裏通りの怪しい店
次の休日、クロードは朝の鍛錬を終えると、鞄にノートを入れて王都へ出かけた。
図書館で加工工具について調べてから、どうにも実物が見たくなっていた。
切る、削る、固定する、測る。
どれも知っていることではあるが、この世界で使われている道具を全部知っているわけではない。
「今日はゆっくり見られるといいな」
いつもの大きな店へ寄るつもりで、クロードは人通りの多い道から裏通りへ入った。
こちらへ来れば、自然と足が向く店は決まっている。
ゴルダの工房へ通っていた頃も、見ていたのはいつも目的の建物の方だった。
ところが、その日は通りの途中で足が止まった。
「……あれ?」
建物と建物の間に、小さな店がある。
古びた看板には文字が書かれているものの、一部が擦れて読み取りにくい。
狭い窓には金具や金属の棒が並び、端の方に妙な形の器具が置かれていた。
二本の細い腕が向かい合い、真ん中に小さなねじが付いている。
何かを挟むものだろうか。
クロードは窓へ顔を近づけた。
「こんなお店、あったんだ」
王都に住んでもう3年以上になる。
この道だって初めてではないのに、店の存在には気づいていなかった。
入口には営業時間らしい札も見当たらない。
扉は少し開いているが、奥は薄暗かった。
「……入っていいのかな」
迷ったのはほんの少しだった。
窓際の器具が気になって仕方がない。
クロードは扉をそっと押した。
◇
中に入ると、金属と木の匂いが混ざった空気が漂っていた。
外から見たとおり、店内は広くない。
その代わり、壁一面の棚には工具がぎっしり収まっていた。
金槌にたがね、何種類ものやすり。
木工用らしい刃物の隣に、細い棒が何本も並んでいる。
クロードは思わず立ち止まった。
「……すごい」
一見ばらばらに置かれているようで、似た用途の道具は近い場所にまとめられているらしい。
棚の下段には大きな固定具があり、上段には指先ほどの小さな器具まである。
店の奥から声がした。
「扉は開いてる。入っていいよ」
「すみません、お邪魔します」
「何を探してる?」
クロードが声の方を見ると、作業台の向こうで誰かが小さな金具を拭いていた。
「加工するための工具を見たくて」
「加工って、何の?」
「金属です」
「そりゃ広いな」
手元の金具を置いた店主が、棚を見渡した。
「切るのか、曲げるのか、削るのか。それだけでも置き場所が違う」
「あ、今日は買うものが決まってるわけじゃなくて……」
「見に来ただけか」
「はい。駄目ですか?」
「壊さず戻してくれるなら構わないよ。小さいのは勝手に触らないでね」
「分かりました!」
クロードは早速、目の前の棚へ近づいた。
並んだやすりは、長さだけでなく断面の形も違う。
平たいもの、丸いもの、三角に尖ったもの。
その中に、先端だけが細く曲がった小さなやすりがあった。
「これは……」
「それが気になる?」
いつの間にか店主が近くに来ていた。
「はい。こんな形のは、あまり見たことがなくて」
「奥まったところを削るためのものだよ。真っすぐなやすりじゃ届かない場所があるからね」
店主は棚から小さな金属片を取り、角の内側を指した。
「例えば、こういうところ」
「ああ、なるほど」
クロードは角度を変えて金属片を見た。
普通のやすりを入れれば、削りたいところより先に別の面へ当たってしまう。
「先だけが曲がってるから、こっちの面を避けられるんですね」
「そういうこと」
「でも、力を入れすぎたら先端が傷みませんか?」
「傷むよ。だから力任せに使うものじゃない」
店主はあっさり答えた。
「道具の方が細いんだからね」
クロードは頷いた。
その曲げ方なら奥まった部分に届きやすい。
ただ、前世で見てきたものとは少し形が違っていて、どんな加工で作られているのかも気になった。
その隣には、薄い板が何枚も重なったような道具もあった。
「この薄板、隙間を測るためのものですよね?」
「そう。厚みの違う板を入れて、どれが通るかを見るんだ」
「なるほど、やっぱりその使い方なんですね」
前世で見た隙間ゲージと、図書館の本に載っていた測定具が頭に浮かんだ。
使い方は分かるが、この道具がどんな基準で作られているのかまでは知らない。
クロードは何枚もの薄板をじっと眺めた。
「この薄板の厚みって、どうやって確かめているんですか?」
「作る時のことなら、工房に聞かないと詳しくは分からないね」
店主はクロードの顔を見た。
「君、道具を見るのが好きなんだね」
「はい!」
即答したクロードに、店主は少し笑った。
◇
棚を一回りしてから、クロードは窓際にあった器具のことを思い出した。
「外から見えた、二本の腕が付いた道具は何ですか?」
「あれか」
店主が窓際から器具を持ってきて、作業台へ置いた。
「小さい部品を押さえるための固定具だよ。ねじを回して、挟む幅を変えられる」
「この大きさで、ねじもずいぶん細かく作ってあるんですね」
クロードは器具の横から覗き込んだ。
大きな万力なら知っている。
けれど、これは手のひらに収まるほど小さく、先端の形まで細かく作られていた。
「挟むところが平らじゃないんですね」
「丸いものや細いものを逃がしにくくするためだよ。ただ、何でもこれで挟めばいいわけじゃない」
「傷が付いたら困るものもありますよね」
「そう。何を押さえたいかで変わる」
クロードはしばらく器具を見つめた。
以前、金属の球を作ってもらった時も、形を整えるには材料を動かさずに押さえる必要があった。
ふと、別の形の固定具が頭に浮かんだ。
「こういうものを、横からも加工できるようにしたら……」
「何を?」
「あっ、えっと、小さな丸い部品を押さえながら、横から工具を入れられるような……」
