黒装の令嬢、百戮の少女、冥府の先触れ、死神の垂らした雫――全ての言葉で蔑まれた少女について
俄かに部屋の中が騒然としていた。
「来たぞ……国葬の執行人だ……。」
「刑戮の淑女。」
「無垢なる未亡人。」
周囲が口々に好き勝手なことを言い放つのが耳には届きながらも気に留めず静々と歩き続ける黒装の令嬢ことユリアは狼狽する男の傍らへとたどり着き、そこで止まった。事ここに至って男は自分が何をされるのか理解し始めていた。顔も見えず佇む彼の人、レディ・ユリア・エヴァリング違爵は帝国の貴族の中で唯一つの特殊な存在として誰にも彼にも例外もなく認識されていた。彼女は、この卿は、貴族を処刑する時にあらわれる冷酷なる執行人だということを、それを誰もが知って、そして見ただけで脊髄の芯が凍てつくほどに恐れていた。
男が彼女を見たのは初めてだったが、それでも彼女が間違いなくそうであるのは一目見ただけで理解してしまった。華やかな列席者の並ぶこの場に似つかわしくもない酷く重苦しい喪服、そしてどこの国の爵位制度にも本来ないはずの違爵と言う貴族の処刑人と言う異常な存在のためだけに作られた番外の爵位、そしてここが皇帝により臣下へと褒章を渡すはずの栄典の塔であるということ、その全てがただこの部屋に異常な雰囲気で佇む女性が国家の処刑人、貴種を絶やす者、国葬の執行者、貴族を殺すためだけの存在だということを明確に表していた。
自らが殺されるのだと自覚したとき男は余りにもやるせない気持ちに全身が自分で制御できないほどに震えていた。
「へ、陛下!わ、私は!私は――」
「お静まりください。式が滞ります。」
瞬間、場の空気が氷雪へと変じそうなほどの冷徹な言葉と共に、喚き始めた男の首筋に酷く冷たいものが触れた。
男には見えなかったが、それは令嬢の細く長い指の先だった。
黒いレースの手袋越しながらも、まるで刃物が当たったかのような冷たさに男は言葉を止めて口を動かすことすらできなくなる。女の細腕と思えば何一つとして恐れることは何もないはずだったが、男には言いしれようのない寒気が背筋を走って全身が硬直して指先が動かせなくなっていくのを感じていた。まるで死が肌にへばりついてきたかのような。冥府の空気がそこから体内に注ぎ込まれたような。そうしてへたりと男が腰を完全に床へ座りこませてしまったところで令嬢が手を放した。
放心して浅く短く息をするだけしかできなくなった男の傍らで黒い令嬢は静かにしかし周囲にはっきりと通る声で語り始める。
「ルース男爵。貴殿には所領地における過剰な課税とその横領、また先の戦における拠出すべき兵数の誤魔化しを行い国王陛下への義務を果たさなかったこと、またその他の十の罪状により国葬に付す仕儀となっております。何か言い残すことはありますか?」
ヴェールで覆われてしまい、その視線がどこの何を見ているのかようとして知れないが首の傾きで黒い令嬢が自分の方を見下ろしているのだと言うことにルースと呼ばれた男が気づくと、やがて先ほどまで令嬢を見ていたはずの周囲の視線までもが自分へと集まりはじめ、ようやくそこで自分に発言が求められていることを察する。ようやく釈明の機会を得たと感じた男は慌てざまに部屋の最も奥に座す若き容貌の陛下に向かい唾が飛びそうなほどの勢いで口を開いた。
「そのような事実はありません!わ、私は税の横領など……!この前の戦にだって確かに百の兵を率いて馳せ参じますれば、そのことは確かに監軍の方が報告しているはず。あの時しかと書面に書き記していたはずです、調べていただければ!」
必死に頭を下げる男の傍らで黒い令嬢は膝を曲げて視線を共にすると諭すように話しかける。
「この場は処刑を執り行うだけの場所です。貴殿の刑は既に調べつくされ、その罰の軽重も裁可済みの事柄なのです。それが今更になって覆ることはなく、今この時はただ死ぬ前に言い残すことはないのかを尋ねているのです。貴殿はその抗弁だけを言い残すつもりですか?残された家族や友人に何一つとして言い残さずともよろしいのですか?」
「そんっ……。」
