石ころの正体
文字を覚え、父の鍛錬を見るようになってからも、クロードの日課はもう一つ残っていた。
石拾いだ。
最初は単純な興味だった。
庭を歩けば色の違う石がある。重いものもあれば軽いものもあり、表面がざらついたものもあれば妙に滑らかなものもある。
前世なら、ただの石として見過ごしていたかもしれない。
製鉄所で働いていたとはいえ、クロード――黒木光哲が扱っていたのは主に鉄鋼だった。鉱物学者だったわけではないし、地面に落ちている石を見ただけで何でも判別できるほどの知識もない。
ましてここは異世界だ。
前世と同じ鉱物が存在するとは限らない。
似ているからといって、同じものだと決めつける方が危険だった。
だから拾った。
分からないからこそ、手に取った。
その結果、エリスから小さな木箱を一つ渡された。
「これに入る分だけにしましょうね」
庭から戻るたびに石を持ち帰る息子を見かねたらしい。
「いっぱいになったら?」
「増やしません」
「でも新しい石があったら?」
「どれか一つを庭へ返しましょう」
クロードは木箱を見た。
それから、すでに集めていた石を見る。
どれも違う。
どれもまだ十分には分かっていない。
「……大きい箱は?」
「駄目です」
交渉は失敗した。
仕方なく、クロードは集める石を選ぶようになった。
同じように見えるものは一つだけ残す。
違いが分からないものは並べて比べる。
色だけが違うのか。
重さも違うのか。
表面の手触りはどうか。
爪で傷がつくか。
石同士を擦るとどうなるか。
できることは少ない。
それでも、ただ集めていた頃より面白くなった。
ある日の午後、クロードは庭の端で一つの石を拾った。
灰色の中に、細かな白い粒と黒い粒が混じっている。
以前にも似た石を拾ったことがある。
クロードはその場でしばらく眺めてから、木箱に入れていた石を思い出した。
似ている。
けれど同じかどうかは分からない。
部屋へ戻り、二つを並べる。
色合いは近い。
新しく拾った方が少しだけ白い粒が多いようにも見える。
手に持って重さを比べる。
「……分からない」
小さな石の僅かな重さの違いなど、手だけでは判断できなかった。
クロードは机の上に二つを置いた。
前世なら測ればよかった。
質量を量り、体積を調べれば密度を求められる。
必要なら成分分析もできる。
顕微鏡で組織を見ることだってできた。
だが今は何もない。
秤すら手元にはない。
「だったら作れば……」
そこまで言って、クロードは止まった。
秤そのものを作る必要はない。
この屋敷のどこかにあるかもしれない。
知らないなら聞けばいい。
クロードは二つの石を持って部屋を出た。
最初に見つけた使用人へ尋ねると、秤なら厨房にあるという。
当然ながら食材を量るためのものだった。
厨房へ向かい、使わせてほしいと頼む。
「石を量るのですか?」
料理人が困惑した顔をした。
「うん」
「どうしてでしょう?」
「重さが知りたい」
「……石の?」
「うん」
料理人はさらに困った。
クロード自身、自分が逆の立場なら同じ顔をしたと思う。
それでもアインハルト家の息子から頼まれた以上、無下にもできないらしい。
料理の邪魔をしないことを条件に、古い天秤を貸してくれた。
左右に皿があり、片方へ重りを載せて釣り合わせる簡単なものだった。
クロードは目を輝かせた。
「これ、借りていい?」
「厨房の外へ持ち出さないのでしたら」
「分かった」
二つの石をそれぞれ皿に載せてみる。
天秤が傾いた。
新しく拾った方が僅かに重い。
大きさも少し違うので、それだけでは何も分からない。
クロードは石を見つめた。
体積が知りたい。
形が不規則だから、長さを測るだけでは難しい。
そこで水を使おうと思った。
水を入れた容器に沈めれば、その分だけ水位が上がる。
問題は、それを正確に測れる容器がないことだった。
厨房を見回していると、料理人が警戒した顔をした。
「今度は何をお探しですか?」
「水を入れるもの」
「何になさるので?」
「石を入れる」
「……」
料理人が黙った。
「汚さない」
「そういう問題ではないのですが……」
結局、料理に使わなくなった古い容器を一つ貸してもらえた。
水を入れ、外側から水面の位置を確認する。
石を沈める。
水面が上がる。
当然だ。
だが目盛りがない。
「……これじゃ分からない」
水が増えたことは分かる。
どれだけ増えたかが分からない。
クロードは容器を睨んだ。
細い容器なら水位の変化は大きくなる。
目盛りがあれば比較もしやすい。
それでも正確な体積を出すには、基準となる量が必要になる。
一つ調べようとすると、別の道具が必要になる。
その道具を使うには、また別の基準が必要になる。
前世では当たり前に使っていた測定器具が、どれだけ多くの積み重ねの上に成り立っていたのか。
クロードは今さらながら思い知らされた。
