ただいま
第157話『ただいま』
終期式を終えた翌朝、クロードは寮の自室で帰省の荷物をまとめていた。
机の上には使いかけのノートが何冊か重なり、その隣には休み中にも使うつもりの教本が置かれている。
着替えを鞄へ詰め終えると、クロードはノートを手に取った。
左手で《印》を使う練習は、まだ思うように進んでいない。
右手なら難なくできることでも、左手になると魔力を出すまでに時間がかかったり、形が崩れたりする。
それでも以前よりは、何がうまくいかなかったのかを考えられるようになっていた。
「これも持っていこう」
ノートを鞄へ入れ、忘れ物がないか部屋を見回す。
窓の外には、いつもと変わらない学園の景色が広がっていた。
次にここへ戻ってくる時には、もう3年生だ。
そう考えると少し不思議な気もしたが、それ以上に新しい授業への興味が湧いてくる。
「さて、行こうかな」
鞄を持ち上げ、クロードは部屋を出た。
◇
王都で待ち合わせ場所へ向かうと、すでにザナンが来ていた。
士官学校に通っている兄も、今回の休みに合わせて実家へ帰ることになっている。
「ザナン兄さま!」
クロードが声を掛けると、ザナンが振り向いた。
「おう、思ってたより早いな」
「ザナン兄さまも早いですね」
「待たせるよりいいだろ」
ザナンはそう言って笑った。
「荷物はそれだけか?」
「はい。休みの間に使うものも入ってます」
「相変わらず勉強熱心だな」
「勉強だけじゃないですよ」
「魔法の練習か?」
「それもあります」
ザナンはクロードの鞄を見て、小さく笑う。
「まあ、帰ってから聞くか」
「はい」
2人は馬車へ乗り込み、王都を出発した。
ここからアインハルト領までは2日の道のりになる。
◇
王都を離れてしばらくすると、道の両側には畑や林が増えてきた。
馬車の揺れに身体を預けながら、ザナンがクロードへ顔を向ける。
「それで、2年生はどうだった?」
「楽しかったですよ」
「それはよかったな。魔法の方は?」
「雷の初級魔法は全部使えるようになりました」
「全部?」
「はい。《サンダーボール》《サンダーアロー》《サンダーボム》《サンダーショック》の4つです」
「へえ、すごいじゃないか」
ザナンが感心したように頷く。
「でも、まだ練習は必要です。魔力の量を変えたり、動きながら使ったりすると難しいこともありますから」
「そういうものか」
「それに今は左手でも魔法を使う練習をしているんです」
「左手?」
ザナンがクロードの左手を見る。
「右手だけじゃ足りないのか?」
「右手に木剣を持っている時にも魔法を使えたら、できることが増えると思ったんです」
「ああ、なるほどな」
ザナンは少し考えてから頷いた。
「でも、まだ右手ほど速くは使えません」
「じゃあ、木剣を持ち替えた方が早いこともあるんじゃないか?」
「あります。だから戦闘実践では、状況を見て使い分けていました」
「戦闘実践?」
「2年生の後期から始まった授業です。先生と戦ったり、生徒同士で戦ったりするんですよ」
「面白そうだな」
ザナンが身を乗り出した。
「何人くらいでやるんだ?」
「最初は少ない人数でしたけど、最後は9人対9人でも戦いました」
「9人対9人!?」
ザナンが目を丸くした。
「そんな大人数でやったのか」
「はい。魔法も木剣も使います」
「そりゃ大変だっただろ」
「大変でした。味方がどこにいるか見ながら動かないといけませんし、声も重なってしまうんです」
クロードは黒板の前に18人で集まり、戦いの中で見えていたものを話し合ったことも思い出した。
「外から見ていると分かることも、中に入ると全然違って見えるんですよ」
「まあ、戦っている最中は目の前の相手だけでも大変だからな」
「そうなんです。でも目の前ばかり見ていると、別のところから相手が来たりして」
「ははっ、そりゃそうだ」
ザナンは楽しそうに笑った。
「で、勝ったのか?」
「勝ち負けを決める授業じゃなかったんです」
「そうなのか?」
「はい。戦ってみて、できたことやできなかったことを話し合って、また試すんです」
「なるほどな」
ザナンは窓の外へ目を向けた。
「俺も一度見てみたかったな」
「ザナン兄さまなら、僕より木剣の扱いが上手そうです」
「そりゃ俺だって練習してるからな」
「僕も負けませんよ」
「おっ、言うようになったな」
2人は顔を見合わせて笑った。
◇
その日は道中の宿で1泊した。
