知らないものを探して
翌朝、クロードは机に向かい、『雷の記録』を開いていた。
最初の頁から順に目を通していく。
乾いた枝までの距離を変えた日。魔力の量を変えた日。木と石を並べた日。そして、木と金属を並べて試し始めてからの記録。
昨日は同じ条件で四度繰り返した。
金属、地面、金属、地面。
同じようにやったつもりでも、雷は同じ場所には落ちなかった。
金属に必ず落ちるわけではない。
それでも木や石と並べたとき、何度か金属そのものへ落ちている。
クロードは記録を眺めながら、しばらく考えた。
「……違う金属も欲しいな」
今まで試した金属は一種類だけだ。
同じものを何度繰り返しても、それだけでは金属なら何でも同じなのかまでは分からない。
今使っているのは鉄だから、あと二種類くらいあれば比べられる。
何がいいだろう。
光哲だった頃の記憶を辿る。
扱うことが多かったのはもちろん鉄鋼だったが、仕事をしていれば他の金属の性質について知る機会もあった。金属によって電気の通しやすさが違うことくらいは知っている。
鉄とは性質の違うものなら、アルミや鉛あたりだろうか。
そこまで考えてから、クロードは一度手を止めた。
前の世界で知っているのは、あくまで電気の話だ。
この世界の雷魔法が同じようになるとは限らない。
だからこそ、試してみる意味がある。
クロードは『雷の記録』の空いたところへ、アルミ、鉛と書き加えた。
鉄とは違う金属を置いたとき、雷はどこへ落ちるのか。
そう考えると、すぐに確かめたくなった。
◇
朝食を終えると、クロードはガルディオを探した。
「父さま」
「どうした?」
「違う金属も欲しい」
ガルディオがクロードを見る。
「昨日使ったものとは別のものか?」
「うん。今まで使ってたのは鉄だから、アルミとか鉛とか」
「それも雷に使うのか?」
「種類が違ったら、落ち方も変わるかもしれないから」
「なるほどな」
ガルディオは少し考える。
「アルミならある。鉛は今、屋敷にはなかったはずだ」
「ないの?」
「ああ。だが用意はできる。明日まで待てるか?」
「明日?」
クロードは少しだけ考えた。
一日なら待てる。
けれどアルミはあると言った。
「じゃあ今日はアルミを――」
「ちょうどいい。今日は休め」
言い終わる前に止められ、クロードはガルディオを見上げた。
「休むの?」
「ああ」
「でも、体はなんともないよ」
「分かっている」
「じゃあ――」
「なんともないうちに休むんだ」
クロードは口を閉じた。
ガルディオはそんな息子を見て、少し笑った。
「ここ何日か、ずっと雷を使っていただろう。鉛を待つならちょうどいい」
「でも、五回までは大丈夫なんでしょ?」
「五回までなら必ず使え、とは言っていないぞ」
「……そっか」
確かにそうだった。
最大で五回まで試してもいいと決めただけで、毎日そこまで使う必要はない。
「雷は明日でも使える。今日は別のことをしていろ」
クロードはまだ少し名残惜しかったが、最後には頷いた。
「分かった」
「よし」
ガルディオの手が頭に乗る。
いつものように大きな手だった。
「父さまは?」
「私は出る」
「どこに?」
「領内を少し回ってくる。戻るのは夕方になるだろうな」
ここ数日は、雷のこともあってガルディオがそばにいる時間が長かった。
だが父は領主でもある。
クロードの実験だけを見ているわけにはいかない。
「いってらっしゃい」
「ああ。お前はちゃんと休めよ」
最後に念を押し、ガルディオは出かけていった。
クロードはその背中を見送ったあと、庭の方へ目を向ける。
雷は使わない。
実験もしない。
そう決まってしまうと、いつもより一日が長くなったような気がした。
◇
「にーさま!」
廊下を歩いていたクロードのところへ、小さな足音が近づいてきた。
振り向くと、イリアがこちらへ向かってくる。
その後ろにはエリスもいた。
「イリア」
「にーさま!」
クロードのところまで来たイリアは、そのままぴったりとそばにくっついた。
「今日はずいぶん甘えるね」
そう言うと、エリスが苦笑した。
「そりゃそうよ。この子、ずっとクロードに会いたがってたんだから」
「僕に?」
「あなたが魔法の実験をしている間は近づいちゃ駄目って言われていたでしょう?」
クロードは頷いた。
雷がどこへ落ちるか分からない以上、実験をしている場所へイリアを連れてくるわけにはいかない。
「でも、この子にそんなこと言っても分からないもの。クロードのところに行くって聞かなくて、たまに大変だったのよ」
「そうだったの?」
クロードがイリアを見る。
「にーさま」
返事になっているのかは分からない。
