お祝い
実技テストに合格してから、最初の休日が来た。
朝食を終えたあと、クロードは自室でしばらく本を読んでいた。
授業のない日は時間の流れが少し遅い。
許可証はもう手元にある。
けれど前の夜に書いた『安全に試せるようにする』には、まだ答えが出ていなかった。
今日すぐ雷を試すつもりもない。
昼が近づいてきた頃、クロードは一度部屋を出た。
廊下を歩いていると、向こうからノーゼスがやってくる。
「クロード」
「どうしたの?」
「今日なんかある?」
「特にはないけど」
「じゃあ昼、街で食べよう」
クロードは少し首を傾げた。
「急だね」
「さっき思いついた」
ノーゼスは悪びれる様子もない。
「三人とも合格したし」
そこでクロードも意味が分かった。
最初に試験を受けてから、三人とも合格するまで祝いは待とうと話していた。
クロードは一度落ちて、次の週にようやく二回当てられた。
他の二人もそれぞれ試験を終え、ようやく三人そろった。
「行こう」
クロードが答えると、ノーゼスは頷いた。
「エクリアにも連絡しないとな」
「どうやって?」
ノーゼスが一瞬黙った。
男子寮と女子寮は別になっている。
当然、二人が女子寮へ入ってエクリアの部屋まで呼びに行くことはできない。
そもそも何号室なのかも知らなかった。
「事務所に頼めばいいんじゃない?」
「それなら伝えてもらえるかも」
二人は男子寮の事務所へ向かった。
事情を話すと、女子寮の事務所へ伝言を回してもらえることになった。
「待ち合わせはどうしますか?」
そう聞かれて、クロードとノーゼスは顔を見合わせた。
「三十分後?」
ノーゼスが言う。
クロードは少し考える。
ここからなら着替えて門まで行く時間はある。
「うん。三十分後に学園の門前で」
クロードとノーゼスの二人からの伝言として、三人とも実技テストに合格したので街へ昼食を食べに行こうということ。
よければ三十分後に学園の門前へ来てほしいこと。
都合が悪ければ無理をしなくてもいいこと。
そこまで伝言を頼んで、二人はいったん自室へ戻った。
◇
その頃、エクリアは女子寮の自室で本を読んでいた。
休日なので朝から急ぐ必要はなく、髪も部屋で過ごすために簡単にまとめているだけだった。
外へ出る予定もない。
今日はこのまま本を読んで、昼になったら食事へ行けばいいと思っていた。
扉が叩かれたのは、ちょうどページをめくろうとした時だった。
「エクリア・ファインザードさん。クロード・アインハルトさんとノーゼス・ダグドラスタさんから伝言です」
「二人から?」
本から顔を上げる。
三人とも実技テストに合格したので、祝いに街へ昼食を食べに行こう。
都合がよければ三十分後に学園の門前へ。
そこまで聞いて、エクリアは時計を見た。
「三十分後?」
思わず聞き返した。
間違いではなかった。
行かない理由はない。
三人とも合格するまでは待とうと話していたし、ようやく全員そろったのだから、自分も行きたかった。
「行きます。二人にそう伝えてください」
返事をして扉を閉じる。
それから自分の格好を見下ろした。
「……三十分」
本を机へ置き、衣服を収めている場所を開ける。
最初に目についた一着を取り出した。
鏡の前で合わせてみる。
「違う」
戻して別のものを出す。
少し考える。
今度はさっきよりいい気がする。
けれど街へ出るなら、もう少しきちんとした方がいいだろうか。
エクリアはまた別の服を見る。
伯爵家の屋敷にいた頃なら、外出の予定が決まれば使用人が何着か用意してくれていた。
出かける場所や相手に合わせて髪も整えてくれたし、靴まで自分一人で悩むことはなかった。
王立学園に入ってからは違う。
朝起きるのも、服を決めるのも、髪を整えるのも自分でやる。
少しずつ慣れてはきた。
