獲物を探して
帰省してから何日かが過ぎ、クロードは朝に木剣を振り、昼にはイリアと遊ぶ日を過ごしていた。
その日も、庭でイリアと追いかけっこをしているところだった。
「お兄ちゃん、次は私が逃げる番!」
「もう一回?」
「うん!」
クロードが笑って立ち上がろうとすると、屋敷の方からブラインが歩いてきた。
「楽しそうだな、二人とも」
「ブラインお兄さま!」
イリアが駆け寄ると、ブラインは少し屈んでその顔を見た。
「今、クロードを捕まえたところか?」
「今度はお兄ちゃんが私を捕まえるの!」
「そりゃ大変だ」
ブラインは笑ってから、クロードへ目を向けた。
「そうだ、狩りの予定が決まったぞ」
「本当ですか?」
「ああ、父上とも話して、明日の朝に出ることになった」
クロードは思わず立ち上がった。
「明日ですか!」
「そんなに楽しみだったのか?」
「はい、どうやって獲物を見つけるのか、まだ分からないことばかりですから」
「行けば少しは分かるさ」
ブラインが言うと、イリアが二人を見比べた。
「明日はお兄ちゃん、いないの?」
「朝から狩りに行くんだって」
「そっかあ」
イリアは少し残念そうにしたが、すぐにクロードの手を取った。
「じゃあ今日は、もうちょっと遊べる?」
「もちろん!」
「やった!」
その声にブラインが笑う。
「明日に疲れを残すなよ」
「気をつけます!」
「お兄ちゃん、早く追いかけて!」
イリアはそう言うと、笑いながら庭の向こうへ駆け出した。
クロードもブラインに笑いかけてから、その後を追って走った。
◇
夕方、クロードはザナンと一緒に、翌日の支度が置かれた部屋を訪ねた。
ガルディオとブラインが、用意された道具を確かめている。
「父上、明日は何を狙うんですか?」
クロードが尋ねると、ガルディオは手を止めた。
「鹿が見つかれば狙うが、見つかるとは限らん」
「そうなんですね」
クロードは並べられた道具へ目を向けた。
弓や矢、それに水や食料を入れる袋が用意されている。
「弓を使うんですか?」
「獲物に近づきすぎずに済むからな」
ブラインが一本を手に取り、弦の様子を確かめる。
「ただし、見つけたからといってすぐ射るわけじゃない」
「どうしてですか?」
「相手が動いてる時に慌てて射っても、狙ったところへは当たりにくいだろ」
その言葉を聞いて、クロードは野外実習で魔法を外したことを思い出した。
「……確かにそうですね」
「今日は見て覚えろ」
ガルディオが言った。
「俺たちより前へ出るな、獲物が走っても追わなくていい」
「はい」
「知らない場所へ一人で入るなよ」
ザナンも横から付け加える。
「分かってますよ」
「本当か?」
「本当です!」
「お前、気になるものがあるとそっちばっかり見てるからな」
「ちゃんと周りも見てます」
「じゃあ明日、見せてもらうか」
ザナンが笑うので、クロードも笑い返した。
その隣でブラインが道具を整える。
「ザナン、お前も弟をからかうのは明日にしておけ」
「兄上まで言うんですか」
「明日は静かに歩くんだからな」
「分かってますよ」
ガルディオは三人のやり取りを聞きながら、最後に袋の口を確かめた。
「準備はこれでいいから、今夜は早めに休め」
「はい!」
クロードが答えると、ザナンも頷いた。
狩りに行くことが、ようやく明日の予定になった。
部屋を出てからも、クロードはさっき見た弓のことが少し気になっていた。
◇
翌朝、まだ庭に長い影が残る頃、四人は屋敷の前に集まった。
クロードは歩きやすい靴を履き、教えられた荷物を持っている。
ガルディオとブラインは弓を確かめ、ザナンも持ち物を整えていた。
「忘れ物はないな」
ガルディオが尋ねる。
「はい!」
「声が大きいぞ、クロード」
ザナンが笑った。
「まだ屋敷の前ですよ」
「森に入ってもその調子じゃ困るだろ」
「森に入ったら静かにします」
「じゃあ覚えておく」
そこへイリアがエリスと一緒に出てきた。
「お兄ちゃん!」
クロードが振り向くと、イリアは四人を順番に見た。
「本当にみんなで行くんだね」
「そうだよ」
「何か捕まえられるかな?」
「それは行ってみないと分からないよ」
クロードが答えると、イリアは少し考えてから笑った。
「じゃあ、帰ってきたら教えてね!」
「うん、話すよ」
エリスがクロードの服を軽く整える。
「足元には気をつけてね、帰ってきたらちゃんと休むのよ」
「はい、母さま」
「あなたたちも、無理しないでくださいね」
ガルディオが短く頷く。
「ああ」
ブラインとザナンも返事をして、四人は屋敷を後にした。
最初は通り慣れた道だったが、しばらく進むと木々が増え、足元の地面も柔らかくなっていく。
林に入る前、ガルディオが足を止めた。
「ここから先は、話す時も声を落とせ」
「はい」
クロードは小さな声で答えた。
ザナンが隣でこちらを見る。
「ちゃんと小さくなったな」
「さっきから言いすぎですよ」
「まだ一回しか言ってないだろ」
「二回目です」
先を歩いていたブラインが肩を揺らした。
「数えるところはクロードらしいな」
