王とはもはや人の身にあらざれば
約束の時間に遅れまいと軽く急いだ足取りで謁見の間に何とか辿り着いた令嬢は、そこで貴族にふさわしいよう歩調を緩め不敬にも王の顔を見てしまわないよう下を見つめると、俯いたままカーペットが続くことだけを頼りに進み、玉座へと続く段差の幾分か前で勝手知ったるように立ち止まった所で、顔を上げることなくそのまま地面へと跪いた。一度もそのお姿を目にはしていないが、今この時そのカーペットの続くその末に国王陛下がいることを令嬢は知悉していた。
「陛下。愚身ながらに御前に参らせていただきました。」
「であるか。」
頷きもせずにこの国の王は若々しい金髪を軽く揺らしながら一層に背を持たれかからせた。もし見た目だけで言うならば先ほどあった王太子よりもよほど若い年のころに見えてしまうほどであった。金髪碧眼の美麗なる少年王と言っても差支えのないぐらいにはあまりにも若々しい。ただ少なくとも知る限りはこの王はあの王太子の父親であることは間違いなかった。
「久しいな。この前の国葬からどうであった?息災か?」
「陛下のご温情を賜り、お時間をいただきましたことで十分に休むことができました。」
「であるなら、何かをするのには何の問題はないな。」
「もとより、私は陛下の剣ですので。陛下が望むときに臨むようにしていただければ……。何をすれば宜しいでしょうか?」
「アダムズウィルという村がある、そこに行ってお前の力を使ってこい。ただし栄典として貴様の力の行使を許可するのは一回のみだ。厳守せよ。」
「拝命いたしました。」
恭しく頭を下げて、そうして令嬢は立ち上がろうとする。
それだけだった。
それだけである。
いつもそれ以上は必要なかった。
下された命に対して誰にどうするべきかなどの詳細は宰相から追って告げられるため、陛下から直接下命されたと言う形式さえ済めば仔細程度のことを尋ねて王の手を煩わせると言うわけにはいかなかった。
しかし、なぜかその日は気が向いたのか例外であったのか王が立ち去ろうとする令嬢を呼び止めた。
「そう急くな。座れ。」
「は。」
立てようとした膝を曲げて令嬢は静々とした仕草で再び地面に膝をつけさせる。自分などに何か用があるものかと令嬢はヴェールの下で不思議そうな表情を浮かべてしまっていた。
逆にその困惑した態度に満足げに王は口元を緩ませる。
「ルートヴィヒとは会ったか?」
突然王太子の名が出てきて、なぜ彼のことを聞くのかと困惑してしまいながら令嬢は頷く。
「王太子様ですか。偶然ですが先ほどお会いできました。ますます壮健になられまして喜ばしいことかと存じます。」
「貴様が来る前、先ほどまであいつと話していたからな、もしかしたら帰り際に会っていたかと思ったんだが、そうか会っていたか。」
「左様でしたか……。」
「違爵。あいつのことをどう思う?」
「どう、とは……。」
言わんとすることがわからずに令嬢は次にいうべき言葉に惑ってしまったが、それを気にもしないのかただ少々物憂げな調子で王はため息を漏らした。
「あれは私の末子として名目上王太子としているが、王太子としておくと何らかの良くない虫が付きやすくてな。変なことの企みに使われやすい。」
「そうなのですか……?」
何が言いたいのか要領を得ないと言う気持ちながらも不敬に問うこともできず令嬢はただ投げかけられる言葉に対して頷くしかなかった。
「どうせ私より先に死ぬというのにな。」
「すでに陛下の御長子様は老衰によってお亡くなりになっているとお伺いしました。」
「二百年は前になるか。そう言えば名前も憶えていないな。あのお長子も当時の違爵に命じて若返らせてやっても良かったが……。どうせ私がいるのだから無駄なことに命を使うよりも有能な配下に渡した方が有用だと思ったのだったな。そうそう無駄に命を奪うのもよろしくはない。」
意外にも命を大事にするのだと令嬢は無表情の心の中でいくばくか驚いていた。
「そもそも、どうしてルートヴィヒ様を王太子とされているのでしょうか?他の国は長子がなるものと聞いております。」
「ああ?ああ、単に子の中で最も若いからにすぎん。また誰ぞにもう一人生ませても良いし、さっき言った死んだ長子の子孫すら何人もいるから、直系ならそいつらでも良いのだが。どうせ私がいるのだから分かりやすい方がいいだろう。ただルートヴィヒが王太子なせいで良からぬことに関わらせようとするものもいる。」
「その方々を私がどうにかした方が……?」
そう令嬢が言った瞬間、途端と軽く少年のような見た目の王が笑い出した。
その笑い方は見た目のわりに無邪気と言うよりは、どこか堂に入っているような高らかなものだった。
「随分と物騒なことを言いだすな。貴様にそんなくだらないことを頼む気はない。ただ貴様はあいつと面識があっただろう。下らぬ企みに乗るようなやつかどうか話が聞きたい。」
「私などより……家族でありますところの陛下の方がご存じなのではないでしょうか。」
「知るわけがなかろう。あんな木っ端の末子。名目上で王太子としているが、私にそんな子が何人いたと思う。」
一瞬令嬢はそのあまりに突き放した言葉に詰まるが、失礼のないようにと考えながら口を開く。
「そう……でしたか……。とはいえ私も特段と言って王太子様と親しいわけでもなく……。」
「そうなのか?」
「なるべく人との関りは絶っておりますので。もし事の次第に至ったときに迷わぬように。」
「ハハハ!」
何が面白かったのか王は思い切り噴き出して笑う。
「ああ、ああ、貴様はそういう面白みのないやつだったな。下らん。以前の違爵など……、いやこんな話をしてもつまらんな。いや、話は分かった。下がって良い。ああそうだ、命令の仔細はまた宰相にでも聞いておけ。」
あしらう様にしっしっと手を払ってみせる王の仕草に、ようやくと言う心持で深く頭を下げるとそれ以上は何も口にせず、ただ頂いた言葉だけを受け取って令嬢は部屋を退室した。そうしてこれから向かう村のことを宰相へと尋ねに行ったのだった。
一方、一人残った玉座の間で王は何度か先ほどのことを思い出して肩を揺らしていた。
「哀れな女だな。あそこまで身の生まれに縛られずとも良いものを。いや生まれの違いに縛られる者だからこそ女なのか……。荒野に魚は走らず、月夜に土竜は飛ばず、命の儚さは花に例えもされようか、ただ人の生は風に導かれし船のごとくに、揺られ乱されいつか諦めるのみ在り。……か。」
いつだったか、仕官を求めに来た詩人に奉じられた歌を国王は思い出していた。
「あいつもこいつも、いつの時代も愚図な女どもだった。」
ただ当て所もなく彼方を見てそう呟いた王の言葉はどこか寂しそうな響きがあった。




