沿わせる
数日後、クロードはゴルダの工房にいた。
作業台の上には、布を敷いた上に鉄の球が置かれている。
「できてるぞ」
ゴルダが顎で示した。
クロードは両手で鉄球を持ち上げた。
腕へずしりと重さがかかる。
軽いとは言えないが、自分で運べる重さには収まっている。
そのまま両手の中でゆっくり回す。
どこから見ても外側は丸く、大きな穴も溝もない。
「中は言った通り減らしてある」
ゴルダが鉄球を指で軽く叩いた。
「ただし、形を保つのに必要なところまで薄くはしてねえ」
「はい」
クロードは表面をもう一度見る。
欲しかったのは、雷が走れる丸い外側だった。
「ありがとうございます」
「礼は試してからにしろ」
「作ってもらったことには変わらないので」
「そうかよ」
ゴルダが鼻を鳴らす。
クロードは代金を払い、鉄球を抱えて工房を出た。
その日はそのまま寮へ持ち帰った。
◇
翌朝、クロードは鉄球を両手で抱えて教室へ向かった。
魔法実習まで寮へ取りに戻る時間はない。
なら、朝から持っていくしかなかった。
教室の扉を開ける。
中へ一歩入ったところで、近くにいた生徒がクロードを見た。
正確には、その腕の中を見た。
「……なにそれ?」
その声につられるように何人かが振り向いた。
「鉄?」
「丸い」
「重そう」
「クロード、それ何持ってきたの?」
次々に声が飛んでくる。
少し離れた席から立ち上がる者までいた。
クロードは鉄球を抱えたまま自分の席へ向かう。
「鉄の球だよ」
「それは見れば分かるよ」
どこかから返ってきて、周りから笑いが起こった。
「なんで鉄の球なんか持ってきたの?」
「魔法実習で使うから」
「これを?」
「何するの?」
クロードが席へ着く頃には、何人かが机の近くまで来ていた。
通路へ転がらないよう鉄球を机の下へ置く。
床へ置いた途端、一人がしゃがんで覗き込んだ。
「触っていい?」
「いいけど、持ち上げるなら気をつけて」
「そんなに重いの?」
「軽くはないよ」
その横からノーゼスも覗き込む。
「できたんだな」
「うん」
エクリアも鉄球へ目を向けた。
「ちゃんと持ってこられる重さになったのね」
「中を減らしてもらったから」
「どこから中を減らしたの?」
近くにいた生徒が聞く。
「作り方はゴルダさんに任せたよ」
「中、見えないの?」
「見えない」
「なんで?」
「外を丸いまま使いたかったから」
「何に?」
また別の声が飛んでくる。
クロードが答えようとしたところで、少し後ろから声がした。
「朝から何騒いでんだよ」
ザナトスが人の間から鉄球を見る。
一瞬だけ黙った。
「……なんだよ、それ」
「鉄の球」
「だから、それは見れば分かるって」
今度はさっきより大きく笑いが起こった。
ザナトスが少し嫌そうな顔をする。
「なんでそんなもん学校に持ってきてんだ?」
「魔法実習で使うんだって」
近くにいた誰かが先に答えた。
ザナトスの視線がクロードへ向く。
「それを?」
「うん」
「何すんの?」
「雷を当てる」
周りにいた生徒たちが少し静かになった。
「雷?」
「この球に?」
「うん」
「なんで?」
クロードは机の下の鉄球を見る。
「雷そのものを丸くするんじゃなくて、丸いものの表面を走るか確かめたいんだ」
「表面?」
「雷ってそんなことできるの?」
「まだ分からない」
その答えに何人かが顔を見合わせた。
「分からないのに持ってきたの?」
「分からないから試すんだよ」
「ああ……」
分かったような分からないような声が返ってくる。
ザナトスだけは眉を寄せたままだった。
「お前、まだ《丸くする》できてないだろ」
「うん」
「なのに今度は鉄の玉?」
「《丸くする》の練習もするよ」
「じゃあ先にそっちできるようにしろよ」
