できることは?
「土を動かすのって、結構疲れるんだな」
そう呟きながら、ノーゼスはいつもより少し重たい体をベッドから起こした。
休みの日には壁を作るために何度も土を動かし、昨日の魔法実習では《空中浮遊》を繰り返した。
腕を上げてみると、肩の辺りにまだ少し疲れが残っている。
土を集めるだけなら、前はここまで疲れなかった気がする。
壁にするために広げたり持ち上げたり、《空中浮遊》で地面から離したりするようになってから、同じ土魔法でも使い方によって随分違うのだと分かってきた。
ノーゼスは大きく伸びをすると、ベッドから降りた。
壁そのものは休みの日に全部片づけたから、実習場にはもう残っていない。
残っているのは、どこを広げすぎたのか、どこが崩れやすかったのかという自分の記憶だけだった。
「今日は落とさないようにしないとな」
今度は《空中浮遊》のことを考えながら着替えを済ませ、ノーゼスは部屋を出た。
◇
一限目はノルカ・ソルカの国史だった。
教室へ入ると、黒板にはすでに一人の王の名前が大きく書かれていた。
ダリアス二世。
「今日は今からおよそ千二百年前に起きた革命について見ていきます」
ノルカの言葉を聞きながら、ノーゼスも教本の指定された頁を開いた。
そこにはダリアス二世の名前と、その治世のあとに大きな革命が起きたことが記されている。
「この革命には、ダリアス二世が行った悪政が大きく関わっています」
ノルカが黒板の名前を指した。
「長く続いた悪政によって人々の不満が積み重なり、それがやがて革命へつながりました」
千二百年前と言われても、ノーゼスにはあまりにも昔すぎて実感が湧かない。
それでも人々が怒るほどひどい政治を続ければ、いつまでも何も起きないわけではないことくらいは分かる。
ノーゼスは教本を見ながら、黒板に書かれた言葉をノートへ写した。
「先生」
教室のどこかから声が上がった。
「どうしてダリアス二世は、そんなに不満が出てるのに悪政を続けたんですか?」
ノルカは少し考えてから、黒板へ向き直った。
「そこは、これからこの時代を学んでいく中で考えてみましょう」
すぐに答えが返ってくると思っていた何人かが、少しだけ残念そうな顔をする。
ノーゼスも教本へ目を戻した。
まだ習い始めたばかりなのだから、今ここで全部分かるわけではないらしい。
隣ではクロードも黒板を見ながらノートを取っていた。
鉛筆が一度止まったので何となく目を向けたが、すぐにまた動き始める。
ノーゼスも自分のノートへ視線を戻した。
今は国史の時間だ。
しばらくしてノルカから名前を呼ばれ、ノーゼスは慌てて顔を上げた。
「ノーゼス・ダグドラスタ、革命につながった大きな原因は何でしたか?」
「えっと……ダリアス二世の悪政と、それで人々の不満が溜まったことです」
「そうですね」
答えられたことに少し安心しながら、ノーゼスはもう一度教本へ向き直った。
◇
二限目と三限目は魔法実習だった。
実習場へ移動すると、生徒たちはそれぞれ自分が進めているところから練習を始める。
ノーゼスは地面から土を集め、まず丸い形に整えた。
そこから《空中浮遊》の《印》へ進む。
土の塊が手元から離れ、ゆっくりと上がっていく。
昨日より少しだけ落ち着いているように見えた。
「そのまま……」
思わず声が漏れる。
土はしばらく空中に残ったあと、少しずつ高さを失い始めた。
ノーゼスは《印》を保とうとしたが、そのまま地面へ落ちて形を崩した。
「ああー……」
できたと思ったのに、まだ駄目だった。
崩れた土を集め直して、もう一度試す。
二回目は一回目より早く落ちた。
「なんでだよ」
同じようにやったつもりなのに、結果が同じにならない。
三回目は浮いた直後に傾き始めた。
どうにか立て直そうとしたが、そのまま落ちる。
ノーゼスはしゃがみ込み、崩れた土を見る。
「昨日より下手になってないか?」
「そんな日もあるぞー」
いつの間にか近くにいたガンザスが笑った。
「昨日できたからって、今日も全部同じにできるとは限らないからなー」
