お遊び
翌朝、クロードが食堂へ入ると、先に席へ着いていたイリアがすぐにこちらを向いた。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはよう、イリア」
「昨日の約束、覚えてる?」
「覚えてるよ」
「今日は遊ぶ日!」
「うん」
昨日の夜にも確認されたばかりだが、イリアにとっては朝になったこと自体が待ち遠しかったらしい。
クロードが席へ着くと、向かい側のブラインが笑った。
「朝から元気だな、イリア」
「だって今日はお兄ちゃんたちと遊ぶんだもん!」
「昨日から何度も聞いたわよ」
クラリッサが微笑む。
「ちゃんと眠れたの?」
「眠れたよ!」
「本当かしら」
セレナも楽しそうにイリアを見ている。
「昨日の夕食のあとも、何をして遊ぶかずっと考えていたものね」
「もう決めたよ!」
「おっ、何するんだ?」
ブラインが尋ねると、イリアはまだ言わないと言いたげに口を閉じた。
「お兄ちゃんたちに先に言うの!」
「俺たちには秘密か」
ブラインが笑う。
そこへザナンが食堂へ入ってきた。
イリアはすぐにそちらを向いた。
「ザナンお兄さま、おはよう!」
「おはよう」
「今日遊ぶの、忘れてない?」
「朝一番に確認することか?」
「大事なことだもん!」
ザナンは苦笑しながら席へ着いた。
「分かってるよ。少しだけだからな」
「うん!」
「昨日も同じことを言っていたな」
ガルディオが静かに言う。
ザナンが父を見る。
「本当に少しだけのつもりですよ、父上」
「どうだろうな」
ブラインが笑った。
「イリアに捕まったら簡単には終わらないぞ」
「兄上まで不吉なこと言わないでください」
「不吉って何よ!」
イリアが頬を膨らませる。
その様子にエリスも笑った。
「それで、何をして遊ぶの?」
「おままごと!」
イリアが胸を張る。
一瞬、ザナンの動きが止まった。
「……俺もか?」
「うん!」
「俺もままごとするのか?」
「約束したでしょ?」
ザナンがクロードを見る。
クロードも兄を見る。
「ザナン兄さま、約束しましたからね」
「お前は楽しそうだな」
「何をするのか気になります」
「そこからかよ」
ブラインが声を上げて笑った。
「ザナン、頑張れよ」
「兄上は他人事だからいいですよね」
「私は見に行ってみようかしら」
セレナが言うと、イリアが慌てて首を横に振った。
「だめ! 今日は3人で遊ぶの!」
「あら、残念」
「帰ってきたばかりなんだから、たくさん遊んでもらいなさい」
クラリッサが言う。
「でも、あまり無茶を言ってザナンを困らせないようにね」
「なんで俺だけなんですか、母上」
「もう困った顔をしているからよ」
食卓に笑い声が広がった。
「とにかく朝ご飯を食べてからにしなさい」
エリスが促す。
「はーい!」
イリアは元気よく返事をしたが、気持ちはもう遊びの方へ向いているようだった。
◇
朝食を終えると、イリアはすぐにクロードとザナンを庭へ連れ出した。
向かったのは屋敷に面したガーデンテラスだった。
机の上には皿やカップ、それにいくつかの空の器が並べられている。
「これ、どうしたの?」
クロードが尋ねる。
「用意してもらったの!」
どうやら遊ぶために使用人へ頼んでいたらしい。
イリアは嬉しそうに机の前へ立った。
「じゃあ、イリアがお母さんね!」
「うん」
「クロードお兄ちゃんがお父さん!」
「僕がお父さん?」
「そう!」
クロードは少し考えてから頷いた。
「分かった」
そしてイリアがザナンを見る。
ザナンも嫌な予感がしたのか、僅かに眉を寄せた。
「ザナンお兄さまは子ども!」
「待て」
「なに?」
「なんで俺が子どもなんだ」
「だって、お父さんとお母さんがいたら子どももいるでしょ?」
「それはそうだけど、なんで俺なんだよ」
イリアはクロードとザナンを見比べた。
少し考えてから答える。
「ザナンお兄さまの方がお兄ちゃんだから!」
