前よりも
次の魔法実習でも、クロードは最初に《丸くする》から始めた。
魔法演習場ではそれぞれの生徒が自分の課題へ取り組んでおり、ガンザスとマレーナも別々に場所を回りながら様子を見ている。
クロードはいつものように左右の土壁の間へ入り、右手を前へ出した。
長い基礎訓練用の《印》を組むと、掌の近くへ細い雷が集まってくる。
右側から外へ伸びかけた光へ小さく操作を加え、その形を戻している間に上側が少し膨らんだ。
そちらも崩れる前に抑えると、細かく揺れていた雷は丸い輪郭を保ったまま手元に残った。
「……出来た」
前の実習では何度も失敗したあとにようやく作れた形が、今日は最初の一度で出来ている。
クロードはしばらく形を保ってから魔力を止め、もう一度最初からやり直した。
今度は左側を直している間に下側が大きく崩れ、そのまま雷が弾けて消えた。
「今のは下が遅かった」
失敗はしたものの、どこで間に合わなくなったのかはすぐに分かる。
3回目はまた丸くなり、4回目も途中で膨らんだところを直しながら形を保つことが出来た。
まだ毎回ではない。
それでも、出来る回の方が明らかに増えている。
「今日はいいなー」
土壁の外から声が聞こえ、クロードが顔を上げるとガンザスがこちらを見ていた。
「はい」
「じゃあ、前に言ったやつやってみるか」
一瞬考えたクロードは、すぐに意味へ気づいた。
「《空中浮遊》?」
「そう」
ガンザスはクロードの周囲と土壁を確認してから頷く。
「まず《丸くする》で形を作れ」
「はい」
「それが出来てからだぞー」
クロードは右手を上げ直した。
前期にも《空中浮遊》を試そうとしたことがある。
けれどその時は《丸くする》すら安定しておらず、手元から離れた雷の制御を失えば危険が増えるとガンザスに止められた。
だから、ずっとそこから先へ進めなかった。
もう一度《印》を組み、雷を集める。
少し外へ膨らんだ場所を戻しながら丸い形へ整えると、青白い光が掌の近くで細かく揺れ続けた。
「出来ました」
「よし、じゃあ《空中浮遊》だ」
クロードは前期に覚えた《印》を思い出し、その手順に沿って魔力を動かした。
掌の近くにあった雷が、ふっと手元から離れる。
「……あ」
丸い雷が空中に残っていた。
落ちない。
そのまま少しずつ前へ動いていく。
「浮いた」
思わず声が出た。
少し離れたところからノーゼスが振り返る。
「え、浮いた?」
クロードがそちらを見るより先に、エクリアも手元の水から顔を上げた。
「本当だ」
2人の視線の先で、青白い雷はゆっくり前へ動きながら宙に浮いている。
「前はそこまでやらせてもらえなかっただろ?」
ノーゼスに言われ、クロードは頷いた。
「《丸くする》が出来てなかったから」
「じゃあ、やっと試せたのね」
「うん」
エクリアの言葉へ答えたところで、少し離れた場所から別の視線を感じた。
ザナトスだった。
手元の火を残したまま、こちらの雷を見ている。
「……浮いたのかよ」
小さく呟いたあと、ザナトスはすぐに自分の火へ視線を戻した。
けれど先ほどより少しだけ強く《印》へ集中しているように見えた。
その間にもクロードの雷は少しずつ前へ動き、やがて丸い輪郭が崩れ始める。
クロードは慌てて魔力を止めた。
雷が消える。
「動いてました」
クロードが言うと、ガンザスが頷いた。
「浮いてただろー?」
「はい」
「なら《空中浮遊》は出来てる」
その言葉で、前期に習った内容を思い出す。
《空中浮遊》は、手元で作った魔法を手から離して空中へ浮かせる操作だ。
浮いたものをその位置から動かさないために使うのは《静止》で、今やっていることとは別だった。
「もう出来たの?」