けれど急に三十分後と言われると話は別だった。
「これでいい」
ようやく服を決めて着替える。
今度は鏡の前へ座り、髪を整え始めた。
一度まとめる。
鏡を見る。
少し違う気がしてほどく。
もう一度まとめ直す。
「……こっち」
その頃には残り時間が気になり始めていた。
最後に靴を選ぶ。
服に合わせるならこちら。
けれど街を歩くなら、もう一足の方が楽かもしれない。
二つを見比べる。
「もう、二人とも急すぎるのよ」
結局、歩きやすい方を選んだ。
もう一度鏡を見る。
髪も服もおかしくない。
これなら大丈夫だと思ったところで、時間を見る。
「いけない」
エクリアは慌てて部屋を出た。
◇
学園の門前では、クロードとノーゼスがすでに待っていた。
クロードは休日用の服に着替えているが、特に飾ったところはない。
ノーゼスも似たようなものだった。
「来た」
ノーゼスの声でクロードが振り返る。
こちらへ歩いてきたエクリアは、二人を見たところでほんの少し足を緩めた。
クロードを見る。
ノーゼスを見る。
もう一度、自分の服を見る。
二人とも普通だった。
街へ昼食を食べに行くだけなのだから、考えてみればそれでいい。
朝から何度も服を出し直した。
髪も一度やり直した。
靴まで迷った。
急に、自分だけ妙に気合いを入れてきたような気がした。
「……何?」
二人に見られている気がして、エクリアが先に言った。
クロードは少し考えてから答える。
「いつもと雰囲気が違うなと思って」
「外へ出るんだから、これくらい普通でしょ」
思ったより早く言葉が出た。
ノーゼスは自分の服を見る。
次にクロードを見る。
「俺たち普通だけど」
「あなたたちが気にしなさすぎなのよ」
エクリアは少し顔をそらした。
もっと簡単な格好でよかった。
そう思うと、急に髪まで気になってくる。
「でも似合ってるよ」
クロードが言った。
エクリアはクロードを見る。
本人は本当にそう思ったから言っただけらしく、それ以上何か続ける様子もない。
「……そう」
少しだけ肩の力が抜けた。
ノーゼスが門の外を見る。
「じゃあ行こう。腹減った」
「まだ三十分しか経ってないわよ」
「昼食べに行くんだからいいだろ」
「そもそも二人とも急すぎるのよ。もう少し早く言えなかったの?」
「さっき決めたから」
ノーゼスが答える。
クロードも頷く。
「俺もその時聞いた」
エクリアは二人を見た。
「次は前の日に決めて」
「分かった」
クロードは素直に答えたが、ノーゼスはまだ理由が分からないようだった。
三人は学園を出て、王都の街中へ向かった。
王立学園も王都の中にある。
けれど学園のある一角から離れ、大きな通りへ出れば景色はずいぶん変わった。
休日ということもあって人通りは多く、店先には食べ物や日用品が並んでいる。
通りを行く人の声に、店から聞こえる呼び込みや料理を作る音が混じっていた。
クロードはこの辺りを何度か歩いている。
ゴルダの工房へ向かった時にも通った。
けれど、その時はどんな的にするか、材料は足りるか、加工できるのか、そればかり考えていた。
今日は急ぐ理由がない。
「クロード、店知ってる?」
ノーゼスが聞く。
「工房なら」
「飯食えないだろ」
「だから店は知らないって」
エクリアが二人を見る。
「何も決めずに誘ったの?」
「街に出ればどこかあると思って」
「本当にそれだけだったのね」
「うん」
ノーゼスは普通に頷いた。
エクリアは呆れた顔をしながらも、通りの店を見始める。
しばらく歩くと、どこからか肉を焼く匂いが流れてきた。
ノーゼスがすぐに足を止める。
「ここ」
「まだ店を見てもいないでしょ」
「うまそうな匂いする」
「ノーゼスらしいね」
クロードが店の中を覗く。
