それぞれの進め方
その日の魔法基礎で、ナターシャは黒板に《曲がる》と書いた。
教室のあちこちで教本をめくる音が重なり、クロードも雷属性の頁を開く。
「《曲がる》は、進んでいる魔法の方向を変えるための魔術操作です」
ナターシャは黒板へ一本の線を引き、その途中から先を右へ曲げた。
「これまで皆さんはいくつかの魔術操作を習ってきましたね」
その横へ《丸くする》《空中浮遊》《静止》《放つ》と順に書き、最後に《曲がる》を加える。
「教本には、これらを組み合わせた例も載っています」
クロードは示された頁へ目を落とした。
丸くした魔法を《空中浮遊》で浮かせ、《静止》でその位置から動かないようにしてから《放つ》で進ませ、途中で《曲がる》を使う流れが載っている。
一つずつなら見覚えのある操作でも、並べるとずいぶん長く見えた。
教室のどこかから小さなため息が聞こえる。
「ですが、ここに書いた操作を全部できなければ《曲がる》へ進めないという意味ではありません」
何人かが顔を上げた。
「まだ苦手な操作がある人は、今できるものと組み合わせて練習して構いません」
ナターシャは長い並びの下へ《丸くする》《放つ》《曲がる》と短い例を書く。
「もちろん、できていない操作の練習をやめていいということでもありませんよ」
ナターシャは教室を見渡した。
「自分が今どこまでできていて、どこで止まっているのかを分かった上で進めてください」
クロードも黒板を見ながら、自分の場合を考え始める。
「では、ミナさん」
窓側の席で一人の少女が少し驚いたように顔を上げた。
ミナ・シーズルノだった。
「はい」
返事は小さかったが、すぐにナターシャを見る。
「まだ苦手な操作が残っていたら、《曲がる》を覚えるのは待たなければいけますか?」
ミナは黒板へ目を向け、少し考えた。
「……待たなくていいと思います」
「どうしてですか?」
「できるところと一緒に練習しながら、苦手なところも続ければいいからです」
「はい、その通りです」
ナターシャが頷くと、ミナは少しほっとしたように教本へ目を戻した。
声は小さかったが、答えはきちんとまとまっていた。
ナターシャは黒板へ向き直り、今度は《曲がる》の《印》について説明を始める。
同じ《曲がる》でも、属性が違えば《印》の形も手順も違う。
クロードが雷属性の頁へ目を移したところで、ナターシャが別の席へ視線を向けた。
「トルト君」
少年がはっと顔を上げた。
トルト・オーコルーだった。
「はい」
「《曲がる》は、何を変える操作でしたか?」
トルトはすぐには答えなかった。
黒板を見て、それから教本を見て、困ったように眉を下げる。
「……すみません」
近くの生徒がそちらを見る。
「さっきの組み合わせのところを考えてて、そこ聞いてませんでした」
教室のあちこちから小さな笑いが漏れた。
トルトも気まずそうに笑う。
「では、もう一度言いますから今度は聞いていてくださいね」
「はい」
「《曲がる》は、進んでいる魔法の方向を変える操作です」
「方向……」
トルトは小さく繰り返し、今度は教本へ目を落とした。
ナターシャの説明はそのまま続いていく。
ザナトスはすでに火属性の頁を開き、教本を見ながら《印》の手順を追っていた。
ノーゼスは土属性の頁へ指を置き、一つずつ順番を確認している。
エクリアの机には水属性と風属性の頁が開かれていた。
同じ名前の操作でも、水と風では《印》が違う。
一つ覚えれば終わりというわけではない。
教室では同じ説明を聞きながら、それぞれ違うところを見て、違うところで手を止めていた。
ナターシャも一人のところへ長く留まることなく、席の間を歩きながら時折手元や教本を確かめている。
クロードは雷属性の《印》へ目を戻した。
自分が今できる操作を頭の中で並べてみる。
《丸くする》はまだ成功していない。
《空中浮遊》は《印》を習っただけで、自分の雷では試していない。
《静止》も同じだった。
《放つ》ならできる。
今の自分が《曲がる》へつなげるなら、《放つ》のあとになる。
クロードは黒板を見る。
周りよりずっと短い。
それなら覚えることも少なくて済むのかもしれない。
そう思ったところで、黒板に描かれた曲線が目に入った。
進んでいる魔法の方向を変える。
クロードは雷属性の頁をもう一度見た。
雷は放った時から真っ直ぐ進むとは限らない。
途中で向きを変えることもあれば、いくつにも枝分かれすることもある。
《曲がる》を使わなくても曲がる。
「……ん?」
クロードは小さく声を漏らした。
教本を読み直してみても、書いてあることは変わらない。
クロードは手を上げた。
「先生」
ナターシャがこちらを見る。
「はい、クロード君」
「雷にも《曲がる》を使うんですよね?」
「雷属性用の《印》もありますよ」
ナターシャがクロードの開いている頁を見る。
「これです」
「はい」
クロードも同じ場所へ指を置いた。
