どこを見る?
戦術の授業が始まり、教室へ入ってきた教師は教卓の前で生徒たちを見渡した。
「ノルダス・ナータルドだ」
クロードも初めて見る教師だった。
「これから戦術を担当する」
短く名乗ったノルダスは、持ってきた小さな木片を教卓へ置いた。
形の違うものがいくつかあり、それとは別に細長い木片も混じっている。
「今日はこれを使うから、全員前へ来い」
その声で18人が席を立ち、教卓の上が見える位置へ集まっていった。
クロードの近くにはノーゼスとエクリアが来て、反対側ではザナトスが教卓を覗き込んでいる。
カイルとヤンナ、ナーンとトルトも前へ集まり、その後ろではタンガが少し位置をずらしてミズーとランが見える場所を空けた。
ピアやミナたちも加わり、全員が教卓を見られるようになったところでノルダスが口を開く。
「戦う時、何を見る?」
いきなりの問いに、生徒たちの視線が木片からノルダスへ移った。
少し考えたあと、ヤンナが答える。
「相手?」
「ほかには?」
「何人いるか」
今度はナーンが言った。
トルトも教卓を見ながら口を開く。
「武器も見るんじゃないですか?」
相手。
人数。
武器。
答えが増えるたびに、クロードも頭の中で一つずつ並べてみた。
盗賊に襲われた時には順番に考えている余裕などなかったが、こうして聞かれるとほかにも何かあるような気がする。
「どっちが強いかだろ」
ザナトスが言った。
「強い方が勝つ」
ノーゼスが横から見る。
「それ、見るっていうか答えじゃない?」
「うるさいな!」
近くでヤンナが笑い、トルトも少し口元を緩めた。
ノルダスは誰の答えも否定せず、木片へ手を伸ばした。
「では見てみよう」
同じ形の3つを左へ置き、別の形の3つを右へ置く。
互いの距離も、それぞれの木片同士の間隔もほとんど同じだった。
「左に3人、右に3人いる」
全員の視線が6つの木片へ集まる。
「どちらが有利だ?」
ノーゼスが左右を見比べた。
「同じじゃない?」
「俺もそう見える」
ナーンも言った。
クロードも同じだった。
人数は同じで、並び方にもほとんど違いがない。
「右」
ザナトスが言う。
「なんで?」
ノーゼスが聞く。
「なんとなく右の方が強そうだから」
「やっぱり戦術じゃないじゃん」
「うるさいって!」
ノルダスはやり取りをそのままに、細長い木片を一つ取った。
それを右側の3人へ少し寄せた位置に置く。
「これは壁だ」
それだけだった。
3人と3人という人数は何も変わっていない。
それでも教卓の上は、さっきとは違って見えた。
「では今は?」
今度はすぐに答える者はいなかった。
タンガが身体を少し横へ動かして壁の左右を見比べ、ミズーも右側の3つだけでなく壁の端へ視線を移す。
ランは反対側から覗き込み、壁と左側の3つの間を見ていた。
「右は壁の後ろに隠れられるんじゃない?」
エクリアが言った。
「でも前に行くなら邪魔だろ」
ザナトスが返す。
ノーゼスは壁の端を指した。
「じゃあ、こっちから回ればいいんじゃない?」
ナーンがその先を見る。
「でも回ったら遠くならない?」
「あ」
ノーゼスの指が止まった。
トルトも少し考え込んでから壁を見る。
「壁の向こうにいたら、相手から見えないけど……こっちからも見えないのか」
「そうだね」
ヤンナも反対側から木片を覗き込む。
同じ壁を見ているだけなのに、隠れられることを見る者もいれば、邪魔になることを見る者もいる。
回り道を見る者もいて、見えなくなることへ気づく者もいた。
クロードは壁そのものではなく、その左右に空いている場所へ視線を移した。
右からも通れる。
左からも通れる。
ただし通る場所が変われば、相手までの距離も変わる。
前期の身体鍛錬で《六環球》をした時も、目の前の球だけを追っているうちに別の門が空いていたことがあった。
見えているもの一つだけを追えば、それ以外が見えなくなる。
「クロードは?」
ノーゼスに聞かれ、クロードはもう一度全体を見た。
「まだ分からない」
「ずっと見てたじゃん」
「壁が増えただけなのに、さっきと同じじゃなくなったから」
ナーンが頷く。
「人数は変わってないもんな」
その言葉にノルダスが壁へ指を置いた。