昼には少し早いが、すでに何組か客がいた。
三人で座れそうな席もある。
結局、その店へ入ることになった。
席について料理を頼むと、ノーゼスは何度か厨房の方を見る。
「まだ来ないわよ」
エクリアが言う。
「分かってる」
「さっきから見てるじゃない」
「腹減ったんだから仕方ないだろ」
三人でそんな話をしているうちに料理が運ばれてきた。
ノーゼスがすぐに手を伸ばしかける。
途中で止まった。
「あ」
「どうしたの?」
クロードが聞く。
「先に言うの忘れるところだった」
ノーゼスは二人を見る。
「三人とも合格したな」
エクリアが少し笑う。
「やっとね」
「うん」
クロードも頷いた。
誰か一人だけではない。
三人とも試験を受けて、それぞれに結果を出して、ようやく今日こうしてそろった。
ノーゼスが言う。
「じゃあ、おめでとう」
クロードは笑った。
「自分にも?」
「三人なんだから俺もだろ」
「じゃあ、三人ともおめでとうね」
エクリアが言う。
「おめでとう」
クロードも続ける。
ノーゼスは満足そうに頷いた。
「よし。食おう」
「そこはやっぱり早いのね」
「冷めるだろ」
前にも同じようなことを言っていた気がする。
クロードは笑って、自分も料理へ手を伸ばした。
食べ始めれば、話は自然と試験のことになった。
「クロードの二回目が外れた時、また次の週かと思った」
ノーゼスが言う。
「俺も思ったよ」
「顔に出てたわよ」
エクリアが続ける。
「そんなに?」
「三回目の前、ずっと的を見てたもの」
「的を見る試験だからね」
「そういう意味じゃないわよ」
クロード自身は、あの時周囲を見る余裕がほとんどなかった。
一発目が当たった。
二発目が外れた。
三発目を当てなければ、また次の週になる。
頭の中にあったのはそれだけだった。
けれど二人は、その間ずっと見ていたらしい。
「でも当たっただろ」
ノーゼスが言う。
「うん」
「二回」
「うん」
「だから三人とも合格」
「そこまでまとめなくても分かってるよ」
ノーゼスは満足そうに食事を続けた。
一度目の試験に落ちた翌日も、ノーゼスと一緒に昼食を食べた。
あの時はどうすれば次に二回当てられるのか分からなかった。
今も、なぜ今回は二回当たったのかまでは分かっていない。
アルミが関係したのか。
形が関係したのか。
その両方なのか。
確かめたいことは残っている。
それでも今日は、その答えを出さなくてもいいと思えた。
食事を終えたあとも、三人はすぐには学園へ戻らなかった。
通りを歩き、店先を覗き、人が集まっていれば何をしているのか少し見ていく。
エクリアも、最初に感じていた服装の気恥ずかしさをいつの間にか忘れていた。
ノーゼスは食べ物を売っている店を見つけるたびに足を止め、そのたびにエクリアから「さっき食べたでしょう」と言われている。
クロードはそんな二人の間を歩いた。
工房へ向かうためでもない。
材料を探すためでもない。
何かを調べるためでもない。
ただ友達と街を歩く。
それだけの時間が、思っていたより楽しかった。
学園の門が見えてきたところで、ノーゼスが言う。
「また行こうな」
「今度は前の日に言って」
エクリアがすぐに返した。
「まだ言うの?」
「言うわよ」
クロードは少し笑う。
「じゃあ次は前の日に決めよう」
エクリアはようやく納得したように頷いた。
「それならいいわ」
三人はそこで別れ、それぞれの寮へ戻った。
◇
休日が明ければ、また授業が始まる。
魔術実習では《丸くする》の練習が続いていた。
クロードは周囲から少し距離を取り、右手を上げる。
《印》を組み、魔力を動かした。
青白い雷が手元に現れる。
雷を出すことはできる。
集めることもできる。
問題は、その先だった。
