まずは《印》から
それから次に魔法基礎があった日、クロードは教本を開いてナターシャの話を聞いていた。
「今日は、中級魔法の《印》を覚えていきます」
教室のあちこちで頁をめくる音がする。
クロードも雷属性の中級魔法が載っている頁を開いた。
一番上にあるのは《サンダーランス》だ。
前に読んだ時は、高い出力の雷を槍状にまとめ、形を維持しながら放つ魔法だというところばかり気になっていた。
「その前に、一つ覚えておいてください」
ナターシャが教壇の前で手を上げる。
「中級魔法は、初級魔法より《印》そのものも難しくなります」
クロードは教本へ目を落とした。
《サンダーランス》の《印》が順番に載っている。
「初級より工程が増えますし、途中で間違えれば、その後を正しく続けても魔法は正しく発動しません」
「長いな……」
隣でノーゼスが呟いた。
「土も?」
クロードが小声で聞く。
「見れば分かるだろ」
ノーゼスが教本を少しこちらへ傾ける。
クロードは自分の頁と見比べた。
どちらも初級で見慣れた《印》より、明らかに途中の動きが多い。
前の席ではエクリアが水属性の頁を開いていた。
その横には風属性の頁にも目印が挟まれている。
「エクリアは両方覚えるの?」
「そうなるでしょうね」
エクリアは教本から顔を上げた。
「今までだって両方だったんだから」
「大変そう」
「クロードに言われたくないわ」
「なんで?」
「雷で毎回苦労してるじゃない」
「それはそうだけど」
ノーゼスが笑う。
ナターシャが教室を見回した。
「今日は魔力を使いません」
クロードは顔を上げる。
「《印》だけですか?」
「はい、クロード君」
ナターシャが頷いた。
「まずは教本を見ながら、正しい順番で最後まで組んでください」
「分かりました」
「速さは必要ありません」
ナターシャは全員へ向き直る。
「途中で分からなくなったら、適当に続けないこと」
教室が静かになる。
「教本を確認して、最初からやり直してください」
クロードは右手を机の上へ出した。
教本の最初に載っている形を見る。
指を動かす。
一つ目。
次。
その次。
さらに指の形を変える。
「……あれ?」
手が止まった。
クロードは教本を見る。
「次、こっちか」
指を動かそうとして、もう一度止めた。
途中から続けようとしていた。
ナターシャが言ったばかりだ。
クロードは手を戻す。
「最初から」
もう一度、一つ目から始める。
今度はさっき止まったところまで進んだ。
そこを越える。
「よし」
さらに進める。
また止まった。
「……長い」
今度は自分で口にしていた。
「だろ?」
ノーゼスが横から言う。
「初級より全然長いね」
「俺も途中で分からなくなった」
ノーゼスも手を戻している。
少し離れたところでは、ザナトスが教本と自分の手を何度も見比べていた。
「違うな」
小さく呟いて、最初からやり直している。
クロードはもう一度の《印》を見る。
《サンダーボール》も《サンダーアロー》も、今では考え込まずに指を動かせる。
《サンダーボム》も《サンダーショック》も、最初は教本を見ながら何度も繰り返した。
中級でも、やることは同じなのかもしれない。
ただ、覚えなければならない動きが増えている。
クロードはもう一度、最初の形を作った。
◇
休憩を挟んだあとも、教室では《印》の練習が続いていた。
クロードは教本を見ながら指を動かす。
最初よりは先まで進めるようになっている。
それでも途中で一度止まり、すぐ教本へ目を落とした。
「そこです」
声がして、クロードが顔を上げる。
ナターシャが机の横に立っていた。
「今、分からなくなりましたね?」
「はい」
「では戻りましょう」
クロードは右手を下ろした。
「途中からじゃ駄目なんですよね」
「今は、ですね」
ナターシャは教本を見る。
「まず正しい順番を身体に覚えさせるところですから、分からなくなったところから推測して続けるより、最初から確かめた方がいいです」
「はい」
クロードは再び最初の形を作った。
今度は一つずつ教本と照らし合わせながら進む。
ナターシャは少しだけ見てから、次の生徒のところへ移った。
クロードはそのまま続ける。
途中で教本を見る。
また動かす。
最後の形まで届いた。
「できた」
「教本見てたけどな」
ノーゼスが言う。
「見ながらなら出来たんだからいいでしょ」
「まあな」
「ノーゼスは?」
「俺も一回最後までいった」
「じゃあ同じだね」
「途中で二回見たけど」
「僕も見たよ」
隣からエクリアの声が入る。
「回数競ってどうするのよ」
「競ってないよ」
クロードが答える。
「でも、見ないで出来るようにはなりたい」
「それは全員でしょ」
エクリアは水属性の《印》を一度終えると、教本の頁をめくった。
今度は風属性の方を見るらしい。
「やっぱり二つやるんだ」
ノーゼスが言う。
「だから最初からそう言ってるでしょ」
エクリアは右手を上げ、風属性の頁を見ながら最初の形を作り始めた。
クロードももう一度へ戻る。
今度は最初から、出来るだけ教本を見ないように指を動かしてみる。
一つ。
二つ。
三つ。
少し迷う。
止まる前に教本を見る。
「ここか」
確認して続ける。
最後まで指を動かし終えたところで、クロードは息を吐いた。
まだ覚えたとは言えない。
それでも最初よりは、どこで何をするのか分かるようになってきた。
クロードは教本の《サンダーランス》の説明へ目を移した。
高い出力の雷を槍状にまとめ、形を保ったまま放つ。
その前に、この《印》を魔力を使いながら組まなければならない。
「先生」
クロードが手を上げる。
ナターシャが振り返った。
「はい、クロード君」
「これを覚えたら、《サンダーランス》を使ってもいいんですか?」
「いいえ」
すぐに返ってきた。
「駄目なんですか?」
「まだです」
ナターシャはクロードの机の近くまで歩いてくる。
「今日は《印》だけを練習しています」
「はい」
「《印》を組めるようになることと、中級魔法を安全に発動出来ることは同じではありません」
クロードは教本を見る。
「魔力を使うのは実習で?」
「はい」
ナターシャが頷いた。
「実際に魔力を流した時に、どのくらいの量が必要なのか、形をどこまで保てるのか、まだクロード君自身も分かっていませんよね?」
「分かってません」
「でしたら、最初は先生がいるところで確かめてください」
「分かりました」
クロードは素直に頷いた。
ナターシャは少し笑ってから、別の机へ向かった。
クロードはもう一度右手を見る。
《サンダーランス》を使うところまで、まだ行っていない。
高い出力を出すことも、雷を槍の形にすることも、その形を保つこともまだ試していない。
その前に、《印》を覚えなければならない。
クロードは教本の最初へ視線を戻した。
右手を上げる。
最初の形を作る。
「まず、これを覚えないと」
もう一度、ゆっくりと指を動かし始めた。