「でも昨日より上手くなってると思ったのに」
「上手くなったところと、まだ安定してないところがあるってことだ」
ガンザスはそう言うと、別の生徒の方へ歩いていった。
ノーゼスはもう一度土を見る。
できるかできないかの二つだけではないらしい。
昨日より長く浮く時もあれば、今日みたいにすぐ落ちることもある。
少し休んでから、また《印》を組んだ。
今度は高さを欲張らず、浮かせることだけに集中する。
土がゆっくり手元を離れた。
さっきより低いところで止まり、そのまましばらく浮いている。
「……よし」
ノーゼスは土から目を離さなかった。
結局それも最後には落ちたが、一回目より長く保つことができた。
少し嬉しくなって顔を上げると、離れた場所で小さな音が鳴った。
パチッ、と雷が弾ける。
クロードだった。
右手の上に集めた雷へ《丸くする》を使っているのだろうが、今回も形になる前に外へ散って消えた。
クロードはしばらく右手を見たあと、すぐには次を始めずに一度手を下ろした。
ノーゼスは少しだけその様子を見てから、自分の土へ向き直った。
自分だってまだ《空中浮遊》をまともにできていない。
人の心配ばかりしていても、自分の魔法が上手くなるわけではなかった。
次は落とさないようにしよう。
そう思って練習を続けた。
何度か試したところで休憩になり、ノーゼスは水を持って地面へ座った。
少し遅れてクロードも近くへやってくる。
「疲れた」
ノーゼスが言うと、クロードも座った。
「土って重そうだもんね」
「重いんだよ」
ノーゼスは水を飲んだ。
「浮いたと思ったら落ちるし」
「でもさっき長かったよ」
「見てたの?」
「ちょっとだけ」
「最後落ちたけどな」
「僕も失敗したし」
クロードが右手を見る。
ノーゼスもその手へ目を向けた。
「今日も駄目?」
「うん」
「昨日と同じ?」
「だいたい」
それだけ聞いて、ノーゼスはそれ以上何も言えなくなった。
土なら自分も使えるから、どこで困っているのか少しは分かる。
でも雷については何も分からない。
《印》も違えば、魔法の動き方も違う。
「そっか」
結局それだけ言って、水をもう一口飲んだ。
休憩が終われば、またそれぞれ自分の場所へ戻った。
ノーゼスは何度も土を落としながら《空中浮遊》を続け、クロードも《丸くする》を繰り返した。
実習が終わるまでにノーゼスの土が安定して浮くことはなく、クロードの雷も丸くはならなかった。
◇
昼になると、ノーゼスはクロードとエクリアと一緒に食堂へ向かった。
料理を受け取り、三人で空いている席へ座る。
ノーゼスは最初にスープへ匙を入れた。
大きめの野菜が乗ってくる。
「今日、具が多くない?」
エクリアが自分の器を覗いた。
「そう?」
「ほら」
ノーゼスが匙を見せる。
「それ、たまたまじゃない?」
クロードが言った。
「いや、今日は当たりだ」
「何の当たりよ」
エクリアが少し笑う。
「具が多い当たり」
「じゃあ次も同じだけ入ってたら?」
クロードが聞く。
「今日は全部当たりの日」
「絶対そう言うと思った」
三人でそんな話をしながら昼食を食べた。
やがて話は午前中の魔法実習へ移り、エクリアが水の《静止》について話し始める。
ノーゼスも自分の《空中浮遊》がなかなか安定しないことを話した。
「でも昨日より長く浮いた時もあったんだ」
「じゃあ少しずつできてるんじゃない?」
エクリアが言う。
「落ちる時はすぐ落ちるけど」
「最初から毎回できる方がおかしいわよ」
「エクリアが言うと説得力ないな」
「どういう意味?」
「結構できてるじゃん」
「できないこともあるわ」
二人が話している間、クロードも普通に食事をしていた。
ノーゼスが話を振れば返事もする。
笑う時もある。
けれど会話が途切れた時、クロードの手が一度止まった。
匙を持ったまま、何かを考えるように器を見ている。
少しすると自分で気づいたのか、また食べ始めた。
ノーゼスは何も聞かなかった。