クロードは《印》を続け、散ろうとする雷を一つの形へまとめようとする。
少し寄る。
もう少し。
バチッ。
乾いた音とともに雷が弾け、そのまま消えた。
「手は?」
ガンザスが声をかける。
クロードは右手を握ってから開いた。
「大丈夫です」
「なら少し休め」
「はい」
クロードはすぐに次を試さず、手を下ろした。
何度やっても同じところで失敗する。
雷を出せないわけではない。
集められないわけでもない。
形を作ろうとすると、その途中で放電してしまう。
少し離れたところでは、エクリアが水を集めていた。
揺れていた水が一つにまとまり、少しずつ丸い形を作っていく。
ノーゼスの手元でも土がまとまり、多少いびつではあっても形を保っている。
同じ《丸くする》でも、属性によって手元で起きていることは違う。
クロードは自分の何もなくなった右手を見る。
雷そのものを集めて、雷そのものに形を作る。
教本にある《丸くする》はそれだ。
だから授業では、それをできるようになるまで続ける。
けれど。
クロードはもう一度、エクリアの手元にある丸い水を見る。
水は最初から丸かったわけではない。
集めて、形を作ったから丸くなった。
自分の雷は、その形を作る途中で逃げる。
なら。
最初から丸いものがあったらどうなる。
雷そのものを丸くするのではなく、最初から丸い形を持つものへ雷をつける。
それなら少なくとも、形を作る必要はない。
「……丸いもの」
小さく呟いた。
できるとは限らない。
そもそも雷を何かにつけたままにできるのかも分からない。
昔の実験では、金属があると雷がそちらへ向かうことが何度もあった。
けれど、雷が金属へ向かうことと、そこに雷を持たせられることは別の話だ。
「クロード、休憩終わりでいいか?」
ガンザスの声で顔を上げる。
「はい」
今は授業だ。
考えるのはあとでもできる。
クロードはもう一度右手を上げ、《印》を組んだ。
教本どおりの《丸くする》を、もう一度試した。
◇
その夜、クロードは寮の自室でノートを開いた。
少し前のページには、実技テストに合格した夜の文字が残っている。
『次にすること』
『安全に試せるようにする』
まだ答えは出ていない。
許可証があっても、安全に使える状態になったわけではない。
クロードは新しい場所へ書く。
『《丸くする》』
『雷を集める → できる』
『形を作ろうとする → 途中で放電』
何度も見てきた結果だった。
その下に、小さな丸を描く。
雷そのものを丸くする。
今の自分にはまだできない。
なら最初から丸いものを使えばどうなる。
クロードは描いた丸の周りへ短い線を何本か足した。
光哲だった頃なら、物が電気を帯びることを帯電と呼んでいた。
けれど、この世界の雷魔法が前の世界の電気と同じように扱えるとは限らない。
魔法は魔法だ。
似て見えるからといって、同じだと決めつけることはできない。
『雷そのものを丸くする → まだできない』
その下へ続ける。
『丸いものに雷をつけたら?』
少し考えて、
『帯電?』
と書く。
疑問符は残した。
もし雷をつけられたとしても、それは教本の《丸くする》ではない。
授業でできたことにもならない。
だから《丸くする》の練習は続ける。
これは、それとは別に確かめることだ。
問題は何を使うか。
木。
石。
金属。
同じ形でも素材が違えば、起きることも違うかもしれない。
今すぐ決める必要はない。
クロードは最後に一行書いた。
『小さい球を用意する』
その文字を見て、鉛筆を止める。
試してみたい。
けれど、その前にやることがある。
クロードは少し前のページへ視線を戻した。
『安全に試せるようにする』
思いついたからといって、順番まで飛ばしていいわけではない。
クロードは小さく頷き、ノートを閉じた。




