痛いのはだめ!
ザナンから王都へ戻る予定を聞いたあとも、クロードは修練場へ通い続けていた。
一人で木剣を振り、ザナンに時間があれば相手をしてもらう。
何日か続けているうちに、最初に感じていた身体の引っかかりはかなり減ってきた。
足を出してから剣を振るまでの動きも、一度振ったあと次へ移る動きも、少しずつ以前の感覚へ戻っている。
それでもザナンにはなかなか当たらない。
その日もクロードは木剣を構え、少し離れたところに立つザナンを見ていた。
修練場の端には、クロードについてきたイリアもいる。
最初の頃はザナンが動いてから追いかけ、それから剣を振っていた。
それでは遅いことはもう分かっている。
だから今日は、ザナンが動く前からよく見ることにした。
「行くよ」
「ああ」
クロードは地面を蹴った。
ザナンの足が動く。
そちらへ意識を向けながら木剣を振ると、今度はザナンの剣が上がった。
軽く触れられただけで、クロードの木剣が外へ流れる。
「……まただ」
「今、何見てた?」
「足」
「ずっと?」
「途中で剣も見たよ」
「それじゃ遅いな」
クロードはザナンを見る。
「じゃあ両方見るの?」
「両方だけでもないけどな」
「まだあるの?」
「足だけ動くわけじゃないだろ」
ザナンは自分の肩を軽く動かし、それから木剣を持った手を動かした。
「身体も動くし、腕も動くし、剣も動く」
「全部見るの?」
「全部一個ずつ見てたら間に合わない」
「でも見ないと分からないよ」
「見ないとは言ってない」
クロードは少し考えた。
「……分からない」
「じゃあもう一回やってみろ」
「教えてくれないの?」
「やった方が分かる」
ザナンが木剣を構える。
クロードも構え直した。
今度は足だけを見ない。
剣だけも見ない。
できるだけザナン全体を見る。
クロードが踏み込むと、ザナンの身体がわずかに右へ動いた。
そっちだ。
クロードは右へ踏みながら木剣を振る。
けれどザナンは左へ動いた。
木剣が何もないところを通り過ぎる。
「え?」
「今、俺が右に行くと思っただろ」
「思った」
「なんで?」
「身体がそっちに動いたから」
「動かしただけだ」
クロードは振り返る。
「わざと?」
「そう」
「そんなことするの?」
「するだろ」
ザナンは当たり前のように答えた。
「相手がクロードの思った通りに動いてくれるなら楽なんだけどな」
「……そうだけど」
あの街道でも同じだった。
雷を放った時、相手はその場所に立ったままではいてくれなかった。
こちらを見て避け、次の動きをする。
見ている間にも変わる。
考えている間にも変わる。
木剣を持って向かい合ってみると、あの時に感じたことが前より分かりやすかった。
「ザナン兄さまは、僕がどこに動くか分かるの?」
「全部は分からない」
「でも避けるよね」
「そりゃ避ける」
「見てから?」
「見てるけど、一個ずつ考えてるわけじゃない」
クロードは木剣を下ろした。
「考えないの?」
「それも違う」
ザナンも構えを解く。
「最初は考えるよ」
「最初?」
「足をどう動かすとか、どう避けるとか、剣をどう返すとか、何回もやって直す」
ザナンは自分の足元を見た。
「でも毎回、右足を動かして次は身体をこうしてなんて考えてたら遅いだろ」
「うん」
「何度もやってるうちに、そこまで考えなくても身体が動くようになる」
クロードは自分の手にある木剣を見る。
剣を習い始めた頃は、構え方も足の動かし方も一つずつ考えていた。
今は木剣を構えるたびに、手をどこへ置くかまで考えてはいない。
身体が覚えている。
だから学園へ行って剣を使う時間が減っても、全部消えたわけではなかった。
ただ、少し鈍っていた。
「使わないと、そういうのも遅くなる?」
「ああ」
「だから王都に戻るの?」
「それもあるな」
クロードは少し前に聞いた話を思い出した。
「前に、剣が得意な人もいるって言ってたね」
「ああ」
「その人たちと剣でやるから?」
「それもある」
ザナンは木剣を肩へ乗せた。
「俺は槍の方が得意だけど、だからって剣が下手なままでいいわけじゃないからな」
「でも槍の方が得意なんでしょ?」
「得意だよ」
「じゃあ剣はそこまでやらなくてもいいんじゃない?」
ザナンは少しだけ考えてから、クロードを見る。
「自分で使うって決めてるものを、出来ないままでいいとは思わないな」
「出来ないまま?」
「槍より下手なのと、剣が出来なくていいのは別だろ」
クロードはその言葉を考える。
ザナンは槍使いだ。
それでも剣を持てば、クロードではまともに当てることもできない。
それなのにザナン自身は、まだ足りないと思っている。
「前に言ってた強い人たちも?」
「向こうだって練習してるからな」
「ザナン兄さまだけが練習してるわけじゃないんだ」
「当たり前だろ」
ザナンが笑う。
「こっちが休んでる間、向こうも一緒に休んでくれるわけじゃない」
その言葉に、クロードはまた少し考えた。
相手は待ってくれない。
戦っている時だけではないらしい。
「大変だね」
「お前に言われたくない」
「なんで?」
