昼休み
三限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
ナターシャが教室を出ていくと、あちこちで椅子の動く音がして話し声が広がった。
クロードは机の上に置かれた二枚の魔法反応板を見る。
一枚ずつならできた。
二枚へ同時に流すこともできた。
片方だけを止めることもできた。
けれど同じようにやったつもりでも、両方とも止まることがあった。
「クロード、飯行こうぜ」
顔を上げるとノーゼスが立っていた。
「ああ」
クロードは二枚の板を片づけて席を立った。
エクリアもすでに待っている。
三人で教室を出ると、廊下には食堂へ向かう生徒たちが溢れていた。
前を歩いていた生徒が友人を見つけて声を上げ、その横を別の生徒が走っていく。
「廊下を走るな!」
教師の声が飛んだ。
走っていた生徒が急に歩き始める。
「絶対また走るぞ」
ノーゼスが言った。
「怒られたばかりなのに?」
「先生がいなくなったらな」
「それじゃ意味ないでしょ」
「見つからなきゃ怒られないだろ」
「そういう問題じゃないと思うけど」
二人の声を聞きながらクロードは階段を下りた。
右だけを止めた時、左には何をしていた。
流し続けようとしていたのか。
それとも右を止めることだけに意識が向いていたのか。
「クロード」
「ん?」
「また考えてたでしょ」
エクリアがこちらを見ていた。
「なんで分かった?」
「顔」
「顔?」
エクリアが眉を寄せてみせる。
「そんな顔してないよ」
「してる」
「してるな」
ノーゼスまで頷いた。
「二人とも人の顔見すぎじゃない?」
「クロードが分かりやすいんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
納得できないまま食堂へ入った。
昼時の食堂にはいくつもの話し声が重なり、料理を受け取る生徒たちの列ができている。
三人も料理を受け取り、空いている席へ向かった。
「腹減った」
席につくなりノーゼスが食べ始める。
「今日はいつもより減ってない?」
エクリアも料理に手をつけた。
「そうか?」
「午前中ずっと魔力を動かしてたからかな」
「魔力使うと腹減るのか?」
「知らない」
「じゃあなんで言ったんだよ」
「そうなのかなって思っただけ」
クロードも食べ始めた。
言われてみれば、いつもより腹が減っている気もする。
「お前まで考えるなよ」
「何も言ってないだろ」
「顔に出てる」
「また?」
「また」
エクリアが笑った。
「そんなに?」
「そんなに」
二人に揃って言われ、クロードは食事を続けた。
「それでさ、さっき廊下にいたやつ」
ノーゼスが言った。
「走ってた人?」
「そう。あいつ昨日も――」
エクリアが呆れた顔をして、クロードも途中で口を挟む。
ノーゼスの話が終わる前に別の話が始まり、そこからまた違う話へ移っていく。
クロードは食べながら二人の話を聞いていた。
右を止める。
左へ流す。
両方を別々に意識した時はできた。
両方とも止まった時は――。
「それで俺はこっちの方がいいと思うんだよ」
「私はあっちかな」
「なんでだよ」
「だって――」
右を止めた時、左は――。
「なあ、クロード」
「…………」
「クロード?」
「…………」
「おい、聞いているのか?」
「え?」
顔を上げるとノーゼスがこちらを見ていた。
「聞いてねえじゃん!」
「ごめん。何?」
「さっきから話してただろ」
「途中までは聞いてたよ」
「じゃあ何の話してた?」
「…………」
「聞いてねえじゃん!」
エクリアが吹き出した。
「なんで笑ってんだよ」
「いつ気づくかなって思って」
「分かってたなら言えよ!」
「だって全然気づかないんだもん」
「俺で遊ぶなよ」
クロードも笑った。
「俺もごめん」
「で、何考えてたんだよ」
「三限目のこと」
「まだ考えてたのか?」
「気になるんだよ」
「何が?」
「二枚の板」
クロードは食事を続けながらノーゼスを見る。
「片方だけ止めようとして、両方止まった時あっただろ?」
「あったな」
「あの時、止めなかった方に何してた?」
「何って……流してただろ」
「流してたって分かってた?」
「…………」
ノーゼスの手が止まった。
「なんだよ、それ」
「俺も分からないから聞いてる」
「急に言われても覚えてねえよ」
ノーゼスはしばらく考えていたが、やがて食事へ戻った。
「俺はそれより一限目の方が分かんなかったけどな」
「一限目?」
「最初に板を光らせた時だよ。光ったのに、流した感じが分からなかっただろ」
「ああ」
「今は最初より分かるけど」
「何が変わった?」
「知らねえよ」
「でも今は分かるんだろ?」
「だから、最初よりは――」
ノーゼスがクロードの前を指した。
「食え」
「え?」
「飯」
見ると手が止まっていた。
「冷めるよ」
エクリアにも言われ、クロードは食事を再開する。
「食べてるよ」
「止まってたじゃない」
「考えてただけ」
「考えながら食えよ」
「それやったらノーゼスの話を聞いてなかっただろ」
「じゃあ考えるな!」
エクリアが笑った。
クロードも笑いながら一口食べる。
「エクリアは?」
「何が?」
「一限目。最初から流してるって分かった?」
「私は流したつもりだったけど、最初は板が光らなかった」
「逆だ」
「何が?」
「ノーゼスと」
「俺?」
