店の仕事
4年生になってからも、授業と朝の鍛錬は変わらず続いていた。
第2運動場で木剣を交えた日には、クロードも男子寮へ戻ってから仲間の位置や自分の動きをノートに書き留めている。
その一方で、机の端には別の頁を開いたノートもあった。
王都の工具屋で見つけた、小さな固定具のことだ。
ノーゼスとエクリアに見せた絵は、前より少しは伝わる形になった。
けれど、何を挟み、どこを加工するのかはまだ決まっていない。
今は道具の形を考えるよりも、あの細かなねじや金具がどうやって作られているのかを知りたかった。
「……あの大きさで、どんな道具を使ってるんだろう」
頁の隅にそう書いてから、クロードはノートを閉じた。
それから幾日かが過ぎ、休みの日が来た。
朝の鍛錬を済ませたクロードは、ノートを鞄に入れて王都の裏通りへ向かった。
◇
見覚えのある擦れた看板の下まで来ると、店の中から話し声が聞こえた。
扉は開いている。
「こんにちは」
声を掛けて入ると、作業台の向こうにネモがいた。
ただし、その前には先客がいる。
客は布に包んだ金属の道具を作業台へ置き、困ったようにそれを見下ろしていた。
「前はもっときちんと締まってたんだよ」
「いつ頃から?」
「少し前からかな。昨日は薄い板を挟んでも、途中でずれてしまって」
ネモが布を開くと、ねじで幅を変える固定具が出てきた。
窓際で見せてもらったものより大きく、使い込まれた跡がある。
「いつも何を挟んでる?」
「薄い金属板だよ。端を削る時に使ってる」
「それなら、板を挟まない時もねじの手応えが変わる?」
「そう言われると……確かめてないな」
ネモはねじを少し動かし、押さえる部分を横から覗いた。
それから、作業台に置いてあった細い金属片を一度挟んでみる。
「うん、確かに片側が先に当たるね」
「直せそうかい?」
「まだ分からないよ。ねじだけの問題とも限らないから」
ネモが答えると、客は小さく息を吐いた。
「仕事で使うんだ。何日も預けるのは困るんだけどな」
「それなら、先に使える代わりがあるか見ようか」
ネモは棚から別の固定具を取り出した。
「これはどう? 挟める幅は近いけど、先端の形が少し違う」
客は受け取って、何度か開いたり閉じたりした。
「うちのより動きが軽いね」
「実際の板を挟んでみないと、使い勝手までは分からないけどね」
「値段は?」
ネモが答えると、客は少し考え込んだ。
「……新しいのを買うと、今のを直す余裕がなくなるかもしれないな」
「修理代は、まだ出せないよ。工房に見せる必要があるかもしれないし」
「そうか」
客は持ち込んだ固定具へ手を伸ばした。
使い慣れた道具なのだろう。
そのまま布で包み直しかけて、また手を止める。
「これは手に馴染んでるから、できれば直したいんだよ」
「じゃあ、直すかどうかは見積もりを聞いてからにしよう」
ネモは代わりに出した固定具を指した。
「今すぐ必要なら、こっちが合うか確かめて買っていく方法もある。でも無理に勧めないよ」
客はしばらく二つの道具を見比べた。
「細い板を一枚持って来ればよかったな」
「持って来てくれた方が話は早いね」
「今日は一度戻るよ。使う板を持って、また来る」
「分かった。これを買うかどうかは、その時に決めればいい」
客は道具を包み直して、作業台から持ち上げた。
「悪かったね。長いこと付き合わせて」
「仕事の道具なんだから、慌てて決めない方がいいよ」
客は頷き、店を出ていった。
◇
クロードは入口近くの棚から顔を上げた。
客がいる間は、ずっと並んだ工具を眺めていたのだ。
「……あ、クロード」
ネモはようやくこちらへ顔を向けた。
「来てたんだね」
「はい。お仕事中だったので」
「声を掛けてくれればよかったのに」
「いえ、ちょっと見ていたかったんです」
「店の中を?」
「ネモさんが道具の相談を受けているところを」
ネモは片づけかけた固定具を見た。
「別に珍しいことはしてないよ」
「でも、すぐに買い替えを勧めなかったでしょう?」
「直して使いたいって言ってたからね」
ネモは別の道具を棚へ戻しながら続けた。
「もちろん、直すより新しい方がいい場合もあるよ。でも、それも見てみないと決められない」
「仕事で使うなら、使えない時間も困りますしね」
「そう。安いからって、手に合わない道具を渡しても困るだろう?」
「はい」
クロードは、客が古い固定具を布で包み直していた様子を思い出した。
前世でも、使い慣れた道具を簡単には替えたがらない人がいた。
ただ新しくすれば済む話ではない。
「それで、今日は何を探してるの?」
「前に見せてもらった小さい固定具について、聞きたいことがあって」
「またあれか」
「はい。でも、今日は絵を描いてきたわけじゃないですよ」
「それは安心した」
「そこまでひどかったですか……」
「この前、自分でも笑ってたじゃないか」