「休みになってすぐ剣振ってるやつが何言ってんだ」
「僕は確かめたいことがあるから」
「俺も似たようなもんだ」
「……そっか」
そう言われると、少し分かる気がした。
ザナンにとっての訓練は、誰かにやれと言われて仕方なく続けているものではない。
もっと出来るようになりたいから続けている。
自分が魔法を何度も試しているのと、少し似ているのかもしれない。
「じゃあ、もう一回」
「結局そこに戻るのか」
「だってまだ当たってない」
「はいはい」
「はいは一回じゃないの?」
「誰に教わったんだ、それ」
ザナンが笑いながら木剣を構えた。
クロードも少し笑ってから構える。
全部を一つずつ見て、それから考えていたら遅い。
けれど何も見ずに動くわけでもない。
今の自分はどこまで見えているのか。
どこまでなら考えなくても身体が動くのか。
「行くよ」
クロードは踏み込んだ。
ザナンの剣だけを見ない。
足だけも見ない。
身体全体を見る。
ザナンが動く。
クロードも動いた。
さっきより近い。
木剣を振る。
避けられる。
それでも足を止めず、次へ動いた。
「今のはいい」
ザナンの声が聞こえる。
クロードはもう一度踏み込んだ。
ザナンが下がる。
追いかけすぎない。
一歩だけ入る。
木剣を振る。
また避けられた。
けれど今までより近かった。
もう一度いける。
そう思ってクロードがさらに踏み込んだ時、ザナンの木剣が返ってきた。
避けようと思った時には遅かった。
木剣が身体へ当たる。
「痛っ」
クロードは思わず声を上げた。
ザナンがすぐに木剣を止める。
「悪い、大丈夫か?」
「うん」
クロードは当たったところへ手を添えた。
力いっぱい打たれたわけではない。
それでも木剣で叩かれれば普通に痛い。
「ザナン兄さま!」
大きな声が飛んできた。
クロードとザナンが同時に振り返る。
修練場の端にいたイリアが、金色の髪を揺らしながら走ってきた。
「おにいちゃん!」
「イリア?」
イリアはクロードの前まで来ると、心配そうに見上げた。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「痛いって言った!」
「ちょっと痛かっただけ」
「痛かったんでしょ?」
「……うん」
「ほら!」
何がほらなのかは分からなかった。
イリアはすぐにザナンを見る。
「ザナン兄さま、おにいちゃん叩いた!」
「稽古してたんだから当たる時くらいあるだろ」
「だめ!」
「何がだよ」
「おにいちゃん痛くしたらだめ!」
「いや、だから稽古で――」
「痛いのはだめ!」
ザナンが口を閉じた。
クロードはザナンを見る。
ザナンもクロードを見る。
どうやら説明しても駄目らしい。
「イリア、本当に大丈夫だから」
「でも痛い?」
「少しだけ」
イリアはクロードが手を添えているところを見る。
「ここ?」
「うん」
「じっとしてて」
イリアがそっと手を添える。
何をするのだろうと思ったところで、クロードはイリアが持っているGiftを思い出した。
《癒し》。
しばらくすると、さっきまでじんじんしていた痛みが少しずつ和らいでいく。
完全になくなったわけではない。
けれど、確かに楽になった。
「……少し楽になった」
「ほんと?」
「うん」
イリアの表情がすぐに明るくなった。
「よかった」
「ありがとう、イリア」
クロードが頭を撫でると、イリアは嬉しそうに笑った。
そのままイリアはザナンを見る。
さっきまでの笑顔が少しだけ消える。
「ザナン兄さま」
「なんだよ」
「もうおにいちゃん叩かないでね」
「それは約束できない」
「なんで!」
「稽古だからだよ」
「だめ!」
ザナンが困ったようにクロードを見る。
「クロード、お前からも何か言ってくれ」
「僕は続けたいよ」
「おにいちゃんまで!」
「でも、今ので分かったこともあるから」
「痛いのに?」
「痛いけど」
「じゃあやめた方がいいよ」
「それだと練習できないよ」
イリアはしばらくクロードを見つめたあと、頬を膨らませた。
「……見てる」
「うん」
「痛かったらすぐ言ってね」
「分かった」
「ザナン兄さまも気をつけてね」
「分かったよ」
「ほんと?」
「ほんと」
ようやくイリアが少しだけ納得したらしい。
クロードはもう一度木剣を握った。
さっきまで考えていたのは、自分の剣をどうすればザナンへ届かせられるかということだった。
けれど、自分の剣が届くところまで近づけば、当然ザナンの剣も自分へ届く。
こちらだけが攻撃するわけではない。
近づくというのは、自分も当てられる場所へ入るということだった。
分かってしまえば当たり前だった。
それでも実際に木剣が当たるまで、今ほど意識してはいなかった。
見ること。
考えること。
考えなくても身体が動くようにすること。
相手へ近づくこと。
そして、近づけば自分も相手から届くこと。
まだ出来ないことは多い。
クロードは木剣を構え直した。
少し離れたところでは、イリアが心配そうにこちらを見ている。
「行くよ」
「ああ」
クロードはもう一度、ザナンへ向かって地面を蹴った。




