動いた瞬間
グレインは、前に集まった6人を見渡した。
「最初の野外実習は、王都の近くへ行く」
クロードは顔を上げたまま続きを待った。
「その日のうちに戻る予定だ」
「魔物と戦うんですか?」
ベンが尋ねると、グレインは頷いた。
「相手をさせることもあるが、まずは実物に慣れるところからだな」
少し離れたところでは、ラディスとセリアナも自分の班へ話をしていた。
ノーゼスがそちらをちらりと見てから、グレインへ顔を戻す。
「どれと戦うか、自分たちで決めるんですか?」
「いや、俺が決める」
返事はすぐだった。
「お前たちに任せられない相手なら、俺たちが倒す」
「その時は下がって、手を出すな」
エクリアが頷き、クロードも同じように頷いた。
「魔法で手伝うのも駄目ですか?」
ガレスが聞く。
「俺たちが引き受けると言ったら、手伝おうとしなくていい」
グレインは6人へ視線を巡らせた。
「加わったお前たちが怪我をしたら、その対応も必要になる」
「分かりました」
ガレスが答える。
ピアも、そばにいるベンの向こうからグレインを見ていた。
クロードは、学園の外で魔物と向き合うところを想像してみた。
どんなふうに動くのだろう。
どのくらい近くまで見られるのだろう。
グレインの話が持ち物や集合のことへ移ってからも、その姿が気になっていた。
◇
実習当日の朝、クロードたちは身支度と荷物を教師に確かめてもらってから、学園の正門を出た。
18人の生徒がいつもの班ごとにまとまり、3人の教師と王都の通りを進む。
クロードは水筒と昼食を入れた荷物を背負い直した。
「まだ食べないのよ」
隣を歩いていたエクリアが言う。
「食べようとしてないよ」
「今、袋の中を見てたでしょう」
「ちゃんと閉まってるか見てただけ」
「もう腹減ったのかと思った」
ノーゼスまで笑いながら言うので、クロードは荷物から手を離した。
「2人とも、僕を何だと思ってるの」
「昼ご飯が楽しみな人」
「それは楽しみだけど」
前を歩いていたガレスが振り向き、少し笑った。
後ろからも話し声が聞こえてくる。
王都を抜けると、道の両側に開けた土地が広がった。
建物の間を歩いていた時より風がよく通り、草の上を影が流れていく。
クロードはそちらへ顔を向け、遠くに見える木々にも目をやった。
先頭にグレイン、その後ろにクロードたち6人がいる。
ラディスは次の班の近くを歩き、セリアナは列の後ろについていた。
道が細くなったところで、グレインから間を空けすぎないよう声が掛かる。
ノーゼスが足元の石を避け、クロードも少し進む場所を変えた。
「見つかるかな」
「魔物?」
「うん」
クロードが答えると、ノーゼスは道の先を見た。
「どっかにはいるだろ」
「そんな、簡単に言うけど」
エクリアが言いかけたところで、先頭のグレインが手を上げた。
「止まれ」
クロードは足を止める。
後ろで重なっていた話し声も、少しずつ途切れた。
グレインの見ている方を追うと、低い茂みの向こうで何かが動いていた。
「そこに1体いる」
草の間から、獣のような頭が出ている。
クロードがじっと見ていると、魔物は身体ごと茂みの外へ出てきた。
4本の足で土を踏み、少し歩いてから立ち止まる。
大きく口を開けた拍子に、歯が見えた。
「……あれか」
ノーゼスの小さな声が聞こえた。
クロードは頷き、もう少しよく見ようと顔を向ける。
魔物はまだ、こちらとは違う方を見ていた。
息をするたびに身体が動いている。
その足が地面を掻いた。
クロードが足元へ目を移した時、魔物の頭がこちらを向いた。
低い声が聞こえる。
「まだ手を出すな」
グレインが前へ出る。
魔物は身を低くしたかと思うと、地面を蹴った。
エクリアの足が後ろへ引かれた。
クロードも下がろうとした。
けれど、足が動かなかった。
突然開いた、馬車の扉。
車内へ伸びてきた知らない男の手と、その前へ身体を入れたザナンの背中が、目の前に蘇る。
(あ……)
腕を払いのけられた男が、扉の向こうへよろめいた。
自分は座席にいた。
立たなければと思っていたのに、すぐには立てなかった。
「クロード、下がれ」
グレインの声がした。
クロードの前にあるのは、兄の背中ではなかった。
剣を抜いたグレインが、魔物との間に立っている。
