曲がった?
その日の魔法実習は二限続きだった。
演習場へ集まった生徒たちを前に、ガンザスは全員が揃ったのを確かめてから口を開いた。
「今日は魔法基礎で習った《曲がる》を、実際に使ってみるぞー」
クロードは教室で覚えた《印》の動きを思い出しながら話を聞く。
「今まで習った操作を全部つなげる必要はないからなー」
ガンザスは生徒たちを見渡した。
「今できるところから《曲がる》へつなげてみろー」
返事が重なり、生徒たちはそれぞれの練習場所へ散っていった。
クロードも前方に置かれた的へ向かおうとしたところで、ガンザスに呼び止められた。
「クロードはちょっと待てー」
「はい」
ガンザスはクロードが使う場所の横へ回ると、地面へ手を向けた。
土が持ち上がり、クロードから的へ伸びる空間の左右に厚い壁が形を作っていく。
正面は開いたままで、その先にはいつも使っている的が見えていた。
以前《放つ》を使った時には、的へ向けた雷が届く前に思わぬ方向へ逸れたことがある。
今日はその途中へさらに《曲がる》を加えるのだから、周囲で練習している生徒たちとの間を仕切っておく必要があった。
「これならいいだろー」
ガンザスが出来上がった壁を見回す。
「ありがとうございます」
「最初は少ない量からなー」
「はい」
少し離れたところにいたノーゼスが、ガンザスの作った壁へ目を向けていた。
以前から自分でも土の壁を作る練習を続けているせいか、クロードではなく壁の形を上から下までじっと見ている。
けれどガンザスが練習を始めるよう声をかけると、ノーゼスもすぐに自分の場所へ戻った。
今日の実習は《曲がる》だ。
クロードも正面へ向き直る。
今の自分が《曲がる》までつなげられるのは《放つ》からだった。
右手を構え、《放つ》の《印》を結ぶ。
指先に生まれた雷が前方の的へ向かって走る。
雷が進んでいる間に手を動かし、続けて《曲がる》の《印》へ移る。
右へ曲げる。
そう意識して最後の形を作った。
雷が途中で右へ折れ、そのまま的の横を外れて土壁へぶつかった。
乾いた音を残して光が消える。
「……曲がった」
狙ったのは右だった。
雷も右へ向いた。
けれど喜ぶより先に、別の考えが浮かぶ。
雷はもともと真っ直ぐに進むとは限らない。
《曲がる》を使わなくても、途中で右へ逸れることはある。
今の雷が自分の操作で曲がったのか、それとも勝手に右へ向いただけなのかが分からない。
クロードはもう一度《放つ》の《印》を結んだ。
雷が前へ走り、続けて《曲がる》へ移る。
同じように右へ向けようとしたが、今度は途中で雷が二つに枝分かれした。
一本は右側の壁へ当たり、もう一本はそのまま進んで的の端へぶつかる。
「違うな」
同じようにしたつもりでも、一回目と同じにはならなかった。
クロードは少し考えてから、もう一度的へ手を向ける。
今度は《曲がる》を使わない。
《放つ》の《印》だけを結ぶ。
雷が前へ走り、途中まで進んだところで右へ逸れた。
そのまま土壁へ当たり、消える。
「やっぱり曲がる」
《曲がる》は使っていない。
それでも雷は右へ向いた。
曲がったという結果だけを見ても、《曲がる》ができたかどうかは分からない。
クロードは使う時と使わない時を交互に試し始めた。
右へ曲がることもあれば、左へ枝が伸びることもある。
ほとんど真っ直ぐ的へ届くこともあった。
その間にもガンザスは演習場を歩き、他の生徒たちの様子を見て回っていた。
ノーゼスも土魔法で《曲がる》の練習を続けている。
前へ進んでいた土の塊が途中からゆっくり右へ向きを変えたが、次に試した時には曲げる途中で形が崩れた。
ノーゼスは崩れた土を見てから、もう一度最初からやり直す。
少し離れたところでは、《曲がる》へ移る前に魔法を崩した生徒が一つ前の操作から繰り返していた。
別の場所では、方向を変えることはできても思ったところまで曲げられず、何度も《印》を確かめている生徒がいる。
同じ《曲がる》を練習していても、止まるところはそれぞれ違っていた。
しばらくして、ガンザスがクロードのところへ戻ってきた。
「どうだー?」
「曲がります」
「お、できたか?」
クロードは首を振った。
「分かりません」
「ん?」
「《曲がる》を使った時も曲がるんですけど、使ってない時も曲がるんです」
ガンザスは前方の的と左右の壁に残った跡を見た。
「あー、なるほどなー」
「右へ曲げようとして右へ行った時もありました」
「それならできてるようにも見えるけどなー」
「でも《曲がる》を使わなくても右へ行きました」
