母と子
馬車が、ゆっくりと町へ向かって進んでいた。
窓の外には見慣れた景色が流れている。
遠くに見えていた町並みも、少しずつ近くなってきていた。
アルトは窓の外を眺めたまま、小さく息を吐いた。
「どうしたの?」
向かいに座っていたセレナが気づいて、こちらを見る。
「なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
アルトはそう答えて、もう一度窓の外へ目を向けた。
来年の一月から、王立学園へ通うことになる。
今日はそのために必要なものを揃えに町へ向かっている。
必要なものなのだから仕方がない。
それでも、アルトは町へ行くのがあまり好きではなかった。
町そのものが嫌いなわけではない。
面白い店もあるし、欲しい本が見つかることだってある。
ただ、町へ来るとどうしても思い出してしまう。
アルトは少しだけ視線を下げた。
――あんなことがあったし。
◇
「アルトは、どんな力がほしい?」
隣を歩くセレナに聞かれて、アルトは少し考えた。
「強いやつ」
「強いやつ?」
「うん。父上みたいな」
セレナが小さく笑う。
「お父様みたいな魔法が出るといいわね」
「母様は、何が出ると思う?」
「そうねえ」
セレナはすぐには答えず、アルトの手を握ったまま歩いている。
今日は五歳になったアルトが《啓示》を受ける日だった。
これから教会へ行けば、自分にどんな力があるのか分かる。
アルトはそれが楽しみだった。
「火かな」
「父上と同じ?」
「そうかもしれないし、全然違うかもしれないわ」
「じゃあ闇とか?」
「どうして闇なの?」
「なんとなく」
セレナがまた笑った。
アルトもつられて笑う。
しばらく歩いたところで、セレナが口を開いた。
「ねえ、アルト」
「なに?」
「《持たざる者》のこと、覚えてる?」
「うん」
「どういう人?」
「《啓示》で何も出なかった人」
「そうね」
アルトはセレナを見上げた。
「母様もでしょ?」
「ええ。私も《持たざる者》よ」
「知ってるよ」
「ふふ、そうだったわね」
セレナは少し笑った。
「でもね。今日、アルトにも何も示されないかもしれない」
アルトは少しだけ黙った。
何が出るのか楽しみにしていた。
何も出ない人がいることも知っている。
けれど、自分がそうなるかもしれないとは、あまり考えていなかった。
「……何もなかったら、どうするの?」
「どうもしないわ」
セレナはすぐに答えた。
「アルトはアルトでしょう?」
「でも、魔法使えないよ」
「そうね。魔法は使えないかもしれない」
セレナはアルトと手を繋いだまま歩いていく。
「アルト」
「なに?」
「私が不幸せに見える?」
アルトはセレナの顔を見上げた。
「見えない」
「でしょう?」
セレナは笑った。
「だから、何が示されても大丈夫。素敵な力が見つかったら、私も一緒に喜ぶわ」
「うん」
「でも何もなくても、アルトはアルトよ」
「……うん」
アルトは握っていた手に、少しだけ力を込めた。
やがて教会が見えてきた。
◇
教会の中には、アルトと同じように五歳を迎えた子供たちと、その家族が集まっていた。
アルトはセレナと離れ、ほかの子供たちと一緒に順番を待っていた。
一人ずつ名前を呼ばれ、神父の前へ進んでいく。
魔法を示された子がいた。
Giftを示された子もいた。
何も示されなかった子もいた。
やがて、一人の子供にGiftが示された。
その子は嬉しそうに母親のところへ戻っていく。
そして、しばらくして。
「アルト・アインハルト」
「はい」
アルトは神父の前へ進んだ。
少しだけ緊張していた。
何が出るだろう。
火だったら父上と同じだ。
それとも、さっき自分で言ったように闇だろうか。
何も出ないことだってある。
母の言葉を思い出しながら、アルトは待った。
やがて神父が目を開く。
「……火属性です」
アルトの顔が明るくなった。
父と同じだ。
そう思った直後、神父がもう一度アルトを見る。
「……いえ」
アルトは神父を見上げた。
「もう一つ、示されています」
「もう一つ?」
「《闇属性》です」
アルトは瞬きをした。
「二つ?」
「はい。あなたには《火属性》と《闇属性》、二つの属性が示されています」
次の瞬間、教会の中が一気にざわついた。
「二つ?」
「二属性だって?」
「そんな……」
あちこちから声が聞こえる。
アルトは何が起きているのか分からず、周囲を見た。
「静かに。皆さん、落ち着いてください」
神父の声が響く。
それでもざわめきはすぐには収まらなかった。
