もっと広い視野で
その夜、クロードは寮の自室でノートを開いていた。
今日の授業について書いた頁を整理してから、最後に放課後のことを書き足していく。
ノーゼスが作った土壁は、休みの日に作った時よりも早く壁らしい形になっていた。
途中で何度も崩れていたし、雷を防げるのかもまだ分からない。
それでも疲れているはずのノーゼスは、自分からもう一度やろうと言ってくれた。
『俺の練習にもなるし』
帰り道でもそう言っていた。
実際に土魔法の練習にはなっているのだろう。
けれど、それだけではないことくらいクロードにも分かる。
「……ノーゼス、いい奴だな」
誰もいない部屋で口にしてから、少しだけ恥ずかしくなった。
クロードは鉛筆を持ち直した。
『土壁――前より良くなっている』
『雷に使えるかはまだ分からない』
『使う前に先生に確認する』
三行を書き終えてから、少し前の頁へ戻る。
そこには昨夜書いた一行が残っていた。
『魔法だけでは?』
昨日は、その疑問符の先に何も書けなかった。
クロードは鉛筆を持ったまま、その文字を見つめる。
ノーゼスは雷のことを知らない。
《丸くする》をどうすれば成功させられるのかも分からない。
だから雷そのものをどうにかしようとはせず、自分にできる土魔法で壁を作っている。
「……別のところからか」
ここ数日、自分が考えてきたことを思い返す。
雷の量を減らした。
動かしたままならどうかと考えた。
回す方法も考えた。
教本も何度も読み返した。
どれも違うようで、見ていたのはずっと雷魔法の中だった。
「僕、そこしか見てなかったんだ」
光哲だった頃は、何か一つがうまくいかないからといって、同じ場所だけを見続けてはいなかった。
知らないことなら、そのことを知っている人に聞くこともあった。
クロードはノートをさらに前へめくっていく。
過去に書いた記録を追い、ある頁で手を止めた。
『丸いものに雷をつけたら?』
『帯電?』
『小さい球を用意する』
「あった」
以前にも一度考えていた。
雷そのものを丸くできないなら、最初から丸いものを使えばどうなるのか。
その時も木、石、金属まで考えたものの、実際には何も用意していない。
もちろん、今見つけたからといって成功するわけではない。
雷魔法が光哲の知っていた電気と同じ性質を持つとも限らない。
それでも、試していないことまで駄目だと決める理由はなかった。
「でも、球か……」
クロードは机の上へ小さな丸を描く。
どのくらいの大きさなのか。
どれくらい丸くなければいけないのか。
木と石と金属のどれを使うのか。
考えてみると、以前より分からないことが増えた。
そして何より、自分できれいな球を作れる気がしない。
そこで王都の工房が頭に浮かんだ。
以前、試験用の的を一緒に作ったゴルダは、最後に言っていた。
『だったら次から俺に言え』
「ゴルダさんに聞いてみる?」
クロードは新しい行へ書いた。
『丸いもの』
『大きさ?』
『素材?』
『ゴルダさんに聞く?』
答えはまだ一つもない。
けれど昨夜とは違い、疑問符の先には次に考えることが並んでいた。
◇
翌日は魔法実習のない日だった。
二日続けて二限ずつ実習場で魔法を使っていたこともあり、今日は教室で受ける授業が続く。
クロードも授業中は目の前の教本と黒板へ意識を向け、昨夜のことはいったんノートの中へ置いておいた。
休み時間になると、近くでノーゼスが腕を上げながら大きく伸びをした。
「まだ痛い?」
クロードが聞くと、ノーゼスは肩を回した。
「昨日よりはマシ」
「今日は壁やらない方がいいよ」
「分かってるって」
そう言いながら少し残念そうなのがおかしくて、クロードは笑った。
「何笑ってんだよ」
「別に」
「絶対何かあるだろ」
二人が話していると、エクリアがこちらへやってきた。
「ねえ、今日放課後に街へ行かない?」
「街?」
ノーゼスがすぐに顔を向ける。
「私もちょっと見たいものがあるし、最近三人とも実習場ばっかりだったでしょう」
エクリアはノーゼスの肩を見てから、今度はクロードを見る。
「ノーゼスは疲れてるし、クロードはずっと何か考えてるし」
「僕も?」
「クロードも」
すぐに返された。
「今日は魔法実習もないんだから、少しくらい違うことしてもいいんじゃない?」
