追う相手
グレインは土壁の端を確かめながら、斜面とは反対側へ足を運んでいた。
壁の向こうからブラウンドラゴンの足音が近づく。
その音が一度止まり、土を擦るような音に変わった。
グレインは剣を構え直し、壁の端から離れる。
竜の頭が現れた。
口が開くより早く、グレインは横へ動く。
顎が土壁の角をかすめ、細かな土が崩れ落ちた。
「そっちは通さないつもりか」
グレインは壁の外側にある草地を見た。
そこなら竜との距離を取りながら、六人の進んだ斜面とは別の方向へ抜けられる。
足をそちらへ向けた時だった。
踏み出そうとした場所の草が、不自然に持ち上がった。
「っ!」
グレインは足を引き、身体を横へ逃がした。
直後に土が盛り上がり、目の前へせり出してくる。
草の根が土ごと押し上げられ、崩れた塊が靴のすぐ先に落ちた。
さっきまで開いていた草地が、土の壁に変わっていた。
グレインは壁に触れず、二歩下がった。
頭上から低い唸り声が聞こえる。
見上げると、ブラウンドラゴンが首を伸ばしていた。
「またか……」
グレインは新しい壁の長さを目で追った。
すぐ横を通ろうとすれば、竜の顎が届く位置へ出てしまう。
壁を越えるにしても、向こう側の足場が見えなかった。
グレインは進む方向を変え、元からある土壁の端へ回る。
その間、ブラウンドラゴンは動かなかった。
さっきまで追ってきた足音が聞こえない。
グレインは振り返った。
竜はグレインの方へ頭を向けていたが、すぐに首を持ち上げた。
その視線が、斜面の上へ移る。
六人が逃げていった方向だった。
「……おい」
グレインは剣を持ち直した。
竜の後脚が踏み替えられ、褐色の身体が斜面へ向く。
細い傷のついた脚も、地面をしっかり踏んでいる。
グレインが壁の端へ走ると、竜はその場から歩き始めた。
「待て!」
声を掛けても、竜は振り向かなかった。
グレインは剣を低く構え、回り込める場所を探した。
新しくできた壁が、さっきまで使おうとしていた道を塞いでいる。
無理に壁へ登れば、竜の動きが見えなくなる。
グレインは外側へ迂回した。
その間にも、竜の足音は斜面の方へ遠ざかっていく。
一度は離れるために作った距離が、今はグレインの前に残っていた。
土壁の切れ目に出ると、竜の背中が見えた。
太い後脚が草を踏みつけ、斜面の下へ進んでいる。
グレインはその進路と、自分の足元を交互に確かめた。
真っすぐ追っても、前へ回り込むには距離がある。
しかも竜が上ろうとしている場所は、六人が通った細い道とは少し離れていた。
グレインは土の少ない側へ走り出す。
「六人とも、もっと上へ行け!」
声を張ったが、返事は聞こえなかった。
竜の足音の方が大きかった。
グレインは息を吐き、足を速めた。
竜の後ろ姿はまだ見える。
だが、六人の姿は見えなかった。
◇
クロードたちは、傾斜が少し緩やかになった場所へ出ていた。
草の切れ目が続き、さっきまでより足を置きやすい。
それでも、走り続けた脚は重かった。
「ここなら、少しは歩けるわね」
エクリアが前を見たまま言った。
「走らなくていいのか?」
ガレスが聞く。
「走れるなら走りたいけど、足を滑らせたら意味がないでしょ」
「……それはそうだな」
ガレスは剣を持ち直して歩幅を小さくした。
ノーゼスが後ろを振り返る。
「先生の声、聞こえたか?」
「いや、何も」
ベンが答えた。
「剣の音もしないね」
クロードも耳を澄ませた。
風が草を揺らす音の向こうに、さっきまで聞こえていた鋼の響きはなかった。
グレインが竜から離れたのなら、それでいい。
そう思いたかったが、何が起きたのかは分からない。
「クロード、足が止まってるよ」
ピアに言われ、クロードは前へ向き直った。
「ごめん。行こう」
ピアは頷き、クロードの横へ並んだ。
「みんな、まだ歩ける?」
「俺は大丈夫だ」
ノーゼスが答える。
「脚は重いけどな」
「僕も歩けるよ」
ベンが続き、ガレスも片手を上げた。
「俺だって行ける!」
「声だけは元気ね」
エクリアが返したが、その呼吸も浅くなっていた。
クロードは六人の距離を確かめ、前へ進んだ。
上り道の向こうはまだ続いている。
ここで止まれば、疲れた脚をもう一度動かすのが大変そうだった。
その時、背後から重い音が聞こえた。
クロードは足を緩めた。
土を踏みつけるような、鈍い音だった。
「……今の、聞こえた?」
ベンも顔を上げる。
ガレスが斜面の下へ目を向けた。
「先生か?」
「分からない」
クロードは答えながら、音のした方を見た。
土壁はまだ遠くに見える。
その向こうから、また低い音が続いた。
一度、二度。
音がするたびに、斜面の下の草が大きく揺れる。
「待って」
エクリアが足を止めた。
「草、あそこだけ動いてない?」
ノーゼスが目を細めた。
「風じゃ、あんなふうにはならないだろ」
ガレスは剣を構えようとして、すぐに上り道を見た。
「まだ逃げられるよな?」
「うん、上は空いてる!」
ピアが答えた。
六人が再び動こうとしたところで、草の向こうから褐色の頭が現れた。
クロードは息を詰めた。
胸を横切る大きな傷が、一瞬だけ見える。
「……竜だ!」
ベンの声が震えた。
ブラウンドラゴンが首を持ち上げ、斜面の上へ顔を向ける。
グレインの姿は、その近くになかった。
「先生は!?」
ガレスが叫んだ。
「見えない!」
ノーゼスが答える。
クロードは竜の後ろを探したが、土壁と起伏に遮られて何も分からない。
さっきまで先生が引きつけてくれていたのに。
目の前では、竜が一歩ずつ斜面を上り始めていた。
「上へ行こう!」
クロードが言うと、エクリアがすぐに頷いた。
「ええ、ここにいたら追いつかれるわ!」
ピアは剣を持ったまま先へ向き直り、ベンがその後に続く。
ガレスもノーゼスと並んで走り出した。
クロードは最後にもう一度だけ下を見た。
竜のいる場所からは、グレインの剣の音が聞こえない。
それでも、草を踏む重い足音は近づいていた。
クロードは剣を握り直し、仲間の後を追って斜面を駆け上がった。