その向こうで魔物は足を止め、低く唸っていた。
「クロード、こっち」
すぐ横からノーゼスに呼ばれ、クロードはそちらを見た。
ノーゼスは少し後ろにいる。
その隣には、右手を上げたままのガレスがいた。
クロードはようやく足を引いた。
靴の裏で小石がずれる。
もう1歩下がると、ノーゼスと肩が並んだ。
「そのまま離れろ」
グレインは魔物を見たまま言った。
ラディスが列の横へ出て、後ろの生徒たちにも下がるよう手を向けている。
セリアナはその先で生徒をまとめ、人数を確かめていた。
クロードも5人と一緒に、来た方へ少し戻った。
足は動いている。
それでも、さっき頭に浮かんだ男の手が、なかなか消えなかった。
◇
魔物がついてこないのを確かめながら距離を取り、グレインはクロードたちを立ち止まらせた。
ラディスが魔物のいる方へ目を配り、セリアナは残る12人のそばにいる。
クロードは指を開こうとして、右手を強く握っていたことに気づいた。
「6人とも、俺の声は聞こえるな」
「はい」
返事が重なったあと、ベンの声が少し遅れて加わった。
クロードも返事をし、ゆっくり息を吐く。
「今、急いで前へ戻らなくていい」
グレインは1人ずつ顔を見てから、魔物へ視線を戻した。
クロードもそちらを見る。
魔物はさっき止まったところから、横へ歩いていた。
地面へ顔を近づけ、またこちらを向く。
その動きだけで、肩に力が入った。
「大丈夫?」
エクリアが小さな声で聞いてきた。
クロードはすぐに頷こうとして、口を閉じた。
「ちょっと、びっくりした」
「私も」
エクリアは足元を見てから、もう一度顔を上げる。
ノーゼスは何も言わず、魔物の方を見ていた。
そのそばでピアが少し横へずれ、前にいるガレスの肩越しに向こうを確かめる。
「こっちからだと見えるよ」
クロードはピアの示した方へ顔を向けた。
人の身体に隠れていた魔物の足が見えた。
今は走っていない。
4本の足で地面に立っている。
クロードはもう一度息を吐いた。
あの時も、雷を出すことはできた。
2回放って、どちらも狙った男には当たらなかった。
帰ってからも、学園へ戻ってからも、練習してきた。
なのにさっきは、手を上げる前に足が止まった。
「クロード」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
グレインがそばにいた。
「まだきついか?」
クロードは少し考えた。
「怖いです」
「そうか」
グレインは急かさずに待っていた。
クロードは魔物を見てから、近くの5人を見た。
「でも、見ていたいです」
「なら、ここから見ろ」
クロードは頷いた。
すぐには魔力を動かさず、右手を一度開いて下ろした。
少しして、ラディスと周囲を確かめたグレインが6人の方へ戻ってきた。
「相手はあの1体だ」
クロードたちの前で、魔物は土の見えている場所をゆっくり横切っていた。
「まずは初級魔法で向き合う」
「自分から近づくな」
ガレスが頷き、ノーゼスも短く返事をした。
グレインはクロードとベンにも目を向ける。
「まだ撃てないと思うなら、無理に撃たなくていい」
「俺が前に入ったら、全員止めろ」
クロードは返事をした。
少し離れた後ろには、ほかの2班がいる。
ラディスは6人の横に立ち、セリアナは後ろの生徒たちのそばを離れなかった。
グレインが前へ向き直る。
クロードはその動きを見てから、近くの仲間と重ならないよう立つ場所を変えた。
◇
「土、いく」
ノーゼスが言った。
いつもより声が低い。
右手で《印》を組み、《ロックボール》を放つ。
土の球が飛ぶ間に魔物が動き、外れた球はその横の地面を叩いた。
ノーゼスはもう一度右手を動かしかける。
「右へ動いた!」
ピアの声が飛んだ。
クロードもそちらを追う。
魔物は身体の向きを変え、今度はクロードたちを見ていた。
その口から、さっきと同じ低い声が聞こえる。
クロードの腕に力が入った。
「水いく!」
エクリアが《印》を組み、《ウォーターボール》を放った。
水の球が魔物の身体の横へ当たり、飛沫が散る。
魔物はよろめいたが、すぐに足を踏み直した。
クロードは右手を上げた。
《サンダーボール》なら、何度も使ってきた。
指を動かし、魔力を流す。
