いつの間にか
朝の第2運動場には、まだ授業の時間ほど多くの生徒はいなかった。
クロードは木剣を構え、足を一歩前へ出した。
振り下ろしてから引き戻し、今度は横へ動く。
同じ動きを繰り返しても、足が揃ってしまう時がある。
「……今のは近すぎたかな」
足元を確かめ、もう一度距離を取り直す。
木剣の先ばかり気にすると、足の動きがおろそかになる。
その逆も同じだった。
少し離れたところから、木剣の打ち合う音が聞こえてきた。
ガレスとベンが、互いに距離を確かめながら動いている。
「そこっ!」
ガレスが踏み込むと、ベンは木剣を合わせて横へ下がった。
ガレスはすぐ追いかけず、いったん足を止める。
「おっ、来ないの?」
「来てほしいのか?」
「いや、別に!」
ベンが笑った瞬間、今度はガレスの方から間合いを詰めた。
「今度は行く!」
「言ってから来るの?」
二人の木剣がまたぶつかった。
クロードも少し笑ってから、自分の練習へ戻った。
誰かと打ち合う時は、相手がこちらの都合に合わせて動いてくれるわけではない。
それでも、一人で繰り返しておかなければ動けないこともある。
木剣を振り下ろし、踏み込んだ足を戻す。
一度ではうまく揃わず、もう一度やり直した。
「クロード、そろそろ戻るぞ!」
ガレスの声に顔を上げると、ベンも木剣を片づけていた。
「うん、今行く!」
クロードは最後に一度だけ構えを確かめ、二人の方へ歩いていった。
◇
そんな朝が何度もあった。
朝の鍛錬を終えて教室へ向かい、授業を受け、昼になれば食堂へ行く。
午後の授業が終われば寮へ戻る日もあれば、誰かと少し話してから帰る日もあった。
ある日の教室では、エクリアが教本を閉じたあともノートへ何かを書き足していた。
「まだ終わってないの?」
クロードが尋ねると、エクリアは顔を上げた。
「終わったわよ。こっちは別のこと」
見せてもらうと、水と風の《印》について、手順を書き分けた頁だった。
「前にやったところ?」
「そう。反対の手だと、途中で指が止まるところが違うの」
エクリアはノートの途中を指した。
「魔力を使わずに組んでいる時でも、つい普段の方の指が動いちゃうのよね」
「僕も左手を使い始めた時、そうだったな」
「だから、また確かめてるの」
エクリアは書き足した一行を見て頷いた。
別の日、ノーゼスは紙の上に短い線を何本も引いていた。
「これ、壁?」
「そう。こっちは出したい場所で、こっちは味方が通る場所」
ノーゼスが指先を動かす。
「壁を出せても、通りたい方まで塞いだら困るだろ」
「そうだね」
「この間は、出すのをやめた方がよかった時もあったからな」
そう言って、ノーゼスは線を一本消した。
ベンは光魔法の記録を読み返していたが、休み時間にはガレスの木剣の話にも付き合っていた。
ピアが戦闘実践のことを話すと、いつの間にか近くの席の生徒たちまで会話に加わることもあった。
ミナとレクシアが互いのノートを見比べている日もあれば、ザナトスとカイルが教室の隅で何やら言い合っている日もある。
「だから、あそこは先に行けただろ!」
「ザナトスがこっちを見てなかっただけだよ」
「見てたって!」
そんな声が聞こえると、ノーゼスが顔を上げて笑った。
「またやってるな」
「いつものことじゃない?」
エクリアも笑いながら、ノートへ視線を戻した。
授業がない日には、クロードも図書館へ寄ったり、男子寮でノートを広げたりした。
工具の絵を描き直してみたこともあったが、紙に線を増やせば分かりやすくなるとは限らない。
「……また変な形になった」
そう呟いて、別の向きから描き始めた。
図書館の本を読み終えても、知りたいことはまだ残っていた。
それでも翌日にはまた授業があり、クロードはいつもの教室へ向かった。
◇
何度目かの戦闘実践の日、グレイン班は第2運動場でセリアナ班と向き合っていた。
演習区画の外では、ラディス班が二つの班の動きを見ている。
「始め!」
グレインの声で、両班が動き出した。
ガレスが前へ進み、ベンは少し後ろから相手の位置を見ていた。
クロードの正面にはミナがいる。
ミナが木剣を持ち上げ、少し斜めへ動いた。
クロードは追おうとして足を踏み出しかけたが、その先へレクシアが入ってきた。
木剣を向け直し、レクシアの進む方へ動く。
「クロード、こっち!」
ノーゼスの声が聞こえた。
横を見ると、ガレスが下がり、ノーゼスがその前へ移ろうとしている。
クロードは進む向きを変えて二人の間を空けた。
その間にミナは別の場所へ走っていく。
「あっ」