ガンザスは少し考えてから頷いた。
「じゃあ、一回だけ見ても分からないなー」
「はい」
「なら比べてみろー」
「そのつもりです」
ガンザスが笑った。
「もうやってたかー」
そのまま別の生徒のところへ向かうガンザスを見送り、クロードはもう一度的へ向き直った。
やがて一限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
クロードは手を下ろし、左右の壁を見る。
すでに何か所か、逸れた雷が当たった跡が残っていた。
休み時間に入ると、ノーゼスがクロードのところへやってきた。
けれどクロードの前では止まらず、そのまま土壁の横まで歩いていく。
「これ、先生が作ったんだよな?」
「うん」
ノーゼスは壁の根元へ視線を落とした。
それから少し離れ、横から厚みを見て、もう一度正面へ回る。
「俺のと違うな」
「どこが?」
「下の方が広いし、端も真っ直ぐじゃない」
クロードも言われたところを見る。
ノーゼスがこれまで作っていた壁より、地面に近いところへ多く土が集まっていた。
「今度やる時、真似してみる」
「先生にも聞いてみたら?」
「うん」
ノーゼスはもう少し壁を眺めていたが、やがて二限目の始まりを知らせる魔導の鐘が鳴った。
「戻る」
「うん」
ノーゼスは自分の練習場所へ戻り、再び《曲がる》の練習を始めた。
クロードも二限目は右だけではなく、左へ曲げる場合も試していく。
《曲がる》を使って右を狙う。
次は使わずに《放つ》だけ。
今度は《曲がる》を使って左を狙う。
また《放つ》だけに戻す。
繰り返しているうちに、《曲がる》を使った時には狙った方へ寄ることが少し多いような気がしてきた。
「……気がするだけだな」
そこでクロードは手を止めた。
何回試したのか数えていない。
右へ行ったのが何回で、左へ行ったのが何回だったのかも残していない。
これでは本当に違いがあったのか確かめられない。
次からは回数を揃えることにした。
《曲がる》を使って右を狙う。
一回目は右。
二回目は途中で枝分かれした。
三回目はほとんど正面。
四回目は右。
五回目は少し右へ寄ったあと、最後に左へ枝が伸びた。
次は《曲がる》を使わず、同じ回数だけ《放つ》を繰り返す。
一回目は正面。
二回目は右。
三回目は左。
四回目は正面近くまで進んでから枝分かれした。
五回目は右へ逸れた。
クロードは結果を忘れないよう、頭の中で何度か繰り返した。
もう一度同じ回数を試したかったが、その前に二限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
クロードは構えていた右手を下ろした。
まだ続けたい。
けれど授業が終わった以上、そのまま続けるわけにはいかなかった。
周囲では他の生徒たちも片づけを始めている。
ノーゼスも動かしていた土を戻しながら、途中で何度かクロードの壁へ目を向けていた。
クロードは左右の土壁を見る。
何度も雷が逸れ、その跡が表面に残っている。
壁がなければ、あの雷がどこへ飛んでいたのかは分からない。
近くを通ったガンザスへ、クロードは声をかけた。
「先生」
「んー?」
「この壁、そのままにしておいてもらえませんか?」
ガンザスが足を止めた。
「これを?」
「はい」
「何に使うんだー?」
「放課後にも練習したいです」
ガンザスは左右の壁と前方の的を順番に見た。
「ここは一年の実習場だし、邪魔にはならないかー」
「残してもらえますか?」
「しばらくならいいぞー」
「ありがとうございます」
「ただし周りはちゃんと見ろよー」
「はい」
そのやり取りを聞いていたノーゼスも近づいてくる。
「先生」
「んー?」
「俺も放課後、この壁見ながら壁の練習していい?」
ガンザスはノーゼスを見る。
「前からやってるやつかー?」
「うん」
「クロードが雷を使う時は近づくなよー」
「分かってる」
「ならいいぞー」
ノーゼスは頷き、もう一度ガンザスの壁を見た。
◇
その日の授業を終える魔導の鐘が鳴ると、クロードは一度寮へ戻った。
机の脇の床には、ゴルダに作ってもらった鉄球が置かれている。
記録用のノートを鞄へ入れ、鉄球を両手で持ち上げて魔法実習場へ向かった。
演習場へ戻ると、ノーゼスはすでに来ていた。
ガンザスの残した土壁の前に立ち、自分の壁と見比べるように何度も視線を動かしている。
「早いね」
「クロードが遅いんだよ」
「鉄球を取りに行ってたから」
ノーゼスがクロードの両手を見る。
「また持ってきたのか」