「でも、雷って《曲がる》を使わなくても曲がります」
ナターシャは少し考えた。
「放ったあとに、何もしなくても方向が変わるということですね」
「はい」
「それなら《曲がる》を使ったら、どうなるんですか?」
ナターシャの視線が教本へ落ちる。
すぐには答えが返ってこなかった。
「雷属性にも《曲がる》という操作があり、その《印》が登録されていることは教えられます」
クロードは頷く。
「ですが、私は雷を使えません」
「はい」
「実際にクロード君の雷へ使った時に、どんな動きになるのかまでは分かりません」
クロードはもう一度《印》を見る。
そこから先は、実際に試してみなければ分からないらしい。
「まずは《印》を覚えておきましょう」
「分かりました」
ナターシャは頷くと、また教室全体へ向き直った。
クロードは右手を机の上へ出す。
雷は出さず、教本を見ながら指だけを動かした。
途中で一度止まり、教本へ戻る。
最初からやり直すと、今度は最後まで続いた。
もう一度手順を繰り返す。
今の自分なら、《放つ》のあとにこれを続けることになる。
工程だけなら短い。
けれど、すでに勝手に曲がっている雷をどちらへ曲げればいいのかは分からなかった。
周囲でも、それぞれが《印》を繰り返している。
何度か動かしただけで教本から目を離す者もいれば、途中で何度も頁へ戻る者もいた。
一つ前の操作まで戻って確認している者もいる。
同じ《曲がる》を習っていても、全員が同じところに立っているわけではない。
クロードはもう一度右手を動かした。
《放つ》。
そのあとに《曲がる》。
曲がる雷を、さらに曲げる。
考えてみても、まだ使い方は見えてこなかった。
◇
放課後、クロードはゴルダの工房へ向かった。
工房へ近づくにつれて金属を打つ硬い音が聞こえ、中へ入るとゴルダが作業台から顔を上げた。
「またお前か」
「はい」
「今日は何だ?」
「お願いがあります」
「また何か作んのか」
「はい」
即答すると、ゴルダが少しだけ眉を上げた。
「前に作ってもらった鉄の球なんですけど」
「あれか」
「あれと同じ大きさで、雷鳴鋼の球を作ってほしいです」
ゴルダの手が止まった。
「ジグレニスドでか?」
「はい」
「使う気になったか」
「普通の鉄で試したら気になることがあったので、比べてみたいです」
ゴルダは作業台の端に置いてあった控えを手に取った。
何枚かめくり、やがて指を止める。
「前のはこれだな」
そこには鉄球を作った時の寸法が残っていた。
「同じ大きさでお願いします」
「分かった」
ゴルダは控えを閉じる。
「ただ、今はジグレニスドがねえぞ」
「頼んでから五日くらいでしたよね?」
「ああ」
「じゃあ、お願いします」
ゴルダが頷いた。
「先に言っとくが、材料が来た日にできるとは思うなよ」
「時間がかかりますか?」
「鉄ほど扱い慣れてねえからな」
ゴルダは控えを指先で軽く叩いた。
「同じ形に仕上げるにしても、前と同じ調子ではいかねえ」
「分かりました」
クロードはすぐに頷いた。
雷鳴鋼が届くまで何もできないわけではない。
普通の鉄球でも、まだ試したいことは残っている。
「急がなくていいのか?」
「はい」
「鉄の球でも、まだ試せることがありますから」
「ならいい」
ゴルダは新しい注文を控えへ書き加えた。
「材料が来てから取りかかる」
「お願いします」
クロードはゴルダへ頭を下げ、工房をあとにした。
雷鳴鋼の球ができるまでにはまだ時間がかかる。
それでも、比べるための準備は始まった。
◇
その夜、クロードは寮の自室でノートを開いた。
机の脇の床には鉄球が置いてある。
最初に書いたのは、授業で習った《曲がる》だった。
その下へ二つの操作を並べる。
『《放つ》→《曲がる》』
今の自分が実際につなげられるとすれば、この形になる。
その下へもう一行書いた。
『雷は《曲がる》を使わなくても曲がる』
クロードは鉛筆を止めた。
進んでいる方向を変える操作なのに、雷は何もしなくても途中で進む方向を変える。
枝分かれすることもある。
『《曲がる》を使うとどうなる?』
疑問符をつけ、その先を空けておく。
答えは実際に試してみなければ分からない。
少し下へ場所を移し、今度は『雷鳴鋼』と書いた。
『鉄球と同じ大きさ』
『取り寄せに約五日』
『そのあと加工』
そこまで書くと、クロードは机の脇の鉄球へ目を向けた。
普通の鉄でも雷は表面を走った。
毎回同じではなかったが、外へ出ようとする枝を抑えた時には少しだけ長く残った。
雷鳴鋼なら何が変わるのか。
《曲がる》を使えば何が変わるのか。
どちらもまだ分からない。
クロードは二つの項目を見比べた。
分からないことは増えた。
それでも、確かめたいことは少しずつ形になっている。
最後に雷属性の《曲がる》の《印》を頭の中でもう一度なぞる。
今日は覚えただけだった。
実際に使った時に何が起きるのかは、まだ知らない。
クロードは鉛筆を置き、ノートを閉じた。




