雷の先輩
クロードは、地面に残った黒い跡をじっと見ていた。
一度目は手元で弾けて消えた。
二度目は手元を離れ、斜め下へ走って地面に落ちた。
同じように《丸くする》を試したつもりだったのに、結果は違う。
少し位置を変えて見ても、黒くなった地面から分かるのは、雷がここまで届いたということだけだった。
一度目と二度目は、どこまで同じだったのか。
二度目だけ少し先まで進んでいたのか。
それとも、もっと前から何かが違っていたのか。
「クロード」
後ろから声がした。
クロードはまだ黒い跡を見ていた。
「クロード」
今度はさっきより近い。
顔を上げると、ノーゼスが立っていた。
「次の授業あるぞ」
「もう?」
「もう」
クロードはもう一度地面へ視線を戻した。
「あと少し」
「何か分かった?」
「分からない」
「じゃあ行こう」
「もう少し見たら分かるかもしれない」
「遅れたら俺まで怒られるだろ」
袖を引かれ、クロードはようやく立ち上がった。
歩き出してから一度だけ振り返ったが、黒い跡は変わらずそこに残っていた。
◇
次の授業は、マーサ・ミレナインの世界史だった。
クロードは教本を開き、黒板へ目を向けていた。
けれど少し気を抜くと、頭の中にはさっきの実習が戻ってくる。
《丸くする》ことはできなかった。
一度目は手元で消え、二度目は地面へ落ちた。
次に同じことをしても、どこへ雷が走るか分からない。
ガンザスが止めた理由は分かる。
だから勝手に試すこともできない。
それでも、できないままでは困る。
魔法実技のテストで一定以上の評価を取れば、学園内で魔法を使うための許可証がもらえる。
許可証がなければ、授業以外で魔法を使うことはできない。
どんな試験なのかはまだ知らないし、《丸くする》がそのまま試験になるとも聞いていない。
それでも、授業で習っていることができないままで大丈夫なのかは気になった。
「クロード」
横から小さな声がして、クロードは顔を向けた。
ノーゼスが教本を指している。
「そこ、もう終わった」
「え?」
自分の開いている頁を見ると、マーサが説明しているところより二頁前だった。
「……いつの間に」
「だいぶ前」
クロードは慌てて頁をめくった。
ちょうどマーサに指名されたリーゼ・シュトラールが立ち上がり、教本の続きを読み始める。
頁にはいくつもの年代が並んでいた。
数十年前。
百年以上前。
さらに古い時代の出来事も書かれている。
クロードはその数字を目で追った。
ずっと昔のことまで、こうして記録として残っている。
そこで、ふと鉛筆が止まった。
王立学園にも長い歴史がある。
雷属性は珍しい。
今は自分以外に雷属性の生徒はいないし、教師にもいない。
けれど、この学園ができてから今まで、本当に一人もいなかったのだろうか。
「……昔はいたはず」
「何が?」
ノーゼスが小声で聞いた。
「雷属性」
「この学園に?」
「うん」
ノーゼスは少し考えた。
「いたんじゃない?」
「だよね」
「知らないけど」
「あとで先生に聞いてみる」
「今は世界史」
クロードは教本へ目を戻した。
今度は頁を間違えないようにマーサの話を追ったが、昔の雷属性という言葉は頭の片隅に残ったままだった。
◇
放課後になると、クロードはマーサを探した。
教室を出ようとしていたところで追いつき、声をかける。
「マーサ先生」
「はい。どうしました?」
「昔、この学園に雷属性の生徒っていましたか?」
マーサは少し考えた。
「すみません。そこまでは分かりません」
「そうですか」
「マリシア先生なら知っているかもしれませんね」
「聞いてみます」
クロードは礼を言い、そのままマリシア・アズノルスを探した。
しばらくして廊下を歩いている姿を見つけ、急いで近づく。
「マリシア先生」
マリシアが足を止めた。
「何ですか?」
「昔、この学園に雷属性の生徒っていましたか?」
マリシアはすぐには答えなかった。
少し考えてから、クロードを見る。
「記憶では、いたはずです」
「本当ですか?」
「何十年も前のことです。確認してから答えます」
そう言うと、マリシアは職員室へ向かった。
クロードもあとについていき、入口近くで待つ。
マリシアは奥の書棚から古い記録を何冊か取り出し、一冊ずつ確かめ始めた。
しばらくして、その手が止まった。
「いました」
クロードはすぐに近づいた。
開かれた頁には、何十年も前に王立学園へ在籍していた生徒たちの名前が並んでいる。
マリシアの指が、その中の一つを示した。
リフィケル・スラクティア。
名前の横には、雷属性であることも記されていた。
「リフィケル・スラクティア……」
クロードは小さく名前を読んだ。
本当にいた。
今の自分と同じ雷属性の生徒が、何十年も前にこの学園で学んでいた。
「この人、卒業してますか?」
「待ってください」
マリシアは別の記録を開いた。
頁を順に追い、もう一度その手が止まる。
「卒業しています」
そこにも、リフィケル・スラクティアの名前があった。
「卒業してる……」
「はい」
クロードは二つの記録を見比べた。
雷属性だった。
そして、この学園を卒業している。
「どうやって実技をやってたんですか?」
「この記録からは分かりません」
「試験のことも?」
「分かりません」
マリシアは余計なことを加えず、記録を閉じた。