ノーゼスは迷う様子もなく頷いた。
「俺は行く」
「早いね」
「最近、実習場と教室ばっかりだったし」
クロードもここ数日を思い返す。
休みの日には三人で壁を作り、その次の日も昨日も魔法実習があった。
放課後にはノーゼスとまた壁を作っている。
「僕も行く」
「じゃあ決まりね」
エクリアが少し嬉しそうに笑った。
◇
授業が終わると、三人は学園を出て街中へ向かった。
今日は何かを調べるためでも、材料を探すためでもない。
エクリアが気になっていた店へ寄り、ノーゼスが別の店先で立ち止まり、クロードも二人について歩く。
通りには食べ物の匂いが流れ、店先には見慣れた日用品から何に使うのか分からないものまで並んでいる。
「これ、うまそう」
ノーゼスが足を止めた。
エクリアが呆れたように振り返る。
「さっきまで疲れてるって言ってなかった?」
「肩が疲れてるのと腹は別だろ」
「そういうものなの?」
「そういうものだよ」
「僕に聞かないでよ」
クロードが返すと、ノーゼスが笑った。
結局三人で少し食べることになり、それからまた店を覗きながら歩いた。
しばらくすると、クロードはここへ来てから《丸くする》のことをほとんど考えていなかったことに気づいた。
何日も頭のどこかにあったものが、今は少し遠くなっている。
エクリアが言っていた気分転換というのは、こういうことなのかもしれない。
それからしばらく歩いたところで、クロードは見覚えのある道へ目を向けた。
この辺りからなら、ゴルダの工房までは遠くない。
昨夜ノートへ書いた言葉を思い出す。
『ゴルダさんに聞く?』
クロードは二人へ声をかけた。
「ちょっといい?」
「どうした?」
ノーゼスが振り返る。
「途中で寄りたいところがあるんだけど」
「どこ?」
「前に的を作ってもらった工房」
エクリアが思い出したように頷いた。
「前に話してた鍛冶師さん?」
「うん」
「何か作るの?」
ノーゼスが聞く。
「まだそこまで決めてないんだ」
「じゃあ何しに行くんだよ」
「作れるかどうかも分からないから、それを聞きたい」
ノーゼスは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「俺はいいよ」
「私も」
エクリアも頷く。
「ありがとう」
三人は通りを曲がり、ゴルダの工房へ向かった。
◇
工房へ近づくと、金属を打つ硬い音が聞こえてきた。
中へ入ったクロードに気づき、作業をしていたゴルダが顔を上げる。
「おう」
それからノーゼスとエクリアへ目を向けた。
「今日は連れもいるのか」
「友達です」
二人がそれぞれ名乗ると、ゴルダは軽く頷いた。
「で、今日は何だ?」
以前と変わらず用件を聞くのが早い。
クロードは鞄からノートを取り出し、昨夜書いた頁を開いた。
「こういうものって作れますか?」
簡単に描いた丸を見せる。
ゴルダがノートを覗いた。
「球か?」
「はい」
「どれくらいの大きさだ?」
「……まだ決めてません」
「何で作る?」
「それもまだです」
ゴルダが顔を上げた。
横でノーゼスが少し笑う。
「お前、何も決まってねえじゃねえか」
「だから聞きに来たんです」
ゴルダは一度クロードを見て、それから鼻で小さく笑った。
「何に使う?」
そこだけは決まっている。
「雷魔法です」
「また雷か」
「《丸くする》っていう練習があるんですけど、うまく形にならなくて」
クロードは頁に描いた丸を指した。
「雷そのものが丸くならないなら、最初から丸いものに雷をつけたらどうなるのかなって」
ゴルダは少し考えるように腕を組んだ。
「それで材料も決まってねえのか」
「木と石と金属を考えてます」
「なるほどな」
ゴルダはノートへ視線を戻した。
「雷を使うなら、ジグレニスドって鋼はあるぞ」
聞いたことのない名前だった。
「ジグレニスド?」
「ああ。通称は雷鳴鋼だ」
「雷鳴鋼……」
「雷を溜め込みやすい鋼だ」
クロードはすぐにノートへその名前を書く。
『ジグレニスド――通称・雷鳴鋼』
光哲だった頃にも聞いたことのない材料だった。
当然と言えば当然だった。
この世界にある材料を、前の世界で知っているはずがない。
「それなら、僕の雷にも使えますか?」
「知らん」