「それなら普通は逆じゃないのか?」
クロードもそう思った。
けれどイリアの中では、すでに役は決まっているらしい。
「じゃあ始めるよ!」
ザナンの抗議を聞かないまま、ままごとが始まった。
イリアは机の上の器を一つずつ動かしていく。
「これはスープね」
「うん」
「これはお肉」
「分かった」
「お菓子もあるよ」
「随分たくさんあるね」
もちろん、どの器にも何も入っていない。
イリアの中では、厨房から料理が運ばれてきたことになっているらしい。
「お父さん、どうぞ」
イリアがクロードの前へ皿を置く。
「ありがとう」
「ザナンも」
「俺は名前で呼ばれるのか?」
「子どもだから」
「そこ関係あるか?」
「ちゃんと座ってなさい」
「座ってるだろ」
「お母さんには『はい』って言うの!」
「……はい」
ザナンが渋々答えた。
クロードは思わず口元を緩める。
「笑うなよ」
「笑ってませんよ」
「笑ってるだろ」
「お父さんとザナン、お話しない!」
今度はイリアに怒られた。
「はい」
クロードも素直に返事をする。
「なんでお前はそんなに馴染んでるんだ」
「やるならちゃんとやった方が楽しいですよ」
「そこまで真面目にやるものなのか?」
「ザナン!」
「はいはい」
「『はい』は1回!」
ザナンが黙った。
クロードはとうとう笑いを堪えきれなくなった。
それからもしばらく、イリアのままごとは続いた。
「今日はお客さまが来るの」
突然イリアが言った。
「お客さま?」
「うん」
「誰が来るの?」
「まだ決めてない」
クロードは首を傾げた。
ザナンも同じような顔をしている。
「じゃあ誰を迎えるんだ?」
「あとで決めるの!」
イリアはそう言うと、今度はカップを並べ始めた。
「お茶も来るから、ちゃんと待っててね」
「はい」
クロードが答える。
「ザナンも」
「はい」
今度は素直に返事をした。
「よろしい!」
イリアは満足そうに頷いた。
少しすると、お客さまが来たことになった。
そのお客さま役までザナンがやらされることになった。
「待て、俺は子どもじゃなかったのか?」
「今はお客さま」
「急だな」
「早く座って」
「さっきから座ってるんだけどな」
クロードはまた笑った。
しばらくすると、さっきまで忙しそうに器を並べていたイリアの動きが止まった。
「どうしたの?」
クロードが聞く。
イリアは少し考えるように首を傾げたあと、突然立ち上がった。
「もうおままごと終わり!」
「終わりなの?」
「うん!」
ザナンが息を吐いた。
「やっと終わったか」
その言葉にイリアが振り返る。
「次は冒険者ごっこ!」
ザナンの顔が止まった。
「まだ遊ぶのか?」
「遊ぶよ!」
「俺は少しだけって――」
「ザナンお兄さまも一緒!」
「聞いてないな」
クロードは笑いながら立ち上がった。
「今度は何の役?」
「イリアは冒険者!」
「僕は?」
「クロードお兄ちゃんも冒険者!」
「分かった」
残ったザナンが自分を指差した。
「俺は?」
イリアはすぐに答えた。
「悪者!」
「なんでだよ!」
「だってザナンお兄さま強そうだから!」
「それだけで悪者なのか?」
「うん!」
あまりにも迷いのない返事に、クロードは思わず笑った。
◇
冒険者ごっこが始まると、さっきまでままごとをしていた時以上にイリアは元気になった。
「悪者を追いかけるよ!」
「うん!」
クロードもイリアの後を追う。
少し離れたところでは、悪者役にされたザナンがこちらを見ていた。
「本当に俺が逃げるのか?」
「悪者だから!」
「悪者って逃げるものなのか?」
「逃げるの!」
イリアが走り出す。
ザナンは仕方なさそうに笑うと、軽く地面を蹴って逃げ始めた。
「待てー!」
イリアが追いかける。
クロードもその横を走った。
「お兄ちゃん、あっち!」
「分かった!」
2人で左右へ分かれる。
ザナンがそれを見て方向を変えた。
「ザナン兄さま、そっちは駄目ですよ!」
「悪者なんだから逃げるに決まってるだろ!」