クロードは兄たちの後ろを歩きながら、辺りへ視線を向けた。
◇
林の中は、思ったより静かだった。
木々の間を風が抜け、時折、足元で葉がこすれる音がする。
鳥の声は聞こえても、目当ての獣はなかなか姿を見せない。
クロードは何度か奥を覗いてみたが、見えるのは幹と草ばかりだった。
「こんなに歩いても、まだ見つからないんですね」
声を落として言うと、ブラインが振り返った。
「向こうだって、見つかりたくて歩いてるわけじゃないからな」
「それはそうですけど……」
「案外、お前より先にこっちを見つけてるかもしれないぞ」
ザナンも口を挟んだ。
「えっ」
クロードはもう一度周囲を見回す。
「見たって、どこに?」
「俺に聞かれても分からん」
ザナンが笑うと、ブラインまで笑った。
「二人とも、声を落とせ」
前を歩くガルディオが振り向かずに言った。
「はい」
クロードとザナンの返事が小さく重なる。
しばらく進むと、ブラインが足を止めて地面を見た。
「父上、これ」
クロードも近づく。
柔らかい土に、細い線を挟むような跡がいくつか残っていた。
「足跡ですか?」
「そうだろうな」
ブラインは少し離れた別の跡も確かめる。
ガルディオがしゃがんで地面を見た。
「何かが通ったのは確かだが、今ここにいるとは限らん」
「どっちへ行ったんでしょう」
クロードが尋ねる。
「この跡だけでは分からん」
ガルディオが答えた。
クロードは跡の先へ目を向けたが、草に隠れた先には同じ形が見つからなかった。
「消えてますね」
「足跡が残る場所ばかりじゃないからな」
ブラインが言う。
クロードはもう一度地面を見た。
跡を見つけたからといって、そこからずっと追っていけるわけではないらしい。
「お前、下ばかり見てるぞ」
ザナンが声を掛けた。
「今は足跡を見てたんです」
「分かってるけど、前にも木があるからな」
言われて顔を上げると、少し先に低い枝が伸びていた。
「あ、本当だ」
「そのまま歩いてたらぶつかってたな」
「……それは見てませんでした」
「正直でよろしい」
ザナンが笑い、クロードも小さく笑った。
また歩き始めると、ガルディオが一度だけ後ろを見た。
「クロード」
「はい」
「足元も先も、どちらも見ろ」
「はい」
クロードは頷いて、今度は地面と木々の間へ交互に目を向けた。
しばらくして、ガルディオが片手を上げた。
三人はすぐに足を止める。
ガルディオが見ている先を、クロードもそっと覗き込んだ。
木々の間に、茶色い獣が立っていた。
少し離れているが、顔を動かした時に長い耳が見える。
(鹿だ……)
クロードは口を開きかけて、慌てて閉じた。
隣のザナンも動かずに獣を見ている。
ブラインはゆっくり弓に手を掛け、ガルディオの様子を確かめた。
ガルディオは枝先の動きを一度確かめてから、再び鹿へ目を向けた。
鹿は一度首を下げたが、すぐにまた顔を上げた。
耳が動く。
ガルディオが動こうとした、その時だった。
鹿がくるりと向きを変え、木々の奥へ駆け出した。
クロードは目で追いかけたが、あっという間に姿が消えた。
「……逃げちゃった」
思わず漏れた声に、ザナンが小さく笑った。
「速かったな」
「何もできませんでした」
「何かする前に逃げたんだから、仕方ないさ」
ブラインも弓から手を離す。
クロードは鹿のいた場所を見つめた。
こちらが動く前から、あの鹿は耳を動かしていた。
何かの音が聞こえたのか、匂いに気づいたのか、それとも別の理由なのかは分からない。
「父上、僕たちに気づいていたんでしょうか?」
「かもしれんな」
ガルディオは鹿が消えた方を見た。
「もういないから、追わずに次を探すぞ」
「はい」
ザナンが隣で肩をすくめた。
「俺たちの方が先に見つけたつもりだったのにな」
「向こうの方が早かったのかもしれませんね」
クロードが答えると、ザナンは頷いた。
「だな」
四人は一度足を止めて水を飲み、また林の奥へ向かった。
さっきの鹿がどこへ行ったのか、もう見えない。
けれど、今度は木々の間に目を向ける時間が少し増えていた。
少し先で、クロードは道から外れた草の一角が倒れているのに気づいた。
ほかの場所より、そこだけ葉の向きが揃っている。
「父上、あそこは何でしょう?」
ガルディオが足を止め、クロードの指した方を見た。
ブラインも近づいて草を確かめる。
「何かが通ったのかもな」
「さっきの鹿ですか?」
クロードが尋ねると、ブラインは首を傾げた。
「そうとも限らない」
「ですよね」
クロードは草の向こうへ視線を移した。
一度見つけた足跡とは違って、今度は草の倒れ方が気になった。
こんなものも、さっきまでなら素通りしていたかもしれない。
「ザナン、そっちに何か見えるか?」
ブラインが聞く。
ザナンは少し離れた木の間を見た。
「いや、まだ……」
そこで言葉が途切れた。
クロードも耳を澄ませる。
枝が触れ合うような小さな音が、木々の向こうから聞こえた。
風が吹いたのか、何かが動いたのかは分からない。
ガルディオが片手を上げる。
四人は動きを止めた。
クロードは今度こそ、音がした方から目を離さなかった。