ゴルダはあっさり答えた。
クロードが顔を上げる。
「雷を溜めやすいからって、お前が考えてることに使えるとは限らねえだろ」
「あ……そうですね」
「俺は雷魔法を使えねえしな」
ゴルダはノートの丸を指先で軽く叩いた。
「ただ、金属を候補にするなら考えてもいい材料だ」
それ以上でも、それ以下でもないらしい。
クロードは頷いた。
「ここにありますか?」
「今はない」
「手に入りますか?」
「取り寄せればな」
「どれくらいかかります?」
「注文してから五日くらいだ」
五日。
すぐに手に入るものではない。
「じゃあお願い――」
そこまで言いかけたところで、ゴルダがノートを指した。
「その前に大きさを決めろ」
クロードは口を閉じた。
「どれだけ使うかも分からねえのに注文できるか」
「……確かに」
「材料を決めるのもそれからだ」
ゴルダに言われ、クロードはノートへ書き加えた。
『大きさ』
『材料』
そして少し考えて、もう一つ。
『使い方』
ゴルダがそれを見る。
「それくらい決まったら、また持ってこい」
「はい」
「その時にジグレニスドを使うなら取り寄せる」
「分かりました」
まだ注文したわけではない。
ジグレニスドを使うことすら決まっていない。
それでも工房へ来る前には知らなかった選択肢が一つ増えている。
ゴルダはクロードのノートから目を離した。
「あと、球を作ったからってここで雷を試すなよ」
「試しません」
クロードはすぐに答えた。
「使うなら先生に確認して、安全な場所でやります」
「ならいい」
横を見ると、ノーゼスも小さく頷いている。
たぶん壁のことを考えているのだろう。
クロードはノートを閉じた。
答えをもらいに来たつもりはなかった。
それでも、来る前より考えることは増えていた。
◇
工房を出たところで、クロードはノートをもう一度開きそうになった。
その時、エクリアが声をかける。
「クロード」
「なに?」
「今日はこれで帰るの?」
「え?」
「街に来たの、工房に行くためじゃないでしょう」
その横からノーゼスが手を挙げた。
「俺、さっきの店もう一回見たい」
「食べ物の店?」
「違う」
「本当に?」
「……近くの店」
「やっぱり食べる気じゃない」
エクリアが呆れたように言う。
クロードは手に持っていたノートを見てから、それを鞄へ戻した。
ジグレニスドについて考えるのはあとでもできる。
注文してから五日ほどかかる材料なら、なおさら今すぐ答えを出す必要はない。
「行こう」
クロードが言うと、ノーゼスが先に歩き出した。
三人はもう一度街の中へ戻り、さっきとは違う通りを歩いた。
エクリアが気になる店へ入り、ノーゼスがまた何か食べようとして、クロードもそれにつき合った。
学園へ戻る頃には、ノーゼスの肩が痛いという話も、クロードの《丸くする》の話もほとんど出なかった。
◇
夜になり、クロードは自室でノートを開いた。
昼間書いた文字が目に入る。
『ジグレニスド――通称・雷鳴鋼』
今朝までは名前さえ知らなかった材料だった。
その下へゴルダから聞いたことを書き足す。
『雷を溜め込みやすい鋼』
『注文してから五日くらい』
『僕の雷に使えるかは分からない』
『大きさ、材料、使い方を考える』
書き終えてから、クロードは少し前の頁へ戻った。
『魔法だけでは?』
昨日まで、この一行の前で止まっていた。
魔法から少し外へ目を向けただけで、今日は知らなかった材料の名前が一つ増えた。
それと同時に、決めなければならないことも増えた。
クロードは『ジグレニスド』という文字をもう一度見る。
光哲だった頃の知識だけでは、この材料の存在さえ知ることができなかった。
この世界には、自分が知らないものがまだある。
「だったら……」
クロードは新しい頁を開いた。
材料だけではない。
自分は今、学園で魔法を習っている。
教本も読んでいる。
先生からも教わっている。
それでも魔法そのものについて、どこまで知っているのだろう。
鉛筆を動かす。
『僕は、魔法のことをどれくらい知ってる?』
その一行を見ながら、クロードは少し考えた。
今はまだ答えを書けない。
けれど昨日のように、何をすればいいのか分からないわけではなかった。
クロードはその下を空けたまま、ノートを閉じた。




