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第3章:交錯する危機 〜暗部(ヘタレ)の本気と、予知された風邪〜

### 【カイル視点】

「……おいおい、マジかよ。よりによって、僕のたった一つのオアシスに泥を塗るなんてさ」

 一般学部エリアの裏庭。夕闇が迫り、紫色の影が伸びる静寂の中で、僕は人生で初めて、自らの意志で深い怒りを抱いていた。

 僕の目の前には、禍々しいナイフを突きつけられて顔を青ざめさせているハナちゃんの姿。

 そして彼女を人質に取っているのは、先日ニケによって文字通り「物理的に消滅」させられたエドワード王子の残党たちだった。彼らは本校舎の厳重な警備をかいくぐり、比較的警戒の薄い一般学部の生徒を人質にして、グランベル家への報復や交渉の材料にしようと企んだらしい。

「ひ、ひひっ! 動くなよ一般学部のモブ先輩! こいつの命が惜しくなければ、今すぐ――」

 ナイフを持つ男の手が小刻みに震えている。狂気と焦燥。

 人質に取られているハナちゃんは、恐怖に涙目を浮かべながらも、必死に僕に向かって叫んだ。

「カ、カイル先輩……っ! ダメです、逃げてください! この人たち、危ない魔法使いです……っ!」

 どこまでも僕を「無力な一般学部の先輩」だと思って、身を案じてくれる優しいハナちゃん。

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かがカチリ、と切り替わった。

 前髪の隙間から覗く僕の瞳から、いつものヘタレた光が完全に消え失せる。それは、国の暗部として幾多の修羅場をくぐり抜けてきた、シャドウハイド家固有の冷徹な漆黒。

「ハナちゃん、ちょっとだけ目をつむって、十秒だけ数を数えててくれる?」

「え、ええ……?」

「いいから、早く。――お前らさぁ」

 僕は一歩、前へ踏み出す。男たちがギクリと息を呑んだ。

 彼らから放たれる程度の殺気など、僕にとってはただの微風、いや、そよ風にすら満たない。

「……あの狂犬ニケの、皮膚がピリピリして心臓が止まりそうになるガチの殺気に比べたら、お前らの脅しなんて温すぎてアクビが出るんだよ」

 次の瞬間、僕の足元から濃密な黒い影が爆発的に広がり、周囲の空間を完全に包み込んだ。

 名門四が誇る最高峰の隠密・暗殺結界術――『常闇のシャドウ・ケージ』。外からは何も見えず、音も光も一切漏れない、僕だけの絶対領域。

「な、なんだこれは!? 影が――ぎゃあああああっ!?」

 ハナちゃんがギュッと目を瞑ったその数秒間。

 僕は影の中を音もなく転移し、チート級の隠密魔法で敵の懐へと潜り込んだ。手加減はしてあげる。死体が出ると、またアルティナお嬢様に笑顔でお片付けを命じられて、僕の胃が死んでしまうから。

 トン、トン、トン、と正確に敵の急所の魔力回路を突き、一瞬で気絶させて影の底へと引きずり込んで拘束する。所要時間、わずか四秒。

 結界を解除し、いつもの夕暮れの裏庭に戻る。

「……八、きゅう、じゅう? 先輩……?」

 ハナちゃんが恐る恐る目を開けた瞬間、僕は実家の暗殺術によるポーカーフェイスを120%発動させ、いつもの情けないヘタレ顔に戻って頭を掻いた。

「いやー! びっくりしたねハナちゃん! ちょうど通りかかった本校舎の優秀な警備の人がさ、一瞬ですごい魔法を使って助けてくれたんだよ! あいつら一瞬で捕まっちゃってさ!」

「えっ……? あ、あの、警備の人……?」

 ハナちゃんは辺りを見回すが、当然そこには誰もいない。

 しかし、目の前で無傷で立っている僕の姿を見た瞬間、彼女の緊張の糸が完全に切れたようだった。

「う、うわぁぁん! カイル先輩ぃぃ……っ!」

 ハナちゃんが猛烈な勢いで僕の胸に飛び込んできて、その小さな両腕でギュッと僕の腰を抱きしめた。制服越しに伝わる、彼女の温かさと、微かな震え。

「よ、よかったです……! 先輩が怪我してたら、私、私……っ!」

「ハ、ハナちゃん……っ!?」

 涙を流して僕の無事を喜んでくれるオアシス。その絶大すぎる破壊力に、僕の脳内では嬉しさと尊さが限界突破して大爆発を起こしていた。心臓がうるさいくらいに跳ねる。ああ、もう一生この子を守るためなら、僕はどんな汚い裏仕事でもこなしてみせるよ――。