手元に青白い雷がまとまった時、魔物がこちらへ駆け出した。
「雷……!」
言いかけた声が喉に引っ掛かった。
それでも、右手の《印》は崩れなかった。
クロードは前を見る。
向こうへ出ている仲間はいない。
《サンダーボール》を放った。
雷は魔物の横を通り過ぎ、地面で弾けた。
「そこまでだ」
グレインが6人の前へ踏み出した。
ノーゼスが手を止め、ガレスも組みかけていた《印》を解く。
クロードの視線はまだ魔物を追っていた。
「クロード、下がろう」
ベンに呼ばれ、クロードは右手を下ろした。
足を引く。
グレインが魔物へ踏み込み、剣を振るった。
魔物の身体が崩れ、そのまま地面へ倒れた。
クロードは息を止めたまま、その姿を見つめる。
グレインは剣を構えたまま近づいて確かめ、ラディスへ目を向けた。
ラディスも周囲を見てから頷く。
「もういい」
その声で、クロードは止めていた息を吐いた。
右手を見下ろすと、指先が少し震えていた。
すぐ隣で、エクリアも下ろした手を握り直している。
「離れて休むぞ」
グレインの声に、6人は向きを変えた。
クロードは後ろにいる生徒たちの方へ歩き出してから、もう一度だけ魔物のいた場所を振り返った。
◇
少し離れた見通しのよいところで腰を下ろし、水を飲んだ。
教師たちは周囲へ目を配り、クロードたちは班ごとにまとまっている。
水筒を閉じようとして、クロードは一度手を止めた。
飲む前よりは、息が楽になっていた。
「俺、最初は声が出なかった」
ノーゼスが言った。
エクリアも水筒を下ろして顔を向ける。
「走ってきた時?」
「その前から」
ノーゼスは少し口を曲げた。
「遠くにいた時は、もっとよく見ようと思ったんだけどな」
「私、下がるつもりじゃなかったのに足が下がったわ」
エクリアが自分の足元を見る。
「見てから動こうと思ってたのよ」
「僕は、動こうと思ったのに動かなかった」
クロードが言うと、エクリアが顔を上げた。
クロードは水筒を両手で持った。
「あんなふうに止まると思わなかった」
ノーゼスが小さく頷く。
その向こうで、ベンが自分の手を開いたり閉じたりしていた。
「僕、先生に返事するのも遅れた」
「でも、あとで呼んでくれたよね」
クロードが言う。
「うん、クロードがまだ前を見てたから」
「聞こえたよ」
クロードが答えると、ベンは手の動きを止めた。
ピアが魔物のいた方を見ながら言う。
「私は離れようと思って下がったよ」
「怖くなかった?」
エクリアが聞いた。
「怖かったから」
ピアは少し考えてから続ける。
「でも、見えなくなるのも嫌だった」
クロードは、ガレスの肩越しに魔物を見ていたピアを思い出した。
ガレスはその話を聞いてから、自分の右手へ目を落とす。
「俺は、魔法を当てられると思ってた」
ノーゼスがそちらを見る。
「最初から?」
「ああ」
ガレスは頷いた。
「でも、あっちが動くのを見てたら遅れて、次に使おうとした時には先生が前にいた」
クロードは5人の顔を見た。
グレインが近づいてきたので、クロードたちは顔を上げる。
「怪我はないな」
6人の返事を聞いてから、グレインは少し間を置いた。
「まだ手に力が入ってる者は、少し休ませておけ」
クロードは水筒を荷物へ戻し、両手を膝の上へ置いた。
力を抜こうとしてみると、肩まで上がっていたことが分かった。
隣のノーゼスも肩を動かしている。
「俺、歩いてた時より疲れてる」
「そんなに走ってないのにね」
クロードが言うと、ノーゼスは息を吐いて笑った。
クロードも少しだけ口元を緩めた。
けれど顔を上げて茂みを見ると、またあの低い声を思い出した。
馬車の扉も、こちらへ伸びた手も覚えている。
それでも今、隣にはノーゼスがいて、エクリアたちの声が聞こえていた。
クロードは右手を開き、指先を見た。
やがてグレインが、立ち上がるよう声を掛けた。
クロードは荷物を持ち、5人と一緒に立った。
ノーゼスが歩き出し、クロードもその横へ足を踏み出す。
道の脇に続く茂みが気になって、そちらへ目を向けた。
(ほかの魔物は、どんなふうに動くんだろう)
さっき地面を蹴った足を思い出すと、また指先に力が入った。
クロードは前を行くグレインとの距離を確かめ、ノーゼスの隣を歩いた。