「ノーゼスは板が光ったのに、自分では流したって分からなかった。エクリアは流したと思ったのに板が光らなかった」
「……ああ」
ノーゼスが頷いた。
「逆だな」
「私はあまり嬉しくないけど」
「でもそのあとできただろ?」
「できたけど」
「じゃあいいじゃん」
「ノーゼスだって自分で分かるようになったんでしょ?」
「俺は最初から光ってた」
「分かってなかったんでしょ?」
「…………」
クロードは笑った。
「なんだよ」
「いや」
「今日よく笑うな」
「ノーゼスが面白いから」
「俺のせいかよ」
食事を続けていると、ノーゼスがさっきの話をまた最初から始めた。
「今度は聞けよ」
「聞いてるよ」
「絶対だぞ」
「だから聞いてるって」
今度は最後まで聞いた。
途中でエクリアが近くの席へ目を向ける。
「おい」
「何?」
「聞いてたか?」
「聞いてたよ」
「じゃあ今なんて言った?」
「…………」
「お前も聞いてねえじゃん!」
「ちょっと別のところ見てただけ」
「クロードと同じじゃねえか!」
「違う」
「何が違うんだよ」
「違うものは違うの」
「それじゃ分かんねえよ!」
三人で笑った。
食べ終えて食器を返し、教室へ戻る。
席を寄せて話している者もいれば、教本を開いている者もいた。
「あれ? なんだってねー」
「午前中やっただろ」
「やったのは覚えてるって。名前が出てこないんだよ」
「それ覚えてないって言うんじゃない?」
笑い声を横に聞きながらクロードは席についた。
鞄からノートを出す。
「やっぱり書くのかよ」
「忘れる前に」
「飯食ってる時の話?」
「うん」
午前中の記録を開き、鉛筆を持つ。
『ノーゼス――板は光った。でも最初は自分で流した感覚が分からなかった』
『エクリア――流したつもりだった。でも最初は板が光らなかった』
「名前まで書くの?」
ノーゼスが横から覗き込んでいる。
「あとで誰の話か分からなくなるだろ」
「俺たちしかいないじゃん」
「今はね」
「細けえな」
クロードは二つの記録を見た。
『できたことと、自分でできたと分かることは同じじゃない?』
「また疑問にしてる」
エクリアも覗き込んできた。
「まだ分からないから」
「先生に聞けばいいじゃん」
「聞くかもしれないけど、その前に自分でも考えたい」
「なんで?」
「その方が面白いから」
「変なの」
「ノーゼスに言われたくない」
「俺のどこが変なんだよ」
「いっぱいある」
「例えば?」
「今考える」
「今考えるな」
エクリアが吹き出した。
「二人とも静かにしてよ」
「エクリアも笑ってるだろ」
「私は笑ってるだけ」
「同じだろ」
クロードは三限目の記録へ目を戻した。
『俺――片方だけ止めようとして、両方とも止まったことがある』
「それ、私もあった」
鉛筆が止まった。
「本当?」
「一回だけ」
『エクリアにも一度あった』
「また書いた」
「同じだったから」
「じゃあ俺は?」
「ノーゼスもあった?」
「あった気がする」
「気がする?」
「たぶん」
「じゃあ書けない」
「なんでだよ」
「本当にあったか分からないだろ」
「細けえな!」
エクリアはノートを見たまま首を傾げた。
「でも、私とクロードも本当に同じだったのかな」
「どういうこと?」
「両方止まったのは同じだけど、同じことをしたから止まったのかは分からないでしょ?」
クロードは今書いた二行を見る。
『起きたことが同じでも、同じ理由とは限らない?』
「増えたな」
「何が?」
「分からないこと」
クロードはノートを見る。
「増えたね」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「面白いから」
「やっぱ変だろ」
「だからノーゼスに言われたくないって」
「俺は普通だ」
「自分で言う?」
「言うだろ」
「言わないよ」
「言う」
「言わない」
「どっちでもいいよ」
エクリアに言われて二人とも黙った。
少しして三人で笑った。
クロードはふと顔を上げた。
教室には午前中、同じように二枚の板を持っていた生徒たちがいる。
ノートへ目を戻す。
『三人ではこうだった。他の人は分からない』
「聞かないの?」
エクリアが言った。
「何を?」
「みんなのこと」
「……なんで分かった?」
「見てたから」
「俺を?」
「うん」
「やっぱり人のこと見すぎじゃない?」
「クロードが分かりやすいの」
「そうかな」
「分かりやすい」
「分かりやすいな」
ノーゼスまで頷いた。
「ノーゼスには言われたくない」
「今日それ何回目だよ」
「そういえば試験」
ノーゼスが言った。
エクリアが振り向く。
「忘れてたの?」
「忘れてねえよ」
「今思い出した顔だったけど」
「違うって」
「あ、来た」
誰かの声がして教室の前へ目を向ける。
ナターシャが紙の束を手に入ってきた。
「やば」
「まだ見てない」
「何を?」
「午前中のやつ」
「今からじゃ遅くない?」
あちこちから声が上がり、教室の中が動き始める。
クロードもノートを閉じて鞄へしまった。
「結局、何も見てねえ」
ノーゼスが言った。
「いっぱい見てただろ」
「試験の勉強だよ」
「午前中にやったじゃん」
「それで全部覚えてたら苦労しねえよ」
ノーゼスが自分の席へ戻っていく。
エクリアも戻りかけて、クロードの鞄を見る。
「また増えたね」
「うん」
「試験で減るかな」
「どうだろう」
エクリアが笑って自分の席へ戻った。
四限目の始まりを告げる魔導の鐘が鳴った。