夕食を終えると、クロードは部屋で鞄からノートを取り出した。
今日の馬車の中では、ザナンに学園の話をたくさん聞いてもらった。
話しているうちに、自分でもずいぶんいろいろなことを経験したのだと感じる。
初級魔法の練習も、木剣を使った戦闘実践も、最初からうまくできたわけではない。
それでも続けているうちに、以前なら気づかなかったことが少しずつ見えるようになっていた。
「何書いてるんだ?」
ザナンが横から覗き込む。
「左手で魔法を使う時のことです」
「まだ考えてたのか」
「忘れないうちに書いておこうと思って」
「本当に好きだな、そういうの」
「はい。面白いですから」
クロードが答えると、ザナンは呆れたように笑った。
「まあ、明日も移動だから、あんまり夜更かしするなよ」
「分かってます」
クロードは書きかけの行を終えると、ノートを閉じた。
明日には家へ着く。
父上や母さま、兄さまたち、それにイリアにも会える。
夏に帰った時には、また遊ぼうと約束したのだった。
今度は何をして遊ぼうか。
そんなことを考えながら、クロードは明かりを消した。
◇
翌日も馬車に揺られ、午後になると見慣れた景色が増えてきた。
「もうすぐですね」
クロードが窓の外を見ながら言う。
「ああ。久しぶりに帰ると、やっぱり落ち着くな」
ザナンも外へ目を向けた。
やがて馬車はアインハルト家の屋敷へ続く道に入り、しばらくして門をくぐった。
建物の前で馬車が止まる。
クロードが降りると、目の前には夏にも帰ってきた懐かしい屋敷があった。
「帰ってきたね」
「ああ」
ザナンが隣へ降り立つ。
2人が荷物を降ろしていると、屋敷の扉が開いた。
「お兄ちゃん!」
聞き慣れた声に顔を向けると、イリアがこちらへ走ってくるところだった。
「イリア!」
「おかえり!」
クロードが返事をするより先に、イリアが勢いよく抱きついてきた。
「わっ!」
クロードは少しよろめきながらも、妹を受け止める。
「ただいま、イリア」
「待ってたんだよ!」
「うん。帰ってきたよ」
イリアは顔を上げると、嬉しそうに笑った。
「今回はしばらくいるんだよね?」
「うん。冬休みだからね」
「よかった!」
その時、後ろからザナンの声が聞こえた。
「おーい、俺も帰ってきたんだけどな」
イリアが顔を向ける。
「あっ、ザナンお兄さまもおかえりなさい!」
「ついでみたいな言い方だな」
「そんなことないよ!」
イリアが慌てて答えると、ザナンは笑った。
「冗談だよ」
そう言って妹の頭を軽く撫でる。
「元気にしてたか?」
「うん! お兄さまたちも元気だった?」
「ああ、元気だぞ」
「よかった!」
イリアは嬉しそうに笑い、もう一度クロードへ向き直った。
「ねえ、お兄ちゃん。明日は一緒に遊べる?」
「明日?」
「うん。夏に帰ってきた時、また遊ぼうって言ってたでしょ?」
「覚えてるよ」
「じゃあ、明日は?」
クロードは少し考えた。
持ち帰ったノートもあるし、剣や魔法の練習も続けたい。
けれど、帰ってきたばかりなのに急いで始める必要はないだろう。
「うん。明日は一緒に遊ぼうか」
「やった!」
イリアが満面の笑みを浮かべた。
「何して遊ぶ?」
「それはイリアが決めていいよ」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、考えておくね!」
「楽しみにしてるよ」
そんな2人を見ながら、ザナンが笑う。
「クロードも大変だな」
「ザナン兄さまも一緒に遊びます?」
「俺もか?」
「せっかく帰ってきたんですから」
ザナンが答えるより先に、イリアが顔を輝かせた。
「ザナンお兄さまも一緒に遊ぼう!」
「おいおい、俺にも予定があるんだぞ」
「少しだけでも!」
「……まあ、少しくらいならな」
「やった! 2人とも約束だからね!」
イリアは嬉しそうに笑った。
◇
屋敷へ入ると、エリスが2人を迎えてくれた。
「おかえりなさい、クロード、ザナン」
「ただいま、母さま」
「ただいま戻りました」
「2人とも元気そうでよかったわ」
エリスは順番に顔を見て、柔らかく微笑んだ。
「道中は大丈夫だった?」
「はい。特に問題ありませんでした」
クロードが答えると、ザナンも頷く。
「ああ。予定どおり着いたよ」
「そう。それならよかったわ」
「母さま、お兄ちゃんたちと明日遊ぶ約束したの!」
イリアが早速報告する。
「あら、もう約束したの?」
「うん! ザナンお兄さまも一緒!」
