荒れの野に鍬をすきいれて耕すがごとくに訳を根ほり葉ほり
畦道からの声に農夫は顔を上げると即座に子爵に気が付いて硬直した後に深々と頭を下げた。
それを見て子爵は畦道に残っている子爵たちへと得意に顔を振り返らせる。
「おい見たか。違爵。本当に頭を下げるというのはこういうことだ。心底相手を尊いと思い畏怖すればおのずと首が下がる。そういうものだ。おいそこの農夫。いい心がけだ。」
「あ、あの……わしなどに御用でしょうか?」
「用も用だ俺と話ができることをこの世の全てに感謝しておけ。」
余りにも自分たちの日常でしてきた会話とは違うことを言われすぎて、農夫はきょとんとして固まってしまっていた。
しかし子爵はそれに構わずに自分の会話を続けようとしていた。
「お前は村長のことを当然知っているな?」
「へえ、まあ。村長ですからね、いろいろと世話にはなっています。」
「どう思ってる?国王陛下から栄誉が与えられたとのことだが、値する人間か。」
「いやさあ、まあ、あまりにも大きな話過ぎてわしなんかにはそれだけの価値があるのかはわからんのですが。それでも……。」
「それでも、なんだ?」
「わしらはみんな村長に助けられておりますからね。感謝しておりますよ。当然です。日々の足りぬものを分けてもらい、農作業を手伝ってもらい、ああ手伝いはさすがにここ数年は体を壊して難しいですが、若いころはみなと一緒に開拓をして、それで作った新しい畑をわしの土地としてもらったりしました。あれは嬉しかったなあ……。ああ、もちろん嫌ってる人もいるにはいるでしょうが、ただそれでも村長がいなければこの村が生まれなかったことぐらいは村の誰だろうと分かってますよ。」
「ふむ……なるほど。しかし実際、村長と言うものはいったい何をしてるんだ。」
「他の村は知りませんが……うちの村長なら普段は一緒に農作業をしておりますがね、若いころはたまに狩猟にも随伴して……。ああ、それこそ昔は村長と同じ年頃の人たちもそれなりにいましたからとても楽しそうに精力的に村の作業に努めてましたよ。」
「ん?他にも村長と同じ年頃の者がこの村にもいるのか?」
「もう殆ど天に召されましたがね。誰かが亡くなるたびに村長は家族を失ったように寂しそうでしたが、やはり村長が葬式までなにまで取り仕切って。そういう事で言うなら、冠婚葬祭は全て村長が取り仕切りますよ。子が生まれれば名付け親となってくれます。私の名付け親は村長だっていうことが、やっぱり少し誇りに思っていることです。」
「庇護者なるものが偉大な人物であることを誇りに思うのは当然のことだな。俺にもそれは分かる。村長のことは大体わかったが、どうにもさっき会ってきた村長に俺が感じたイメージとは少し違う気もするな。さっきは大分老いてしょぼくれて見えたがな……。何か村長にとって大きな出来事でもあったのか?」
「大きな出来事ですか?最近は特になかったと思いますが。」
そこまで答えられたところで子爵は軽く顔だけ振り返らせて令嬢へと視線を向ける。
これで十分かとでも言いたげなようだったが、令嬢はそれに首を振る。もっとと言うようにじっと子爵の目を見つめていた。
その目で見つめられると子爵は妙に感情の持って行き場がなくなってしまう感じがして、しらず首元押さえて首をひねってしまう。
そうして改めて子爵は農夫へと尋ねなおすのだった。
「最近じゃなくても良い。今とは関係ないかもしれないが、これまで見てきた中で村長にとって最も重大な出来事があるとしたら、それはなんだ?」
「村長にとっての一大事ですか。ちょっと待ってください……。そういわれましても、何かあったかなあ……。」
渋い顔でじっと考えた後、農夫はああと声を上げる。
「んー……まあ強いて言うなら、多分結婚でしょうかね。村長は奥さんに結婚前から熱を入れあげてたのは村の中で有名な話でしたから。私の父からも聞きました。」
「そりゃ結婚はそうだろうがなあ……。」
それ自体はその通りだが命を渡したいと思う理由にはなろうが、命を捨てる理由にはならないだろうと子爵は唸る。
「今お前の父から聞いたと言ったが。となるとお前の父は村長の同い年ぐらいか。」
「ええ。ええ。本人は村長の二番目の親友だって吹聴していましたけどね、数年前にぽっくりいってしまいましたよ。」
「残念だな。話を聞けたらよかったが。……だが、二番目って言うからには一番の親友でもいるのか?そいつはまだ生きているか?」
「その方も、もういませんね。よく知りませんが、わしが生まれる前に死んだってのは聞きましたよ。」
「ふうん。それこそ今とは何の関係もなさそうだな。まあ大体は分かった。農作業をがんばれよ。」
そう言って子爵が踵を返すと、農夫は貴族だったことを思い出したように何度も頭を下げていた。
