2年生
学園大会が終わったあとも、王立学園の授業は続いた。
魔法も、剣術も、戦術も、それまでと同じように次の授業が来た。
やがて進級テストも終わり、クロードたちは1年を終えた。
そして今日から、2年生だった。
教室へ入れば、見慣れた顔がいつものように席についている。
けれど教壇の前に立っている教師だけは、クロードの知らない顔だった。
「ゼルトス・ハイナーストだ」
教師はそう名乗ると、教室をゆっくり見渡した。
「今日から君たち2年魔法組の担任を務める」
少し間を置き、口元をわずかに上げる。
「せっかくなら、退屈な1年にはしたくないね」
教室のあちこちで小さな声が上がった。
クロードもゼルトスを見る。
これまで会った教師とは、少し雰囲気が違う。
「なんか気取ってるな」
隣でノーゼスが小さく言った。
「聞こえるわよ」
エクリアがさらに小さな声で返す。
クロードが前を見ると、ゼルトスの視線がこちらを向いていた。
「感想はもう少し小声で頼むよ」
ノーゼスの肩が止まった。
近くから笑い声が上がる。
「聞こえてるじゃない」
「……聞こえてたな」
ノーゼスが前を向き直る。
ゼルトスは怒るでもなく、そのまま話を続けた。
「細かい話はこれからいくらでも出来る」
「まずは始期式だ」
教室の空気が動き、生徒たちが席を立ち始めた。
クロードも鞄を置いたまま立ち上がる。
新しい担任と話した時間は、まだほんの少しだった。
それでも1年の時とは違うものが、もう1つ増えた気がした。
◇
始期式が行われる場所には、進級した生徒たちが学年ごとに集まっていた。
あちこちで続いていた話し声も、教師たちが前へ出るにつれて少しずつ小さくなっていく。
クロードたちも2年生の並ぶ場所へ入った。
前にここへ並んだのは、1年生の後期が始まった時だった。
周りにいるのは見慣れた生徒たちなのに、立っている場所が変わっている。
クロードは少しだけ周囲を見た。
急に背が伸びたわけでもない。
出来なかったことが、進級しただけで出来るようになったわけでもない。
それでも今日から2年生だ。
前方には教師たちが並び、その向こうに壇上が見える。
やがて周囲の声が収まり、始期式が始まった。
新しい学年の始まりが告げられ、生徒たちは前を向いて話を聞く。
クロードも聞きながら、1年の最初の頃を少し思い出した。
《放つ》から始まり、《丸くする》で何度も失敗した。
《空中浮遊》と《静止》も習い、《曲がる》も使うようになった。
《サンダーボール》を使えるようになるまでにも時間がかかった。
今では《サンダーアロー》も使える。
それでも《サンダーボム》はまだ出来ていない。
出来ることは増えた。
出来ないことも残っている。
話が終わると、並んでいた生徒たちが動き始めた。
クロードたち2年魔法組も教室へ戻った。
◇
この日の授業は、魔法基礎が続けて2限だけだった。
魔導の鐘が鳴り、ナターシャ・ミナルトアが教室へ入ってくる。
担任は変わっても、魔法基礎の教師は変わらない。
ナターシャは教壇へ教本を置くと、いつものように教室を見渡した。
「皆さん、進級おめでとうございます」
教室からいくつもの返事が返る。
「今日から2年生ですね」
ナターシャが教本を開いた。
「1年では、魔力を扱うための基礎操作と、それを使った初級魔法を学んできました」
クロードも教本を開く。
《放つ》。
《丸くする》。
《空中浮遊》。
《静止》。
《曲がる》。
どれも最初は教本を見ながら《印》を覚えた。
そのあと実習で何度も使い、出来なければまた繰り返した。
「2年からは、その続きを学びます」
ナターシャが教室を見渡す。
「これまでより、それぞれの属性の性質を使った初級魔法が増えていきます」
教室の空気が少し変わった。
頁をめくる音があちこちから聞こえる。
「同じ魔法を全員が覚えるわけではありません」
「自分の属性の頁を開いてください」