クロードはもう一度、リフィケル・スラクティアの名前を見る。
卒業したことまでは分かった。
それなら、その年の卒業アルバムや卒業文集も残っているかもしれない。
「昔の卒業アルバムとか、卒業文集ってありますか?」
「図書館に保管されています」
「見てきます」
クロードは頭を下げ、職員室を出た。
◇
図書館へ入ると、クロードはムリヌ・ファルテスを探した。
本棚の間を歩いていたムリヌを見つけ、すぐに声をかける。
「ムリヌさん」
「はい」
「何十年も前の卒業アルバムと卒業文集を見たいです」
「年代は分かりますか?」
クロードはさっき確認した年を伝えた。
ムリヌは少し考え、一つ頷いた。
「あります」
そのまま本棚の奥へ向かい、しばらくして二冊を抱えて戻ってくる。
クロードはまず卒業アルバムを開いた。
頁をめくっていくと、やがて見覚えのある名前が現れた。
リフィケル・スラクティア。
職員室で見た名前と同じだった。
卒業アルバムには属性は書かれていない。
ただ、その年に王立学園を卒業した一人として名前が残っている。
クロードは少しの間そこを見てから、今度は卒業文集を開いた。
頁を追い、リフィケル・スラクティアの名前を見つける。
すぐに文章を読み始めた。
学園で過ごした日々について書かれている。
その中に、雷属性だったことで実技にはずいぶん苦労したという一文があった。
失敗することも多かったらしい。
クロードの読む速度が少し上がる。
けれど、その先に続いていたのは同級生との思い出だった。
授業のこと。
食堂で過ごした時間。
卒業するのが少し寂しいこと。
そして、学園で過ごした日々を忘れないという言葉で文章は終わっていた。
クロードは頁を戻した。
もう一度読む。
雷属性。
実技。
苦労。
失敗。
そこまではある。
でも、そのあとどうしたのかがない。
「……ない」
ムリヌがクロードを見る。
「何がですか?」
「どうやったのか」
クロードは文集を指した。
「実技で苦労したことは書いてあります。失敗したことも。でも、そのあとどうしたのかが書いてないです」
「ありませんね」
「試験のこともない」
「はい」
「一番知りたいのに」
ムリヌは文集へ目を落とした。
「卒業文集ですから」
クロードは黙った。
もっともだった。
これは実技の報告書ではない。
卒業する時に、自分が過ごした学園生活を振り返って書いた文章だ。
欲しいことが書かれていない方がおかしいわけではない。
クロードは卒業アルバムへ視線を移した。
リフィケル・スラクティア。
雷属性だったことは公式の記録で確認した。
卒業したことも確認した。
文集には、実技で苦労したことまで残っている。
それでも、どうやって先へ進んだのかだけは分からない。
「……どうやったんだろう」
クロードは小さく呟いた。
その答えは、どこにも書かれていなかった。
◇
夜。
クロードは自室の机に座り、ノートを開いた。
今日は書くことが多かった。
けれど、起きた順番に書き始めることはしなかった。
頁の上に、
『確認できたこと』
と書く。
その下へ、今日分かった事実を一つずつ並べていく。
『雷は《丸くする》途中で放電しやすい』
『一回目 → 手元で消えた』
『二回目 → 手元を離れて地面まで届いた』
『黒い跡が残った』
少し間を空ける。
『昔、王立学園に雷属性の生徒がいた』
『リフィケル・スラクティア』
『雷属性』
『王立学園を卒業』
『実技では苦労していた』
そこまで書くと、その下に一本線を引いた。
次に、
『まだ分からないこと』
と書く。
『一回目と二回目は、どこから違った?』
『なぜ二回目だけ地面まで届いた?』
『リフィケル・スラクティアは、どうやって実技を進めた?』
『どうやって試験を通った?』
最後の一行を書いたところで、鉛筆が止まった。
何十年も前と今とでは、授業の内容も試験の方法も違うかもしれない。
卒業したからといって、自分と同じ条件だったとは限らない。
そこは分けて考えた方がいい。
少し下へ、
『確認したいこと』
と書く。
『今の魔法実技テストでは何をする?』
『《丸くする》ができない場合、許可証に影響する?』
『昔と今で、実技の試験は同じ?』
クロードは三つを見比べた。
許可証が取れないと決まったわけではない。
試験の内容もまだ知らない。
分からないことを、分かったことの中へ混ぜるわけにはいかない。
別の場所には、朝の魔法基礎で気になったこともまとめる。
『土 → 残るために《留める》は必要ない』
『雷 → 教本には《留める》がない』
『理由はまだ分からない』
『発行元へ確認』
その横に小さく丸をつける。
こちらも、まだ答えはない。
クロードは今日書いた頁を最初から見直した。
《丸くする》。
黒い跡。
許可証。
昔の雷属性。
リフィケル・スラクティア。
分かったことは増えた。
分からないことも増えた。
それでも、今日までは知らなかったことが一つある。
ずっと昔、自分と同じように雷属性で実技に苦労しながら、この学園で学んでいた人がいた。
そして、その名前は卒業した者の中に残っている。
クロードは『リフィケル・スラクティア』の文字をもう一度見た。
その下に少しだけ間を空ける。
それから頁の一番下へ鉛筆を置いた。
『どうやって?』
書いたあとも、クロードはしばらくその一行を見ていた。




