語り継ぐもの
――子爵の方はと言うと
「それで、どこに行きたいんだ?そっちから誘ったからにはどこか行きたい場所があるんだろう?」
いつの間にかまるで家族に話すかのような気安い口調になって子爵は背中に負ぶった村長へと声をかける。
「もう子爵様は村の景色は見ていかれましたか?」
「見てはいないが、だが、だからと言って村なんてどこも変わりないだろう。どこも家と木々と畑でどこまでも。それだけだ。」
あまりにぶっきらぼうなことを言うものだから、背中で村長は苦笑してしまっていた。ただそれも苦笑いと言うより、どちらかと言えば心底から愉快そうに笑っているようだった。
「そうかもしれませんね。ですがこの村の南にあるサンザシの木は大したものだと思っているのです。」
「ほう、サンザシと言うと花か。まあ、綺麗ならば見てやっても良いが。しかし花を見るなど女の趣味で、男のやるべきことではないがな。まあいい、花に嵐の例えもある。見てやらんでもないさ。」
まるで貶すようなことを言いながらも興が乗った様子の子爵は、村長の案内に任せて丘を越えてまで歩き、そうして村のはずれ日当たりの良い一等地へとたどり着く。そこに生えていたのは熊よりも太い幹をした巨大な一本の落葉広葉樹であった。ただ枝や幹の身ぶりこそ見事ではあるものの、今がサンザシの季節外れも季節外れなこともあって枝の先は寒々しく細く、葉を全て落とし寂しげな雰囲気ですらあった。
「おいおい。こんな枯れてしょぼくれた木が見せたかったとでも言うのか?」
「ですが、背の高さ幹の大きさだけは、随分と大したものでしょう?」
「確かに格好だけ大きくはあるが。あるがなあ……。」
「最初にここに来た頃にみんなで植えた木ですからね。こいつも長く生きました。いくつか植えたのですがうまく育たなかったりして最後まで残ったのがこの木のみ。それでも昔はこいつもそれはそれは無数の、それこそ本当に数えきれないほどの白くって愛くるしい花をその体いっぱいに咲きほこらせていたものです。それはそれは村の皆が花の季節に一度は見に来るようなそんな花だったんです。」
「まるで今は違うかのような言いぶりだな。」
「もう駄目なのですかね……。虫に食われたのか中がボロボロで葉もつけられない有様です。」
「思い出では花は咲いてくれんぞ。お前が大したものだと言うのでわざわざ負ぶってまで来てみたが。枯れ木ではなあ。」
「思い出に花は咲かない。ですか。良い言葉ですね。ただ私たちも流石にこのまま朽ちらせるのも惜しいと思ったので、あそこに新しい木を植えたのです。」
ふるふると震える細い腕を上げて村長が指さしたのは少し離れたところにある小さなまだ根付きたてなのか弱弱しく幼い苗木だった。
「あんな幼木、花が咲くのに何年かかる。」
「さて五年はかかるのでしょうか。綺麗に咲くには十年は待った方が良いかもしれません。」
「花が咲くまで五年ここで待てと?」
「ふふふ、申し訳ありません。本当はただ自慢がしたかったのです。これだけの木が育つほど長く村が続き、次代まで受け継がれることに。」
「だからもう死んでも満足だとでも言うのか?」
「いえ、心残りはいくらでもあります。妻が……妻がね、このサンザシの花が大好きだったのです。それはもう。毎年欠かさず見て、ここで何度も一緒に花を見ながら食事をしたものです。もう一度見せられると良いのですが、妻もあの年でしょう?若木が育つまで持つかどうか。」
「だからそのために妻に命を渡したいとでも言いだすつもりか?」
「駄目ですかねえ。」
「お前が妻のことを愛しているのは良く伝わってくるよ。恐らくは別の理由を聞いてもまた別の妻のためになることをいくらでも言ってくるんだろう?」
「ははは、さすがに分かりますかな。」
「だからそれは良いさ。お前にとってそれだけ妻が大事なんだろう。でもなんでお前の命でそうしたいんだ。お前はずっとそれをごまかしている。」
「……そうですね。何というか恥ずかしい理由も色々あるのですが。」
