弱い獲物
ブラウンドラゴンの太い後脚が草地を蹴り、土壁の端を回って斜面へ向かった。
「走れ!」
グレインの声に、クロードは足を速めた。
右へ回る先には草の薄い場所が続いているが、斜面そのものが緩くなったわけではない。
少し踏み外せば、そのまま下へ滑りそうだった。
「こっち、土が崩れてる!」
ノーゼスが足元を指した。
土壁からこぼれた塊が、草の間に転がっている。
「そこは踏まないで!」
ピアが言い、エクリアはその外側へ足を運んだ。
「右の草が短いところを通りましょう!」
「分かった!」
ガレスが返事をして、ベンと一緒に進む向きを変えた。
クロードも後に続こうとしたが、背後で重い音が続けて響いた。
振り向くと、竜が土壁を離れ、こちらへ大きな歩幅で近づいていた。
「速い……!」
ベンが声を漏らす。
あの身体で、斜面を上る六人との距離がみるみる縮まっていく。
その横からグレインが走り込んだ。
剣を低く構え、竜の進む側面へ踏み込む。
刃が褐色の鱗に当たり、乾いた音が響いた。
ブラウンドラゴンが頭を振った。
「先生!」
ガレスが呼ぶ。
グレインは竜の前へは出ず、剣を引いて横へ離れた。
直後、太い尾が草を薙ぎ払う。
尾の先がさっきグレインのいた場所を通り、土が飛び散った。
だが、竜はグレインを追いかけなかった。
大きな頭が再び斜面へ向く。
「……まだこっちを見てる!」
ベンの声に、クロードは右手の剣を握り直した。
グレインの剣が当たっても、竜はこちらへ進もうとしている。
「上がれ! 振り返るな!」
グレインが叫んだ。
六人は斜めに斜面を上った。
クロードの靴の下で、草が滑った。
右足を横へ踏み直し、どうにか身体を支える。
「クロード、大丈夫?」
ピアが少し先から声を掛ける。
「うん、行ける!」
答えたものの、右腕にはラッシュボアと戦った時からの重さが残っていた。
剣を握る手にも力が入りにくい。
その横でノーゼスが息を吐いた。
「こっちも、ずっと上りってわけにはいかないな!」
「でも、下には戻れないわ!」
エクリアが言う。
その声の向こうで、竜がまた地面を蹴った。
グレインが側面へ動き、もう一度剣を振る。
竜は一瞬そちらへ首を曲げたが、身体の向きは変えなかった。
「そんなにこっちへ来たいのかよ!」
ガレスの声が震えた。
クロードは返事ができなかった。
竜はグレインの剣を避けるように大きく回り込み、六人のいる斜面へ踏み込んできた。
グレインと戦っていた時よりも、こちらへ進む動きに迷いがないように見える。
「右、もっと空けて!」
ベンが声を上げた。
前へ急いだガレスとエクリアが、同じ狭い場所へ入ろうとしていた。
「ごめん、先に行って!」
ガレスが一歩下がる。
「あなたも止まらないで!」
エクリアは身体を横へずらし、ガレスが通れる幅を作った。
その間に、竜が斜面の下へ迫った。
足を踏み下ろすたびに、草が押し潰される。
「来る!」
ピアが叫ぶ。
竜の頭が低くなり、長い首が前へ伸びた。
「散れ!」
グレインの声と同時に、クロードは横へ跳んだ。
竜の顎が、さっきまで六人の通っていた場所へ突き出される。
「うわっ!」
ノーゼスが身体を引き、ガレスも反対側へ避けた。
二人の間を竜の鼻先が通り過ぎる。
草を噛み切るような音がして、クロードの背筋が冷えた。
グレインは竜の横へ走り込み、伸びた首の側面へ剣を振った。
竜は頭を振り上げ、今度はグレインへ大きく顎を開く。
グレインはその正面に残らず、後ろへ足を引いた。
「先生、こっちへ来られたら……!」
ベンが言いかけた。
「まだ上がれる! 行こう!」
ピアが短く返す。
先ほどまで横一列に近かった六人の位置は、もう揃っていなかった。
エクリアとガレスは少し上、ノーゼスはその下にいる。
ベンがノーゼスの右へ回り、ピアはクロードの少し先で足場を探していた。
同じ方向へ走るつもりでも、目の前の竜を避けるたびに距離が変わる。
クロードは斜面の上と、下に残った仲間を見比べた。
「ノーゼス、右が空いてる!」
「おう!」
ノーゼスがそちらへ踏み出す。
だが、竜の影がすぐ近くまで伸びてきた。
グレインの剣が竜の胴へ向かい、鱗を擦る音がした。
それでも竜は、剣を振るうグレインではなく、斜面にいる六人へ顔を向けた。
クロードの胸が強く鳴った。
先生が攻撃しているのに、どうしてこちらを追うのだろう。
竜の大きな目は、逃げる六人の動きを追っていた。
「上へ! 早く!」
グレインがもう一度叫ぶ。
クロードは剣を左手へ移そうとして、動きを止めた。
右手で《印》を組む間に、あの頭が届いてしまうかもしれない。
それに、今は竜と仲間が近すぎる。
雷が狙いを外れれば、避けようとしている誰かの方へ走る可能性もある。
剣を握ったまま、クロードは足を動かした。
「クロード、こっち!」
エクリアが上から呼ぶ。
「うん!」
進もうとした瞬間、竜の前脚が斜面へ伸びた。
爪のある先が、ベンの進もうとしていた草地を薙ぐ。
「ベン!」
「見えてる!」
ベンは剣を持ったまま身体をひねり、後ろへ跳んだ。
爪が草を抉り、土が舞い上がる。
その土を避けようとしたノーゼスが足を止めた。
「こっちへ来い!」
ガレスが声を掛け、少し下まで身体を戻した。
「そっちも危ないよ!」
ピアが叫ぶ。
「分かってる!」
ガレスはノーゼスの進む先を空け、自分も上へ向き直った。
ベンが二人の後を追う。
クロードもその脇へ進んだが、振り返った時にはグレインが竜の前脚の外側へ踏み込んでいた。
剣を振り、竜の注意を自分へ向けようとする。
ブラウンドラゴンは低く唸り、グレインの方へ首を振った。
今度はすぐに逃げる六人へ戻らない。
「今だ! 離れろ!」
グレインの声が飛んだ。
「はい!」
クロードたちはそれぞれ足場を確かめながら、斜面をさらに上った。
竜との距離が、ほんの少し開く。
クロードは肩で息をしながら、前にいるエクリアの背中を見た。
その向こうには、草の途切れた細い上り道が続いている。
「あと少しで、あそこまで行ける!」
エクリアが指した。
「待って、下!」
ベンの声に、クロードは振り向いた。
竜がグレインへ向けていた頭を、ゆっくりと斜面へ戻したところだった。
グレインがすぐ横へ動き、竜の前に剣を構える。
しかし、ブラウンドラゴンの視線はグレインを越え、上ろうとする六人を追っていた。
「……まだ来るのか」
ノーゼスが息を漏らした。
太い後脚が斜面の土を踏みしめる。
次の一歩がどこへ向かうのか、もう誰にも見失えなかった。




