2枚になっただけ
三限目の始まりを告げる魔導の鐘が鳴り、クロードは開いていたノートを閉じた。
一限目から使っている金属板を机の上へ出す。
二限目が終わってから少し休んだはずなのに、さっきまで何度も魔力を流したり止めたりしていたせいか、まだ手のひらに板の感触が残っているような気がした。
隣ではノーゼスが自分の手を握ったり開いたりしている。
「どうしたの?」
「いや、別に」
ノーゼスはそう言ってから、机の上の金属板を見る。
「三限目もこれ使うのかなって」
「今日ずっと魔法基礎だし、使うんじゃない?」
「また光らせて消すのか?」
「今度はもっと速くとか?」
クロードが言うと、前の席からエクリアが振り返った。
「速くすることが目的じゃないって、さっき先生が言ってたでしょう」
「分かってるよ」
「なら、もっと正確に?」
ノーゼスが聞く。
「それは私に聞かれても分からないわ」
三人で話しているところへナターシャが入ってきた。
教室の声が静まり、ナターシャは教壇へ持ってきたものを置く。
クロードはそれを見た。
金属板だった。
しかも一枚ではない。
一限目に配られた時と同じように、何枚も重ねられている。
「三限目も、引き続きこの金属を使います」
ナターシャは重ねた板を前の席へ渡した。
「一人一枚取って、後ろへ回してください」
クロードは少し首を傾げた。
もう一枚?
順番に回ってきた金属板を一枚取り、後ろへ渡す。
机の上には同じ板が二枚並んだ。
ノーゼスも二枚を見比べている。
「同じだよな?」
「たぶん」
クロードも一枚ずつ触ってみる。
見たところ違いはない。
「今配ったものも、先ほどまで使っていたものと同じです」
ナターシャが言った。
「三限目では二枚とも使います。まず一枚ずつ持ってください」
クロードは右手と左手に一枚ずつ持った。
両方ともひんやりとしている。
教室の全員が持ったことを確認してから、ナターシャが続ける。
「最初は右手に持った金属だけに魔力を流してください」
クロードは右手へ意識を向けた。
自分の魔力を感じ、動かして右手へ運び、その先へ流す。
右の板がぼんやりと光った。
左は光っていない。
止めると右の光が消えた。
「次は左です」
今度は左手へ魔力を流す。
左の板が光った。
右はそのままだ。
止める。消える。
ここまでは一枚でやっていた時とほとんど変わらなかった。
何度か左右を変えながら確認したあと、ナターシャが次の指示を出した。
「では今度は、両方へ魔力を流してください」
クロードは両手の板を見る。
両方。
右と左へ同時に流す。
やったことはない。
でも、魔力を流すこと自体は同じはずだ。
クロードは自分の魔力を感じた。
動かす。
そこから両手へ――
右の板が光った。
「あれ?」
左は光っていない。
クロードは両方へ流したつもりだった。
もう一度意識する。
右手へ流れている感覚はある。
左にも流そうとする。
すると左の板がぼんやりと光り始めた。
「光った」
両方が光っている。
できた。
そう思った直後、右の光が消えた。
「……あれ?」
今度は左だけが光っている。
クロードは眉を寄せた。
右へ意識を戻す。
右が光る。
すると左の光が弱くなり、そのまま消えた。
クロードは両手を見比べる。
一枚ずつならできる。
右も左も、それぞれなら問題なく流せる。
でも両方へ流そうとすると、片方へ意識を向けた時にもう片方が止まってしまう。
クロードはもう一度試した。
右へ流す。光る。そのまま左へも流そうとする。左が光り始める。
右もまだ光っている。
今度はいける。
クロードは両方の感覚を見ようとした。
右。左。二つとも――
右が消えた。
「難しい……」
思わず声が漏れる。
周りでも二枚の金属板が光ったり消えたりしていた。
両方が光っている机もあるが、すぐに片方が消れる。右だけを何度も光らせている者もいれば、二枚を見比べたまま動かない者もいる。
すぐ近くでノーゼスの声がした。
「なんでそっち消えるんだよ」
見ると、ノーゼスの右手の板だけが光っていた。
「両方に流してる?」
「流してるつもりなんだけど、左を光らせると右が消える」
「僕も」
「クロードも?」
「うん」
ノーゼスが少し安心したような顔をした。
「なら普通なのか?」
「普通かどうかは分からないよ」
「二人とも」
ナターシャの声が飛んでくる。
クロードとノーゼスは同時に前を向いた。
「今は自分の魔力を確認してください」
「はい」
「すみません」
クロードは両手へ視線を戻す。
できないなら、どうしてできないのかを見る。
右だけなら流せる。
左だけでも流せる。
問題は両方を同時に意識した時だった。
クロードは一度すべて止めた。
両方の光が消える。
もう一度、自分の魔力を感じる。
最初から両方へ流そうとせず、まず右へ流した。
右が光る。
その状態を保ったまま、左へ意識を向ける。
左にも流す。
左が光った。
まだ右も光っている。
そこでクロードは左だけを見ようとするのをやめた。
右へ流している感覚を残したまま、左にも流す。
両方が光っている。
さっきより長い。
クロードは息を止めそうになり、慌てて普通に息をする。
