魔法だけでは
休日の朝、クロードは寮の自室で支度を終えると、机の上に置いていたノートへ目を向けた。
昨夜最後に書いた二行が残っている。
『雷を動かしたままなら?』
『回す?』
考えたのはそこまでで、どうやって雷を回すのかはまだ分からない。
クロードはノートを閉じた。
今日は一人ではない。
ノーゼスとエクリアと一緒に、土の壁を作る練習をする約束をしている。
雷はどこへ飛ぶか分からないことがある以上、二人が近くにいるところで試すものではなかった。
今は雷より、壁の方だ。
クロードはノートを机へ置き、そのまま部屋を出た。
◇
三人で合流すると、まず実習場を使っていいか教師へ確認しに行った。
前にもノーゼスが土壁を作る練習をしたこと、その時と同じように土魔法の練習だけをすることを伝える。
雷魔法は使わない。
決められた場所で無理をしないことを確認してから、三人は魔法実習場へ向かった。
「ここ?」
エクリアが周囲を見回す。
「うん」
クロードが答えた。
「前にノーゼスと練習したのもここ」
「壁は?」
エクリアが辺りを見る。
残っているのはいつもの実習場だけで、土壁らしいものはどこにもない。
「前のは片づけたよ」
ノーゼスが言った。
「だから、また作る」
「そういうことなのね」
エクリアが納得したように頷く。
ノーゼスは地面を見ながら、前に自分がやったことを思い出しているようだった。
「最初、横に広げすぎたんだよな」
「すごく低かった」
クロードが言う。
「覚えてるよ」
「土の山だったんでしょ?」
エクリアが聞く。
ノーゼスがクロードを見る。
「言ったの?」
「昨日言ったのノーゼスじゃん」
「あれは壁になる途中だったんだよ」
「その時は自分でも土の山って言ってたけど」
クロードが返すと、エクリアが小さく笑った。
「じゃあ今日は壁になるのを見せてもらうわ」
「なるよ、たぶん」
言いながら、ノーゼスは地面へ向き直った。
《印》を組むと土が動き始め、一か所へ集まっていく。
前は集めた土をそのまま左右へ広げた。
今日は途中で手を止め、できた形を一度見る。
「これくらいかな」
低い土の塊が横へ伸びている。
前ほど長くはない。
ノーゼスは少し位置を変えて横からも眺めた。
「次は高くする」
もう一度《印》を組む。
土が中央へ寄りながら、少しずつ上へ持ち上がっていった。
片側が崩れる。
ノーゼスは手を止めた。
「あ」
すぐに直そうとはせず、崩れたところを見る。
前にガンザスから言われたことを覚えているのだろう。
しばらく見てから、今度は崩れた側へ少しずつ土を寄せた。
さっきよりも高さが残る。
「前より壁っぽい」
クロードが言った。
「だろ?」
ノーゼスが少し嬉しそうに答える。
エクリアは正面から見たあと、横へ移動した。
「でも、まだ低いわね」
「分かってる」
「クロードの雷を防ぐなら、もっと高くするの?」
その言葉に、クロードも壁を見る。
今の高さでは、自分の腰にも届いていない。
けれど高さだけを増やせば安全になるとも聞いていない。
「それもまだ分かんない」
クロードは答えた。
「壁が作れたら、それで雷を使っていいわけじゃないって先生に言われてるから」
「じゃあ、今日は?」
「壁を作る練習だけ」
エクリアが頷く。
ノーゼスも再び土へ向き直った。
少し高くしては崩れ、崩れた場所へ土を戻す。
広げすぎれば低くなり、高さを作ろうとすれば端が崩れる。
それでも前よりは、自分でどこを直せばいいのか考えながら動かせていた。
クロードは横からその様子を見る。
土が動き、形が変わっていく。
目の前で少しずつ壁らしくなっていくのを見ていると、昨夜考えた雷のことが一度だけ頭をよぎった。
動いたまま形を作る。
回す。
けれどクロードは右手を上げなかった。
ノーゼスもエクリアもすぐ近くにいる。
今試すことではない。
「クロード?」
エクリアに呼ばれて顔を上げる。
「どうしたの?」
「何でもない」
クロードはもう一度土壁を見る。
今はこっちだ。
それからもノーゼスは何度か土を動かした。
途中で一度休み、水を飲んでからまた続ける。
前回より長く練習できてはいるが、疲れなくなったわけではない。
やがてノーゼスが手を下ろした。
「今日はここまでにする」
「疲れた?」
「ちょっと」
前のように限界まで続ける前に、自分から止めた。
三人は少し離れ、できたものを見る。
前回より高く、横に伸びただけの土の山でもない。
それでも、ガンザスが作った壁と比べればずっと小さい。
「今度は壁って言っていい?」
ノーゼスが聞く。
クロードは少し考えた。
「小さい壁」
「壁ならいい」
「私は壁に見えるわ」
エクリアが言うと、ノーゼスが満足そうに頷いた。
雷を防げるかどうかは分からない。
けれど、前に何も分からないところから始めた時よりは進んでいた。
三人は最後に使った土を元へ戻し、実習場を片づけた。
作った壁は残らない。
それでもノーゼスが覚えたことまで消えるわけではなかった。
◇
休日が明けると、また学園の授業が始まった。
魔法実習の時間になると、生徒たちはそれぞれ前までの練習へ戻っていく。
ノーゼスは土を丸く整え、《空中浮遊》へ進んだ。
以前より浮かせていられる時間は長くなったものの、ときどき土が下がり、そのまま地面へ落ちることもある。
エクリアは水の《静止》を確かめたあと、風へ切り替えていた。