「どんな形?」
クロードは身振りで説明しようとした。
しかし、店主の視線は指先を追っているものの、あまり伝わっていないようだった。
「紙に描ける?」
「はい!」
クロードは鞄からノートを取り出した。
丸い部品を真ん中に描き、その両側から押さえる部分を付け足す。
横から工具が入る隙間も描こうとしたが、線が重なってしまった。
「……こんな感じです!」
店主はノートを覗き込んだ。
しばらく無言だった。
「……これ、何?」
「固定具です」
「真ん中の丸いのは?」
「固定したい部品です」
「じゃあ、この足みたいなのは?」
「足じゃなくて、部品を押さえるところです!」
「……何で四本あるの?」
「二本です!」
クロードは慌ててノートを自分の方へ向けた。
押さえる部分を描いたつもりが、横から工具を入れるために引いた線と重なっている。
自分で見ても、確かに四本の足が付いているようだった。
「……あれ?」
「いや、こっちが聞きたいよ」
店主が笑う。
クロードは消して描き直したが、今度は中央の丸が妙に細長くなってしまった。
「さっきより分からなくなった」
「僕もそう思います……」
二人でノートを見つめ、しばらく笑った。
「絵は苦手?」
「……かなり」
「それなら、先に使い方を教えてよ」
店主は窓際の固定具を指した。
「これじゃ駄目なのは、どうして?」
「横から削ろうとすると、挟んでる部分が邪魔になると思うんです」
「なるほど。じゃあ削りたいのはどこ?」
クロードはノートの丸を指し、言葉で場所を説明した。
「そこに工具を入れたいなら、部品の向きを変える方法もあるね」
「そうですね。ただ、向きを変えた時に押さえる場所も変わりますし……」
「ただ、部品の大きさも、どのくらいの力で削るのかも分からないから、形はまだ決められないよ」
「寸法がないと駄目ですよね」
「それもだけど、何をするために使うのかが先だね」
クロードは恥ずかしそうにノートを閉じかけた。
すると店主がその紙を指した。
「絵はひどいけど、聞けば何をしたいのか少しは分かる」
「絵はひどいんですね……」
「そこは譲れない」
クロードは思わず吹き出した。
◇
「ところで、こういう形の工具って、注文して作ってもらうこともできるんですか?」
クロードが尋ねると、店主はノートから顔を上げた。
「作れるものならね。うちでも特注の相談は受けてるよ」
「ここで作るんですか?」
「ものによる。付き合いのある工房へ頼むこともある」
店主は小さな固定具を棚へ戻した。
「ザクラスの工房とも取引があるんだ」
「ザクラス!」
クロードは思わず声を大きくした。
ドワーフの国だ。
ゴルダからも、その国の金属や鍛冶の話を聞いたことがある。
「ドワーフの職人さんが作ってくれるんですか?」
「向こうで引き受けてもらえればね。ただし、何でも頼めるわけじゃないよ」
「やっぱり難しいものもありますか?」
「難しいものもあるし、手が空いてない時もある。特注は値段も高くなるし、届くまで時間もかかる」
「どのくらいですか?」
「何を作るか決まってないのに、答えられないよ」
「あっ、そうですよね」
店主はクロードのノートへちらりと目をやった。
「少なくとも、その絵のままじゃ注文できないね」
「うう……」
「寸法と使い方を考えてからおいで。絵はそのあとでいい」
クロードはノートを開き、空いているところへ書き込んだ。
『何を固定するか』
『どこを加工するか』
『大きさと必要な力』
書き終えると、店主が頷いた。
「その方がさっきの絵より分かりやすい」
「そこまでですか!」
「うん」
返事が早くて、クロードはまた笑ってしまった。
「そういえば、お名前を聞いてもいいですか?」
「ネモって名乗ってるよ」
「……名乗ってる?」
「そう。ネモ」
クロードは一瞬考えた。
「ネモさん、ですね」
「それで通じるから大丈夫」
「僕はクロードです。クロード・アインハルト」
「クロードね。分かった」
ネモは特に驚いた様子もなく、その名前を繰り返した。
それから、広げられたままのノートを指す。
「クロード、今日は何か買っていく?」
「あっ……今日は見るつもりで来ただけなので」
「そっか」
「すみません、いろいろ聞いちゃって」
「聞かれたら答えるよ。ただ、次に来るなら何を探してるか少し決めておいてね」
「はい!」
クロードはノートを鞄へしまった。
買いたいものが決まっていないのに、道具だけを増やしても仕方がない。
それでも、気になる工具はまだ棚にいくつも残っていた。
「また来てもいいですか?」
「店が開いてればね」
ネモは何でもないことのように答えた。
「今度はもっと分かる絵を持ってきます」
「言葉で説明してくれてもいいよ」
「……頑張ります」
◇
店を出ると、通りにはまだ明るい光が差していた。
クロードは振り返り、もう一度小さな店を見た。
擦れた看板と、薄暗い窓。
入る前には、何を売っているのかさえよく分からなかった場所だ。
けれど中には、見たことのない工具がいくつも並んでいた。
それに、ネモという少し変わった店主もいた。
「……こんなところにあったんだな」
3年以上も王都で暮らしているのに、まだ知らない店がある。
何度も歩いた裏通りでも、今まで見ていなかったものがあるらしい。
クロードは鞄の中のノートを軽く押さえた。
工具の絵は散々だったが、知りたいことは増えた。
小さな部品を固定する方法も、用途に合わせた道具の作り方も、まだまだ調べられそうだ。
「次は、ちゃんと考えてから来よう」
そう呟いて歩き出す。
いつもの大きな店へ寄るつもりだったのに、今日は知らない小さな店だけで時間を使ってしまった。
それでも、足取りは軽かった。