「それはそれでやる」
「ほんと変なことばっかやってんな」
ザナトスはそう言いながらも、もう一度鉄球を見た。
その時、教室の扉が開いた。
入ってきた教師の姿に気づき、集まっていた生徒たちがそれぞれの席へ戻っていく。
「あとで触らせて」
戻り際に声だけ残した生徒もいた。
クロードは机の下を確認する。
鉄球はそのまま動かずに置かれている。
授業が始まってからも、最初のうちは時々そちらを見る者がいた。
けれど時間が経つにつれて、教室はいつもの空気へ戻っていった。
やがて魔法実習へ移動する時間になる。
クロードが机の下から鉄球を持ち上げると、今度は近くの生徒が道を開けた。
「それ、実習場まで持ってくの?」
「うん」
「やっぱ重そう」
「朝も持ってきたから大丈夫だよ」
朝ほどの騒ぎにはならなかった。
それでも何人かの視線を連れたまま、クロードは鉄球を抱えて教室を出た。
◇
実習場へ着くと、生徒たちはそれぞれの練習場所へ向かい始めた。
クロードも鉄球を抱え、いつも雷を使っている他の生徒たちから離れた場所へ向かう。
鉄球を置いたところで、後ろから足音がいくつか近づいてきた。
振り返る。
朝から鉄球を気にしていた生徒たちだった。
「それ、もう使うの?」
「雷当てるんだよね?」
「どんなふうになるんだろ」
一人が鉄球を覗き込み、もう一人もその後ろから顔を出す。
さらに別の生徒までこちらへ歩いてくる。
その様子に気づいたガンザスが声を上げた。
「おーい、お前ら近づいてくるなよー」
近づいていた生徒たちの足が止まる。
「危ないからなー」
ガンザスがクロードと生徒たちの間へ歩いてくる。
「見たいのは分かるけど、ちゃんと自分の魔法に集中しろー」
「えー」
「見たかったのに」
不満そうな声が上がる。
「見るための授業じゃないぞー」
ガンザスが手を振る。
「ほら、戻った戻ったー」
生徒たちは鉄球を何度も振り返りながら、それぞれの練習場所へ戻り始めた。
ザナトスも少し離れたところで鉄球を見ていた。
「そこまでして何が出るんだよ」
クロードを見ると、それだけ言って自分の場所へ戻っていく。
さらに向こうでは、すでに自分たちの場所へ移動していたノーゼスとエクリアがこちらを見ていた。
ノーゼスが追い返されていく生徒たちを見て笑っている。
エクリアも口元へ手を添えながら笑っていた。
クロードは二人を見てから、目の前の鉄球へ戻る。
ガンザスが鉄球を持ち上げ、両手の中で向きを変えながら表面を見る。
「きれいに丸くなってるなー」
「ゴルダさんに作ってもらいました」
「中も減らしたんだったな」
「はい」
ガンザスは表面をもう一度確かめ、クロードへ返した。
クロードは鉄球を受け取る。
「先生、すぐ始めていいですか?」
「まだだー」
クロードの手が止まった。
「まず全員見て回る」
ガンザスが実習場へ視線を向ける。
すでにあちこちで魔法が使われ始めていた。
「お前のは残りの時間で見るから、それまでいつもの練習してろー」
クロードは鉄球を見る。
早く試したい。
けれどガンザスが見ているのは自分だけではない。
「……分かりました」
「勝手に始めるなよー」
「はい」
ガンザスはそのまま他の生徒たちの方へ歩いていった。
クロードは鉄球を邪魔にならない場所へ置き、右手を上げる。
組むのは《丸くする》ための《印》だった。
少ない雷を出す。
手元へ集め、形を作ろうとする。
青白い光が揺れ、丸くなる前に枝分かれした。
乾いた音を残して消える。
クロードは右手を見る。
まだ丸くならない。
少し休んでから、もう一度試す。
今度も形を作る途中で崩れた。
周りでは、それぞれの生徒が《空中浮遊》や《静止》に取り組んでいる。