「何をしているの?」
背後から声がした。
振り向くと、エリスが立っていた。
その視線が水の入った容器と二つの石、それから天秤を順番に見る。
「……石を調べてる」
「それは見れば何となく分かるわ」
エリスが笑った。
「何を知りたいの?」
「この二つが同じ石か知りたい」
クロードが見せると、エリスは二つを見比べた。
「似ているわね」
「でも少し違う」
「そうね」
「だから重さを量った。でも大きさが違うから、それだけじゃ分からない」
「それで水?」
「うん。石を入れたら、石の大きさの分だけ水が上がるから」
エリスが少しだけ目を見開いた。
クロードはそれに気づかず続けた。
「でもどれくらい上がったか分からない。細くて、線が書いてある容器があればいいんだけど」
「そんなものがあるの?」
「……あったらいいなって」
危ない。
前世の知識を当然のように話しすぎた。
クロードは口を閉じた。
エリスはしばらく容器を眺めていたが、それ以上追及しなかった。
「だったら、作ってもらえるか聞いてみたら?」
「作れる?」
「私は分からないわ。でも職人なら、クロードより詳しいでしょう?」
その言葉にクロードは目を瞬いた。
自分一人で何とかすることばかり考えていた。
だが、この世界には職人がいる。
前世でも同じだった。
製鉄所は一人では動かない。
設備を扱う者がいて、整備する者がいて、分析する者がいて、それぞれが自分の仕事を持っている。
知らないことを知っている人間に聞く。
本を読み始めてから何度もそうしてきたはずなのに、自分一人で考えることに夢中になって、いつの間にか忘れていた。
「聞きたい」
「今日はもう遅いから、また今度ね」
「うん」
今度は素直に頷いた。
その夜、クロードは部屋へ戻ると木箱から石を一つずつ取り出した。
並べてみる。
白いもの。
黒いもの。
赤みを帯びたもの。
粒が大きいもの。
細かなもの。
光を反射するもの。
どれも今のクロードには名前すら分からない。
その中に、この世界にしか存在しない鉱物が混ざっている可能性だってある。
クロードは一つを手に取った。
《鉱物生成》。
イリシアから与えられたGift。
理解していないものは作れない。
あのときは面白い制約だと思った。
今もその考えは変わらない。
むしろ以前より、その意味が分かってきた気がする。
鉱物の名前を知れば作れる、という話ではないのだろう。
少なくともクロードは、そう考えていた。
何でできているのか。
どんな構造なのか。
どれくらい硬いのか。
熱を加えればどうなるのか。
電気を通すのか。
魔力にはどう反応するのか。
もし本当に理解する必要があるのなら、知らなければならないことはいくらでもある。
そして今の自分には、その入口に立つための道具すら足りない。
「……面白いな」
思わず笑った。
簡単ではない。
だからこそいい。
翌日、クロードは再び庭へ出た。
昨日と同じ場所を歩きながら、地面を見ていく。
すると少し離れたところに、黒っぽい石が落ちていた。
拾い上げる。
見たことがない。
少し重い気がする。
表面には僅かに光る部分がある。
クロードはすぐに木箱へ持ち帰ろうとして、足を止めた。
箱はもういっぱいだった。
「……」
昨日エリスと交わした約束を思い出す。
新しいものを入れるなら、一つ返さなければならない。
クロードはしばらく黒い石を見つめた。
それから部屋へ戻り、木箱の前に座る。
どれを返すか。
一つずつ見比べた。
最終的に、庭でよく見かける灰色の石を選んだ。
けれど捨てる前に少し考え、紙を取り出した。
まだ上手とは言えない文字で、石の特徴を書く。
灰色。
白い粒。
黒い粒。
庭の東側に多い。
爪では傷がつかない。
そこまで書いてから、クロードは石を庭へ戻した。
手元からなくなっても、調べたことまでなくなる必要はない。
部屋へ戻り、新しく拾った黒い石を箱へ入れる。
その横に紙を置いた。
クロードは箱の中を眺めた。
昨日まで、ここに入っているのは石だった。
今は少し違って見える。
一つ一つに、どこで拾ったのか。
どんな色なのか。
どれくらい重いのか。
何が分かっていて、何が分からないのか。
それを残していけばいい。
分からないものを、分からないまま放っておかないために。
クロードは新しい紙を取り出した。
一番上に、覚えたばかりの文字で題を書く。
『石の記録』
少し曲がった。
書き直そうか迷ったが、そのまま残した。
これも最初の一枚だ。
いつか見返せば、自分がどこから始めたのか分かる。
最初から正しくなくてもいい。
測れないなら、測る方法を考える。
道具がないなら、作れる人を探す。
分からなければ、記録して次につなげる。
そして間違っていたら直せばいい。
クロードは黒い石を手に取り、最初の記録を書き始めた。
まだ、その正体は分からない。
だからこそ、知る価値があった。