「死ぬか死なぬかまで来て多少の恥ずかしさがなんだ。生きているときの恥など、己が恥ずかしいだけだが、死んだ後に分かる故人の恥は人を笑顔にする。それはまるで遅効性のお菓子だな。食べ終わって分かれて夜寝る前になってようやく笑顔になるそう言う類のものだ。」
「なんだか子爵様と話していると、どうにも断りづらくなりますな。」
「だったら言ってみろ。」
「いくつか……いや、いくつも理由はあるんです。例えば妻に先に死んでほしくない。男として情けないですが。それは誰だって分かりますでしょう?」
「俺は妻がいないから何とも言えんが。そうだろうと理解はできるさ。亡くなった祖父母も似たようなことは互いに言いあっていたさ。」
「あとは妻がいなくなったら、誰が私の食後のデザートを作ってくれるのでしょうか。あのおいしい、キャラウェイの蒸しパンを。」
「後妻にでも作ってもらえ。」
「妻が作るあの蒸しパンでないと駄目なのです。そういう食べ物って子爵様にはありませんか?」
「まあ俺で考えるならば実家で毎日のように出るマッシュポテトか。今も少し食べたいよ。家にいるときには辟易して明日はもう食べなくても良いと思ったりするんだがな。」
恐らくは自らのカントリーハウスのある方だろう。まるで望郷のように空の向こうの方へと子爵は視線を向けていた。その言葉を聞いて老村長は咳と混じりながら肩を揺らせ喉の乾いた笑い声をにじませる。
「存外、子爵様と言うのも私どもと同じところがあるのですね。」
「そうかもしれんな。しかし、本当に理由はそれだけか?それだけではそこまで恥ずかしがる理由はなかろう。」
「やはりお聞きになりますか?」
「言っておけ言っておけ、どうせ俺も平民の悩みなどしばらくすれば忘れる。」
少し迷って左右に視線を何度も往復させた後に村長は恐る恐ると理由を口にする。
「儀式の話なのですが。命を渡すということは、妻の体に誰かの命が入るわけですよね。」
「そうなのだろうな。それがどうした?」
「あのですね……本当に気持ち悪い告白で気分を害するかもしれないのですが。恥を忍んで告白すると……。」
「なんだもったいぶって。」
「私は妻の体の中に、他の誰かの何か得体のしれないものが入ると言うのがどうしても許せないのです。」
それは酷く切羽詰まった言葉だった。
それを聞いた瞬間、子爵は天を威嚇する孤狼の遠吠えのように大仰にのぞけ返り空気が揺れるほどの大声をあげて笑い始めていた。
あんまりにも笑うものだから村長は目を丸くして、そしていたたまれないように酷く頬を耳を真っ赤にして両手で顔を隠してしまう始末だったほどだ。
「いや、なるほどな。ふふ。ふふふふ……いや、笑ってすまない。笑ってすまないし、そうだな、それは妻のことが大好きな夫にとって大事件だな。ふふふふ。くっくっくっ。」
「あの……やはり変でしょうか。」
「俺は分かるさ。確かにそれを許したら男の恥さ。気持ちは痛いほどわかる。ただあの違爵とか言う堅物の女は、いや……女には分からんかもしれんな。」
言いながらどうしても笑いが我慢できないのか子爵は何度も肩を揺らして楽し気な鼻息を漏らしていた。
そうしてひとしきり笑った後に子爵は少し落ち着いて村長の顔を覗き込む。
「しかしだな。もしお前の命で奥方が若返ったとして、そのあとの生活はどうする。未亡人となったら誰かに貰われねば生きていけぬぞ。」
「分かっております。むしろ妻は早く誰か相応しい人にまた娶られてほしいとも思っています。だからこれは私の目の前で、そうなってほしくないと言う、本当に私の身勝手でわがままな気持ちの悪い願いなのだと思ってください。」
相槌も口にせず子爵は黙って頷いた。
その考えは本当に合理的とは程遠いが、だが人の心と言うのは、そう言う全く合理的でないことを「満足」のために費やすことはままあるし、そちらの方がよっぽどに人を幸せにするものだと子爵は理解していた。
「ただ……。」
と子爵は一人言葉を地面に零れ落とす。
「あの女は何と言うだろうかな。多分……笑いもしなさそうだ。」
事ここに至っても子爵にとって令嬢の言動は全くの予想がつかなかったのであった。
今日はここまで、ちょっとペースが落ちます