少し離れたところで、一人の子供が母親の服を引いた。
「ねえ、なんでみんな騒いでるの?」
「二つも魔法を持っている人は、ほとんどいないのよ」
「ふたつ?」
「そうよ」
母親はアルトを見た。
その視線が、少し離れたところにいるセレナへ向く。
「それに、あの子のお母様は《持たざる者》なの」
「持たざる者?」
「あなたにも話したでしょう。《啓示》で何も示されない人よ」
「あの子のお母さん、何もないの?」
「ええ」
母親は小さく息を吐いた。
「それでも領主様のところへ嫁いだ人よ」
子供には、その言葉に込められたものまでは分からなかった。
ただ、アルトのことは知っている。
領主の家の子供で、大きな屋敷に住んでいる。
自分の家よりずっとお金持ちだ。
それなのに、魔法まで二つある。
さっき自分にもGiftが示された。
嬉しかった。
母親も喜んでくれた。
それなのに今は、誰も自分を見ていない。
みんなアルトの話をしている。
子供は母親のそばを離れ、アルトへ近づいた。
「お前、二つあるの?」
突然声をかけられ、アルトが振り向く。
「うん」
「ずるい」
「え?」
「だって、お前んち金持ちじゃん」
アルトは困ったように相手を見る。
「それと魔法は関係ないだろ」
「でも二つあるじゃん」
「俺が決めたんじゃないよ」
「ずるい」
もう一度言われた。
アルトは何も答えなかった。
何を言えばいいのか分からない。
すると子供は、少し離れたところにいるセレナを見た。
「お前のお母さん、何もないんだろ?」
アルトの顔から、困ったような色が消えた。
「……だから何?」
「お前が取ったんじゃないの?」
「何を?」
「お母さんの分」
アルトは相手を見つめた。
「だって、お母さんは一個もないのに、お前は二つあるんだろ?」
「違う」
「なんで?」
「違うって」
「じゃあなんでお前だけ二つあるんだよ」
「知らないよ」
アルトの声が少し大きくなる。
「お金持ちなのに二つもあって、お母さんは何にもできないのに――」
「母様は何もできなくない」
「でも《持たざる者》なんだろ?」
「そうだけど、母様はちゃんと――」
「うちのお母さん言ってたぞ。何も持ってないのに領主の家にいるって」
アルトは黙った。
「みんなのお金で暮らしてるって」
「違う!」
アルトが叫んだ。
近くにいた何人かがこちらを見る。
「母様はちゃんと働いてる!」
「でも魔法も使えないじゃん」
「関係ない!」
「何もできないくせに――」
「母様の悪口を言うな!」
アルトは相手を押した。
子供がよろける。
「なにすんだよ!」
今度は相手がアルトを押し返した。
そこから先は、あっという間だった。
押して、押し返して、腕を掴んで振り払う。
「アルト!」
セレナの声が聞こえたときには、二人とも床に転がっていた。
◇
帰りの馬車の中で、アルトは俯いていた。
向かいにはセレナが座っている。
教会を出てから、ほとんど話していない。
「アルト」
「……はい」
「喧嘩はダメよ」
「……うん」
「どんなに腹が立っても、手を出してはいけません」
「でも……」
アルトは顔を上げた。
「母様のこと、悪く言った」
「うん」
「母様はちゃんと働いてるのに」
「うん」
「何にもできないって言った」
話しているうちに、また腹が立ってきた。
「母様のこと、何にも知らないのに」
セレナは黙って聞いていた。
「だから……」
「それでも、喧嘩はダメ」
「……うん」
アルトはまた俯いた。
馬車の車輪が道を進む音だけが聞こえる。
「でもね」
アルトが顔を上げた。
セレナはアルトを見ていた。
「私のために怒ってくれたのは、嬉しかったよ」
「……怒ってない?」
「怒ってるわよ」
「どっち?」
「喧嘩したことには怒ってるの」
アルトは少し考えた。
やっぱりよく分からない。
「でも、嬉しいの?」
「ええ」
「……変なの」
「そう?」
「うん」
セレナが笑った。
アルトはまだ納得できなかった。
窓の外へ目を向ける。
町の景色が、少しずつ遠ざかっていった。
◇
馬車が小さく揺れた。
アルトは窓の外を見ていた。
あの日とは反対に、町の景色が少しずつ近づいてくる。
あれから四年が経った。
母は今も変わらない。
町で何を言われても、領民のために働いている。
アルトには、どうして母がそこまでできるのか、今でもよく分からなかった。
「アルト?」
セレナに呼ばれて、アルトは窓から視線を戻した。
「もうすぐ着くわよ」
「……うん」
もう一度窓の外を見る。
町の入口は、すぐそこまで近づいていた。