「うん」
クロードは鉄球を壁の内側へ置いた。
「先に壁やる?」
「いいの?」
「うん」
ノーゼスはガンザスの壁から少し離れ、自分の練習場所を決めた。
両手を構えて土を動かすと、以前より迷いなく横幅が作られ、その上へ土が重なっていく。
途中で端が崩れかけたが、ノーゼスはすぐに手を止めて形を見直した。
ガンザスの壁へ目を向け、自分の壁の根元へ土を足す。
下が少し広がると、さっきまで傾きかけていた壁が持ち直した。
「お」
ノーゼスの顔が明るくなる。
クロードも横から二つの壁を見比べる。
ノーゼスの壁は前より壁らしい形を保っていたが、ガンザスのものほど厚みも高さも揃っていない。
「前より崩れないね」
「うん」
ノーゼスは嬉しそうに答えたあと、すぐに自分の壁へ視線を戻した。
「でも、まだ違う」
「どこ?」
「分かんない」
ノーゼスは横から見たり少し離れて見たりしながら、何度か土を動かした。
やがて息を吐き、両手を下ろす。
「今日はここまで」
「疲れた?」
「ちょっと」
「じゃあ休んだ方がいいね」
「うん」
ノーゼスは自分が動かした土を元へ戻すと、ガンザスの壁から十分に離れた場所まで下がった。
「今度はクロード?」
「うん」
クロードは周囲に他の生徒がいないことを確かめ、前方の的へ向き直った。
授業中に始めた《曲がる》を使う時と使わない時の比較を、今度はノートへ結果を残しながら繰り返していく。
右へ曲げるつもりで《曲がる》を使う。
次は《放つ》だけ。
同じ回数を終えたら、今度は左を狙う。
何度か続けても、一度ごとの雷の形は揃わなかった。
それでも、ただ覚えていた時よりは違いを並べて見られる。
クロードは最後の結果を書き、ノートを閉じた。
「まだ分かんない?」
離れたところからノーゼスが聞く。
「うん」
「結構曲がってたけど」
「《曲がる》を使ってなくても曲がってたから」
「ああ、そっか」
クロードは壁際に置いていた鉄球を持ち上げた。
「次はこっち」
「それもやるの?」
「うん」
前に使った絶縁板を置き、その上の浅い受けへ鉄球を載せる。
球が止まったのを確かめてから、クロードは少しだけ距離を取った。
的を狙う時ほど離れてはいない。
ノーゼスも少し近づき、クロードの後ろへ回った。
「そこから見る?」
「うん」
「じゃあそのままいて」
「分かった」
クロードは鉄球へ右手を向けた。
今度は《曲がる》を使わない。
確かめたいのは、鉄球へ雷を放った時に表面をどう走るかだけだった。
《放つ》の《印》を結ぶ。
指先から走った雷が短い距離を進み、鉄球へ触れる。
光はそこで消えず、球の表面を少しだけ走った。
けれど途中で表面から離れ、外へ弾けるように消える。
「走った」
ノーゼスの声が後ろから聞こえた。
「うん」
クロードは鉄球の表面を見る。
前に試した時と同じように、球面を走ること自体は起きた。
もう一度《放つ》の《印》を結ぶ。
今度の雷も鉄球へ触れたあとに表面を走ったが、一回目とは違う方へ進み、もっと短いところで外へ抜けた。
三度目も経路は違った。
長さも揃わない。
クロードは右手を下ろした。
「やっぱり毎回違う」
「前もそうだったよな」
「うん」
球面を走ることはまた確認できた。
けれど、どうすれば長く走るのかはまだ分からない。
クロードは鉄球を持ち上げた。
「今日は終わりにする」
「じゃあ帰ろう」
ノーゼスも頷く。
実習場を出る前に、クロードは残された土壁を振り返った。
明日もあの壁があれば、同じ場所で続きを試せる。
◇
夜、寮の自室へ戻ると、クロードは鉄球を机の脇の床へ置いた。
それから椅子へ座り、放課後にも使ったノートを開く。
まず《曲がる》について書いた結果を見直した。
『《曲がる》あり』
『《曲がる》なし』
どちらにも右へ曲がったものがあり、左へ逸れたものもある。
狙った方へ動いた時はあった。
けれど、それだけで自分が曲げたとはまだ言えない。
クロードはその下へ書き足した。
『同じ回数で比べる』
『右と左』
『まだ分からない』
次に少し間を空ける。
『鉄球』
『《放つ》だけ』
『表面を走る』
『通るところは毎回違う』
『長さも毎回違う』
前に試した時と同じように、球面を走ること自体は起きた。
けれど同じ結果を繰り返せたわけではない。
最後に、今日一番最初に思ったことを思い出す。
雷は右へ曲がった。
けれど、あれは本当に自分が曲げたのだろうか。
クロードは一番下へ短く書いた。
『曲がった?』
しばらくその文字を見つめてから、ノートを閉じた。




