丸くする
翌日の授業では、昨日まで使っていた魔力板の代わりに魔法基礎の教本が机の上に開かれていた。
ページには指の組み方や動かし方が図で示され、その横に短い説明が添えられている。
「今日から《印》を使った魔法に入ります」
ナターシャは教壇の前から教室を見渡した。
「最初に扱うのは《丸くする》と《放つ》です。《放つ》は入学前から知っている人も多いと思いますが、一度、自分の属性の《印》を確認してください」
教室のあちこちでページをめくる音が重なった。
クロードも《放つ》の項目を開く。
五歳の頃、父から教わった《印》と同じものが載っていた。
その前にある《丸くする》は初めて見る。
「先生」
エクリアが手を挙げた。
「二つ属性がある場合は、両方覚えるんですか?」
何人かが顔を上げた。
「二つ?」
近くの席から声がした。
「水と風よ」
エクリアが答えると、小さなざわめきが広がった。
「両方使うのであれば、両方覚えてください」
ナターシャが答える。
「同じ《丸くする》でも、《印》は属性ごとに違います」
エクリアは水のページを開いたあと、風のページへ移った。
クロードも自分の雷属性を開き、そこから少し戻って風、水、土と見比べていく。
火、水、風、土、光、闇、雷。
どのページにも《丸くする》と書かれているのに、指の組み方も途中の動きも同じではなかった。
「なんで全部違うんですか?」
今度は別のところから声が上がった。
「属性によって、形にするまでのやり方が違うからです」
ナターシャは教本を開いた。
「水、土、光は比較的まとまりやすいですね。火は少し難しくなります」
「土は簡単なんですか?」
ノーゼスが自分のページを見ながら尋ねた。
「《丸くする》だけなら、比較的やりやすいということです」
「じゃあ風は?」
別の生徒が聞く。
「風は集めるだけではまとまりません。渦を作ってください」
エクリアが水と風のページをもう一度見比べた。
「水と全然違う……」
「実際にやると、もっと分かると思いますよ」
ナターシャがそう返すと、エクリアは風属性の《印》を指でなぞった。
「雷は?」
クロードが聞いた。
「雷はかなり難しいです。形を作っている途中で放電してしまうことが多いので」
「放電?」
ノーゼスがクロードを見る。
「手元から出ちゃうってことですか?」
「そうなることが多いですね」
クロードは雷属性の《印》を見る。
《放つ》なら知っている。
方向を決めて外へ出すこともできる。
今度はそれを手元に集めるらしい。
ページを先へ進めながら、以前父が使っていた別の《印》を思い出した。
「先生、《留める》もありますよね?」
「あります」
ナターシャが答える。
「ただ、属性によっては使いません」
その言葉を聞いて、ノーゼスが教本をめくった。
「先生、土にはないです」
「土には必要ありません」
「なんで?」
「土は物として発現しますから。形を作ったあとも、そのまま残ります」
ノーゼスが自分の教本を見る。
「じゃあ、残すために《留める》必要がないんだ」
「そうですね」
クロードも雷属性のページを先へ進めた。
《丸くする》。
《放つ》。
さらにめくる。
「雷にもない」
ナターシャも雷属性の項目を確認した。
「この教本には載っていませんね」
「雷も必要ないんですか?」
「それは分かりません」
ナターシャは教本から顔を上げた。
「分かるのは、ここには載っていないということだけです」
「どうして載ってないんですか?」
「それも、この教本だけでは分かりません」
少し離れた席から声が上がった。
「作ったところに聞けないんですか?」
ナターシャが少し考え、教本の巻末を開いた。
「発行元は載っていますね」
それを聞いて何人かが同じように巻末を開く。
クロードもページを送った。
発行会社の名前と所在地が記されている。
「手紙を出せばいいんですか?」
「問い合わせるなら、そうなります」
「返事来るかな」
誰かが呟いた。
「それは出してみないと分かりませんね」
そのとき、魔道の鐘が鳴った。
教室の空気が緩み、教本を閉じる音や椅子を動かす音が重なり始める。
「次は実習場へ移動します。《丸くする》のページは、もう一度確認しておいてください」
ナターシャの声を聞きながら、クロードは雷属性のページを閉じた。
巻末を一度見てから教本を鞄へしまう。
手紙、あとで出さなきゃ。
そう思いながら席を立った。
◇
次の時間、クラスは魔法実習場へ移動した。
広い地面の向こうにはいくつもの的が並んでいる。
集まった生徒たちの前で、ガンザスがその的を指した。
「先に言っとくぞー。今日は《丸くする》までだ。《放つ》を知ってる奴も、まだあれには撃つなよ」
何人かが笑った。
「撃ちたくなるのは分かるけどな。今日は我慢しろ」
ガンザスも少し笑い、生徒たちの間隔を見て回る。
「二属性ある奴は一つずつな。同時にやるなよー」
いくつかの視線がエクリアへ向いた。