### 【レオン視点】

「……まったく、ステラ家の管理はどうなっているんだ。次期当主たる私がわざわざお見舞いに来てやったというのに、誰も出迎えんとは」

 同じ頃、名門五ステラ家の本邸。

 私は、案内を断って独断で上がった薄暗いお屋敷の廊下を、心細さを隠すように早足で歩いていた。

 引きこもりのセレナが、珍しく数日間も学院の図書塔に現れなかった。星読みの者に確認したところ、「星の運行を無理に先読みしすぎて知恵熱(風邪)を出して寝込んでいる」というではないか。

 それを聞いた私は、居ても立ってもいられず、特製のお粥(アークライト家御用達の最高級薬膳)を携えて彼女の寝室へ突入したのだった。

「セレナ、失礼するぞ。……おい、生きているか」

 重い扉を開けると、そこにはいつも着ているダボダボのローブではなく、白いネグリジェ姿でベッドの中に小さく丸まっているセレナの姿があった。

 眼鏡を外し、おさげ髪を解いた彼女の顔は、熱のせいでほんのりと林檎のように赤く染まっている。

「……レオン君。お見舞い、遅い。私の計算より、十五分も遅着してる……」

「うるさい! 王都の渋滞を考慮しろ! ほら、お前が栄養失調で死なないように、最上級の薬膳を持ってきてやった。感謝して食べろ!」

 私は顔を背けながら、お粥の器をベッドサイドに置いた。

 すると、セレナは布団から弱々しく細い腕を伸ばし、私の制服の袖をクイクイと引っ張ってきた。

「レオン君、熱くて、スプーンが持てない……。星がチカチカする……」

「はあ!? お前は本当に手がかかるな! 仕方ない、今回だけだぞ!」

 私は渋々ベッドの端に腰掛け、お粥をスプーンですくい、フーフーと息を吹きかけて彼女の口元へと運ぶ。セレナは小動物のように小さく口を開けてそれを食むと、「おいしい……」と、熱のせいか、いつもより少し潤んだ瞳で私を見上げてきた。

 看病を続けて、お粥が半分ほど減った頃。

 セレナがふぅ、と熱い息を吐きながら、枕に頭を沈めたままポツリと呟いた。

「ねえ、レオン君。……知りたくない? なんで私が、毎回風邪を引くまで未来視を使って、レオン君の予定を先回りしてたか」

「む……? 私への嫌がらせではないのか?」

 セレナはふふ、と力なく笑うと、眼鏡のない、驚くほど綺麗で澄んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめてきた。

「あのね……ステラ家の未来視は、大好きな人の未来しか視えないの。……どうでもいい人の未来なんて、星は一つも教えてくれない。だから……私は毎日、レオン君の未来ばっかり視てるのよ?」

「――――――――――――え?」

 思考が、完全に停止した。

 大好きな人。私の未来ばっかり。

 彼女の言葉の意味が、数秒遅れで脳内にダイレクトに染み渡っていく。

 みるみるうちに、私の顔面、いや、きっちり固めた金髪の根元から耳の裏までが、文字通り沸騰したように真っ赤に染まっていくのが分かった。

「な、ななな、何をお前は、病気でうわ言を言うなーーーっ!!!」

「うわ言じゃないもん……。レオン君、顔真っ赤。可愛い……」

 心臓が破裂しそうなほどの衝撃。あまりの破壊力に、私はスプーンを持ったまま、真っ赤な顔をして完全にフリーズするしかなかった。

### 【幻獣アッシュのツッコミ】

 そんな二組の劇的な展開を、アルティナの影の底から遠隔マジックミラーのように覗き見ていた白いモフモフの幻獣アッシュは、ゴロゴロと床を転がりまわっていた。

『ぎゃあああああああ!!! 甘い! 甘すぎる! 尊さの過剰摂取で俺のモフモフの毛根が全て死滅しそうだわ!!!

 カイルの奴は、ハナちゃんからの突然の熱烈ホールド抱きつきを喰らって魂が天に召されかけてるし! レオン君にいたっては、引きこもり眼鏡令嬢セレナの「熱に浮かされたガチの不意打ちデッドボール告白」をノーガードで喰らって完全な茹でダコになってんじゃねえか!!!

 なんだよこの、少女漫画の黄金比率みたいな最高のシチュエーションは! 本編のあの二人アルティナとニケなんてさ、お互いに「あなたが私の世界の全てよ」「俺を一生調教して支配して」っていう、出会った瞬間からお互いにデッドボールを投げ合う精神のキャッチボール(狂気)だったからな!?

 それに比べて、ピンチに駆けつける暗部先輩と、看病からの両片思い確定演出……これだよ! これこそが俺の読みたかった「健全な異世界学園ラブコメ」なんだよチクショー!!! カイル、レオン君、お前ら絶対にその手を離すんじゃねえぞ!!!』

 アッシュが影の中で大歓喜のツッコミを炸裂させている中、現実の本校舎ではアルティナお嬢様が「おや、ニケ。残党の気配が一部消えましたね?」と微笑み、ニケが「カイルの奴、いい仕事をしますね」と不穏に頷き合っていることなど、オアシスにいる彼らはまだ誰も知らない。


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