ガンザスは一人の生徒のところで止まり、浮かせた魔法の様子を見る。
少し話してから次の場所へ向かう。
別のところでは《印》を確認し、手元を見ながら何かを伝えている。
クロードも自分の練習へ戻った。
雷を出す。
集める。
形を作ろうとする。
崩れる。
一度休み、また試す。
何度か繰り返すうちに、鉄球へ目が向いた。
まだガンザスは戻ってこない。
クロードは小さく息を吐いて、もう一度右手を上げる。
待っている間にも、できることはある。
それからもしばらく《丸くする》を繰り返した。
失敗するたびに同じではなく、早く崩れる時もあれば、少し形を作りかけてから枝が伸びる時もある。
雷を消し、右手を休ませていると後ろから声がした。
「クロードー」
振り返る。
ガンザスがこちらへ歩いてきていた。
「待たせたなー」
クロードはすぐに鉄球を見る。
「やっていいですか?」
「そのために来たんだろー」
「はい」
四角い鉄板を試した時にも使った絶縁板が用意される。
その上の浅い受けへ鉄球を置くと、球は小さく揺れてから止まった。
表面の大部分は隠れずに見えている。
クロードは少し離れた位置に立つ。
近くに残ったのはガンザスだけだった。
離れた場所からこちらを気にしている生徒はいる。
けれど誰も近づいてはこなかった。
「前と同じで、少ない量からなー」
「はい」
素材は同じ鉄。
外側は、角のある板から丸い球へ変わった。
まずは実際に雷がどう動くかを見る。
クロードは右手を上げた。
少ない雷を鉄球へ向ける。
青白い光が表面へ触れた。
すぐには消えない。
丸い面に沿って横へ走る。
クロードは目で追った。
雷は表面を這いながら少し回り込んだ。
その途中で一本の枝が外へ伸びる。
パチッと音がして、光が表面から離れた。
残った雷も少し走ったところで消える。
クロードは右手を下ろした。
「角がなくても出た」
「出たなー」
ガンザスも鉄球を見ている。
四角い鉄板では、角の近くから外へ出たことがあった。
だから角がなければ変わるかもしれないと思った。
けれど鉄球には角がないのに、雷は外へ飛び出した。
それでも全部がすぐに離れたわけではない。
途中までは確かに、丸い表面を走っていた。
クロードは一度右手を開いて力を抜く。
少し待ってからガンザスを見る。
「もう一回いいですか?」
「いいぞー」
クロードは再び右手を上げた。
雷の量は変えない。
細い光が鉄球へ触れ、表面を走り始める。
やがて一本の枝が外へ伸びようとした。
クロードはそこへ意識を向ける。
以前、雷を散らさないよう意識した時には、広がり方が少しだけ変わった。
外へ出ようとするところを抑えたらどうなる。
光が揺れる。
一本はそのまま外へ飛び出した。
けれど別の一本は、すぐには離れなかった。
丸い表面へ残り、そのまま這っていく。
「……残った」
雷は止まっていない。
丸くなったわけでもない。
動き続けながら、鉄球の表面を走っている。
最初より長く回り込み、やがて外へ飛んで消えた。
「長くなった」
「ああ」
ガンザスが頷く。
「全部じゃないけどなー」
「はい」
全部ではない。
それでも変わった。
クロードは消えた場所をしばらく見つめる。
もう一度同じようにやれば、同じことが起きるだろうか。
少し休んでから右手を上げる。
「もう一回やります」
「体は?」
クロードは腕の重さと呼吸を確かめる。
「大丈夫です」
「じゃあ量は増やすなよー」
「はい」
三度目の雷が鉄球へ触れる。
今度は早い段階で何本かに分かれた。
一本はすぐに外へ飛ぶ。
もう一本も少し走ったところで離れた。
クロードは残った枝を見る。
外へ出ようとする光を抑える。
一本が表面へ残った。