畦道を上り令嬢と従者の元へと戻ってきた子爵は満足そうな顔をしていた。
「あれだ。あれが正しき平民のある姿と言うものだ。貴族が存在してくれていることに全身で感謝を示す。高貴なる人間に傅くこと、それ自体に喜びを憶えてこそ真の平民となれるというものだ。」
適当に頷きながら令嬢は無表情にその自慢を受けがなして農夫との話に話題を戻す。
「二人のお話は遠くで聞かせていただいていました。とても良い情報が聞けてありがたく思います。」
「そうか?殆ど当たり障りもない退屈な話だったように思うがな。」
「知らないことを一つでも知るというのがとても大事なのです。」
「それで何が分かるというのだ?」
「一体なにが分かるのでしょうね。本当は見たくない村の闇かもしれませんよ。」
「そんなのがあったのなら、数日ぐらいは付き合ってやる甲斐もあるがな。どうせ大した話にはならんだろう。」
微かに朝の終わりに差し掛かろうとする空の下、どうにも晴れ渡った太陽の日を浴びながら、それでも辟易とした雰囲気で子爵は毒づくのだった。
それから令嬢と侍女と子爵が、それぞれに村のいろんな人から話を聞いていってみると、村長の人となり自体は誰に聞いてもそう大して違いのあるものではなかったが、ただ何が重大なことがあったかと尋ねられるとその答えは多様だった。
ある老いた村人は「若いころの水害の時でしょうか。村の北の川が氾濫したとき村が流されかけましたから。なんとか村長の指示で被害は抑えられましたけど何人か死人が出て。」と言い、
ある婦人は「やはりお子さんが生まれた時でしょう。その子は早く亡くなられてしまいましたが、村長は子供ができる前から名前を決めていたみたいで。生まれたときはそれはそれは泣いたそうですよ。」と語り、
ある若者は「私が見たわけじゃないですけれどね。」と前置きしたうえで「この村を興したときじゃないんですか。何の理由があってここに村を立てることになったのかは聞いたことないですけど、一大決心でしたでしょうし。私にはとても無理なことです。自分なら生まれたこの村で暮らしていたい。」と話をした。
「聞いたからと言ってこれじゃ何もわからないに等しいな。」
二日を費やして色々を話を聞き終わった後に子爵は辟易した様子でため息交じりの言葉を漏らした。
傍らでは令嬢が両手の指先をとんとんと触れ合わあせて何か考えている。
「私としては色々と気になるところがありましたが。」
「賢しらぶって適当なことを言ってるんじゃないだろうな。」
「そうかもしれませんね。」
しれっとしている令嬢を見て子爵は一層に表情を不機嫌に変じていく。
「こんな面倒をしていてどうする。こんな無駄な時間をだらだらと過ごすより、やはり当初の王命の通りに罪人を工面してあの村長を若返らせてさっさと都に帰った方が良いかと思えてきたぞ。」
「ホームシックと言うものですか?」
「戦場にいても都に帰りたいと思ったことは……少しぐらいしかない。そうではなくこれではあまりに無駄な時間ではないかと言ってるんだ。王都にいればやれることもいっぱいあるというのに、こんな僻地で日永くだらない農夫の話を聞いて……。退屈だ。」
「そうですか。ではまだ村の人に聞くつもりでしたが、調査を早めるためにも、今度は子爵様には村長さんに直接お話を伺ってもらいましょうか。」
「……おい、こちらの話を少しでも聞いているか?」
「ええ、ですから早く帰るためにも村長さんの真意を早く調べましょう。」
にこりともせずに言う令嬢に目を何度か瞬かせたあと子爵が紙をくしゃくしゃに握りつぶしたような渋い表情で侍女へ顔を向けてみると侍女は侍女でアヒル口に唇を突き出しながら肩を竦めて首を振る。
「お嬢様は言い出したら結構頑固ですよ。」
「……まあ、一週間で切り上げるとは言ってるし、付き合ってやるが。」
恐らくその口を形だけ剥いで投げればブーメランのように戻ってくるだろうと思うぐらいにへの字に曲げた唇の端を微かに開き子爵は余りにも呆れた感情が大聖堂で歌われる聖歌隊の歌唱技法ほどに強く込められたため息を漏らした。
「それで、俺は村長に話を聞くとして、何を聞く。」
「なんでも聞いてくだされば、出来ればなぜ死にたいのか――」
「それを聞き出せと言うことだな。」
「いえ、それだけは触れぬようにお願いします。」
「あん?それが知りたいのではないか?」
「隠したいご様子でしたので、聞かれれば普段の言動からも漏れぬように気を付け始めます。それよりも、何気ない会話をしていてふいと漏れる言葉の方が実のところ真実を知るのに役に立つのです。」
「そういうものか。」
「そういうものです。」
「それは俺じゃないとだめなのか?」
「男性同士だからこそ話せることも多いでしょう。」
「なら、そうか。」
「ええ、そうです。」
結局のところそういう仕儀となるしかなかった。