クロードも雷属性の頁を開いた。
そこには、1年で見てきた名前が並んでいる。
《サンダーボール》。
《サンダーアロー》。
《サンダーボム》。
そして、その先にまだ習っていない名前があった。
《サンダーショック》。
クロードの目が止まる。
説明を読む。
接触した相手へ、雷を直接流す。
込める魔力量によって、刺激や痺れの強さを変える。
クロードはもう1度その部分を読んだ。
「飛ばさないんだ」
小さく呟く。
《サンダーボール》とも《サンダーアロー》とも違う。
相手へ触れた状態で使う魔法らしい。
しかも強さを変えるために、流す魔力の量を調整する。
今の自分にとって、その部分は気になった。
少し離れたところでは、エクリアが水属性の頁を見たあと、すぐに風属性の頁も開いている。
2属性ある以上、今年も覚えるものは1つではない。
ザナトスは火属性の頁を先へめくり、マミヤとリーゼは風属性の教本を見比べていた。
ベンとヤンナも光属性の頁を読み進めている。
隣ではノーゼスが土属性の頁をめくっていた。
少しして、その手が止まる。
「……あれ?」
クロードがそちらを見る。
「どうしたの?」
ノーゼスは教本へ顔を近づけたまま、載っている《印》を目で追っている。
「これ」
教本を少しクロードの方へ向ける。
頁の上には《ロックウォール》と書かれていた。
「壁だね」
「うん」
ノーゼスは名前ではなく、その下の《印》を見た。
「これ、俺が壁作る時に使ってる《印》だ」
クロードも図を見る。
「ガンザス先生に教えてもらったやつ?」
「そう」
ノーゼスがもう1度、頁の上へ視線を戻す。
「《ロックウォール》っていうのか」
少し嬉しそうに名前を読む。
「ずっと壁って言ってたもんね」
「先生も壁って言ってたしな」
ノーゼスは何度か名前と《印》を見比べた。
今まで何度も作ってきたものに、初めて名前がついたように見えた。
「ノーゼス君」
近くまで来ていたナターシャが声を掛ける。
「はい」
「見覚えがありましたか?」
「あります」
ノーゼスが教本を示す。
「これ、前から使ってる《印》です」
「そうですね」
ナターシャは頷いた。
「《ロックウォール》の《印》です」
ノーゼスが少し笑う。
「名前は今知りました」
「今までの練習で使っていたものと、教本に載っているものがつながりましたね」
「はい」
ナターシャはそれ以上説明を足さず、次の机へ移っていった。
ノーゼスはまだ《ロックウォール》の頁を見ている。
クロードも自分の教本へ視線を戻した。
《サンダーショック》。
名前を知ったばかりの魔法でも、誰かにとっては今までやってきたこととつながるものがある。
自分のこれはどうだろう。
クロードは説明をもう1度読む。
「先生」
少しして、クロードは手を挙げた。
「はい、クロード君」
「《サンダーショック》は、魔力量を変えて強さを調整するんですか?」
「教本ではそうなっています」
ナターシャが答える。
「弱い出力では刺激や軽い痺れを与え、魔力量を増やすほど影響も強くなるとされています」
クロードは頁を見る。
「じゃあ、同じ《印》のまま変えるんですか?」
「基本の《印》は同じです」
ナターシャは少し間を置いた。
「ただし、私は雷属性を使えません」
クロードは顔を上げる。
「資料に書かれている仕組みは説明できますが、クロード君の雷で実際にどの程度同じように調整出来るかまでは、ここでは分かりません」
「はい」
いつもの答えだった。
分からないところまで、分かるとは言わない。
だからクロードも、その先を今ここで決めるのはやめた。
実際に使う時に確かめればいい。
けれどその前に、まだ別のものが残っている。
教本の少し前には《サンダーボム》がある。
クロードは1度だけそちらを見てから、《サンダーショック》へ戻った。
ナターシャの説明はそのあとも続いた。
属性によって、同じように見える働きでも《印》は違うこと。