まだ光っている。
「……できてる?」
そう思った瞬間、左が消えた。
クロードは少しだけ肩を落とした。
それでも、さっきより長かった。
何が違ったんだろう。
もう一度。
右へ流す。その感覚を残したまま左へ流す。
両方が光る。
今度は右だけ、左だけと順番に確認しない。
二つとも同時に感じようとする。
うまくいかない。
右を見れば左が曖昧になり、左を見れば右が曖昧になる。
それでも何度か繰り返しているうちに、ほんの短い間なら両方へ流れていることが分かる時が出てきた。
ナターシャは教室を回りながら、それぞれの金属板を確認している。
両方を長く光らせている生徒のところでも立ち止まり、片方しか光っていない生徒のところでも同じように様子を見ていた。
しばらくして、ナターシャが教壇へ戻る。
「一度止めてください」
教室のあちこちに浮かんでいた光が消えていく。
クロードも両方への魔力を止めた。
「今、両方へ流せた人もいれば、片方だけだった人もいます。両方へ流せても、途中でどちらかが止まった人もいるでしょう」
クロードは両手の板を見る。
自分はそれだった。
「それで構いません。三限目も、できたかどうかだけを見る授業ではありません」
ナターシャは少し間を置いた。
「一枚ならできたことが、二枚になった時にどう変わったのか。それを確認してください」
クロードは右の板を見て、それから左を見る。
一枚ずつなら簡単だった。
二枚になっただけで、急に分からないことが増えた。
「では次です」
ナターシャが言う。
「もう一度、両方へ魔力を流してください」
クロードは二枚を持ち直した。
「両方が反応したら、その状態から右だけを止めます」
クロードは顔を上げた。
右だけ。
「左には流したままです」
教室のあちこちで、二枚の板を見比べる動きが起きた。
クロードも自分の両手を見る。
両方へ流すだけでも、まだ安定していない。
その状態から片方だけを止める。
できるだろうか。
「速さは必要ありません。まず自分ができるところから確認してください」
クロードは両手の板へ意識を戻した。
魔力を感じる。
右へ流す。その感覚を残したまま左へも流す。
二枚の金属板が、ぼんやりと淡い光を帯びた。
まずはここからだ。
クロードは右手へ流している魔力だけを止めようとした。
右の板から光が消える。
「できた」
左の板はまだ光っていた。
クロードは左手を見る。
流れている。
右だけを止めて、左には流したままにできた。
さっきまで両方を光らせ続けることに苦労していたのに、今は思った通りになっている。
もう一度やってみる。
右へ流す。左へも流す。二枚が光る。右だけ止める。
右が消え、左は光ったままだ。
今度もできた。
クロードは少し考えてから、止めていた右へもう一度流してみた。
右が光る。
二枚とも光った。
そのまま今度は左だけを止めようとする。
左が消えた。
右は――
「あれ?」
右も消えていた。
クロードは両手を見る。
左だけを止めたつもりだった。
もう一度試す。
両方へ流す。二枚が光る。左だけ止める。
今度は左が消え、右は光ったままだった。
「できた……」
さっきは何が違ったんだろう。
結果だけなら、今はできた。
けれど一度目は両方とも消えた。
クロードはもう一度両方へ流した。
左だけ止める。左が消える。右は残る。
もう一度。
今度もできた。
それでも、最初に両方が消えた理由は分からない。
二限目までなら、同じことを繰り返して感覚を比べれば少しずつ見えてきた。
でも今は右と左の両方を見なければならない。
どちらかだけを確かめようとすると、もう片方への意識が薄くなる。
クロードは一度魔力を止めた。
最初からやり直す。
両方へ流す。二枚が光る。右だけ止める。右が消える。右へもう一度流す。二枚が光る。左だけ止める。左が消える。左へ流す。二枚が光る。右だけ止める。右が消える。
できる。
でも繰り返していくと、途中でどちらへ流していて、どちらを止めたのかが少しずつ曖昧になる。
クロードはそこで手を止めた。
二限目と同じだった。
できるところまではできる。
そこから先へ進むと、自分でも分からなくなる。
なら、分かるところまで戻ればいい。
クロードは少し間を置いてから、もう一度始めた。
今度は急がない。
両方へ流す。二枚が光る。右だけ止める。右が消える。もう一度右へ流す。二枚が光る。左だけ止める。左が消える。
一つずつ確かめる。
何度か繰り返していると、少しずつ左右を切り替えることにも慣れてきた。
それでも一枚だけを使っていた時ほど簡単ではない。
「今度はいけた」
隣からノーゼスの声が聞こえた。
クロードは思わずそちらを見る。
ノーゼスの左手の板だけが光っている。
「右だけ止められた?」
「たぶん」
「またたぶん?」
「だって今のが本当に俺が止めたのか、勝手に消えたのか分からないんだよ」
クロードは少し笑った。
「それなら、もう一回やれば?」
「やってる」
ノーゼスが両方の板を見る。
右の板が光った。
二枚とも光る。
少しして左が消えた。
「違う、そっちじゃない」
「左を止めたかったの?」
「右」
「じゃあ逆だね」
「見れば分かるよ」