ノーゼスがまだこちらを見ている。
「みたい」
「早くない?」
クロードも同じことを思っていた。
あれだけ《丸くする》で苦労したのに、《空中浮遊》は最初の一度で形になった。
「おーい、出来たのを見るのはいいけど、自分の練習も止めるなよー」
ガンザスの声が飛ぶ。
「はい」
ノーゼスが慌てて自分の土へ向き直り、エクリアも水へ意識を戻した。
ザナトスは言われる前から自分の火を見ていた。
クロードもまた右手を上げる。
1回出来ただけでは終わらない。
もう一度《丸くする》で形を作り、そのまま《空中浮遊》へ進む。
今度は手元から離れた直後に右側が崩れ、細い雷が外へ伸びた。
クロードはすぐに魔力を止める。
「今のは駄目だった」
それでも、何が起きたのか分からない失敗ではなかった。
浮かせることへ意識を向けすぎて、丸い形の変化を見るのが遅れた。
なら、次は両方を見る。
3回目は丸い形を保ったまま手元を離れ、少し前へ動きながら空中に残った。
近くで自分の練習へ戻っていたノーゼスがちらりとこちらを見る。
今度は声を上げず、そのまま自分の土へ向き直った。
クロードも雷を見続ける。
一度目の成功を見た時とは違い、もう誰も練習を止めない。
けれど今、雷が宙に浮いていることを知っている人がいる。
それが少し嬉しかった。
◇
次の魔法実習の日にも、クロードは《丸くする》から練習を始めた。
最初の一度は途中で崩れたものの、2回目と3回目は続けて形を保つことが出来た。
外へ大きく弾けてから慌てて戻そうとすることは減り、今は小さく動き始めたところで操作を合わせられることが増えている。
そのまま《空中浮遊》へ進むと、丸い雷は手元を離れて空中へ浮いた。
少し右へ動いていく。
もう一度やっても浮く。
その次も、途中で形を崩すことなく手元から離すことが出来た。
何度か巡回していたガンザスを呼び、クロードはもう一度最初から見せた。
丸くする。
形を保ったまま空中へ浮かせる。
青白い雷が少しずつ左へ動いていく。
ガンザスはその様子を見てから頷いた。
「よし」
クロードが雷を消す。
「じゃあ《静止》もやってみるかー」
「はい」
返事をしたあと、クロードは少しだけ右手へ力を入れた。
《空中浮遊》は思っていたより早く出来た。
けれど次も同じようにいくとは限らない。
まず《丸くする》。
次に《空中浮遊》。
手元から離れた雷が、ゆっくり左へ動き始める。
その動きを見ながら、クロードは《静止》の《印》へ進んだ。
魔力を操作すると、左へ流れていた雷の動きが少し遅くなる。
「……止まる?」
まだ動いている。
そのまま止めようとしたところで丸い輪郭の右側が崩れ、雷が弾けて消えた。
「形の方が崩れた」
位置ばかり見ている間に、《丸くする》で保っていた形への操作が遅れていた。
クロードは何もなくなった空中を見たあと、すぐに右手を上げ直す。
2回目も雷の動きは小さくなったが、完全に止まる前に形が崩れた。
3回目。
丸くした雷を浮かせ、少し右へ動き始めたところで《静止》を使う。
今度は位置だけではなく、丸い輪郭の変化も見る。
右へ流れていた雷が少しずつ遅くなっていく。
上側が膨らみ始めたところへ小さく操作を加える。
形が戻る。
それでも位置はほとんど変わらない。
クロードは床と雷を見比べた。
青白い球が同じ場所で揺れている。
「……止まった」
近くからノーゼスの声がした。
「今度は《静止》?」
クロードが顔を向けると、ノーゼスだけでなくエクリアもこちらを見ていた。
「うん」
「もう?」
ノーゼスが目を丸くする。
エクリアも空中の雷を見ながら少し首を傾げた。
「《空中浮遊》を始めたばかりだったわよね?」
「うん」
「早いわね」
