伝わらない絵
授業が終わった教室では、帰り支度をする生徒たちの声があちこちから聞こえていた。
教本を鞄にしまう者もいれば、まだ机に向かって何かを書いている者もいる。
クロードも席に残っていたが、広げているのは授業のノートではなかった。
休日に王都で見つけた工具屋で描いた、あの絵だ。
「……やっぱり、変かな」
紙の真ん中には丸い部品らしきものがあり、その左右から細長い線が伸びている。
横から工具を入れる隙間も描いたつもりだったが、線が重なったせいで、どこからどこまでが同じ部品なのか自分でも怪しい。
店主のネモには、使い方と寸法を考えてから来るように言われている。
そのつもりでノートを開いたのに、つい絵の方を直したくなってしまった。
「何やってるんだ?」
顔を上げると、ノーゼスが隣に立っていた。
「ちょっと、工具のことを考えてて」
「工具?」
「うん。小さいものを押さえる道具なんだけど」
クロードがノートを向けると、ノーゼスは少し身をかがめた。
「……これ?」
「これ」
「……何かの生き物じゃなくて?」
「工具だよ!」
思わず声が大きくなり、ノーゼスが笑った。
「いや、だって足が四本あるだろ」
「二本だってば。こっちは横から工具を入れるための線で……」
クロードは指先で紙をなぞった。
「待て待て。今、足って言ったぞ」
「言ってないよ! 押さえるところ!」
「俺には足に見えるんだけどな」
ノーゼスはもう一度絵を見て、今度は首を横へ傾けた。
クロードも同じように首を傾けてみる。
「……なんで四本に見えるんだろう」
「お前がそう描いたからだろ」
あまりにもっともな返事で、クロードは言い返せなかった。
「二人とも、何をそんなに笑ってるの?」
声を掛けたのは、教本を抱えたエクリアだった。
「クロードが変なもの描いてる」
「変なものじゃないよ」
「工具らしいんだけどさ」
ノーゼスが場所を空け、エクリアもノートを覗き込む。
「……ええと」
そのまま少し黙った。
「エクリア?」
「これ、本当に工具なの?」
「エクリアまで!」
クロードが抗議すると、エクリアは困ったように笑った。
「だって、どこを持って使うものなのか分からないもの」
「持つんじゃなくて、置いて使うんだよ」
「そうなの? じゃあ、この丸いのは?」
「押さえたい部品」
「それなら、押さえる道具の方はどれ?」
「ここと、ここ」
「……ノーゼス、分かった?」
「いや、さっきから見てるんだけどな」
二人の顔を見比べて、クロードは机に突っ伏しかけた。
「ネモさんにも伝わらなかったんだ……」
「ネモさん?」
「休みの日に見つけた工具屋の人。いろいろ珍しい道具があってさ」
クロードは店で見た小さな固定具のことを話した。
ねじを回して幅を変え、丸いものや細いものを挟める道具だったこと。
そこから、横側も加工しやすい形があったらどうだろうと考えたこと。
「なるほどな。そういう話だったのか」
ノーゼスが頷く。
「言葉で聞く方が分かるわね」
エクリアも頷いたが、そこで少し考えた。
「でも、何を挟むつもりなの?」
「小さい丸い部品だよ」
「どのくらい小さいの?」
クロードは親指と人差し指を開きかけて、動きを止めた。
「……まだ、決めてない」
「じゃあ、厚みは?」
「それも……」
「横から削るなら、どこを削りたいかも必要じゃない?」
「うん。ネモさんにも言われた」
クロードは絵の下に書いた言葉を見直した。
『何を固定するか』
『どこを加工するか』
『大きさと必要な力』
店で書いた時には、これで少し前へ進んだ気がしていた。
けれど、肝心の答えはまだどれも曖昧だった。
「形を考える前に、決めることがあるんだね」
「そうみたい」
ノーゼスは机の端にあった空いた紙を一枚取った。
「俺がこの前、壁の位置を考えてたの覚えてるか?」