エクリアは水属性のページを確認してから、自分の場所へ移動する。
「よし、始めろ」
一斉に《印》が組まれた。
ノーゼスの手元には細かな土が集まり始める。
少し離れた場所では水が揺れ、淡い光が浮かび、火がまとまりかけて崩れた。
風属性の生徒の手元では空気が回っている。
エクリアの手元にも水が集まった。
揺れていた水が少しずつまとまり、形を作っていく。
「おお……」
誰かが小さく声を漏らした。
エクリアは水をしばらく保ったあと、それを解いた。
次に開いたのは風属性のページだった。
またいくつかの顔がそちらを向く。
今度は違う《印》を組む。
空気が動き始める。
風が集まり、その場で回る。
水のときより時間が掛かった。
渦が大きく揺れ、そのままほどける。
エクリアは一度手を下ろし、教本を見直した。
「風はまず渦だー。形はそのあとでいい」
少し離れた場所からガンザスの声が飛ぶ。
エクリアはもう一度《印》を組んだ。
クロードも自分の手へ目を戻した。
雷属性の《印》を組む。
魔力を動かし、手元へ集める。
細い雷が現れた。
いくつもの光が不規則に走る。
それを《印》に従ってまとめようとする。
少し近づいた。
もう少し。
バチッ。
鋭い音が実習場に響いた。
「うわっ!」
近くにいた生徒が反射的に身を引いた。
雷はもう消えている。
「動くな」
ガンザスの声が飛んだ。
すぐにクロードのところまで来る。
「手を見せろ」
クロードが両手を出す。
ガンザスは手を確認し、腕、足元、周囲へと視線を移した。
「痛いところは?」
「ありません」
「今のは《丸くする》だな?」
「はい」
ガンザスが周囲を見る。
「近くの奴、一回離れろ」
ノーゼスが下がった。
エクリアも《印》を解き、距離を取る。
周囲にいた生徒たちも次々と動き、クロードの周りだけが大きく空いた。
「お前ら、そこまで離れなくてもいいぞー」
「また飛んできたら嫌です」
どこかから声が返った。
「まあ、それはそうだな」
クロードが周囲を見る。
「先生、もう一回やりますか?」
「まだだ」
ガンザスが地面へ手を向けた。
土が盛り上がる。
そのまま厚みを増し、クロードと他の生徒たちとの間に壁が立った。
ガンザスは位置を変え、必要なところへさらに土を動かしていく。
やがて手を下ろした。
「先生、土属性なんですね」
「ああ」
クロードはできあがった壁を見る。
「これで大丈夫ですか?」
「大丈夫とは言ってないぞ」
ガンザスも周囲を見回した。
「今できることを増やしただけだ」
壁を軽く叩く。
「減らせる危険は先に減らす。そのあとで試す」
ガンザスは他の生徒たちへ振り返った。
「お前らは続けていいぞー。ただし、こっちには入るな」
生徒たちはそれぞれの場所へ戻っていった。
ノーゼスも途中だった土のところへ戻る。
一度壁を見てからクロードを見る。
「すごいの出来たな」
「僕が作ったんじゃないよ」
「知ってる」
ノーゼスは笑って自分の場所へ戻った。
ガンザスはクロードの前に残る。
「もう一度だけやってみる。今度は俺が見てるところでな」
「はい」
クロードはもう一度《印》を組んだ。
魔力を動かし、手元へ集める。
細い雷が現れる。
さっきと同じように形を作ろうとする。
まだ残っている。
少し近づく。
もう少し。
バヂッ。
雷が手元から外れた。
今度は消えなかった。
斜め下へ走り、乾いた音とともに地面へ落ちる。
ガンザスは雷が落ちた場所を見る。
「……地面に行ったな」
「はい」
「手は?」
「大丈夫です」
クロードも地面を見る。
黒い跡が残っている。
一回目は途中で消えた。
二回目は地面へ落ちた。
「先生」
「なんだ?」
「一回目と二回目、同じところまでできてましたか?」
「分からん」
クロードが顔を上げる。
「見てても?」
「分からんものは分からん」
ガンザスは黒い跡へ目を向けたまま答えた。
クロードもそこを見る。
「もう一回やったら――」
「今日はここまで」
「どうしてですか?」
「次がどこへ飛ぶか分からない」
ガンザスは土壁を軽く叩いた。
「これは何回でも試すために作った壁じゃない」
クロードは壁を見る。
「……分かりました」
「よし。しばらく見学だ」
ガンザスはそれだけ言うと、別の生徒のところへ歩いていった。
土壁はその場に残った。
壁の向こうでは授業が続いている。
ノーゼスの土はさっきより形を保っていた。
エクリアは風の《印》を組み直している。
少し離れた場所では火が崩れ、別の場所では水がまとまった。
クロードはしばらくその様子を見ていた。
それから自分の手へ目を落とす。
何も残っていない。
少し離れた地面には、黒い跡が残っていた。
「先生」
「なんだー?」
別の生徒を見ていたガンザスの声が返ってくる。
「実習が終わったら、あそこ見てもいいですか?」
ガンザスも黒い跡を見る。
「ああ。終わってからな」
「はい」
クロードはもう一度、地面へ目を向けた。




