誰も彼もが彼女が人殺すことを望んでいた、そう作ってしまった
――夕食をご随伴したあとの帰り道
「と言う事らしい。そういう事なら気持ちを汲んでやってもいいんじゃないか。」
村長の家での夕食の後、宿泊している家に帰る道すがら昼間に聞いたことを子爵は説得するつもりで令嬢たちへと伝える。ただその言葉を片耳に聞きながらも令嬢はあまり気にしていないようで静々と歩き続けていた。
「どうなんだ。」
改めて子爵が問いかけると、歩み求めず、とはいえ子爵からすれば止まっているかのような遅さだが、そのままどうもこうもないと令嬢は軽く視線を流し向ける。
「理解はできます。ですが巧妙にできたカバーストーリーのようにも感じてしまいます。」
「か……カバー……?」
「納得させるために表面上を繕うだけの物語。納得しやすいナラティブ。嘘や偽りとまでは言いませんが取ってつけたようにできすぎた説明なのが怪しいです。」
「どこも怪しくないだろう。あの村長が妻を愛しているのは事実だろうし、そのために命を投げ出す理由もある。俺が話したのは数日だが少なくともそれは嘘のように思えん。」
「私も、それに嘘はないように思います。でもどちらかと言うと、私は村長は妻の命を長らせたいと言うよりも、それよりも、もっと、あの方は自分が死にたいと言う、そう言う強い思いが発端であるように思うのです。」
「何を無根拠に……。」
吐き捨てるように子爵は言うが、何度も令嬢は首を振って見せた。
「……人が死ぬと覚悟するのはとても難しいことです。両天秤にのせるのが妻の貞淑だけで、本当に釣り合いがとれるでしょうか。だいたい、もし命を渡す罪人が女性だったならどう思いますか?同じように妻に誰かの命を与えるとして、その罪人は男だけとは限りませんから。子爵様は例えば女の罪人が命を渡すのだとしたら、村長様が仰られたことに際してどう感じますか?」
「女……?どうって……ああ……まあ……そうか。」
「そう。恐らくですが、命を注ぐ存在が女性であったなら操のことなどあまり気にしないのではないでしょうか。だから取ってつけたように思えるのです。心の底に、胸の真っ暗な奥の追いやられた、事ここに至ってもどうしても表に出せず隠しきっている彼の『死にたい』と願う理由が恐らく何かあるのだと思います。」
「だとしてどうする。」
問う子爵の言葉は少し語気が荒かった。
「そこまでして隠している人の心を無理やり暴くと言うのは、人の尊厳を土足で踏みにじ守ってきたものに唾を吐きかけるのと変わらんぞ。」
「……そうですね。そう。全くをもってそうだと思います。ですが――」
「ですがなんだ。それこそこの期に及んでまたぞろ人間性のかけらもないことを言いだすつもりではでだろうな。」
目を閉じて落ち着こうと何度か息を整えた令嬢は鈴の音のような軽く小さな音で己の気持ちを吐露する。
「……私は……私は自殺の介護者でも殺人狂でもないのです。」
絞り出すように言った令嬢の声はほんの微かだけれど、本当に風に揺れただけかと思うほどわずかに、不安そうに震えていた。
そのあまりに心細そうな声に思わず緊張してしまい顎を撫でた子爵は返すべき言葉が見当たらず、渋い表情のまま次の言葉を紡ごうとする令嬢を見つめた。
「言って良いのなら、ええ……、ええ、私も村長様の願い事は叶えたいです。私もそのわがままを聞き入れて誰かくらい幸せな笑顔にはしたいです。そんなこと処刑人には過ぎたる願いかもしれませんが。それに王命でもあります、功績に報いる確かな褒賞として、希望にはこたえるべきでしょう。でも本当に村長の願いを叶えて彼は幸せになるのですか?そして、何の罪もない村長を、村の功労者をこの手で殺すことになる私の気持ちはどうあれば良いのでしょうか。」
とつ、とつ、と刻むように語る。なるべく声の揺れも心の揺れも抑えて酷く冷徹な声で言ったはずの令嬢の言葉は、誰の耳にも今すぐにでも助けてほしいのだと言っているようにしか聞こえなかった。
軽く息を吸い込むと令嬢は自らの言った言葉に自ら首を振る。
「分かってはいるのです。そうであろうと王命に求められた働きをせねばならぬと。それが違爵の果たすべき役割だと。分かっています。ただ覚悟を決めるだけの時間とそれに値する理由が欲しいんです。」
「そう……か。」
三人ともそれ以上に何も言わなかった。ただ黙って道を歩く。その三人のそれぞれ違う足音と風に揺れて草木がかすれる音だけが響いていた。十歩も歩いたときだろうかずっと納得がいかず視線をそらしていた子爵が、思いつめたように令嬢へと向かって振り返る。
「俺が初めて人を切ったときは戦場だった。」
「何の話ですか?」