「少しだけだからな」
ザナンが念を押すと、エリスが小さく笑った。
「帰ってきたばかりなんだから、まずは2人を休ませてあげなさい」
「分かってるよ。明日の約束だもん」
「そうね」
クロードはそんなやり取りを聞きながら、屋敷の中を見回した。
夏にも帰ってきた場所なのに、学園から戻ってくるとやはり少し違って感じる。
懐かしいというより、落ち着くと言った方が近いのかもしれない。
◇
夕食の席では、クロードとザナンがそれぞれ学校で過ごした日々について話した。
ガルディオも2人の話を聞きながら、ときどき質問を挟んでくる。
「それで、クロード。2年生の魔法はどうだった?」
「雷の初級魔法は4つとも使えるようになりました」
「そうか」
ガルディオが頷く。
「でも、まだ安定しないこともあります」
「何を練習している?」
「最近は左手でも《印》を使えるように練習しています」
「左手か」
ガルディオが少し興味を示した。
「木剣を持ちながら魔法を使うためか?」
「はい。でも、それだけじゃありません。右手が使えない状況でも魔法を使えたらと思って」
「なるほどな」
「まだ右手より遅いですけどね」
「それなら、無理に左手を使う必要もないだろう」
「はい。戦闘実践でも、間に合わない時は右手を使っていました」
ガルディオは頷いた。
「使えるようになることと、使いどころを選ぶことは別だからな」
「はい」
「帰っている間に、一度見せてみろ」
「分かりました」
その横で、ザナンが笑う。
「父上、クロードは9人対9人でも戦ったらしいですよ」
「9人対9人?」
ガルディオがクロードを見る。
「はい。生徒18人を2つに分けて、魔法と木剣を使って戦ったんです」
「ほう」
「なかなか大変だったみたいですよ」
ザナンが続ける。
「馬車の中で聞いたんですけど、味方同士で声が重なったり、休む人と戻る人の連絡がうまくいかなかったりしたそうで」
「そうなんです」
クロードが頷いた。
「何度かやっているうちに少しずつ変えられましたけど、相手も同じように考えているので、簡単にはいきませんでした」
「そうだろうな」
ガルディオは短く答える。
「相手も考えて動くからな」
「はい。そこが面白かったです」
「そうか」
ガルディオが小さく笑った。
「ずいぶんいろいろ経験してきたようだな」
「はい!」
クロードも笑顔で答えた。
その時、隣からイリアが服の袖を引いた。
「お兄ちゃん、私にも学園のお話を聞かせて」
「いいよ。何が聞きたい?」
「魔法のことも聞きたいけど、お友だちの話も聞きたいな」
「ノーゼスとエクリアのこと?」
「うん! 前にも話してくれたでしょ?」
「そうだね」
クロードは少し考えてから、学園での出来事を話し始めた。
イリアは途中で何度も質問し、そのたびにクロードが答える。
話題が変わるとザナンも会話に加わり、夕食の時間は賑やかに過ぎていった。
◇
夜、自室へ戻ったクロードは、荷物の中からノートを取り出した。
学園で使っていた机とは違うが、ここも何度も勉強や練習の記録をしてきた場所だ。
椅子へ座り、今日のことを思い返す。
久しぶりにザナン兄さまとゆっくり話せた。
父上も、学園での練習に興味を持ってくれた。
そしてイリアとは、明日遊ぶ約束をした。
何をして遊ぶかは、まだ聞いていない。
きっと明日の朝には決めてくるだろう。
そう思うと自然に笑みが浮かんだ。
クロードがノートを開こうとした時、扉を叩く音がした。
「お兄ちゃん、まだ起きてる?」
「起きてるよ」
扉を開けると、寝間着姿のイリアが立っていた。
「どうしたの?」
「明日遊ぶの、忘れないでね」
「忘れないよ」
「本当に?」
「約束したでしょ?」
「うん!」
イリアは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、おやすみなさい!」
「おやすみ、イリア」
扉が閉まり、廊下を歩いていく足音が遠ざかる。
クロードは机へ戻り、開きかけていたノートを見た。
少し考えてから、そのまま閉じる。
今日はもう休んでもいいだろう。
明日からも時間はある。
魔法も剣も、確かめたいことはたくさんあるが、家で過ごす時間だって大切だ。
クロードは明かりを消し、寝台へ横になった。
帰ってきた家の静けさが、ゆっくりと部屋を満たしていく。
「ただいま」
今度は小さく呟いて、クロードは目を閉じた。