ノーゼスがむっとしたところで、前から小さな声がした。
「あなたたち、よく話しながらできるわね」
エクリアだった。
両手には金属板があり、右だけが光っている。
「エクリアはできた?」
クロードが聞く。
「右を止めるところまでは。でも、もう一度右へ流そうとすると左まで止まる時があるわ」
そう言って、エクリアは両方へ魔力を流した。
二枚が光る。
右が消える。
少しして右がもう一度光った瞬間、左の光が弱くなった。
エクリアの眉が寄る。
「今の」
左の板はそのまま消えた。
「やっぱり」
エクリアは二枚を見比べる。
「一つずつならできるのに」
クロードは自分の板を見た。
それは自分も同じだった。
「では、一度手を止めてください」
ナターシャの声が教室へ響いた。
クロードたちは魔力を止める。
「今度は少しやり方を変えます」
ナターシャは左右の手に一枚ずつ金属板を持った。
「右へ流してください。左には流しません」
クロードは右へ流す。
右だけが光る。
「次に、右を止めるのと同時に左へ流してください」
クロードは一瞬、ナターシャを見る。
同時に。
これまでは両方へ流した状態から片方を止めていた。
今度は右を止めながら、左へ流す。
「速く切り替えるという意味ではありません。止めることと流すことを、それぞれ意識してください」
クロードは両手を見る。
右は光っている。
左は光っていない。
右を止める。
それと同時に左へ流す。
右の光が消えた。
少し遅れて、左が光った。
クロードは首を傾げる。
同時ではなかった。
もう一度右へ戻す。
左を止め、右へ流す。
左が消える。
少しして右が光る。
やはり間が空いた。
もう一度。
今度は止めることと流すことを同時に意識しようとする。
右を止める。左へ流す。
右が消え、左が光る。
さっきより間は短い。
でも本当に同時だったかは分からない。
クロードは二枚の板を見た。
一枚だけなら、流したことも止めたことも分かるようになってきた。
両方を使うと、それぞれならできることでも途端に難しくなる。
まして一方を止めながら、もう一方へ流すとなると、自分が何をしたのかを追うだけでも大変だった。
「できない……」
どこかから声が聞こえた。
別のところからは「今できたかも」という声がする。
ナターシャはすぐには何も言わなかった。
教室を歩きながら、それぞれの板の反応を見ている。
クロードも繰り返した。
右から左へ。左から右へ。
最初は必ず少し間が空いた。
何度か続けているうちに、その間が短くなる時が出てくる。
けれど短くしようと意識すると、今度は止める前に反対側へ流してしまい、ほんの一瞬だけ両方が光ることがあった。
クロードはすぐにやめた。
速くすることが目的じゃない。
二限目で何度も言われたことだった。
右を止める。左へ流す。左を止める。右へ流す。
一つずつ意識する。
少し間が空いてもいい。
自分が何をしたのか分かる方を選ぶ。
そのまま何度も繰り返した。
やがてナターシャが教壇へ戻る。
「止めてください」
クロードは両方への魔力を止めた。
教室から淡い光が消えていく。
「一限目では、自分の魔力を動かし、触れている物へ流しました。二限目では、それを自分の意思で流し、止めることを繰り返しました」
ナターシャは両手に持っていた金属板を机へ置いた。
「三限目では、同じことを二つの対象に対して行ってもらいました」
クロードは机の上へ二枚を並べた。
「一枚ではできたことが、二枚になると難しくなった人もいるでしょう。両方へ流すことはできても、片方だけを止めるともう片方まで止まった人もいる。左右を切り替えようとして、どちらを操作しているのか分からなくなった人もいると思います」
クロードは自分の練習を思い返す。
全部あった。
「それは、一限目や二限目でできていたことが間違っていたという意味ではありません」
ナターシャは教室を見渡した。
「条件が変われば、同じことでも難しさは変わります」
クロードは二枚の板を見る。
一枚なら簡単だった。
二枚になっただけで、できることと分からないことの境目が変わった。
「魔法を使う時も、いつも同じ条件とは限りません。だからこそ、自分が何なら正確に扱えて、どこから曖昧になるのかを知っておくことが大切です」
ナターシャはそこで話を切った。
「今日の午前中に行ったことを、昼休みの間に一度整理しておいてください」
クロードは顔を上げる。
「四限目は予定どおり、魔法基礎の確認試験を行います」
教室の何人かが小さく息を吐いた。
時間割に書かれていたので、試験があること自体は全員知っている。
「点数だけを見るための試験ではありません。今の自分が何を理解していて、何をまだ理解できていないのか。それを確認するための試験です」
クロードはノートへ目を落とした。
感じる。
動かす。
流す。
止める。
一つならできること。
二つになると難しくなること。
できたけれど、どうやったのか分からなかったこと。
書くことは、思っていたより多そうだった。
そこで三限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。




