行ってきます
冬休みも、残り5日になった。
朝食の前、クロードは自室で王都へ戻る荷物を確認していた。
衣類や日用品は使用人がまとめてくれているため、自分で確かめるのはノートや教本、それに木剣くらいだ。
机の上に残っていたノートを一冊ずつ開き、持っていくものを鞄へ入れていく。
左手で《印》を使った時の記録。
ガルディオと稽古した時に気づいたこと。
ザナンと木剣を交えた時のことも残っている。
クロードは一冊を閉じ、鞄へ入れた。
帰ってきた時には、冬休みはまだずっと続くように感じていた。
けれど今日から2日かけて王都へ戻れば、休みは残り3日になる。
「忘れ物は……ないかな」
机の上をもう一度見る。
置いていく本は棚に戻っている。
木剣もある。
クロードは鞄を閉じた。
扉を叩く音がする。
「お兄ちゃん、朝ご飯だよ!」
扉の向こうからイリアの声が聞こえた。
「今行くよ」
返事をして、クロードは鞄から手を離した。
今日は王都へ戻る日だ。
◇
食堂へ入ると、すでに家族が席に着いていた。
クロードが自分の席へ向かうと、イリアが隣から顔を覗き込んでくる。
「荷物できた?」
「できたよ」
「忘れ物ない?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
ブラインが笑った。
「ノートは忘れてないだろうな」
「それは最初に入れました」
「なら大丈夫そうだな」
クロードが答えると、エリスも小さく笑う。
「着替えもちゃんと入っているから大丈夫よ」
「ありがとうございます、母さま」
「自分で全部やったみたいな顔してるけど、ほとんど用意してもらってるじゃないか」
ザナンが言った。
「自分で確認したものもありますよ」
「ノートと木剣だろ?」
「教本もあります」
「あんまり変わらないな」
ザナンが笑う。
「ザナン兄さまだって、忘れ物したら困るでしょ」
「俺は大丈夫だ」
「本当に?」
「なんで疑うんだよ」
2人のやり取りを聞いていたクラリッサが口元を緩めた。
「ザナンも出る時はちゃんと確認しなさいね」
「母上まで」
「ほら」
クロードが笑うと、ザナンが少しだけ睨んできた。
食卓に笑いが広がる。
その横で、イリアだけが少し静かだった。
クロードが顔を向けると、イリアもこちらを見る。
「お兄ちゃん」
「なに?」
「今日、王都に帰るんだよね?」
「うん」
イリアは少しだけ俯いた。
けれど、すぐにまた顔を上げた。
「また帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、また遊ぼうね」
「もちろん」
イリアの顔が少し明るくなる。
「次は何して遊ぶ?」
「帰ってきてから決めようか」
「今決めないの?」
「その時にやりたいことが変わってるかもしれないでしょ?」
イリアは少し考えた。
「じゃあ、帰ってきてから決める!」
「うん」
エリスが2人を見ながら微笑む。
「今度はちゃんと待てそうね」
イリアが少し頬を膨らませた。
「前だって待ってたもん」
「そうだったかしら」
「待ってたよ!」
「クロードが帰る時、ずいぶん引き止めてなかったか?」
ブラインが言う。
イリアが黙った。
セレナが笑う。
「でも今回は、たくさん遊んでもらえたものね」
「うん!」
「ザナンもたくさん遊んでくれたしな」
クロードが言う。
「俺は悪者にされただけだろ」
「まだ言ってるの?」
イリアが不思議そうにザナンを見る。
「お前が言うなよ」
また笑い声が上がった。
ガルディオが食事の手を止め、クロードを見る。
「王都に戻っても、左手の練習は続けるのか」
「はい」
「無理に使うなよ」
「分かってます」
「右で間に合うなら右を使え」
「はい」
クロードは頷いた。
ザナンとの稽古で一度木剣を当てられたことも、《一点突破》を見せてもらったことも頭に残っている。
まだできるようになりたいことはたくさんある。
「3年生になっても、また色々増えそうですね」
クロードが言うと、ブラインが笑った。
「始まる前から増やす気か」
「何をやるかまだ分からないですから」
「だから楽しみなのか?」
「はい!」
即答すると、今度はガルディオの口元が僅かに緩んだ。
「まずはちゃんと王都まで戻れ」
「はい」
食卓はいつもと変わらないように賑やかだった。
けれど、クロードには今日でこの家を離れるのだということも、ちゃんと分かっていた。
◇
朝食を終えてしばらくすると、屋敷の前には馬車が用意された。
荷物が積み込まれ、同行する使用人たちも出発の準備を終えている。
クロードが外へ出ると、家族も見送りに来ていた。
イリアはクロードのすぐそばまで歩いてくる。
前に王都へ戻った時のことを、クロードも覚えている。
