紙の上の勝負
進級テストの詳しい予定が伝えられたのは、それから数日後のことだった。
教室へ入ってきたゼルトスは、いつものように生徒たちを見渡してから教卓に手を置いた。
「さて、諸君。進級テストの予定が決まったよ」
クロードも開いていた教本から顔を上げる。
「今年は2日間、筆記試験を行う。初日が算術、文学、世界史。翌日が国史と魔法基礎だ」
「先生、実技はないんですか?」
ガレスが手を上げた。
「今回は実施しない。魔法実習や戦闘実践については、普段の授業で担当の先生たちが確認しているからね」
ゼルトスが答えると、少し離れた席から声が飛んだ。
「えっ、実技ないのかよ!」
ザナトスだった。
「おや、残念そうだね」
「そりゃそうですよ。せっかくクロードと勝負できると思ってたのに」
クロードは思わずザナトスの方を見た。
「勝負なら、筆記でもできるんじゃない?」
「言われなくても分かってる!」
「じゃあ、いいじゃない」
エクリアが口を挟むと、ザナトスはそちらへ顔を向けた。
「お前は筆記が得意だからな」
「得意だからって、勉強しなくていいわけじゃないわ」
エクリアは机の上のノートを指で押さえた。
「それに、私も勝ちたい相手がいるもの」
その視線が自分へ向いたので、クロードは少し笑った。
「僕も頑張るよ」
「ええ。そうしてくれた方がいいわ」
「諸君、勝負の話は休み時間にしたまえ」
ゼルトスが笑いながら言うと、教室にも小さな笑い声が広がった。
放課後、クロードが荷物をまとめていると、ノーゼスがノートを持って近づいてきた。
「クロード、算術のここ、もう一回見てくれないか?」
開かれた頁には、途中まで書かれた計算が並んでいる。
「今度は途中も書いてあるね」
「前に忘れたからな」
ノーゼスは少し得意そうに言ったが、すぐ指先で別の行を示した。
「で、ここから先が分かんねえ」
クロードが数値を追っていると、帰り支度をしていたエクリアも覗き込んだ。
「その一つ前の式、もう一度計算してみたら?」
「え、そこ?」
「間違ってるとは言ってないわ。確かめてみたらってこと」
ノーゼスは鉛筆を握り直した。
「……あ、本当だ。こっちの数字が違う」
「自分で気づいたね」
クロードが言うと、ノーゼスは顔を上げた。
「今、二人とも気づいてたろ」
「私は何も答えてないわよ」
「そうだけどさ!」
三人で笑ったあと、エクリアは自分のノートを鞄へしまった。
その表紙からは、何度も開いた頁の端が少し覗いている。
「エクリアも、まだ勉強するの?」
クロードが尋ねると、彼女は頷いた。
「世界史で確かめたいところがあるの。覚えたつもりになってるのが嫌だから」
「もう十分覚えてそうだけどな」
ノーゼスが言う。
「それを決めるのは試験が終わってからよ」
エクリアはそう返して、二人へ軽く手を振った。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
ノーゼスも返事をしてから、自分のノートへ視線を戻した。
「俺も、ここだけは終わらせて帰る」
「じゃあ、僕ももう少し付き合うよ」
クロードが隣の椅子を引くと、ノーゼスは嬉しそうに笑った。
◇
試験初日の教室は、いつもより静かだった。
机の上には筆記用具が置かれ、生徒たちは始まりの合図を待っている。
最初の科目は算術だった。
答案用紙が配られると、クロードは名前を書いてから問題へ目を落とした。
最初の数問は、すぐに計算の手順が浮かんだ。
その先にあった長い問題で一度鉛筆を止め、条件を読み直す。
答えだけ先に出そうとしても、途中を間違えれば最後までずれてしまう。
クロードは紙の余白へ式を書き、一つずつ確かめていった。
少し離れた席では、ノーゼスが額へ手を当てている。
けれど途中で消しゴムを使ったあと、今度は飛ばさずに計算を書き直し始めた。
エクリアは紙の端に小さく印をつけ、次の問題へ進んでいた。
最後まで解いてから、残した印のところへ戻ってくる。
一度書いた数字を消し、もう一度計算し直す。
終了を知らせる声が掛かる直前まで、誰もが自分の答案へ向かっていた。
「そこまで。筆記用具を置いてください」
クロードも鉛筆を置き、用紙が回収されるのを待つ。
一つだけ、最後に確かめられなかった式があった。
正しいと思って書いたけれど、まだ少し気になる。
答案が自分の机から離れると、もう直すことはできなかった。
次の文学では、文章を読んで答える問題が続いた。
登場人物の言葉だけを拾っても、前後を読まなければ答えにならない問いがある。
クロードはある設問で書きかけの文を止め、指定された箇所を読み直してから言葉を足した。
エクリアは問題用紙を指で押さえ、本文に戻って確かめてから答案を埋めていく。
問題を解き終えてもすぐには顔を上げず、自分の答えを最初から見直していた。
昼食を挟んで、初日最後の世界史が始まった。
出来事の順序を問う問題に続き、それぞれの出来事がどうつながったかを書く問いもあった。
クロードは授業で見た年表を思い出しながら、知っていることを順に整理する。
書いたあとで一つの順番が気になり、もう一度問題を読んだ。
けれど、思い出せたのはそこまでだった。
迷ったまま消すより、今分かっている答えを残しておこう。
クロードが鉛筆を置いて少しすると、試験終了の合図が鳴った。
ようやく初日の三教科が終わった。
◇