ザナトスも少し離れた場所で火の《静止》を繰り返している。
クロードは自分の右手を見る。
自分がまだやるのは《丸くする》だった。
けれど今日は、その前に聞いておきたいことがある。
クロードはガンザスを探し、近くへ来たところで声をかけた。
「先生」
「ん?」
「昨日、考えたことがあるんです」
「何だ?」
クロードは少し離れたところで練習しているエクリアを見る。
風が集まり、渦を作りながら丸い形へ整っていく。
「風って、《丸くする》時に回してますよね」
「ああ」
「風は集めるだけじゃ形にならないからな」
「雷も動かしたままなら、丸くできないかなって思ったんです」
ガンザスがクロードを見る。
「雷を回すってことか?」
「たぶん」
答えてから、クロードは自分でも少し曖昧だと思った。
「でも、どうやって回すのか分かりません」
ガンザスはクロードが持っていた教本を受け取り、雷属性の《丸くする》の頁を開いた。
「風はな、渦を作るところまでが《丸くする》の中に入ってる」
頁をめくり、風属性の手順も示す。
同じ《丸くする》という名前でも、《印》の途中は雷とは違っている。
「雷にはない」
クロードが言った。
「ああ」
「じゃあ雷を回すなら、《丸くする》とは別に、回すための操作を足さないと駄目ですか?」
「そうなるな」
クロードは雷属性の頁へ戻った。
その先も確認する。
けれど、雷を回すための手順は見つからない。
「載ってない」
「載ってないぞー」
ガンザスがあっさり答えた。
クロードは顔を上げる。
「どうしてですか?」
「今のお前の雷、形を作ろうとすると外へ弾けるだろ?」
「はい」
「その飛ぶ先も、毎回同じじゃない」
クロードは以前、手元から外れた雷が斜め下へ走った時のことを思い出す。
「はい」
「それを自分から回したら、今よりどこへ飛ぶか分からなくなる」
クロードは少し考えた。
動かし続ければ形を作れるかもしれないと思った。
けれど動かすことそのものが、雷では危険を増やす。
「だから教本にないんですか?」
「少なくとも、お前たちが実習で使うものとしては扱ってない」
「雷で回す《印》も?」
「ここにはないな」
ガンザスは教本をクロードへ返した。
「やり方が分からないまま、適当に別の《印》を足したりするなよ」
「はい」
クロードは素直に頷いた。
思いついたことはあった。
けれど、それを試す方法がなかった。
自分の場所へ戻り、もう一度右手を上げる。
今できることをやるしかない。
雷を出す。
手元へ集める。
そこから《丸くする》の《印》へ進む。
形ができる前に、光が外へ弾けた。
パチッ、と乾いた音がする。
クロードは手を下ろした。
少し休んでから、今度は雷の量を減らす。
前に試した時と同じように、ほかは変えない。
《印》を進める。
弾ける音は小さい。
けれど丸くはならない。
もう一度試しても、結果は変わらなかった。
クロードは右手を見た。
量を減らせば、弾け方は変わる。
それでも形にはならない。
回すことを考えても、そのためのやり方は教本にない。
勝手に試せるものでもない。
少し離れたところで、ノーゼスの土が手元から離れた。
一度下がったものの、すぐには落ちずに空中へ浮かび続けている。
ノーゼスが真剣な顔で《印》を保っていた。
エクリアの風も、渦を残したまま丸い形で浮いている。
ザナトスの火も同じ位置に留まっていた。
みんなが簡単にできているわけではない。
ノーゼスだって何度も土を落としている。
エクリアも水と風では進み方が違う。
それでもクロードだけは、まだ《丸くする》のところにいた。
「クロードー」
ガンザスに呼ばれ、クロードは顔を上げた。
「一回休め」
「はい」
クロードは素直に手を下ろし、実習場の端へ移動した。
休みながら教本を開く。
何度も見た雷属性の《丸くする》が載っている。
知らないところを読み落としているわけではない。
手順も覚えている。
それでもできない。
休憩が終わってからもう一度だけ試したが、雷はやはり形になる前に弾けた。
◇
その夜、クロードは寮の自室でノートを開いた。
昨日書いた二行を見る。
『雷を動かしたままなら?』
『回す?』
その下へ、今日分かったことを書き足した。
『雷の《丸くする》には、回す操作は入っていない』
『回すなら、別の操作が必要』
そこで一度鉛筆を止める。
続けて書いた。
『雷を回す方法 → 教本にない』
『回すと、もっと飛ぶ先が分からなくなる』
並んだ文字を見る。
雷の量を減らす方法は試した。
結果は変わったが、丸くはならなかった。
動かしたまま形を作る方法を考えた。
けれど、そのために必要なやり方が分からない。
普通の《丸くする》へ戻っても、結果は同じだった。
クロードは新しい行へ鉛筆を置いた。
いつもなら、ここに次に試すことを書く。
けれど今日は手が動かなかった。
しばらく待ってみても、何も浮かばない。
「……どうすればいいんだろう」
小さく呟く。
《丸くする》の《印》を忘れているわけではない。
雷を出せないわけでもない。
集めることもできる。
それでも、その先だけがどうしてもできない。
クロードは何も書かれていない行を見つめた。
もう一度鉛筆を動かし、短く書く。
『魔法だけでは?』
疑問符の先には、まだ何もない。
クロードはしばらくその一行を見てから、ノートを閉じた。




