動かす
朝、教室へ入ったクロードは自分の席へ向かいながら、黒板の横にある時間割を見た。
今日は一限目から四限目まで魔法基礎になっている。
席へ座って教本とノートを出していると、隣からノーゼスが覗き込んできた。
「今日ずっと魔法基礎だな」
「うん」
「四限全部か」
ノーゼスも時間割を見る。
「長いな」
「嫌なの?」
「逆だよ。やっと魔法の授業らしくなってきたし」
そう言って笑うノーゼスの向こうでは、エクリアがすでに教本を開いていた。
「エクリア、何見てるの?」
クロードが聞くと、エクリアが顔を上げる。
「前に習ったところよ」
「復習?」
「ええ。今日は続きでしょうから」
ノーゼスもエクリアの教本を見る。
「朝からやってるのか?」
「授業が始まってから分からなくなるよりいいでしょう」
「それはそうだけど」
やがて一限目の始まりを告げる魔導の鐘が鳴った。
教室の話し声が止まり、ほどなくしてナターシャ・ミナルトアが入ってくる。
ナターシャは教壇へ教本を置くと、教室を見渡した。
「前回は、自分の魔力を感じるところまで進めました」
クロードは教本を開く。
「今日はそこから一つ進みます。感じ取った魔力を、自分の意思で動かしてみましょう」
何人かの生徒が自分の手を見る。
クロードも手元へ視線を落とした。
魔力を動かす。
それなら今までにも何度もやってきた。
父上との訓練では、自分の中にある魔力を動かし、握っている枝へ流していた。
けれど前回の授業では、自分が当たり前だと思っていた感覚が他の人も同じとは限らないことを知った。
クロードは教本からナターシャへ視線を戻した。
「まずは前回と同じように、自分の魔力を感じてください」
ナターシャの声に従い、クロードは意識を自分の内側へ向ける。
何もしない時にも感じる僅かな流れを探す。
しばらくすると、それらしい感覚を捉えた。
「感じられた人は、そこから魔力を少しだけ動かしてみてください。大きく動かす必要はありません」
クロードは意識を魔力へ向けた。
流れを感じ、そこへ自分の意思を重ねる。
魔力が動く。
「……動いた」
近くからノーゼスの声がした。
「ダグドラスタさん。今は自分の感覚へ集中してください」
「はい」
ノーゼスがすぐに黙る。
クロードは少しだけ笑いそうになったが、もう一度自分の魔力へ意識を戻した。
動かす。
止める。
もう一度動かす。
同じことを何度か繰り返していると、ナターシャが全員を止めた。
「今、動かせたと思った人は?」
いくつもの手が上がる。
クロードも手を挙げた。
エクリアも挙げている。ノーゼスの手も上がっていた。
「動かせなかった人は?」
今度は別の手がいくつか上がる。
「分からなかった人も手を挙げてください」
さらに何人かが手を挙げた。
ナターシャはそれを確認する。
「今できなかったこと自体は問題ではありません。大切なのは、自分がどこまでできて、どこから分からなかったのかを知ることです」
手が下がった。
「では次です」
ナターシャは教壇の上から小さな板を一枚持ち上げた。
金属でできているらしい。
同じものが何枚も重ねられている。
「今から一人一枚ずつ配ります」
前の席から順番に板が渡されていき、クロードのところにも一枚回ってきた。
手のひらより少し大きく、触れるとひんやりとしている。
見たことのない金属だった。
「これは魔力に反応する性質を持った特殊な金属です」
ナターシャが一枚を手に取った。
「触れた状態で魔力を流すと――」
その手にある金属板が、ぼんやりと淡い光を帯びた。
教室のあちこちから小さな声が上がる。
眩しいほどの光ではない。
金属の表面そのものが薄く光をまとったように見える。
やがて光が消えた。
「このように反応します」
クロードは自分の金属板を見る。
「先ほど皆さんには、自分の魔力を動かしてもらいました。次はその魔力を、触れている物へ流します」
ナターシャは金属板を机の上へ置いた。
「魔法は使いません。印も必要ありません。今日はこの金属板を使って、自分の感覚と実際に魔力が流れたかを確認してください」
クロードは板を持ち直した。
枝へ魔力を流していた時と同じならできるはずだ。
けれど今回は、流れたかどうかが目に見える。
「始めてください」
クロードは自分の魔力を感じる。
そこから動かす。
腕を通り、手へ。
そして触れている金属板へ。
魔力を流した。
金属板がぼんやりと光った。
「光った」
思わず小さく呟く。
今まで枝へ魔力を流した時には、自分の感覚で判断するしかなかった。
けれど今は違う。
自分が板へ魔力を流したと感じた直後に、目の前の板が光っている。
クロードは魔力を流すのを止めた。
光も消えた。
もう一度流してみる。
また淡い光が浮かぶ。
止める。
光が消える。
クロードは何度か繰り返した。
周りでも少しずつ金属板が光り始めている。
すぐに光った者もいれば、板を握ったまま眉を寄せている者もいた。
「……光らない」
ノーゼスが小さく言った。
クロードがそちらを見そうになったところで、ナターシャの声が飛ぶ。