「さっきは逃げるのかって聞いてたじゃないですか!」
「始まったからにはちゃんと逃げる!」
ザナンが笑いながら距離を取る。
士官学校で身体を動かしているだけあって、追いかけても簡単には捕まらない。
「ザナンお兄さま速い!」
「そりゃ捕まりたくないからな!」
「悪者なのにずるい!」
「何がずるいんだ!」
イリアはさらに速度を上げようとした。
クロードも横から回り込む。
「イリア、僕がこっちから行くよ!」
「うん!」
ザナンがクロードを見る。
その間にイリアが近づいた。
「あっ!」
「捕まえた!」
イリアがザナンの服へ手を伸ばす。
ザナンはそこで足を止めた。
「はいはい、捕まった」
「やった!」
「やったね」
クロードが言うと、イリアは嬉しそうに両手を上げた。
「悪者を倒した!」
「捕まえただけだろ」
「倒したの!」
「そうかよ」
ザナンが笑う。
それで終わるのかと思ったが、イリアはすぐに言った。
「もう1回!」
「まだやるのか?」
「今度はもっと遠くまで逃げていいよ!」
「俺に不利な条件が増えてないか?」
「早く!」
結局、冒険者ごっこはもう一度始まった。
その次も始まった。
最初に「少しだけ」と言っていたザナンも、いつの間にか普通に逃げ、時には物陰へ隠れ、イリアとクロードを困らせている。
イリアはそのたびに声を上げ、クロードの手を引いて走った。
しばらく遊んだ頃、さっきまで先頭を走っていたイリアが急に足を止めた。
「どうしたの?」
クロードも止まる。
少し先を歩いていたザナンも振り返った。
「疲れた」
「さっきまであんなに走ってたじゃない」
「いっぱい走ったから疲れたの」
「そりゃそうだろ」
ザナンが笑う。
「じゃあ戻るか」
「うん」
イリアは頷いた。
けれど歩き出さない。
「イリア?」
イリアが両手をクロードへ伸ばした。
「お兄ちゃん、おんぶ」
「おんぶ?」
「もう歩けない」
クロードは思わず笑った。
「冒険者なのに?」
「冒険者も疲れるの!」
「そっか」
クロードがしゃがもうとすると、ザナンが横から口を挟んだ。
「俺でもいいだろ」
イリアはザナンを見ると、首を横に振った。
「ザナンお兄さまはだめ」
「なんでだよ」
「悪者だったから」
「もう冒険者ごっこ終わっただろ!」
「でも悪者だったもん」
ザナンが言葉を失った。
クロードは笑いながらイリアの前へしゃがむ。
「ほら」
「うん!」
イリアが背中へ乗る。
クロードが立ち上がると、イリアの腕が首の前へ回った。
「重くない?」
「大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん」
歩き始めると、イリアは満足そうにクロードの背中へ身体を預けた。
隣を歩くザナンが呆れたように息を吐く。
「一番走り回ってたの、イリアだからな」
「だって楽しかったもん」
「それで最後はおんぶか」
「うん」
「俺はずっと悪者だし」
「ザナンお兄さま、悪者上手だったよ」
「褒められてる気がしないな」
クロードが笑う。
「ザナン兄さま、結局ずっと遊んでましたね」
「……少しだけのつもりだったんだけどな」
ザナンも苦笑した。
しばらく歩くうちに、背中から聞こえていたイリアの声が少なくなっていった。
「イリア?」
「起きてるよ」
返事はあるが、声はさっきよりずっと小さい。
「眠い?」
「眠くない」
そう言った直後、イリアが小さくあくびをした。
クロードとザナンは顔を見合わせた。
「眠いじゃない」
「眠くないもん」
クロードは笑いながら歩いた。
ふと、もう1人の兄の顔が頭に浮かぶ。
アルト兄さまもここにいたら、一緒に遊んでくれただろうか。
きっとイリアなら、何の役をするかまで勝手に決めてしまうのだろう。
そんなことを考えると、少しだけ笑みが浮かんだ。
背中では、イリアがもうほとんど喋らなくなっていた。
◇
その日の夕食。
「それで、おままごとはどうだった?」