けれど、ぎゅっと服を掴んでいる手を見ると、会いたがっていたという話は本当らしい。
クロードはその小さな頭を撫でた。
「今日はずっといるよ」
イリアが顔を上げる。
「いる?」
「うん」
すると、ぱっと笑った。
「ごさい!」
「……なんで?」
エリスが吹き出した。
「最近それもお気に入りなのよ」
「ごさい!」
「僕は五歳だけど」
「ごさい!」
「イリアは違うよ」
「ごさい!」
どうやら訂正する意味はなさそうだった。
クロードが笑うと、イリアも嬉しそうに笑った。
ここ数日は朝になると『雷の記録』を開き、その日に何を試すかばかり考えていた。
こうしてイリアとゆっくり過ごすのは久しぶりかもしれない。
やがてイリアはクロードの部屋に置かれた木箱を見つけた。
「いし」
「石?」
「みる」
指さしたのは、これまで集めてきた石を入れている箱だった。
「石が見たいの?」
「みる!」
クロードは木箱を開けた。
イリアも覗き込もうとする。
以前のように見たことのない石を何でも入れているわけではないが、今でも気になったものはいくつか残している。
その中から尖っていないものを探し、小さすぎない丸みのある石を一つ選んだ。
「これならいいかな」
「ちょっと見せて」
いつの間にか隣まで来ていたエリスが確認する。
「これなら大丈夫そうね。でもちゃんと見ていてあげて」
「うん」
クロードが差し出すと、イリアは両手で石を受け取った。
「いし」
「そう。石」
イリアは手の中の石を眺め、それからクロードを見た。
「にーさま、いし」
「兄さまの石だよ」
「にーさまの!」
嬉しそうに笑う。
クロードにとって石は、形や重さや硬さを確かめたくなるものだ。
けれどイリアは石の種類など気にしていない。
兄が持っているものを自分にも見せてもらえた。それだけで嬉しいらしい。
そんな妹を見ていると、以前考えたことを思い出した。
アルトが自分にいろいろなことを教えてくれたように、イリアが大きくなったら自分も何かを教えてあげたい。
まだ教えるというほどではないかもしれない。
それでも、自分の知っているものをこうして見せてやることくらいはできる。
「ごさい」
イリアが石を見ながら呟いた。
「それは石だよ」
「ごさい!」
「石」
「ごさい!」
「……まあいいか」
後ろでエリスがまた笑っていた。
◇
昼を過ぎても、クロードは雷を使わなかった。
イリアに見せた石を木箱へ戻したあとも、頭の片隅には朝考えていた金属のことが残っていた。
明日になればアルミと鉛を使える。
けれど、そもそもこの世界では金属についてどんなことが知られているのだろう。
そんなことを考えていると、廊下の向こうからアルトが歩いてきた。
「アルト兄さま」
「ん? どうした、クロード」
「金属のことが書いてある本ってある?」
「金属?」
アルトが足を止める。
「鉄とかアルミとか、そういうの」
「さあ……」
アルトは少し考えてから首を傾げた。
「俺は知らないな」
「そっか」
「何か調べたいのか?」
「うん」
「また石か?」
「今日は金属」
「似たようなものじゃないのか?」
「違うよ」
クロードが答えると、アルトは笑った。
「分かった分かった。じゃあ少し探してみるか」
「うん」
二人で屋敷の書斎へ向かった。
置かれている本は、書斎の棚に収まる程度だ。
礼儀作法について書かれたものや、一般的な教養を扱ったもの。政治や領地に関するもの、歴史や地理、それに物語などもある。
二人で棚を分けて探してみたが、金属について詳しく書かれていそうな本はなかなか見つからない。
「ないな」
「こっちにもない」
「本当にそんな本あるのか?」
「あるかもしれない」
「なかったら?」
「そのとき考える」
「クロードらしいな」
アルトが笑いながら別の棚へ手を伸ばす。
クロードも並んだ背表紙を一冊ずつ見ていった。
その途中で、見覚えのある厚い本が目に入った。
「あ」
手を伸ばして引き出す。
表紙を見た瞬間、ずっと前の記憶が戻ってきた。
「これ、前に見た」
「ん?」
アルトが覗き込む。
「ああ。歴史の本か」
まだ文字を読めなかった頃、アルトが読んでいた本だ。
見たいと言って、隣に座らせてもらった。
最初は何が書かれているのかほとんど分からず、紙が何でできているのかということまで気になった。
それでもアルトが頁をめくってくれるうち、大きな地図が出てきたことは覚えている。
「まだあるかな」
「何が?」
「地図」
クロードは本を机へ運んだ。
アルトも隣に座り、二人で頁をめくる。
しばらくすると、記憶に残っていた大きな地図が現れた。
「あった」
