其の舌禍は弾丸よりもギロチンに似る
険しい剣幕で子爵は、自らの命を使えと言い放つ老いた村長へと詰め寄った。
「お前が今何を言ったかわかるか!?お前は国王陛下の褒賞を無下にしただけではなく、その判断自体が間違いだったと公然に口にしたのと同じだぞ!もしそんなに死にたいのなら――」
「子爵様――」
一瞬、部屋の中の人間が全て死に絶えたのかと思うほど空虚で零冷とした声が子爵の声を遮った。
「っ!」
跳ねるように飛びずさった後に子爵は恐る恐ると自らの首がつながっているのを掌の感触で確認していた。しばらくして自分がちゃんと呼吸を出来ているのだと理解したとき子爵は安堵で全身の肌から汗が噴き出るのを感じる。慄きながら子爵が周囲を確認していると、村長は今にも絶命しそうなほどに目を見開き、遅れて酷く痰の絡んだ大きな咳をし始めたのだった。状況を見守っていた侍女も冷静な顔を崩さずともその肌には玉のように汗が浮き出ているのが分かる。ただしれっと平静としているのは令嬢一人だけであった。うろたえながら周りに問うようにして子爵は口を開く。
「な、なんだいまの――」
「子爵様。いい加減少し黙っていてもらえますか。」
一瞥もせず虚空に消えるような微かな声で放った令嬢の言葉には何の抑揚もなかったが、子爵には強い圧が感じられて気づかぬうちに口を閉じてしまっていた。
誰も喋りださないことを確認してから令嬢は恐れ戦いている村長の顔を覗き込む。
「本当に村長……あなたの命を捧げるということですか?別にあなたでなくとも他の人でも効果は変わらないのですよ。いえ、もし若い人であれば、奥様はより一層若くなることでしょう。」
「私のような余命の少ない老人では若返ることが出来る幅も少ないという事でしょうか。」
「人が生きているというだけで、それはそれだけで随分と大きな力となりますから、ただ、村長の御年の方が犠牲になるのであろうと恐らく奥様は妙齢の見目くらいにはなることでしょうけれど。」
「ああ、それなら何とかまた誰かの妻ともなることができるでしょう。あれで妻は三十のころが最も美しかったのですよ。柔和で優しくそして若さにはない愛嬌があって、みなが私のことをうらやみました。だから、ああ、妻のその後が信頼できるのなら安心です。」
「私にはわかりません。聞いているとあなたは奥方様のことを語るときに心の内が満ちるほどに愛しているのだろうと言うことが痛いほど伝わってきます。なのになぜあなた自身が罪人の役を務め死のうというのですか。仮に奥様が若くなったとしても一緒に長らく暮らせば良いではないですか。」
「所詮はどちらかの老い先は短いのであれば。それならば最後にあいつに、妻に何かしてやりたいのです。そして彼女を幸福にするのに使われるのが私の命であってほしい、そう考えるのは身勝手でしょうかね?」
「それで悲しむのは奥様だと思いますよ。」
「私が死んで悲しんでくれたならこれほどもなく嬉しいのですねが。私も多少は愛されていたということですから。」
そこに何か村長とその妻には余人に計り知れない関係性が佇んでいるような雰囲気があった。
仕方なくと、令嬢は佇まいを正して真剣に考え込む。
「死とは冬に吹き荒ぶ寒波、確かに持ち集めていた筈のものが消え奪い去られていくもの。殺しとは暗闇む川への滑落、藻掻いても岸はなく救われようとするほどその身は黒く染まりゆくもの。人はだれしもがそれらから逃れたいと思うものです。もしあなたが死んで奥様が悲しんだとしても、それをあなたが見ることは出来ません。あなたには奥様に見守られ寿命を全うする幸せを得ることもできるはずです。それを自ら失おうというのはなぜですか。せめて納得ができる理由をお聞かせください。」
「必要ですか。理由が?なければいけませんか?」
「……これは職責を負うものとして身勝手かもしれませんが。私はあなたを殺すことにもなるのです。罪もないあなたを……。罪がないのです、あなたに。死んでも良いと、殺してよいのだと、自分に言い訳ができるだけの罪があなたにないのです。せめて、せめて、このような処刑人でしかない私にでも、ただ一つのわがままとして。罪なき人を殺したくはない。そう思うことを許してほしいのです。」
とつとつと語って令嬢に説き重ねられる言葉には悲痛さが増していく。それを村長は何度も頷いて聞いていた。