エリスが尋ねると、イリアが嬉しそうに顔を上げた。
「楽しかったよ!」
「ザナンはちゃんと付き合ったのか?」
ブラインが笑いながら尋ねる。
「付き合いましたよ」
「ザナンお兄さま、子どもだったの!」
「子ども?」
ブラインがザナンを見る。
「どうしてそうなったんだ?」
「知りませんよ」
「だって、お父さんとお母さんと子どもがいるから!」
イリアが説明する。
「クロードお兄ちゃんがお父さんで、イリアがお母さんだったの!」
「それでザナンが子どもか」
ブラインが吹き出した。
「兄上、笑いすぎですよ」
クラリッサも口元を押さえている。
「それは……大変だったわね」
「母上、笑ってますよね?」
「そんなことないわよ」
明らかに笑っていた。
「途中からお客さまにもなったよ!」
「ザナンだけ役が増えたのね」
セレナが笑う。
「俺もそう思います」
「クロードはずっとお父さんだったの?」
エリスが尋ねる。
「はい。僕は最後までお父さんでした」
「ちゃんとできてたよ!」
イリアが胸を張った。
「イリアが決めるのか」
ガルディオが僅かに口元を緩める。
「だってイリアがお母さんだったから!」
「そうか」
ガルディオは短く答えたが、楽しそうだった。
「でも途中でおままごとやめたの!」
イリアが続ける。
「飽きたのか?」
ブラインが尋ねる。
「うん!」
あまりにも素直な返事に、ブラインがまた笑った。
「それで次は冒険者ごっこしたの!」
「朝はそんな話してなかったわね」
セレナが言う。
「あとで決めたの!」
「今度は誰が何だったんだ?」
ブラインが尋ねる。
「イリアとクロードお兄ちゃんが冒険者!」
「ザナンは?」
「悪者!」
ブラインがまた声を上げて笑った。
「お前、今度は悪者か」
「俺が決めたんじゃないですよ」
「どうしてザナンお兄さまだったの?」
エリスが尋ねる。
「強そうだったから!」
イリアは迷いなく答えた。
「それだけか?」
ガルディオが尋ねる。
「うん!」
ザナンが食事の手を止めた。
「父上、俺も同じことを聞きました」
「なら理由は十分だな」
ブラインが笑う。
「兄上まで何言ってるんですか」
「でもザナン、ちゃんと悪者をやったのでしょう?」
クラリッサが尋ねる。
「最初は少しだけのつもりだったんですけどね」
「ずっと逃げてたよ!」
イリアが言う。
「ザナンお兄さま速かった!」
「それは士官学校で鍛えているものね」
セレナが笑う。
「だからクロードお兄ちゃんと2人で捕まえたの!」
「何回もな」
ザナンが言う。
「何回も遊んでくれた、でしょ?」
クラリッサが言い直す。
「……そうとも言います」
その返事に、また食卓に笑いが起こった。
「でも最後はイリアが疲れちゃったんだよね」
クロードが言う。
「だっていっぱい走ったから!」
「それでちゃんと歩いて戻ってきたの?」
セレナが尋ねる。
イリアが嬉しそうにクロードを見る。
「クロードお兄ちゃんにおんぶしてもらった!」
「あら」
エリスが笑う。
「ずいぶん甘えたのね」
「俺もおんぶしてやるって言ったんですよ」
ザナンが口を挟む。
「でも断られました」
ブラインが首を傾げる。
「なんでだ?」
イリアは当然のように答えた。
「ザナンお兄さまは悪者だったから!」
一瞬の間のあと、ブラインが俯いて笑い出した。
セレナも声を上げ、エリスとクラリッサも堪えきれずに笑う。
ガルディオも口元を緩めた。
「だからもう終わったって言っただろ」
ザナン自身も困ったように笑っている。
「でも悪者だったもん」
「いつまで悪者なんだよ」
「今日はずっと!」
「まだ続いてるのかよ!」
クロードも声を上げて笑った。
イリアはどうしてザナンが困っているのか分からないような顔をしたあと、みんなにつられるように笑い始めた。
家族の笑い声が食堂いっぱいに広がり、クロードもその中で兄と妹、それから家族みんなの顔を見ながら笑っていた。




