その問いの結末を受け止める覚悟はあるのか?
村長が家の外へと出ていく物音を聞いていると、川魚の鱗を包丁でこそぎ落としながら奥方が軽く笑った。
「あれは子爵様に負ぶわれているわね。」
「え?そんなこと分かるんですか?」
袖をまくって小麦粉を水で練りこんでいる侍女が驚いて顔を上げると、くすくすとおかしそうに笑いながら奥方は頷いた。
「そりゃね。あの人があんな大きな足音出来るほど、もう体も重くないでしょう?」
「そんな長く暮らしてると足音の違いまで分かるものなんですか?」
「分かるでしょう?あなただってそこのお嬢様の足音ぐらい分かったりしない?」
「……ああ、まあ、たまに分かりますね確かに。」
なるほどと言うように侍女のマヘリアは何度も頷くものだから、椅子に座って窓の外をずっと眺めていた令嬢が、その会話に思わず視線を向ける。
「マヘリア分かるの?私の足音が?」
「言われてみればお嬢様かお嬢様じゃないかぐらいは分かる気がします。」
「私ってもしかしてそんな変な足音してるの?」
「そうじゃなくってですね……なんていうんでしょうかねえ。」
困っている侍女の向かいで魚の頭を切り落とした奥方はまた面白そうに笑う。
「ねえ、違爵様。もしお暇でしたら倉庫から調味料を取ってきてくれませんか。今ちょっと手が汚れてしまっていて。」
「それは構いませんけれど、何を取ってくれば良いのですか?」
「キャラウェイなんですけどね。蒸しパンを爽やかな味付けにしようと。そこの勝手口から出れば家の裏手に出てすぐそこに倉庫がありますから、中に入って右手にある棚の三段目、茶色い小箱を取ってきていただければ。あ、ですが黒い箱には触れないようにしてください。危ないものが入っていますから。」
「茶色い箱?分かりました。待っててください。」
裾についた埃を軽く払い落としながら椅子から立ち上がった令嬢はそのまま裏手から出て目の前にあった倉庫へと入る。倉庫の中はあまり片付いてはいないようで床にもいくつか箱が置かれているが、歩けないほどでなかった。物の置かれているう隙間をぬって奥の方へと進むと令嬢は視線を上げる。薄暗いが何が置いてあるかはかろうじて分かる程度のもので、見回してみるが取り立てて何かおかしなものがあるようでもなかった。かろうじて興味がわくほどに目につくのは壊れた大きな柱時計や子供が使ったらしき馬の玩具、そしてこの村にも兵役の供出があったのだろう埃をかぶった革の鎧兜らしきものが目につく。色々と見て回りたかったが別段何か探して見つけたい物のあてがあるわけでもなく、あまり遅れるのも良くないだろうとさっさと切り上げて右の棚へと視線を向けると、令嬢はキャラウェイが入っているという茶色い小箱へと手を伸ばす。そのときカッと左手に固い音がして令嬢はびくりと体を縮こまらせてしまった。どうやら左手の袖口についていたアクセサリーが隣にあった黒い箱にぶつかってしまっていたようだった。
「これが奥方様が仰っていた黒い箱ね。別に変なところもないように思えるけれど。」
多少不思議に思いながらも、強いて触ろうとはせずに隣の茶色い小箱を手に取って令嬢はキッチンへと戻る。
「奥方様。持ってきたのですが、この箱で良かったですか?」
「ええ。ええ。ありがとうございます。ちょっと古くなっているかと思ったけれど、中を見ても……大丈夫そうね。待っててくださいね、腕によりをかけて作りますから。」
えいやと袖をまくってみせる奥方の言葉に令嬢は少し引っかかるものを感じた。
「えっと?」
「ん?どうかしました?」
「もしかして私たちの分も作ろうとされているのですか?」
「え?あら?もしかして違った?私ったら家に訪ねてくれたから、てっきり夕食も食べていってくださるものだと思って。」
今まで見るからに張り切って料理していた老奥方が急にしゅんとしおれてしまう。先ほどまでは齢の40代と言っても通じるぐらい溌溂としていたが、今は見事に年相応に見えてしまう。
さすがに申し訳なくなって令嬢は老婆に尋ねる。
「あの一つ聞きたいのですが、この村では家に訪れたら夕食をいただくのが普通なのでしょうか。そういう決まりがあったりしますか。」
「決まりと言うものではないけれど、うちの家に来てもらった人にはみんな夕食をごちそうしていたから、今日もそういうつもりになってしまったのね。考えてみれば貴族様たちが平民とテーブルを共にするなんてありえなかったわね。ああ、申し訳ありません。」
「そうなのですか。まあ、では夕食もいただいていきましょうか。良いわよね?マヘリア?」
「良いですね。お嬢様も私が宿に戻ってから用意する料理よりも、もちろん奥方様の料理の方がおいしいでしょうから。」
そう皮肉って言われると弱ってしまって令嬢はあわあわと侍女を縋るような眼で見てしまう。
「マヘリア……。」
「冗談ですよ。夕飯にお招きいただく良いですね。私は実は奥方様の夕食をご随伴できたら良いなって思いながらお菓子を作っていたところです。」
「はあ……じゃあ、問題ないわね。子爵様はどうかは分からないけれど、私たちはいただいていくわ。」
「あら。あら。あらあら。」
口元に手を当てて驚いた奥方は次第に頬を紅潮させて目じりを細ませる。
「良いのかしら?良いのかしらね?それだったら後悔させないように一層腕によりをかけないとね。」
元気を取り戻した奥方を眺めて令嬢は同じように、しかしもっと穏やかに目を細めて椅子に腰を落ち着けた。
「作っていただける料理はどんなものでしょうか。楽しみにしていますね。」
「うん。楽しみにしててね。あ、違爵様は苦手なものとかあるの?」
「特にはありませんが、しいて言うならば脂が濃いものが苦手でしょうか。マヘリアは、何が苦手なんだっけ?」
「私は肉でなければ。」
「魚も?」
「魚はそれなりに大丈夫です。卵も牛乳も。」
それを興味深く奥方は聞いて頷く。
「それって宗派なのかしら?戒律なのかしらね。」
「戒律……は少しありますね私の母は四つ足の獣は絶対に食べてはいけないと厳しく言いつけてきましたから。ただどちらかと言うと、私が単に苦手と言うのが大きいです。私もお嬢様のと同じ料理を食べてみたいと思ったのですが、お肉はどうしてもだめでした。」
「はあ~、そうなのね。分かったわ。気を付けておくわね。」
気を取り戻したようで、またどこか鼻歌でも奏でそうな勢いでテンポよく魚をさばき始めた。
ただ令嬢はその奥方に興味深そうに体を前のめりにして声をかける。
「好きなものを聞かれたついでなので奥方様に伺いたいのですが、奥様は村長のとこ、ああつまり旦那様のことですね。旦那様をお好きなのですか?」
その問いに奥方は余りにも失礼になりそうなほど大きく笑った。笑って笑って思わず汚れた手で拍手して呼吸が苦しそうに天井を見上げるほどに体をのけぞって腹から笑った。
「私があの人のことを好きかって。そんなもの……そんなものね……。」
おかしそうに奥方は顔のしわを一層に皺くちゃにして笑ってしまう。