魔法実習でも聞いたばかりだ。
聞いたところで、自分に雷の答えがあるわけでもなかった。
◇
四限目はザシニア・ダルナスの文学だった。
ザシニアが教壇へ置いた教本を開くと、生徒たちも同じ頁を開いた。
そこに載っていた題名を、ノーゼスは小さく読んだ。
「シルジアの矢……」
「今日はこの物語を読みます」
ザシニアが教室を見回した。
「今からおよそ五百年前を舞台にした、女性狩人シルジアの物語です」
狩人という言葉に、何人かが少し顔を上げる。
ノーゼスも頁の最初へ目を落とした。
シルジアは、人の暮らす場所へ害を与えるモンスターを狩り、食料にするための獣も狩る女性だった。
けれど、その時代は今よりも女性の立場が弱く、狩人として生きるシルジアも周囲から同じようには扱われなかった。
「まず、ここまで読んでみましょう」
ザシニアの指示で、生徒たちは順番に文章を読み始めた。
ノーゼスの番も回ってくる。
少しつかえながら読み終え、次の生徒へ続いた。
一通り読み終えると、ザシニアが口を開く。
「シルジアはなぜ狩りを続けているのでしょう」
すぐにいくつか手が挙がった。
「モンスターを倒すため」
「食べ物を取るため」
それぞれの答えを聞き、ザシニアは頷いた。
「どちらも書かれていますね」
教室を見回してから、今度は別の問いを出した。
「では、周囲から弱く見られたり、狩人として認めてもらえなかったりしても、それでも続けるシルジアを読んで、皆さんはどう思いましたか?」
今度はすぐに手を挙げる生徒が少し減った。
ノーゼスも教本を見る。
女だからという理由だけで、同じ狩人として扱われない。
それなのにシルジアは、自分が必要だと思った狩りをやめない。
「強いと思う」
誰かが答えた。
ザシニアがその生徒を見る。
「どこが強いと思いましたか?」
「モンスターを狩れるところ」
教室から小さな笑いが起きる。
「それも強さですね」
ザシニアも少し笑った。
「でも、この物語にはもう一つの強さも書かれています」
ノーゼスはもう一度文章へ目を落とした。
矢を射る力だけではない。
認めてもらえなくても、自分まで自分を駄目だと思わずに続けること。
十歳のノーゼスには、全部を分かったとは言えなかった。
ただ、できることがあるのに、周りからできないと言われるのは嫌だろうなと思った。
授業はそのまま続き、ザシニアは文章の中でシルジアが何を言い、何を選んだのかを一つずつ生徒たちに考えさせていった。
ノーゼスも教本を読みながら、自分なりの答えをノートへ書いていく。
その途中で、ふと午前中の実習が頭に浮かんだ。
クロードは今日も雷を丸くできなかった。
昨日もできなかった。
その前から、ずっと同じところで止まっている。
自分なら何日も同じことが続いたら、かなり嫌になると思う。
雷のことは分からない。
《丸くする》を代わりにやることもできない。
ノーゼスは鉛筆を持ったまま、少しだけ考えた。
休みの日に作った壁が頭に浮かぶ。
最初は低い土の山みたいになり、端も何度も崩れた。
それでも最後には、最初より壁らしい形になった。
あれなら、自分にもできる。
もう一回作れば、前より少しくらい上手くできるかもしれない。
「ノーゼス」
隣から小さな声がした。
顔を向けると、クロードがこちらを見ている。
「次、そこ読むって」
「あ」
ノーゼスは慌てて教本へ目を戻した。
今度は自分が考え込んでいたらしい。
指定されたところを読み終えると、それからは壁のことを頭の隅へ置いて授業へ戻った。
◇
授業が終わると、生徒たちはそれぞれ帰り支度を始めた。
ノーゼスも教本とノートを鞄へ入れる。
少し離れたところでクロードも同じように片づけていた。
「クロード」
声をかけると、クロードが振り向いた。
「なに?」
「今日、壁やろう」
「壁?」
「休みの日に作ったやつ」
クロードは少し驚いた顔をした。
「また作るの?」
「うん」
「ノーゼス、疲れてない?」
「疲れてる」
「じゃあ休んだ方がいいんじゃない?」