けれど、さっきほど長くは続かない。
途中で飛び出し、そのまま消えた。
「違う」
同じようにしたつもりでも、同じところまでは走らなかった。
二度目は長かった。
三度目は短い。
外へ出る場所も違う。
クロードは鉄球を見つめた。
もう一度見れば、何か分かるかもしれない。
右手を上げる。
「もう一回――」
「クロード」
ガンザスの声で止まる。
「はい」
「そこまでだー」
クロードは鉄球を見る。
「でも、さっきと違って」
「見てたぞー」
「だったら、もう一回だけ」
「最初に言っただろー」
ガンザスが実習場の方へ顎を向ける。
「残りの時間で見るって」
クロードもそちらを見る。
いつの間にか、他の生徒たちは片づけを始めていた。
ガンザスが全員を見て回っている間、自分もずっと《丸くする》を練習していた。
鉄球を試し始めた時には、もう授業の後半だった。
「もう時間だー」
「……はい」
クロードは右手を下ろした。
やっと試せたのに、まだ分からないことばかりだった。
二度目と三度目の違いも確かめたい。
外へ出ようとする雷をもっと抑えられるかも試したい。
それでも授業は終わる。
ガンザスと一緒に鉄球を片づける。
「次も持ってきていいですか?」
「授業の内容を先にやって、それから時間があればなー」
「分かりました」
持ってきてはいけないとは言われなかった。
それなら、また試せる。
ガンザスが実習場全体へ声を張る。
「よーし、そこまでだー」
残っていた魔法も順番に消えていく。
「《空中浮遊》と《静止》は、ここで一区切りな」
何人かが顔を上げる。
「まだうまくできてないんですけど」
離れたところから声が飛んだ。
「できてないなら、これからも練習しろよー」
ガンザスがいつもの調子で返す。
「次はまた魔法基礎だ」
「次は何やるんですか?」
今度は別の場所から声が上がった。
「それは授業で聞けー」
小さな不満の声に笑いが混じる。
クロードは自分の右手を見る。
他の生徒たちは《空中浮遊》や《静止》の実習まで進んだ。
自分はまだ《丸くする》を成功させていない。
授業が先へ進んだからといって、それができるようになったわけではない。
《丸くする》はこれからも練習する。
けれど、それとは別に一つ進んだ。
クロードは片づけた鉄球を見る。
雷を丸くできなくても、丸いものの表面を走らせることはできた。
◇
その夜、クロードは寮の自室で机に向かっていた。
鉄球は机の脇の床に置いてある。
ノートを開き、四角い鉄板を描いたページを見返す。
その隣の新しいページへ鉄球を描いた。
『鉄の球』
その下へ書く。
『角がなくても外へ出た』
少し間を空ける。
『表面を走った』
クロードは鉛筆を止めた。
二度目に見た雷を思い出す。
外へ飛び出そうとする枝を抑えた時、一本だけすぐには離れなかった。
『外へ出ようとする雷を抑える』
『少し長く表面を走った』
続けて三度目を思い出す。
同じようにしたつもりでも、二度目ほど長くは残らなかった。
『毎回同じではない』
クロードは鉄球の絵を見る。
雷を丸くしたわけではない。
雷は動いたままだった。
それでも丸い表面を走ることはできた。
「もっと残ったら……」
小さく呟く。
そこで、一つの名前が頭に浮かんだ。
雷を蓄えやすいと聞いた鋼。
クロードは鉄球の絵の横へ書く。
『雷鳴鋼』
普通の鉄でも、雷が表面を走ることはあった。
外へ出ようとする枝を抑えた時には、少し長く残ったこともある。
なら、雷鳴鋼ではどうなるのだろう。
クロードは最後に一行を書き足した。
『雷鳴鋼なら?』
その文字をしばらく見つめる。
答えはまだ分からない。
だから確かめてみたい。
クロードは鉛筆を置き、ノートを閉じた。