「これか。懐かしいな」
昔と同じ地図だった。
あの頃はそこに並んでいる文字が読めなかった。
アルトが指を置いて、ここが自分たちの住んでいる国だと教えてくれた。
その国がラクレシア王国という名前だと知った。
さらに外にも国があると聞いて、どんなところなのか尋ねた。
アルトにも詳しくは分からず、二人で調べようと話した。
今は違う。
クロードは地図に書かれた文字へ目を向けた。
「ラクレシア王国」
自分で読める。
それだけのことなのに、少し嬉しかった。
「前は俺が教えたんだぞ」
「覚えてるよ」
「本当に?」
「うん。アルト兄さまも他の国のこと知らなかった」
「そこまで覚えてるのかよ」
アルトが少し困ったように笑う。
クロードは地図の上で視線を動かした。
ラクレシアの外にも、いくつもの国名が並んでいる。
昔は線と模様にしか見えなかった場所にも、今は名前がある。
「……ザクラス」
地図の北側にある国だった。
近くに書かれている文章も読んでみる。
「ドワーフの国……?」
「ドワーフ?」
アルトも横から文章を覗き込む。
そこには、ザクラスには多くのドワーフが暮らし、鉱山や鍛冶で知られていると書かれていた。
「本当にいるんだ」
クロードは思わず呟いた。
前の世界では物語の中でしか知らなかった存在だ。
さらに文字を追っていく。
そして、あるところで目が止まった。
「……珍しい石がある?」
アルトがクロードの顔を見る。
「やっぱりそこに食いつくのか」
「だって珍しい石って書いてある」
ザクラスの鉱山では、他では見られない珍しい石が採れることがあるらしい。
けれど、それがどんな石なのかは書かれていない。
クロードは文章の先まで読んでみたが、それ以上の説明はなかった。
「何の石だろう」
「俺に聞くなよ」
「見てみたいな」
「本当に石が好きだな、クロードは」
アルトは呆れたように言いながら笑っている。
クロードはもう一度ザクラスの場所を見てから、地図の別のところへ目を移した。
今度は南の方にある国についての文章が気になった。
そこに書かれていた言葉を見て、目を止める。
「魔族……?」
人間とは異なる特徴を持つ者たちを魔族と呼び、その者たちが暮らす国が南方にある。
歴史書には、そう記されていた。
その下には、人間とは異なる文化や考えを持ち、過去には人間の国々と争ったこともあると書かれている。
クロードはゆっくりと文章を読んだ。
前の世界なら、魔族もドワーフと同じように物語の中で聞く存在だった。
「魔族も本当にいるんだ」
「俺も見たことはないけどな」
「どんな人たちなんだろう」
「ここに書いてあるくらいしか知らない」
「そっか」
クロードはもう一度文章を見る。
今の自分には、そこに書かれていること以上は分からない。
この世界ではこういう者たちを魔族と呼ぶらしい。
ひとまず、それを覚えておくことにした。
再び地図全体を見る。
ラクレシア。
ドワーフたちが暮らすザクラス。
魔族が暮らすという南の国。
昔も同じ地図を見た。
けれど文字が読めるようになった今は、あの頃よりずっと多くのものが見える。
同時に、知らないものも増えた。
「アルト兄さま」
「ん?」
「世界って広いね」
アルトは少し意外そうな顔をして、それから地図へ目を落とした。
「そうだな」
「知らないこと、いっぱいある」
「全部調べるのか?」
クロードは少し考えた。
全部を知ることなんてできない。
それは前の世界でも同じだった。
一つ分かれば、その先にまた分からないものが出てくる。
「全部は無理かも」
「じゃあ諦める?」
「ううん」
クロードは首を横に振った。
「気になったら調べる」
アルトが笑った。
「じゃあ今までと同じだな」
「うん」
その言葉にクロードも笑った。
結局、探していた金属の本は見つからなかった。
アルミと鉛を使った実験も明日からだ。
今日は一度も雷を使っていない。
それでも、何もしなかった日ではなかった。
昔は読めなかった本を、今は自分で読むことができた。
文字が分かるようになったことで、昔は見えなかったものが見える。
そして見えるものが増えれば、その先にはまた知らないものがある。
珍しい石とは何なのか。
魔族とはどんな人たちなのか。
そして鉄とは違う金属を使ったとき、雷はどこへ落ちるのか。
まだどれも分からない。
クロードは地図を眺めながら思う。
分からないなら、調べればいい。
今すぐ分からなくても、いつか知ることができるかもしれない。
明日になれば、まず一つ試せる。
クロードは地図から目を上げると、隣にいるアルトともう一度本の頁をめくった。




