夢、現、そして冥と天の間にあるもの
――それはいつか
星屑も寝屋へと就いたのか瞼を閉じて瞬きを止めていく、その中で遠く猛禽類の羽ばたく音だけが響いて虚空へと消えていった。肺腑に入る冷たい空気の感触を理解しながら曖昧な意識の中で令嬢はふと自分が目を覚ましていることに気が付く。朝が弱いはずの自分がこんな夜中に呆然ともせずはっきりと覚醒している理由を令嬢は自分自身で知悉していた。寝ている毛布の中には一緒に侍女のマヘリアがくるまっていて、彼女の体温で体が温まっているからなのかゆるく息を漏らしただけで周囲に白い靄が漂って、そしてその全てが現世の命のように儚く消えていく。幾ばくか大きく息を吸い込んで視線を空へと向けてみれば、天気の隙間へと至っていたのか寝る前には幾らか曇っていたはずの空も一面に星を輝かせていて、先ほど見ていた気がしたイメージが夢の中の出来事だったことを悟った。傍らで眠る侍女を起こさないように体を起こすと毛布から外れた体の部位が夜の外気へと触れて軽く寒さを感じてしまう。改めて息を漏らすと吐き出されたと息はやはり白い靄となって南の方へと流れていく。風が吹いているのだろうか。北側の空からは鈍い錫色の雲が流れてきているのが見えて恐らくは朝から雨が降っているだろうことを予感させていた。
ふっとしばらく流していた息を止めて令嬢は周囲の闇の中でひときわ暗く何があるのか分からないような暗がりへと視線を向ける。
「私が起きて驚いてるの?そんな殺気をしていたら眠りこけていた椋鳥の雛だって起きると言うものよ。」
確かに誰かに向かって話しているようにも見えるが、その実、誰一人としてその言葉を聞いているものはいないかのように、放たれた言葉は漆黒に塗られた空間の中へと薄められて消えていく。ただそこにある闇が星影に促されて微かに揺れているのが見えるだけであった。ただそれでも令嬢は視線を一切として離そうとしない。微かに体を前かがみにして、傍らで寝ている侍女を守るようにして腕を地面に置くともう一言だけ付け加えた。
「去ってくれれば。私からは何もしないから。このままここから立ち去ってくれない?」
なにも返事はなかった。ひっそりとしてわずかに流れる空気の動きから周囲の草がかさかさと軽やかな音を鳴らすが、ただそれも現世を移す水面を漂うあぶくの様に無意味なものであった。ただしばらくする後に闇の向こうからわざとらしく音がするのが聞こえた。
足音。
人の足音。
それは令嬢たちから遠ざかっていく意思表示としての分かりやすい痕跡だった。
冷たい空気を伝ってクリアに響いてくる音を耳にしながら令嬢は周囲へと視線を向けるが、焚火の周りで寝ている子爵の兵士たちはぐっすりと休んでいるようで起きる気配もない。それで良いと思った。自分ももう一度寝てしまおうと重くなりかけた瞼を軽くこすっていると、寝ぼけたのか侍女がお腹へと抱き着てきて、令嬢の名前を呼んではどこにいるのかと探しているようだった。
「ここにいるから安心してマヘリア。私ももう寝るから。」
外気に触れて冷え始めていた身体が彼女に触れてきて暖かくなっていくのを、この寒々しい荒野の中のせめてもの幸福として感じながら、穏やかな気持ちで令嬢は毛布中へと再びくるまっていく。目の前で寝る侍女の体を懐炉代わりのようにして。遠く月狼の遠吠えが聞こえるが、やがて意識は微睡の中へと突き落とされていった。