あの時は何度も行かないでと言われた。
最後には泣きそうな顔で服を掴まれた。
今日は、イリアから手を伸ばしてはこなかった。
「お兄ちゃん」
「うん」
「次のお休みになったら帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
「約束?」
「約束」
イリアは頷いた。
「じゃあ、待ってる」
「うん」
「またいっぱい遊ぼうね」
「遊ぼう」
イリアは少し寂しそうに笑った。
それでも泣かなかった。
クロードは妹の頭を撫でる。
「行ってくるね」
「うん」
エリスがクロードへ声を掛ける。
「道中、気をつけてね」
「はい、母さま」
クラリッサも頷いた。
「途中でちゃんと休むのよ」
「はい」
「王都へ着いたら、移動の疲れを残さないようにね」
セレナが続ける。
「分かりました」
ブラインはクロードの荷物を見てから笑った。
「今度会う時は3年生か」
「そうですね」
「また何か増えてそうだな」
「たぶん増えてます」
「自分で言うのか」
クロードも笑った。
ザナンを見る。
「ザナン兄さま」
「なんだ?」
「次も稽古してください」
「いいけど、次は一回当てたくらいで喜ぶなよ」
「次はもっと当てます」
「言うようになったな」
ザナンが笑う。
最後にガルディオを見る。
「父上、行ってきます」
「ああ」
ガルディオは短く頷いた。
「続けろ」
何を、とは言わなかった。
けれどクロードには分かった。
「はい!」
馬車へ向かう。
乗り込む前に、もう一度家族を振り返った。
イリアがこちらを見ている。
クロードが手を上げると、イリアも大きく手を振った。
「お兄ちゃん!」
「なに?」
「いってらっしゃい!」
前よりずっと大きな声だった。
クロードは笑った。
「行ってきます!」
馬車へ乗り込む。
やがて車輪が動き始めた。
窓から外を見ると、イリアはまだ手を振っている。
エリスたちもそのそばにいる。
クロードも手を振り返した。
屋敷が少しずつ遠ざかる。
道を曲がり、家族の姿が見えなくなったところで、クロードは座席へ身体を戻した。
寂しくないわけではない。
けれど、前にここを離れた時とは少し違った。
また帰ってくる。
イリアも、それを分かって待っていてくれる。
馬車は王都へ続く道を進んでいった。
◇
その日は予定どおり道中の宿で一泊した。
翌朝、クロードは再び馬車へ乗り込み、王都へ向かう。
窓の外を流れる景色は、帰省する時にも見たものだった。
行きはザナンと学園や士官学校の話をしながら通った道だ。
今は馬車の揺れを感じながら、ときどきノートを開いている。
左手で《印》を組んだ時に止まりやすかったところ。
一歩だけ動きながら《サンダーボール》を出せた時のこと。
ザナンとの木剣稽古で、一度だけ脇腹へ届いた時の動き。
《一点突破》を使った時のザナンの踏み込み。
書いてあるものを読み返していると、まだ確認したいことがいくつも浮かんでくる。
クロードは途中まで読んだところで、ノートを閉じた。
王都へ着いてからでも時間はある。
休みはまだ3日残っている。
窓の外へ目を向ける。
道はそのまま王都へ続いていた。
◇
王立学園が見えてきたのは、午後になってからだった。
馬車の窓から見える門や校舎は、休みに入る前と変わっていない。
けれど以前、休みの終わりよりかなり早く戻ってきた時とは少し違っていた。
門の近くにも、生徒らしい姿がいくつか見える。
学園が始まるまで、あと3日。
少しずつ戻ってきているのだろう。
馬車が門をくぐる。
運動場の近くを通り、寮の方へ進んでいく。
普段ほど賑やかではない。
それでも、以前見た静かな学園よりは人の気配があった。
馬車が止まり、クロードは外へ降りる。
2日間座っていた身体を伸ばした。
「んー……」
腰と脚が少し固い。
荷物を降ろすのを手伝ってもらい、男子寮へ向かう。
廊下では何人かの生徒とすれ違ったが、知っている顔は見つからなかった。
クロードはそのまま自室へ向かった。
扉を開ける。
ベッド。
机。
椅子。
見慣れた部屋がそのまま残っている。
「帰ってきた」
小さく呟いてから、クロードは鞄をベッドのそばへ置いた。
最初に取り出したのは、やはりノートだった。
机の上へ重ねて置く。
次に木剣を壁際へ戻した。
家の自室とは違う。
けれど、ここももう長く過ごしてきた場所だ。
クロードは椅子へ座り、窓の外を見る。
休みは、あと3日。
その次に学園へ行く時、自分は3年生になっている。
新しい授業も始まる。
何を教わるのかは、まだ分からない。
クロードは少し笑った。
「3年では、何をやるんだろう」
分からないからこそ、楽しみだった。