「分かりますよ。分かります。ですが私には罪があるのです。それこそ死んでも問題がないほどに。」
「それは何ですか。私にだけでも告解はできないものでしょうか。」
ゆるやかにそれでも確かに村長は首を振った。
「これは誰にも告げられません。告げてはならぬことなのです。相手への名誉のためにも。これは私が心の内だけで消さねばならぬ罪なのです。それでもどうか、どうか私の命を妻お与えください。」
「俺には――」
しばらく黙っていた子爵はいつの間にか椅子に座って憮然としながら、それでも我慢できなかったのか唐突に口を挟んできた。
「俺には、そんなわがままに付き合ってやる理由はないと思えるがな。国王陛下から下された命令を遂行するなら、この町で罪を犯したものでも良い、俺の兵を使わして近隣から探してきてもいい、そこの村長が嫌がろうが、それで村長に無理やり命を渡せばそれで済む話だ。もともとがそれで済むだけの話だ。」
言い切ってそれでただ居心地が悪かったのか、座って組んでいた足を組みなおし、窓の外の方へと視線を向けた子爵は「一つの意見としてだ」と言い訳がましく付け加えた。
「子爵様の言葉を否定はしませんが、村長様。村長様としては他の罪人の命では駄目なのでしょうか。それがあなたでなければ他のことは違いなく叶えられると思うのですが。」
「お嬢さん。いや違爵様でしたか。本来、死んでも良い人などいないのだと思いませんか?」
「……。」
問われ令嬢は押し黙る。それはずっと考えないようにしてきたことだ。いや考えてはいた考えてはいたが直視することに耐えきれず心の隅に追いやっていた、令嬢にとっての罪悪感だった。
ベッドの上で、どこか遠くを見るように、まるで家の中から地平線のかなた空の先にある虚無までも見通すように村長は遠い目を向けて言葉を続ける。
「そして、みな死んでいいのです。」
抹香のように心へと触れ、撫でつけて消え去っていくかのような穏やかな村長の言葉に、令嬢と侍女はその声のやさしさとは裏腹に酷く引っかかるものを覚えた。
「死んで、良いのですか?」
「この年まで生きてきてなんとなく感じました。死んでもいいのです。人は死んでいい。どうせ人は死ぬのですから。消耗品をどう使うかだけの違いだけです。燃え尽きる蝋燭はそれはそれで綺麗ですが、燃えさしを暖炉の火入れに投げ込むのだってどちらも意義のあることでしょう。人間の命もそれぐらい使い道次第だということです。それで言えば違爵様、あなたさまの能力こそ、その活用の道を広げる素晴らしい力なのではないでしょうか。」
「私の力はそんな高尚なものではなく……。」
狼狽えて視線をそらし俯いて顔に手を当て瞼を強く閉じる。予想もしないことの連続で令嬢の心の中は解けぬ紐のように絡まり答えを出せなくなってしまっていた。
ふと気が付くといつの間に近づいてきていたのか、支えるようにして背中と肩に侍女のマヘリアの手が添えられていた。
「お嬢様。ゆっくりと息を吸ってください。」
そう言われ令嬢は呼吸をすることも忘れていたのだと気づく。
胸がはち切れそうなほどにつらくほんの浅くしか息を吸えなかったが、それでも令嬢は少しばかり楽になった気がした。そうして少しクリアになった気持ちの中で答えを出す。
「…………分かりました。」
「おお……では?」
喜ぶ村長の言葉に、それでも視線をそらして惑いながらも令嬢は確かに頷いた。
「あなたの願いを聞き入れましょう。」
驚いて傍らにいた侍女が身が屈め二人でしか聞こえない声で話しかける。
「良いのですか?本当に?それで。」
「マヘリア。私に考えがあるの。」
そうして令嬢は村長の方へと向きなおす。
「ただ、誰かから誰かに命を渡すための国葬の儀を執り行うためには準備と調査が必要です。実際に儀式を行うのはそれからと言うことになりますので少々お待ちください。」
「そうですか。差し出がましいことですが……私が病状が悪化する前にしていただけると嬉しいです。」
「もちろんです。そうでなければ村長の願いをかなえられませんから。それは分かっております。」
その会話を不服そうに聞いていたのは、当然ながら子爵であった。窓の外を見つめながら忌々しそうに自らの掌から血が出るほどにまで強く握りしめていた。