答案が回収されると、教室のあちこちで椅子が動いた。
「終わったー!」
ガレスが机へ両腕を投げ出す。
「まだ明日があるだろ」
ノーゼスが言うと、ガレスはそのまま顔だけを上げた。
「分かってるよ。今日の分が終わったんだって!」
「俺も今日は十分だな」
ノーゼスが椅子にもたれる。
「算術で時間使いすぎた」
「途中の計算、書けた?」
クロードが尋ねると、ノーゼスは少し得意そうに胸を張った。
「そこはちゃんと書いたぞ」
「じゃあよかったね」
「最後まで解けたかどうかは別だけどな」
クロードが笑ったところへ、ザナトスが近づいてきた。
「おい、クロード。今日のはどうだった?」
「解けたと思うところは多かったよ」
「何だよ、その言い方」
「まだ採点されてないし」
「俺だって、それくらい分かってる!」
ザナトスはそう言いながらも、まんざらでもなさそうだった。
「明日の魔法基礎も勝負だな」
「だから、試験は試験でしょ」
エクリアが会話に加わる。
「お前だってクロードに負けたくないんだろ?」
ザナトスに言われても、エクリアは目を逸らさなかった。
「ええ。だから、ちゃんとやってるのよ」
その返事にザナトスは一瞬黙り、それから笑った。
「じゃあ、お互い頑張ろうぜ!」
「そうね」
クロードは二人を見てから、自分の鞄を持った。
「僕も明日の分、見直そうかな」
「だったら俺も!」
ノーゼスが立ち上がった。
「さっき十分だって言ってなかった?」
エクリアが聞くと、ノーゼスは笑って答えた。
「今日の分はな!」
◇
翌日の国史が終わると、残る試験は魔法基礎だけになった。
エクリアは次の答案を待ちながら、机の上で指先をそっと握り直した。
昨夜、国史で最後まで迷っていたところは、今の試験では答えを書けたと思う。
もちろん、合っているかどうかはまだ分からない。
それでも、前日の世界史も、今朝の国史も、ただ覚えた言葉を書き並べただけではなかった。
授業で聞いたことを思い返して、自分の言葉で答えることができた。
試験用紙が配られる。
最後の科目、魔法基礎。
エクリアは名前を書き、最初の問いを読んだ。
《印》と魔術操作について、これまで習った内容を確かめる問題が並んでいる。
初級で習ったこともあれば、3年生になってから学んだ中級魔法に関する問いもあった。
エクリアは一つずつ目を通し、分かるところから書き始めた。
魔法実習では水と風を切り替えるたびに手元を確かめている。
反対の手では《印》の途中で指が止まることもある。
それでも、今問われているのは、自分がその場で魔法を発動できるかどうかではない。
習ったことを、正確に理解しているかどうかだ。
一度答えを書いたあと、エクリアは問題文に戻った。
聞かれているのは、魔法の名前ではなく操作の違いだった。
それに気づいて、答えの一部を書き直す。
次の問いへ進む頃には、緊張していた指先もいつものように動いていた。
最後の頁には、いくつかの条件を読んで説明を書く問題が残っている。
エクリアは一度鉛筆を置き、ナターシャの授業で確かめた順序を思い出した。
どこまでが教本に書かれた説明で、どこからが自分の考えなのか。
それを分けてから、答えをまとめる。
書き終えると、答案の最初へ戻った。
まだ時間は残っている。
見落とした言葉がないか、問いに対して答えがずれていないかを確かめる。
二度目の見直しに入ったところで、試験終了が告げられた。
エクリアは鉛筆を置いた。
(……終わった)
考え直したい問題が一つもないわけではない。
それでも、今までの試験よりも自分の答えに納得できていた。
答案が回収されるのを見ながら、小さく息を吐いた。
◇
最後の答案が教室から運ばれると、生徒たちは一斉に声を上げた。
「終わったぞー!」
ガレスが伸びをし、ノーゼスも机へ突っ伏した。
「今度こそ全部終わったな」
「まだ結果があるでしょ」
エクリアが言うと、ノーゼスは伏せたまま返事をした。
「今だけは忘れさせてくれ」
クロードが笑うと、ノーゼスも顔を上げて笑った。
「クロードはどうだった?」
エクリアに尋ねられ、クロードは少し考える。
「うん。書けたと思う。でも、迷ったところもあったよ」
「私もよ」
「そうなの?」
「当たり前でしょ。全部迷わず書けたわけじゃないわ」
そう言ってから、エクリアは少し笑った。
「でも、今回は自分でも結構やれたと思う」
クロードは彼女の顔を見る。
エクリアは以前から、勉強でも実技でも一番を目指していた。
うまくいかなかった話をする時も、次に何をするかを自分で考えてきた。
「結果、楽しみだね」
クロードが言うと、エクリアは頷いた。
「ええ。私も」
「おい、二人で結果の話ばっかりするなよ」
ノーゼスが鞄を手に立ち上がる。
「俺はまず何か食べたい」
「もう昼ご飯のこと?」
エクリアが呆れる。
「試験中ずっと頭使ってたんだぞ!」
「それなら、僕もお腹空いたかも」
クロードが言うと、ノーゼスは嬉しそうに頷いた。
「だろ?」
三人は机の上を片付け、まだ試験の話を続けている教室の中を通って扉へ向かった。
廊下に出ても、あちこちから同じように試験を終えた生徒たちの声が聞こえてくる。
エクリアは隣を歩くクロードを見る。
結果はまだ分からない。
けれど、答えを書き終えた時の感覚は、もう手元に残っていた。
そのことが少し嬉しくて、エクリアは二人と並んだまま歩き続けた。




