眺めるだけで過ごすだけのこともあった、その時は何しろ村長が言うには村ができてからこれまでほとんど見れなかった鱗雲が大層綺麗に見れるからと言うだけの理由で、子爵には良く分からなかったが村長が言うのならそうなのだろうと、一緒に地面に座って空を見上げながら適当なことをずっと話続けていた。その時話したのは、村長が生まれた村はどんな場所だったかとか、妻のほかに好きな人はなかったのかとか、逆に子爵には縁談はないのかとか、およそ貴族と平民がして良いような階級差を無視した会話だったが、それを子爵は別段気にしもしなくなっていた。むしろ自分の方からそんな雑な話を振っていったのが始まりであったような気がする。それもこれもこれから死ぬと言う人間にはどこまでも寛容になれると言うそういう精神性が働いていたからではあった。
改めて子爵は悩んでいる村長に向かって目的地を促す。
「さあ、今日はどこを案内してくれる?」
「そうですなあ……。儀式の日時が決まったのでしたら、折角ですから我慢していたアレに行きましょうか。」
ちょっと意図が伝わらず怪訝そうに眉を顰める。またぞろ何か変な要望でも言い出すかと顔が自然と渋くなっていく。
「アレ?」
「アレですよ。アレ。お酒です。聞いた話によると子爵様も飲めるそうで。」
「ああ酒か。まあ俺はな。」
「俺はと言うことは、あのご令嬢様は……?」
「アレは無理だ。アレこそ無理だ。飲ませてはいかん。」
「そうなのですか。」
「飲めたとしても一緒に飲むつもりはない。もうあいつにはほとほとあきれ果てた。そういう意味で憂さ晴らしに酒の一つでも飲みたいとは思っていたところだよ。しかし、どこで酒を飲むんだ?ここか?」
「この家には酒がありませんで。何しろ病になったときに女房に奪われた挙句、全部他の家に配られてしまって。」
「そりゃ災難だな。しかしじゃあどこにあるんだ?酒屋でもあったか?」
「あるにはあります。この村唯一と言ってもいいぐらいの店ですけれどね。まあ店と言っても村で作った酒をちゃんと公平にいきわたっているか管理するための所ですよ。」
「まあ酒が飲めるなら何でもいいさ。それなら早く行く方がいい。さっさと行くぞ。」
いうや子爵は村長へと向かってかがみこむ。もう動きも慣れたもので、村長もその勢いに苦笑いをしてしまいながらよろよろとベッドから起き上がって背中に覆いかぶさる。その瞬間にはもう子爵の腕にがっしりと掴まれて殆ど揺れもせず背負われてしまうのだった。
よっと立ち上がった子爵は部屋を出るとリビングへと顔を向けて「散歩に行ってくる」といつもの軽い言葉をかけてそのまま出て行ってしまった。
「で、どこにあるんだ。と言うかそんなものがあるならもっと前から教えてほしかったもんだが。」
「あはは、それはすみません。私が飲めないものだから忘れてまして。酒屋は村の中心にある広場から東の方に進んだ黒い壁の建物ですよ。」
「黒い壁だと?塗ってるのか?」
「何か悪い汚れを入れないように表面を焦がしているのだとか。昔からの酒屋や酒造の知恵らしいです。いつか燃えないかとも心配になるのですけれどね。今のところは大丈夫です。」
「それは良い。それより酒の味だ。」
「大したものでは。祭りの時に出てきたようなものぐらいですよ。」
「あれか……、まあ飲めぬよりはましか。」
そんな気軽な話をしているうちに、村の酒屋についてしまった。
適当に挨拶をして家の中に入ってみると、確かにこの家の中だけで酒精の香りが強く漂ってきて、子爵はそれだけで少しばかり気分が良くなってしまう。
「村長、どうしたんですか?こんな負ぶわれてきて。そんな風邪が酷いんですか?」
慌てて駆け寄ってきたのは酒屋の主人であろう幾分と若顔の青年であった。
「いや。風邪自体は良くなってきたんだが、敬老精神あふれる方がいてくださってのう。楽させてもらっておるわ。それで、二人で酒を飲みに来たんだが、何か備蓄はあるか。」
「あるにはありますがねえ……いいですか?村長。奥様から飲ませないように言われてるんですよぉ……。」
「まあ、黙っていれば分からんだろうて。それにあれだ、今わしを負ぶってくださっているのは子爵様だぞ。ご貴族様に酒の一杯も注がないつもりか?」
「えっ……子爵……さまっ!?」
あまりにも驚愕する酒屋に対して子爵は興味なさそうに右手の先でしっしっと嫌そうに態度で示す。
「そう畏まるな。話が面倒になる。俺はただ酒が飲みたいだけなんだ。村長もそんな威を借りる様なことを言うな。気に食わん。」
「はは、すみません。なに、そう言うわけではないのですが。なにぶん何としても飲みたくて。」
まったく申し訳なくない様子で言いながら子爵の背中から降りた村長は近くにある丸椅子を引き寄せてよろよろと腰を下ろす。そうしてやれやれと言うように大きく息を吐きだしてにこにこで主人へと顔を向ける。
「だからとりあえず一杯だけでもくれないか。」
「知りませんからね。どうせ酔って帰ったら奥さんにバレるんですから。何言われることか……。」
呆れてため息をつきながらも主人は何のためらいもなく二杯の酒を注いで村長と子爵の間に手ごろな机を運ぶと同時にさっさとコップをおいてしまう。久しぶりのお酒になんともにんまりとしている村長が顔を上げると、子爵も口角を上げて眉を上げるものだから二人してすぐに真鍮のコップを手に取るやいやなに乾杯して軽やかな音を立てていた。とはいえ、やはり自分の喉が気になるのかにこやかだった村長も最初の一口は恐る恐ると軽くだけ飲み込んだ。そうして放心したように吐息を漏らす。
「この渋さが溜まらんのですなあ。」
「とろみが強いな。果実酒か。ワインではないようだが。」
「ここでは近くの野でとれるだけのベリーを混ぜて作っています。麦の収穫がもっと増えれば安定して麦酒でもつくれもしましたが、そこまではいけませんでしたな。それだけは口惜しい。」
「麦酒か……麦酒はなあ……。」
「おや?麦酒は苦手ですか。」
「うちのカントリーハウスにも領民が作ったものが届いたりするが、どうも作り方を失敗してるとしか思えん酸っぱさがする。」
「カカカ、そりゃ失敗しておるのでしょうな。」
「使用人たちに払い下げるとそれでも好んで飲んでいるようだが。」
「うまい麦酒をつくるには何やらコツがあるらしいですな。もう麦酒はしばらく飲んでおりませんが、故郷の実家で作っていたものが懐かしくてどうにも無性に飲みたくなることがあります。」
「そうか?俺にとってはこの酒の方がよっぽど上等に思えるが。」
言いながら子爵はコップに口をつけると一口飲みこんでどこか満足げに口角を上げる。
「そんな褒めていただけるなら、村人で集まって作った甲斐があると言うものです。ですが思い出と言うのは琥珀酒のように年がたつほど旨くなると言いますから、どうにも昔のものが懐かしくなるのです。」
「そう言うものか。しかし、ならどうして自分の村を出て、新しく村を作ろうなんて思った。」
「それを聞かれてしまいますか。」
「今の話の流れだったらどうしたって聞かねばならないだろう。嫌なら言わなくてもいいが。」
少し迷った後、鈍い色の真鍮製コップに口をつけると仄かにだけ酒を飲み、そうして村長は何もない壁の方を見つめた。