「まあ聞け。人を切ったと言っても俺が切ったのはその一人だけで、それから弓でも石でも大した経験もない。だからきっと、人を殺したと言う事であれば、将兵である俺よりも実のところ違爵の方がよっぽど多いのだろうな。」
「そうかもしれませんね。」
どこか薄暗い顔をしながら自虐的に令嬢は口角を上げる。
「お前をののしっているわけではない。まあ、聞け。俺が切った一人は本当に戦場の乱戦の中、馬から引きずり降ろされて、斬りかかられて、それで必死に切り返していたらいつの間にか自分の方が生き残っていた。後はひたすら馬を見つけて乗り直し勝っていく軍を見守るしかなかったよ。」
「初陣と言うのはそう言うものかと聞き及んでいます。たとえ打ち取ったのが一人だけでも素晴らしい戦勲だと思いますよ。」
「そういう事を言っているんじゃない。分かる、と言いたいんだ。」
「なにを……。」
「誰かを殺すときの胸をかきむしるような怖さだ」
何も言わずにじっと押し黙る令嬢の姿に子爵は後ろめたく視線をそらしてしまう。
「軽々しく村長の命を使えなどと言って……悪かった。」
「……私は子爵様のその時の分かりません。襲われる怖さを……。ですから私のこともきっと分かっていないのではないかと思いますよ。」
「まるでその身を谷底へ投げ捨てるかのように自棄なことを言わないでくれ。」
「私は子爵様とは違いますから。」
「違うものか。」
「違うのです。我が家名はエヴァリング違爵。例外なる爵位、偽りの貴族、断絶によってのみ続く一族。それは連綿と続く貴族様がたとは違います。」
微動だにもせず口に出した言葉がその場で雪となって落ちそうなほど冷静な口調で見上げてくる令嬢に、子爵はどう返答することもできずに、うめくことだけを我慢して俯いた。不意に同じ国の胞ではないかと言いかけて、平民を女を人ではないと言ったのは自らであったことを思い出し、やはりそれも口に出すことは能わなかった。
「……しかし、どうするつもりなんだ?本当に違爵の覚悟が決まるまで無為に過ごすつもりか。それでは死を待つ村長の心も辛いものだろう。」
少し押し黙って令嬢は空を見上げる。三日月の明かりが強く地面を照らしているが、その周囲にも微かに星々が煌々と輝いて見える。空は酷く晴れていてよく冷えた空気をかき乱しながら風が流れていき、令嬢と侍女、そして子爵の間を虚しさの吐息のように流れて微かな誇りを舞い散らせていった。服の裾についた土を気にもせず黙っていた令嬢がようやく覚悟が付いたように頷く。
「それは私も分かっています。ただ、ここまで話を聞いてきて、村長様が死にたいと言う理由を知ることに当てがないこともないのです。」
「ふうん?当て?それはなんだ?」
「とても大事なことのはずなのに、村長さんも奥方も決して口にしようとしていないことがあるんです。家の中にも見当たらない。忘れようとしてしまっているのか、ただの偶然なのかは分かりませんけれど……。」
「今度はそれを調べるって言うのか。」
何一つ躊躇わず令嬢は頷き、それに応じて子爵もまた頷いた。
「分かった。何を調べるんだ?手伝ってやっても良い。」
「……いえ、こちらは私たちが調べますので、子爵様には村長さんとまた普通の雑談をしていてほしいのです。」
「なぜだ。何を調べるのかも俺に教えないつもりか?」
「子爵様がそのことを知ったら、多分、村長様にそのまま聞いてしまいますよね。」
「そ……それは……そんなことは……。うーん……。」
「あると思いますよ。ですから、話していくうちに、村長さんが本当にそのことの話をしないのかも知りたいのです。」
「一緒に調べると言うこともできようが。」
「子爵様が先ほど仰ったとおり、死を覚悟している村長様の心のケアは必要でしょうから……。それを元気づけてください。大切なことです。思うになんですが、村長様は妙に子爵様に親密さを感じている気がします。」
「そうか?俺からは良く分からんが。」
「逆に問いますが、子爵様は村長様のことは嫌いですか?」
「そう問われたら……確かに親しくは感じているが。」
「先ほどの皆で一緒にした食事の時、不思議と子爵様が怒りもせず貴族と平民が一緒にテーブルを囲んだあの奇跡のような光景。あの時に私もそうなのではないか感じたのです。できればお願いします。必要ならお願いしますと頭を下げましょうか?」
「貴族が何度も軽々と頭を下げるな。だが友人として頭を下げられるのなら嫌な気はしない。」
「友人ではないので止めておきますね。」
その言葉に子爵は今までで一番の笑顔に見えるほど口角を上げて面白いとも悔しいとも取れない歪な表情をして肩を揺らしていた。
「まあ。良いさ。残りの時間、あの老いた村長のことを少しでも覚えてやろう。それが死んでいく村長に対する俺からの手向けだ。」