追いかけるには、もう遠い。
クロードは雷の《印》へ移るか迷ったが、近くでは両班の生徒が位置を変え続けていた。
木剣を持ったまま、今度は足元を確かめて移動する。
すぐ近くで、ピアが水の球を放った。
相手が横へ避けたところへベンが進もうとするが、タンガが木剣を向けて前に出る。
「ベン、そっちは止まって!」
ピアの声でベンが足を引く。
その横からガレスが進みかけ、今度は自分で一歩を止めた。
「……こっちじゃないな!」
ガレスは向きを変えて、別の相手の方へ走った。
クロードはそれを横目で見ながら、近づいてきたレクシアの木剣を受けた。
前に出ようとした時とは違う位置に立っている。
それでも、木剣を握り直して応じた。
しばらくして、グレインが演習を止めた。
「そこまで。いったん外へ出ろ」
生徒たちは息を整えながら区画を出た。
「ガレス、さっき途中で止まったな」
ベンが言うと、ガレスは胸を張った。
「ああ! あっちへ行ったら邪魔になると思ったからな!」
「でも、次に行ったところでもタンガに止められてたよね」
「それはそれだ!」
ピアが笑う。
「私も、水を放ったあとベンの方を見てて、ミズーが動いたのに気づくのが遅れたよ」
「俺は先にレクシアを見てたから、ピアの水はよく見てなかった」
ノーゼスが答えた。
グレインはそれぞれの話を聞き、クロードへ目を向ける。
「お前は、ミナを追わなかったな」
「レクシアが入ってきたので、そっちへ向きを変えました」
「そのあとは?」
「ミナへ戻ろうと思ったんですけど、もう間に合いませんでした」
クロードは少し考えた。
「すぐに向きを変えられたと思ったのに、次は遅かったです」
「相手もその間に動くからな」
グレインは頷いた。
「次は、変えたあとの位置も見ろ」
「はい」
ほかの生徒たちも、それぞれ見ていた場所や動いた理由を話し始めた。
クロードはノーゼスの言葉を聞きながら、今の動きを頭の中でもう一度たどってみた。
木剣を引くところは、前より迷わなくなった気がする。
けれど、次にどこへ立つかはまだ難しかった。
その日も結局、考えることがいくつも残った。
◇
また別の戦闘実践の日だった。
授業が終わりに近づく頃、グレインが三班の生徒たちを集めた。
ラディスとセリアナも、それぞれの班の人数を確かめている。
「今日は片づけの前に、一つ話がある」
グレインの言葉に、ガレスが顔を上げた。
「何ですか?」
「次の遠征のことだ」
その言葉で、生徒たちの間に小さなどよめきが広がった。
「また行くんですね!」
ガレスの声がひときわ大きく響く。
「ああ。ただし、行き先や日程の話はまだだ」
グレインは生徒たちを見回した。
「詳しいことは改めて伝える。それまで、最初の遠征で自分が困ったことを思い出しておけ」
「荷物が重かったことなら覚えてます!」
ガレスが即答した。
「それはみんな覚えてるだろ」
ノーゼスが笑う。
「俺は夜の見張りかな。眠らずに周りを見るの、思ったより大変だった」
「何も起こらない時間も長かったものね」
エクリアが言う。
ピアは少し考えながら頷いた。
「朝になって歩き始めた時も、足元を見ないと危なかったよね」
「クロードが後ろを見てた時?」
ベンが笑うと、クロードは苦笑した。
「あの時はピアに教えてもらったね」
「そうそう。今度はちゃんと前を見てね」
「うん、気をつけるよ」
ラディスが手を打ち、生徒たちは再び教師の方を向いた。
「遠征の話はここまでだ。まずは今日使ったものを戻せ」
三班はそれぞれ木剣と防具を片づけ始める。
「今度はどこへ行くんだろうな!」
ガレスが木剣を持ちながら言った。
「まだ分からないでしょ」
ベンが答える。
「だから気になるんだよ!」
「今のうちに、前の時に忘れそうになったものを考えておいたら?」
エクリアが言うと、ガレスは少し考えた。
「……とりあえず荷物を軽くしたい!」
「それじゃ必要なものまで置いてきそうだな」
ノーゼスが笑った。
クロードも笑いながら、自分の木剣を戻した。
最初の遠征へ出る前は、夜の見張りがどれほど長く感じるのかも知らなかった。
今は、暗い中で耳を澄ませたことも、荷物を背負って帰った時の疲れも覚えている。
それでも、次に向かう場所のことはまだ何も知らない。
「クロード、帰ろう!」
ピアに呼ばれ、クロードは仲間たちの方へ歩き出した。
運動場を出る頃には、ガレスはもう次の遠征の荷物についてベンと話し始めていた。
クロードも二人の声を聞きながら、いつもの校舎へ向かって歩いていった。