「でも《空中浮遊》より壁の方が、今は上手くなってる気がする」
ノーゼスは鞄を肩へ掛けた。
「俺の練習にもなるし」
クロードは少し黙ってから頷いた。
「分かった」
二人はそのまま実習場へ向かわず、まず教師へ放課後に使ってよいか確認しに行った。
土魔法の練習だけをすること、雷魔法は使わないことを伝え、許可をもらってから実習場へ向かう。
休みの日に作った壁は当然もう残っていない。
ノーゼスは何もない地面の前へ立った。
一度作ったからといって、次も同じようにできるとは限らない。
今日の《空中浮遊》で、それはよく分かっている。
「前より狭く集める」
自分に言い聞かせるように呟き、《印》を組んだ。
地面の土が動き、一か所へ集まっていく。
休みの日は最初に横へ広げすぎた。
今日はそこで止め、まず集まった土の形を見る。
「これくらいかな」
「前より短いね」
少し離れて見ていたクロードが言った。
「前は長すぎたから」
ノーゼスは位置を変え、横からも土を見る。
それからもう一度《印》を組み、高さを作り始めた。
土がゆっくりと持ち上がる。
途中で右側が崩れた。
「あー、まただ」
すぐに直そうとしてから、ノーゼスは一度手を止める。
崩れたところへ近づき、正面と横から見た。
「ここ、薄いな」
「反対側より?」
「うん」
薄いところへ少しずつ土を寄せる。
一気に高くしようとするとまた崩れそうなので、今度は高さを欲張らなかった。
しばらくすると、小さいながらも壁らしい形ができてくる。
「前より早い」
クロードが言った。
「だろ?」
ノーゼスは少し嬉しくなった。
そこからもう少し高さを作ろうとして、今度は中央の一部が崩れた。
「やっぱり簡単じゃないな」
「でも前より直すの早くなってるよ」
「それはそうかも」
崩れたところを直し、少し離れて全体を見る。
休みの日より大きな壁になったわけではない。
けれど、最初から土の山になることはなくなった。
どこが薄いのかも、前より少し見つけやすい。
何度か土を動かしているうちに腕が重くなり、ノーゼスは《印》を解いた。
「休む」
「うん」
二人で壁から離れ、水を飲む。
目の前には、小さな土壁が立っている。
ノーゼスはそれを見ながら、休みの日に作った壁を思い出した。
「前よりマシだよな」
「うん」
クロードが頷いた。
「でも、これで雷を試せるかはまだ分からないよ」
「分かってる」
ノーゼスもすぐに答えた。
自分で作っているからこそ、途中で何度も崩れたことを知っている。
見た目が壁になっただけで、安全になるわけではない。
「もうちょっと作れるようになったら、先生に見てもらおう」
「その方がいいと思う」
ノーゼスは水を飲み終えると、もう一度壁の前へ立った。
あと少しだけ直したいところがある。
無理をしないようにしながら土を動かし、最後に全体を確認したところで今日は終わりにした。
二人で使った土を元へ戻し、実習場を片づける。
せっかく作った壁は、今日も形を残さず消えていく。
それでもノーゼスには、休みの日より早く壁にできたことも、薄いところを自分で見つけられたことも残っていた。
実習場を出て男子寮へ向かっていると、クロードが隣から声をかけた。
「ノーゼス」
「ん?」
「ありがとう」
ノーゼスは少しだけクロードを見る。
「俺の練習にもなるって言っただろ」
「うん」
「それに、まだ使える壁じゃないし」
「だからありがとうなんだよ」
ノーゼスには、その言い方の意味がよく分からなかった。
「変なの」
そう言うと、クロードが笑った。
ノーゼスも少し笑いながら、まだ重たい腕を一度大きく振った。
「明日は休むかもしれないからな」
「それがいいと思う」
「まだ決めてない」
「腕、痛いんでしょ?」
「ちょっとだけ」
話しながら歩いているうちに、男子寮が見えてきた。
ノーゼスは自分の手を開いてから、もう一度握った。
今日も土は何度も落ちたし、壁も何度も崩れた。
それでも朝より少しだけ、重たい腕が嫌ではなくなっていた。