「そうだ」
生徒たちの声が静かになる。
「3人と3人という数は変わっていない」
一度壁を取り除くと、最初の配置へ戻る。
再び置けば、また違って見える。
「相手だけを見ていれば、これは見えない」
ノルダスが壁を軽く叩く。
「人数だけを見ていても同じだ」
今度は右側の3つのうち一つだけを、ほかの2つから離した。
ヤンナがすぐに気づいた。
「1人離れた」
「人数は?」
「3人のまま」
「さっきと同じか?」
ヤンナが少し考える。
「同じじゃないと思う」
横でタンガも離された一つと残った二つを交互に見ている。
ミズーは二つ側との距離を目で追い、ランも離された木片の周りに何もない場所を見ていた。
「すぐ一緒に動けなさそう」
ノーゼスが言う。
「でも離れた方から別に来るかもしれないよ」
エクリアが返す。
「だったら先にそいつを倒せばいいだろ」
ザナトスが言った。
トルトがそちらを見る。
「ザナトス、そればっかりだな」
近くから笑いが起こる。
「倒せるならいいだろ!」
言い返しながらも、ザナトスは離れた木片から目を逸らしていなかった。
クロードも3つの木片を見比べる。
並んでいた時も3人。
一つが離れても3人。
数だけなら同じなのに、今は同じ3人には見えなかった。
「戦術で最初に覚えるのは、強い攻撃でも勝ち方でもない」
ノルダスが木片を元へ戻す。
「まず見ることだ」
一つを指す。
「相手を見る」
反対側を指す。
「味方を見る」
木片が置かれた場所へ指が移る。
「どこにいるかを見る」
次に木片同士の間を示す。
「どれくらい離れているかを見る」
最後に壁を指した。
「周りに何があるかを見る」
クロードは順番に目で追った。
どれも言われてみれば当たり前に見えるものだった。
けれど最初に6つの木片を見た時、自分が見ていたのは人数くらいだった。
ノルダスは説明を続けず、もう一度木片を動かした。
今度は片方の3つを広く離し、もう片方の3つを近くにまとめる。
「では考えろ」
18人の視線が一斉に新しい配置へ集まった。
ナーンが口を開く。
「今度はどっちが有利なんですか?」
「先に自分で考えろ」
「やっぱり教えてくれないか」
ナーンが小さく言い、近くでトルトが笑った。
ノーゼスは広がった3つを指す。
「こっちじゃない? 違う方から行けそうだし」
「でも離れすぎたら助けに行けないんじゃない?」
エクリアはまとまった方へ目を移した。
ザナトスはしばらく両方を見たあと、まとまっている3つを指す。
「俺ならこっちから一気に行く」
「どっち?」
「こっちだよ!」
「だから指だけじゃ分かんないって」
ノーゼスとザナトスの声に、周りからまた笑いが起きた。
クロードはすぐには会話へ入らず、広がった3つとまとまった3つを見比べる。
広がれば違う方向から動けそうだった。
けれど味方同士の距離は遠くなる。
まとまっていれば一緒に動きやすそうだが、それが有利なのかはまだ分からない。
考えているうちに、別のところで手が止まった。
そもそも、この6人は何をしようとしているのだろう。
「先生」
クロードが手を上げると、ノルダスがこちらを見る。
「この人たちは、何をするんですか?」
ノーゼスがクロードを見た。
「何をって、戦うんじゃないの?」
「戦うのは分かるけど、相手を倒せばいいのか、どこかを守るのかで違わない?」
エクリアが教卓へ目を戻す。
「守るなら、動かない方がいい場所もありそう」
「逃げちゃ駄目とかもある?」
ヤンナが続ける。
ナーンも木片を見ながら首を傾げた。
「どこかに行く途中なら、相手を全部倒さなくてもいいのか」
さっきまで攻めることばかり言っていたザナトスも、今度は何も言わずに配置を見ていた。
ノルダスはすぐには答えず、生徒たちを見回した。
「今ので、見るものがもう一つ増えたな」
クロードは教卓を見る。
何人いるかだけではない。
どこにいるかだけでもない。
何をしようとしているのかまで分からなければ、その後を決められない。
ノルダスは壁を残したまま木片を並べ直した。
「ここからはお前たちが考えろ」
教卓を囲んでいた生徒たちが顔を上げる。
「6人ずつ3組に分かれろ」