これまで覚えた操作が完成魔法の中に入っている場合もあること。
一方で、その属性だからこそ使える働きを新しく覚える魔法もあること。
生徒たちは自分の頁を見ながら、時々別の頁へ戻って確かめていた。
カイルが水属性の説明について質問し、ナターシャが教本の図を使って答える。
少しあとにはトルトが自分の頁を見失い、近くの生徒に教えられて開き直していた。
同じ説明を聞いていても、見ている場所はそれぞれ違う。
クロードも雷属性の頁を最初からもう1度見直した。
やがて1限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
◇
短い休みを挟み、2限目が始まった。
ナターシャは生徒たちが教本を開いたのを確認してから口を開いた。
「2限目は《印》を確認します」
「今日は魔力を使いません」
クロードは《サンダーショック》の頁を開く。
「新しい魔法を見たからといって、すぐ使えるわけではありません」
「まず教本に載っている手順を見て、ゆっくり動かしてください」
教室の中で何人もの手が上がる。
クロードも図を上から追い、右手を動かし始めた。
最初の動き。
その次。
途中で1度止まり、教本を見る。
最初からやり直す。
今度はさっきより先まで進んだ。
《サンダーボール》を初めて習った時と同じだ。
完成した魔法の《印》は、ただ短いだけではない。
いくつもの操作が1つの流れにつながっている。
途中を間違えれば、何をしているのか分からなくなる。
クロードは最後まで進んだあと、もう1度最初へ戻った。
隣のノーゼスも手を動かしている。
ただ、こちらは何度か使ってきた《印》だった。
「やっぱこれだ」
ノーゼスが小さく言う。
「覚え直さなくてよさそう?」
「《印》はな」
そう答えてから、ノーゼスは教本の説明へ目を落とした。
「でも教本に書いてある作り方は見たい」
クロードも頷く。
同じ《印》を知っていても、それで全部知っていることにはならない。
ノーゼスは今まで、自分で壁を作って崩れたところを見ながら直してきた。
教本に書かれている《ロックウォール》が、自分の壁とどこまで同じなのかはこれから見ることになる。
少し離れたところではエクリアが水属性の《印》を進めていた。
一通り終わると、教本を閉じるのではなく風属性の頁へ移る。
「また2つか」
ノーゼスが言う。
「当然でしょ」
エクリアは手を止めずに答えた。
「去年からそうだったじゃない」
「見てるだけで大変そうだなって」
「見てる暇があるなら自分のをやったら?」
「やってるって」
ノーゼスが慌てて教本へ戻る。
クロードは少し笑ってから、自分の《印》へ意識を戻した。
何度か繰り返すうちに、最初より教本を見る回数が減っていく。
それでも途中で指が迷うことはある。
迷ったところから適当に続けず、頁を見て最初からやり直す。
ナターシャは教壇に立ったままではなく、机の間を順番に歩いていた。
ベンの手元で足を止め、途中の動きをもう1度確認させる。
次はランのところへ移り、教本の図と手の向きを見比べる。
ザナトスのところでは短く何かを言い、ザナトスが1度手を下ろして最初からやり直した。
クロードのところへ来た時、ナターシャはしばらく手元を見ていた。
クロードが最後まで《印》を組み終える。
「もう1度やってみてください」
「はい」
最初から繰り返す。
今度は途中で1度だけ止まった。
クロードはすぐ教本を見る。
「そこですね」
ナターシャが図の一部を指す。
「こっちですか?」
「はい」
クロードは手の向きを確かめ、また最初へ戻った。
ナターシャはそれを見てから次の生徒へ移る。
少しすると、教室の前から声が上がった。
「先生」
マミヤが手を挙げている。
「はい、マミヤさん」
「この《印》って、去年習った《曲がる》も使ってるんですか?」
ナターシャはマミヤの教本を確認した。