「うん。相手が動いたら、出す場所も変わるって」
「あれだって、誰がどこにいるか描かないと分からなくなるだろ」
ノーゼスは紙に三つの丸と一本の線を描いた。
「これが味方で、こっちが相手。ここに壁を出したら……」
「その味方が通れなくなるかもしれないね」
クロードの言葉に、ノーゼスが頷いた。
「そう。だから、こっちにずらすとかさ」
「でも、相手も動くわよね」
エクリアが指差すと、ノーゼスは丸から短い矢印を伸ばした。
「そこまで考えると、線が増えるんだよな」
「でも、何を表してるかは分かるね」
クロードは自分の絵と見比べた。
ノーゼスの線は、形をそっくりに描こうとしているわけではない。
それでも、誰がどこにいて、どちらへ動くかは伝わってくる。
「僕のも、上から見たところと横から見たところを分ければいいのかな」
「横からだと、どう見えるんだ?」
「ええと……」
クロードは新しい頁へ、思いつくままに線を引いた。
真ん中に丸い部品を描き、左右の押さえる部分を付け足す。
今度は横から見ているつもりなので、部品の厚みも描き込んだ。
「……こんな感じ?」
「ちょっと待て」
ノーゼスが最初の絵と新しい絵を交互に見た。
「さっきの丸いの、今度は四角になってないか?」
「あっ」
「押さえるところも、増えてるように見えるわ」
エクリアに言われ、クロードは線を数え直した。
一本多い。
「……どうして?」
「それは描いた本人に聞きたいわよ」
エクリアが笑い、ノーゼスも肩を揺らした。
クロードは自分の絵を見つめたまま、とうとう笑い出してしまった。
「僕、頭の中ではちゃんと分かってるんだけどなあ」
「それがこっちに見えないんだよ」
ノーゼスが紙を指で軽く叩いた。
「それなら、絵はあとにしたら?」
エクリアが言った。
「先に、何をしたいのか書いておけばいいと思うの。ノーゼスの図だって、誰がどこにいるか決めてあるから分かるんでしょう?」
「そうだな。丸を三つ描いただけじゃ、俺だって説明できないし」
「……そっか」
クロードはペンを握り直した。
「まず、固定したいものを決める。それから、どこを加工するのか……」
「どの向きから工具を入れるかもね」
「うん」
エクリアが横から言葉を足し、クロードは一つずつノートへ書き込んでいった。
途中でノーゼスも「置く場所は?」と尋ねたが、クロードはすぐに答えられなかった。
「それも考えないと」
「まだ決めてなかったのか」
「……うん」
「じゃあ、今日は絵よりそっちだな」
ノーゼスは笑って自分の紙を戻した。
近くの席から椅子を引く音が聞こえ、生徒たちが少しずつ教室を出ていく。
エクリアも抱えていた教本を机に置き直し、開きかけた頁に指を挟んだ。
「私も、途中だったところを見直さないと」
「反対の手の《印》?」
「それもあるけど、今日は授業で書いた方よ」
そう答えて自分のノートを開く姿に、クロードは頷いた。
「僕も、もう少しだけ書いたら終わりにするよ」
クロードは先ほどの新しい頁へ戻り、書き出した条件の下に小さな絵を描いた。
今度は二つの向きを混ぜず、上から見たつもりの形だけにする。
「……どう?」
ノーゼスがちらりと覗いた。
「さっきよりは分かる」
「本当?」
「少なくとも、四本足じゃなくなった」
エクリアも笑って顔を上げた。
「どこを挟むのかは分かるようになったわね」
「よかった!」
クロードは嬉しくなって、紙をもう一度見せた。
ところがノーゼスは、少し考えてから付け足した。
「でも、工具には見えないな」
「そこは変わらないの!?」
エクリアが吹き出し、クロードも笑うしかなかった。
絵はまだ上手く描けない。
それでも新しい頁には、何を確かめればいいかが前よりはっきり残っていた。
クロードは最後にもう一行、『どの向きから見るか』と書き足し、ペンを置いた。