「周りではなく、自分の魔力を見てください」
クロードは慌てて自分の板へ視線を戻した。
しばらくすると、教室の別の場所で声が上がった。
「先生」
ピア・マールコだった。
「どうしました?」
「私、流せた感じがしなかったんですけど……」
ピアの手にある金属板が、ぼんやりと光っている。
「光りました」
「はい」
「でも、分からなかったです」
ナターシャはピアのところへ視線を向けた。
「では、今のピアさんは魔力を流すことはできた。ただし、自分ではそれを認識できなかったということです」
ピアは光っている板を見る。
「できてるんですか?」
「金属が反応していますから、魔力は流れています」
ナターシャはそこで教室全体を見た。
「できることと、できていると自分で分かることは同じではありません」
クロードは手元の板を見る。
自分の場合は、流したと感じた時に光った。
けれどピアは違った。
魔力は流れている。
板も光っている。
それでも本人には分からなかった。
「だから、この金属を使います」
ナターシャが続ける。
「光らせることだけを目的にしないでください。自分が流したと思った時に光ったのか。分からないのに光ったのか。逆に、流したと思ったのに光らなかったのか。自分の感覚と結果を確認してください」
クロードはもう一度板を握った。
魔力を感じる。
動かす。
手へ運び、その先へ流す。
光る。
止める。
消える。
今度はさっきよりゆっくり繰り返した。
どの辺りで自分は板へ流れたと感じるのか。
その時、板はどうなっているのか。
何度か試しているうちに、クロードは自分の感覚と板が光り始める時がほとんど同じだと気づいた。
昔からやってきたことは、間違ってはいなかったらしい。
それでも今までは、確かめる方法を持っていなかった。
「先生」
別の生徒が手を挙げた。
「魔力を流せたら、もう魔法を使えるってことですか?」
何人かが顔を上げた。
クロードもナターシャを見る。
「いいえ」
ナターシャははっきり答えた。
「魔力を流すことと、魔法を使うことは同じではありません」
クロードの頭に、幼い頃の訓練が浮かんだ。
枝へ魔力を流す。
それだけでは雷は出なかった。
魔力を流せるようになってからも、何度も失敗した。
「皆さんは魔法を使う時、触れている物へ魔力を流します。しかし、それだけで魔法が発現するわけではありません」
ナターシャは教本へ手を置いた。
「その先については、このあとの授業で確認していきます」
印。
魔術操作。
クロードの頭に、すでに知っている言葉が浮かぶ。
けれど今はまだ、その先へ進まない。
「今はまず、自分の魔力を感じること。動かすこと。そして、触れている物へ流すこと。この三つを繰り返してください」
教室のあちこちで、淡い光が浮かんでは消えていく。
クロードも金属板を握り直した。
光らせること自体は難しくない。
だからこそ、ただ光ったことだけを見ない。
自分が何をした時に光ったのか。
何をした時に消えたのか。
一つずつ確かめながら繰り返した。
やがて一限目の終わりが近づき、ナターシャが全員に手を止めさせた。
「今日配った金属板は回収しません」
クロードは顔を上げる。
「各自で保管してください。自室でも、今日と同じ練習に使って構いません」
教室のあちこちで、生徒たちが手元の金属板を見る。
「ただし、これは魔力を流す練習のために渡すものです。許可されていない場所で魔法を使っていいという意味ではありません」
「はい」
何人かの声が重なる。
クロードも金属板を見る。
部屋でも使える。
それなら、自分の感覚と板の反応をもう少し確かめられそうだった。
「なくさないようにしてください」
その直後、一限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
◇
授業が終わると、クロードは金属板を机の上へ置いた。
隣ではノーゼスが自分の板をじっと見ている。
「どうだった?」
クロードが聞く。
「途中から光った」
「途中から?」
「最初は全然だったんだけど、何回かやってたら光った」
ノーゼスは板を指でつついた。
「でも、なんでできたのかよく分からない」
「じゃあ部屋で練習できるね」
「それはそうなんだけどさ」
エクリアも自分の金属板を持ってやって来る。
「二人とも光った?」
「うん」
クロードが答える。
「俺も最後はな」
ノーゼスが言った。
「エクリアは?」
「光ったわ。でも最初は、流したつもりなのに反応しなかった」
「エクリアでも?」
「何よ」
「いや、すぐできると思ってた」
「私だって何でも最初からできるわけじゃないわ」
エクリアはそう言って、自分の板を見る。
「でも、何が違ったのかは気になる」
「俺も」
ノーゼスが言った。
クロードも自分の板へ視線を落とす。
三人とも光らせることはできた。
けれど、同じようにできたわけではなかった。
クロードは金属板を教本と一緒にしまう。
次の授業までの休み時間は、まだ少し残っている。
ノートを開き、一限目で分かったことを書き始めた。