クロード自身もそう思っていた。
そこへザナトスまで視線を向ける。
今度は火を消してから、空中に止まった雷をしばらく見ていた。
「今度は早いじゃねえか」
以前なら、その言い方に何か返すべきなのか考えたかもしれない。
けれど今回はクロードも同じことを考えていた。
「僕もそう思う」
「そこは否定しないのかよ」
ザナトスが少しだけ眉を寄せる。
ノーゼスが笑った。
「だって本当に早いじゃん」
「《丸くする》はずっとやってたものね」
エクリアも続ける。
その間にも雷は空中に残っている。
クロードは慌てて手元へ意識を戻した。
話している場合ではない。
右側が少し膨らみ始めたため、そこを戻す。
位置は動かない。
上側の揺れも抑える。
「そのままー」
土壁の外からガンザスの声が聞こえた。
クロードは形と位置の両方を見続ける。
しばらくしてガンザスが頷いた。
「出来てるぞー」
「はい」
答えた瞬間、少しだけ集中が緩んだのか雷が右へ動き始めた。
「あ」
ノーゼスが声を上げる。
クロードもすぐに気づいたが、そのまま形まで崩れ始めたため魔力を止めた。
雷が消える。
「……最後動いた」
「でも止まってたでしょ」
ノーゼスが言う。
「止まってたわね」
エクリアも頷いた。
ガンザスは消えた場所を一度見てから、クロードへ顔を向ける。
「1回出来たからって終わりじゃないぞー」
前にも似たことを言われた。
クロードはすぐに頷く。
「もう1回やります」
「おう」
ガンザスはそれだけ答えると、手を挙げていた別の生徒のところへ向かっていった。
ノーゼスも自分の土へ戻り、エクリアは途中だった水の練習を再開する。
ザナトスも何も言わず、自分の火を出し直した。
クロードも右手を上げる。
丸くする。
浮かせる。
止める。
今度はどこまで続けられるかを確かめるために。
◇
それからも魔法実習のたびに、クロードは3つの操作を繰り返した。
《丸くする》で形を整え、《空中浮遊》で手元から離し、《静止》で位置を止める。
最初の頃はどこか一つに意識を向けると別のところが崩れていたが、繰り返すうちに一つ一つの修正に必要な時間が短くなっていった。
《丸くする》は失敗することが少なくなり、途中で少し崩れても大きく弾ける前に戻せる。
《空中浮遊》も、手元から離した瞬間に形を失うことはほとんどなくなった。
《静止》では少し位置がずれることがあっても、動いた方向を見て調整すれば止め直すことが出来る。
初めて雷が浮いた時には振り返っていたノーゼスたちも、何度か実習を重ねるうちに毎回手を止めることはなくなった。
クロードの雷が丸いまま宙に浮いていることが、少しずつ珍しい光景ではなくなっていく。
その代わり、休憩に入ればノーゼスが自分の土と比べた話をし、エクリアも水と風で違ったところを話すようになった。
ザナトスは相変わらずこちらを気にしているらしく、自分の魔法が上手くいった時だけ少し得意そうにクロードの方を見る。
クロードもそれに気づくようになったが、何を競っているのかは今でもよく分からなかった。
ある日の実習では、クロードは最初から最後まで3つの操作を続けて成功させた。
丸い雷を作る。
形を崩さず手元から離す。
少し動き始めたところへ《静止》を使う。
青白い雷が空中で止まる。
右側が少し揺れたため修正したが、位置はほとんど変わらなかった。
しばらく保ってから魔力を止めると、雷はその場で消えた。
クロードは一度手を休め、もう一度最初から始める。
今度も出来た。
その次も途中で少し形が乱れたものの、自分で戻して最後まで続けられた。
「クロードー」
ガンザスの声に顔を上げる。
「はい」