言い淀んだ男が口を何度かぱくぱくと開閉させた後、周りを見渡し誰も彼もが自分の言うことに対して何の関心も持っていないことを理解してしまい、遮二無二に唯一言葉の交わせている令嬢の服の裾へと縋りついた。
「違爵様!な、なんとか!なんとか刑を取りやめてくださいませんか!?」
「私は処刑を執行することしかできません。主命はもう下っているのです。」
「で、ですがっ……。」
「言い残すことは何もないのですか?」
「ぐぅぅ……。」
悲痛なうなり声をあげて男は天を仰いだ。
そうして拳で何度も地面を叩いて叩いて叩いて肌が裂け血が滴り始めると震えながら俯きすすり泣く声が室内に響いた後、しばらくしてようやく絞り出すような声を出して男は令嬢へと顔を向ける。
「友に……。我が友と妹に言伝を……。頼みます。必ず……必ず遺言を届けてくださいますか?」
「しかと届けます。」
確かに頷いた令嬢の言葉に肩口で無理やり涙を拭いて男は声を震わす。
「妹には。妹にはお前の嫁入りまでを面倒見てやれなくて済まないと。そしてお前の兄は必ず潔白であるとお伝えください。我が友には、妹の行く先を頼むと。そのために我が家の私財の半分を渡す。ゆえに必ず面倒を見てほしいと。」
「分かりました。証文として残しましょう。」
立ち上がって令嬢が顔を向けると、部屋の片隅にいた兵士の一人がびくりと背筋を伸ばすや、その文言をすべて羊皮紙に書きそらんじていった。
「他には。他の誰かに何か言い残すことはありませんか?」
問われた男は俯いてただ首を振った。
それで終いであった。
それで令嬢は全てに対して頷いた。
「ではこれよりルース男爵の国葬を執り行います。陛下、栄典のご裁断を賜りたく。」
恭しく令嬢が頭を下げると、部屋の奥に鎮座した国を傾けそうなほどの美少年の見た目をした国王は興味もなさそうに首肯する。そうしてから、国王は周囲へと視線を巡らせ始めた。その瞬間、部屋の隅から隅にまで妙な緊張が走るのを守衛を務める兵士たちは感じ始めていた。国王はともかくとして居並ぶ国の重鎮たちは先ほどまでのひそひそと話し合うような雰囲気とは打って変わって空気が痺れているかのような静寂と共に酷く緊迫した面持ちへと代わっていく。視線がそぞろとなって椅子のひじ掛けを掴み指先を強張らせているものさえもいた。まるで縛られている男爵ではなく自らの生死の行く末が今まさに握られてしまっているかのような、そんな切迫感が満ちていく。
王族特有の波打った金髪を揺らし肘掛けへと軽く体を傾けた国王は巡らせていた視線を、白髪と皺の目立つ宰相へと向けた時にはたと止める。
「宰相。先の戦ではいくつかの街を攻め落とし隣国の土地を切り取ることが出来たな。開戦を決めた判断はまさに英断であった。臣下のあるべき姿と言えるだろう。」
「あっ…………!!!へ、陛下っ!!!」
名指しされた宰相は国王の顔を見ることもできずその場で目を見開いて体震わせている。
「よってその褒章として、此度の栄典を授けよう。」
部屋の中で皇帝と宰相以外の面々がどよめきを上げ、ざわざわと騒がしくなる。それを何も知らぬ兵士と縛られたルース男爵は困惑をしながらまるで蚊帳の外に捨て置かれていた。
宣下を与えられた宰相は打ち震え、見る間に目から零れ落ちるほどの涙を流し始めていた。
「あ……ありがたき幸せを……。私は……。」
「よい。口上は後で述べよ。儀式が滞る。」
その言葉で宰相は口を噤み深く頭を下げると、息を一つ吸って覚悟を決めて立ち上がった。そうしてルース男爵の近くへと歩み寄っていき、傍らに立つ令嬢へと向かって相対した。黒い装いに全身を覆われた令嬢は顔を隠すヴェールを垂らしながら、こちらもまた宰相へと向かって深く頭を下げる。
「此度は宰相様が栄誉に浴するとの仕儀になりましたか。まずは寿ぎを。」
「初めて故に儀式の仔細は分からぬのだが、どうかよろしく頼む。」
「万事お任せいただければ。まず心の準備はよろしいでしょうか?」
「う、うむ……。」
「それでは手をお出しください。」
あまりにも平静ななんということのない令嬢の言葉であったが、言われた途端に宰相は身を固くして目を見開いた。