「使っています」
「やっぱり」
「ただし、1年で練習した長い《印》をそのまま途中へ入れるわけではありません」
クロードはその言葉で《サンダーボール》を初めて習った日を思い出す。
あの時も、完成魔法の中では《丸くする》が短くなっていた。
去年覚えたことが消えるわけではない。
形を変えながら、次の魔法の中へ入っていく。
ナターシャは黒板へいくつかの《印》の流れを書き、どこに既習の操作が入っているのかを説明した。
全ての属性を同じ形に当てはめるのではなく、違うところは違うまま示していく。
生徒たちも自分の教本と黒板を行き来しながら、もう1度手を動かした。
クロードも《サンダーショック》の《印》を繰り返す。
手順は少しずつ頭に入ってきた。
けれど、気になるのはやはり魔力量だった。
弱くする。
強くする。
言葉だけなら簡単だ。
自分は《サンダーボール》も《サンダーアロー》も、出力を抑えれば形を保てる。
けれど出力を上げると、形を保てず雷が弾けて消える。
《サンダーボム》は、その先へまだ進めていない。
《サンダーショック》でも同じことが起きるのだろうか。
触れた相手へ流す魔法なら、球や矢とは違うのだろうか。
まだ分からない。
クロードは考えたまま手を止めていた。
「クロード君」
ナターシャの声で顔を上げる。
「はい」
「また先を考えていますね」
近くでノーゼスが少し笑った。
クロードも少しだけ笑う。
「はい」
「気になることは悪くありません」
ナターシャはクロードの開いている頁を見る。
「ですが、今日はまず《印》です」
「分かりました」
クロードはもう1度右手を上げる。
そのあとも授業は続いた。
1度全員の手を止め、ナターシャが間違えやすいところをまとめて説明する。
説明が終われば、またそれぞれが自分の《印》へ戻る。
教本をほとんど見ずに動かせるようになった者もいた。
まだ何度も同じところで止まる者もいる。
ノーゼスは《印》そのものより、教本に書かれた《ロックウォール》の説明を読む時間が増えていた。
エクリアは水と風を交互に確認し、片方を終えたからといってもう片方を急いで済ませる様子はない。
クロードも《サンダーショック》を何度も最初から繰り返した。
やがて授業の終わりが近づき、ナターシャが教壇へ戻る。
「今日はここまでにします」
生徒たちの手が止まった。
「今日覚えた《印》は、教本を見ながら復習して構いません」
「ですが、魔力を使って発動させてはいけません」
教室が少し静かになる。
「実際に使うのは魔法実習です」
クロードは《サンダーショック》の頁を見る。
使ってみたい。
どんなふうに雷が流れるのかも知りたい。
けれど、その前にナターシャが続けた。
「それから、進級したからといって1年で残った課題がなくなるわけではありません」
クロードの視線が少し前の頁へ動く。
「実習では、それぞれの今の状態を確認しながら進めます」
「新しいものだけを急いで先へ進めないでください」
「はい」
いくつもの返事が重なる。
クロードも答えた。
ほどなくして、2限目の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
この日の授業はこれで終わりだった。
教室のあちこちで教本を閉じる音がする。
ノーゼスは最後に《ロックウォール》の名前をもう1度見た。
「ロックウォールか」
「覚えた?」
「さすがに覚えた」
ノーゼスが笑う。
エクリアは水と風の頁へ紙を挟んでから教本を閉じた。
クロードも雷属性の頁を見る。
新しく知った《サンダーショック》。
その少し前にある《サンダーボム》。
2年になった。
新しい魔法も増えた。
でも、出来ていないものまで進級したわけではない。
クロードは《サンダーボム》の文字を見た。
まずは、ここからだった。
教本を閉じる音が、自分の机の上でも小さく鳴った。