クロードも笑った。
「今日は、作り方の方が気になるんです」
「作り方?」
「ねじとか、挟む部分の仕上げ方です」
ネモは少し考え、窓際からあの小型固定具を持ってきた。
「これなら、今ここにあるよ」
◇
作業台に置かれた固定具は、やはり手のひらに収まるほど小さかった。
クロードは横から覗き込み、細いねじへ目を向けた。
ねじを回せば腕の間隔が変わる。
その動き自体は、前に見た時と同じだ。
「これ、ねじの山がずいぶん細かいですよね」
「そうだね。小さいものを挟むための品だから」
「この山を、どんな設備で加工してるのか知りたくて」
「そこ?」
ネモは固定具よりもクロードの顔を見た。
「前は何を挟むか考えてたのに、今日は作る道具の方なんだ」
「どっちも気になるんです」
クロードは笑って答えた。
前世には、ねじを加工するための工具も設備もあった。
けれど、ここで同じものが使われているとは限らない。
「こういう小さいねじを、どんな方法で同じ形に揃えているんでしょう?」
「細かい加工の手順までは、作った工房に聞かないと分からないね」
「これも工房から仕入れているんですか?」
「そう。店で売ってるものを全部ここで作ってるわけじゃないよ」
ネモはねじを少し回してみせた。
「仕入れたら、動くところや傷の具合は見る。お客さんに渡す時には、ちゃんと使える品じゃないと困るからね」
「じゃあ、ねじをどうやって切ったかまでは……」
「作ってるところを見たわけじゃないから、断言できないよ」
「そうですよね」
クロードは頷いた。
前世の知識で考えられる加工方法はいくつかある。
けれど、それを思い浮かべるだけでは、この工房で何を使っているのかは分からない。
「材質も、仕入れた時に確かめるんですか?」
「どの材料を使った品か、取引先に確認することはあるよ。ただ、見ただけで中身まで全部分かるわけじゃないね」
「うん……それもそうだな」
ネモは小型固定具を置き、さっき客に見せていた方の棚へ目をやった。
「同じように挟む道具でも、値段も大きさも違うだろう?」
「はい。挟む力も、使いやすい形も違いますし」
「だから、売る時は誰が何をしたいのか聞くんだよ。どれが一番いいかは、その使い方にもよるからね」
「さっきのお客さんも、すぐに新しいのを決めなかったですもんね」
「道具は使う人のものだからね」
その言い方が気になって、クロードはもう一度棚を見渡した。
細いものを押さえる道具も、大きなものを固定する道具もある。
同じ目的に見えて、使う人が違えば必要なものも変わる。
「ネモさん、ザクラスの工房とも取引があるって言ってましたよね」
「言ったよ」
「そっちの工房では、どんな加工設備を使ってるんですか?」
「そこまでは知らないな。品物を受け取るのと、工房の中を見るのは別だからね」
「……ですよね」
「そんなに気になる?」
「はい。工具を作る時に使う工具のことまで、知りたくなって」
ネモはしばらく黙ってから、小さく笑った。
「君は使う前に、作った人の仕事まで見たくなるんだね」
「そうかもしれません」
「聞けることがあれば聞くけど、返事があるかは約束できないよ」
「それだけでも嬉しいです!」
「そんなに期待されても困るなあ」
ネモは困ったように笑い、固定具を窓際へ戻した。
◇
クロードも鞄からノートを出した。
最初に書いたのは、『小さいねじを作る設備』だった。
その下へ、『材質はどう確認している?』と付け足す。
「……また増えた」
「今度は何が増えたの?」
「知りたいことです」
「買うものは?」
「……まだ、決まってないです」
ネモは笑った。
「じゃあ、今日はここまでかな。こっちも仕事の続きがあるからね」
作業台の端には、客が帰ったあとに戻しきれていない道具が残っていた。
「あ、すみません。ありがとうございました!」
「いいよ。ただし、今度は本当に探すものが決まってると助かるね」
「頑張ります!」
クロードがノートを閉じると、ネモが続けた。
「それと、さっきのお客さんが戻って来たら、また待ってもらうかもしれないよ」
「はい。今日は先に来た人がいたんですから」
「そういうこと」
クロードは頭を下げ、店を出た。
裏通りを歩きながら、鞄の中のノートを思い浮かべる。
工具の仕組みを知っていても、その道具がこの世界でどう作られているかまでは分からない。
それに、ネモが相手にしているのは工具だけではなかった。
使い慣れたものを直したい客もいれば、すぐに使える代わりが必要な客もいる。
作った工房の事情も、使う人の都合も、店の仕事につながっているのだ。
「……今度は、もう少し考えてから来よう」
そう呟いたあと、クロードは少し笑った。
この前も同じようなことを考えた気がする。
それでも、次に聞いてみたいことは確かに増えていた。
王立学園へ戻る道を、クロードはゆっくり歩いていった。