ノルダスに言われ、生徒たちは近くにいる者同士で分かれていった。
クロードはナーン、ミナ、タンガ、ヤンナ、ベンと一緒になり、少し離れたところではノーゼスやエクリアたちも集まっている。
ザナトスのところにもガレスやレクシアたちが集まり、教室の中に3つの輪が出来た。
「条件を出す」
全員がもう一度教卓を見る。
「右の3人は、左の3人を倒す必要はない」
ノルダスが右側の木片へ触れる。
「3人のうち1人でも、相手の向こう側まで抜ければいい」
今度は左側を指す。
「左の3人は、それを止めろ」
さっきまでと同じ壁がある。
人数も同じだった。
違うのは、何をするかが決まったことだった。
「しばらく考えろ」
答えを急かされなかったため、クロードたちは教卓から少し離れた場所で話し始める。
「1人でいいなら、3人とも同じところから行かなくてもいいよね」
ヤンナが最初に言った。
ナーンも頷く。
「壁の両側から行ったら、止める方も分かれないと駄目か」
タンガは教卓の方を見ながら、壁の左右へ指を動かしている。
ミナも黙って配置を見ていたが、やがて小さな声で言った。
「……でも、ばらばらになりすぎたら1人ずつ止められるかもしれない」
クロードはもう一度壁を見る。
広がることにも意味がありそうだった。
まとまることにも意味がある。
どちらか一方が正しいというより、何をしたいかと相手がどう動くかで変わりそうだった。
「じゃあ最初に1人だけこっちへ行って、相手が動いたら反対から行くとか?」
ナーンが指を動かす。
「でも相手が動かなかったら?」
ヤンナが聞く。
ナーンの指が止まった。
「……じゃあ次を考える」
その隣でタンガが壁の右側を指し、続けて左側へ指を移した。
クロードはその動きを見ながら、前期の《六環球》で自分が右へ走った時にノーゼスがついてきて、その分だけ中央が空いたことを思い出した。
自分が動けば、相手も動くことがある。
相手が動けば、さっきまで塞がれていた場所が空くこともある。
「相手を動かすのも使えるのかな」
クロードが言うと、ナーンがこちらを見る。
「どうやって?」
「こっちに来ると思わせたら、そっちを止めに来るかもしれない」
「来なかったら?」
「その時は、そのまま行けるかもしれない」
ヤンナが少し笑う。
「どっちでも何か変わるんだ」
正しいかどうかはまだ分からない。
けれど最初に木片を見た時より、考えるものはずっと増えていた。
別の組ではノーゼスが壁の横を指しながら何かを話しており、エクリアはその先にある木片へ何度も視線を移している。
カイルは2人の話を聞きながら反対側を見て、トルトは一度考え込みすぎたのか、途中で顔を上げてもう一度条件を確かめていた。
ザナトスの組ではザナトスが前へ出る動きを何度も手で示し、ガレスが別の木片を指す。
レクシアとランも教卓を見ながら位置を確かめ、リーゼとマミヤも2人の話を聞いていた。
教室の中では同じ配置について話しているはずなのに、3つの組で見ている場所は少しずつ違っていた。
しばらくしてノルダスが手を叩いた。
「そこまで」
話し声が止まる。
「最初の組から聞く」
クロードたちの組では、ナーンが教卓の前へ出た。
「壁の両側を使います」
ノルダスは木片を見たまま聞く。
「なぜだ?」
「1人だけ抜ければいいから、止める方を分かれさせられるかもしれないからです」
「分かれなかったら?」
ナーンが少し黙る。
「……その時は、空いてる方を見ます」
ノルダスは答えを正しいとも間違いとも言わなかった。
「次」
ノーゼスたちの組では、ノーゼスが前へ出る。
「俺たちは最初は固まって動く」
「なぜだ?」
「ばらばらだと1人ずつ止められるかもしれないから」
エクリアが後ろから付け加える。
「でも相手が全部こっちへ来たら、途中で反対側へ分かれる」
ノルダスが2人を見る。
「最初から分かれないのはなぜだ?」
今度はカイルが答えた。
「相手がどっちへ動くか見てからでもいいと思ったからです」
これもノルダスは評価せず、最後の組へ視線を移した。
ザナトスがすぐ前へ出る。
「真ん中から行く」
「理由は?」
「3人で一気に押したら、向こうも集まるだろ」