「《空中浮遊》と《静止》はもう大丈夫そうだなー」
クロードはさっきまで雷が浮いていた場所を見る。
何度か成功しただけではない。
実習の日が変わっても、失敗してやり直しても、また同じところまで戻れるようになっている。
「はい」
そこで少し考える。
「でも、思ってたより早かったです」
「何が?」
「《空中浮遊》と《静止》です」
クロードは自分の右手を見る。
「《丸くする》はずっと出来なかったのに、こっちはそんなに掛からなかったから」
ガンザスもクロードの手元を見る。
「そりゃ、あの頃と今じゃ同じじゃないからなー」
クロードが顔を上げる。
「あの頃より、ずっと魔法動かしてるだろ?」
言われて、クロードはこれまでの練習を思い返した。
何度も雷を集めた。
丸くしようとして弾けた。
どこから逃げたのかを見た。
戻そうとして、今度は別の場所を崩した。
雷の量も変えた。
雷鳴鋼球を使って、消えるまでの動きを長く見た。
休みの間も雷を動かし、《放つ》や《曲がる》を繰り返してきた。
《丸くする》が出来なかった間にも、雷を動かす練習そのものはずっと続いていた。
「……そっか」
《空中浮遊》や《静止》だけが簡単だったわけではない。
自分の方が、前より細かく魔法を動かせるようになっていた。
少し離れたところからノーゼスの声が聞こえる。
「やっと気づいたの?」
クロードが振り返る。
「聞いてたの?」
「聞こえた」
ノーゼスが自分の土を消しながら答える。
エクリアもその隣で水を消した。
「前期の頃とは全然違うもの」
「そうかな」
「違うでしょ」
エクリアがすぐに返す。
「前は雷が外へ出るだけで止められなかったじゃない」
言われてみれば、その通りだった。
ザナトスも少し離れたところで自分の火を消している。
こちらを見たあと、何か言おうとしたように口を開き、それからやめた。
「何?」
クロードが聞く。
「何でもねえよ」
「そう?」
「いいから自分の練習しろよ」
「ザナトスもね」
「分かってるよ!」
ノーゼスがまた笑い、エクリアも少しだけ口元を緩めた。
「お前らー、休憩終わってるぞー」
ガンザスの声が飛ぶ。
4人とも自分の場所へ戻った。
クロードも土壁の間で右手を上げる。
出来るようになったから終わりではない。
《丸くする》も、《空中浮遊》も、《静止》も、まだ繰り返す。
今出来ることを、次も同じように出来るようにするために。
◇
その夜、クロードは寮の自室でノートを開いた。
今日の練習を書こうとしているうちに、前期に《空中浮遊》と《静止》を習った日の頁を思い出す。
少し前へ戻っていくと、探していた3行が見つかった。
『《丸くする》 → まだできない』
『《空中浮遊》 → 《印》は覚えた』
『《静止》 → 《印》は覚えた』
クロードはしばらくその文字を眺めた。
この頃は、《空中浮遊》を試すところまで進むことすら出来なかった。
《印》は知っている。
けれど実際には使えない。
それが、この時の自分だった。
クロードは今日の頁へ戻り、新しい行へ鉛筆を置いた。
『《丸くする》 → 前より安定』
その下へ続ける。
『《空中浮遊》 → できる』
もう1行。
『《静止》 → できる』
3行を書き終えたところで、一度鉛筆を止める。
前の頁と今の頁を見比べる。
長く止まっていたように感じていた。
同じ《丸くする》ばかりを繰り返して、なかなか先へ進めないと思ったこともある。
けれど実際には、その間にも少しずつ出来ることが増えていた。
出来なかった時間も、何も進んでいなかった時間ではない。
クロードは最後にもう1行だけ書き加えた。
『前より、動かせる』
その文字をしばらく見てから、クロードはノートを閉じた。