ノルダスが待つ。
ザナトスは教卓を指した。
「集まったら誰か1人が横へ行けばいい」
クロードは思わずザナトスを見る。
最初はただ「倒せばいい」と言っていたのに、今は相手が動いた後のことまで考えている。
ガレスも横から木片を見ていた。
「真ん中で止められたら、そのままじゃ抜けられないしな」
3つの組から3つの考えが出た。
同じ配置。
同じ人数。
同じ目的。
それでも考え方は同じにならなかった。
「では条件を変える」
ノルダスの言葉で、まだ戻りかけていた生徒たちが止まった。
木片の位置はそのままだった。
壁も動かない。
「今度は右の3人が、この場所を守る」
教卓を指す。
「左の3人は、その場所まで来ればいい」
ナーンがすぐ教卓を見る。
「逆になった」
「人数も位置も同じだ」
ノルダスが言う。
「さっきと同じ動きでいいか?」
今度は生徒たちの間からすぐに話し声が上がった。
「守るなら広がらない方がいいんじゃない?」
ヤンナが言う。
ミナも壁の近くを見ながら考えている。
「……壁のところにいれば、通れる場所を少なくできるかも」
ノーゼスはさっき自分たちが選んだ動きを思い返すように黙り込み、エクリアも左右を見比べる。
「さっきは抜ける方だったから相手を動かそうとしたけど、今度はこっちが動きすぎたら空くよね」
ザナトスも先ほどのようにすぐ真ん中を指さなかった。
しばらく配置を見たあとで口を開く。
「じゃあ待ってればいいのか?」
「待っていれば必ず守れるか?」
ノルダスが聞き返す。
ザナトスが黙る。
今度はトルトが木片を見ながら言った。
「相手も動くから、ずっと同じ場所だけ見てたら反対から来るかも」
「だったら周りも見る必要あるじゃん」
ノーゼスが言う。
クロードは最初の問いを思い出した。
戦う時、何を見る。
最初は相手や人数や武器という答えが出た。
今は同じ6つの木片を見るだけでも、位置、距離、壁、相手の動き、味方の動き、目的まで見ようとしている。
ノルダスはその後もすぐには答えを出さず、壁の位置を少し変えたり、一つの木片を離したりしながら何度か条件を変えた。
そのたびに生徒たちは3つの組で考え直し、さっきまで使えそうだった動きが使いにくくなったり、反対に意味が出たりすることを確かめていった。
最初のうちはすぐに「どちらが有利か」を決めようとしていた声も、次第に「何をするのか」「どこまで行けばいいのか」「相手は動くのか」と条件を確かめる声へ変わっていた。
やがてノルダスが木片をすべて集めた。
「席へ戻れ」
18人がそれぞれの席へ戻っていく。
クロードも椅子へ座ったが、頭の中にはまださっきの配置が残っていた。
「最後に、今日見たものを自分で整理しろ」
ノルダスは答えを黒板へ並べなかった。
教室が静かになり、それぞれが今日の授業を振り返る時間になる。
クロードは最初に6つの木片だけが並んでいた時を思い出した。
3人と3人。
それだけなら同じだと思った。
けれど壁が一つ置かれただけで変わった。
1人離れただけでも変わった。
目的が変われば、同じ場所に立っていても考え方まで変わった。
それに、自分一人では気づかなかったところをナーンやミナ、ヤンナたちが見ていた。
別の組から出た答えも、自分たちとは違っていた。
戦い方を考える前に、まず今そこに何があるのかを見る。
そして一度見たから終わりではなく、何かが変わればもう一度見る。
クロードがそこまで考えたところで、授業の終わりを告げる魔導の鐘が鳴った。
すぐに教室の話し声が戻る。
「俺は最初のやつ、やっぱり広がる方がいいと思うんだけど」
ノーゼスが言うと、エクリアが振り返った。
「だから条件で変わるって今やったでしょ」
「分かってるって、最初の条件の話!」
近くではナーンとヤンナもまだ壁の使い方について話しており、トルトはさっき考えたことをもう一度頭の中で辿っているようだった。
ザナトスもすぐには教室を出ず、ガレスと何か言いながら教卓の方を見ている。
クロードはそんな教室を見ながら、最初にノルダスがした質問をもう一度思い出した。
戦う時、何を見る。
今日の授業が始まった時より、その答えはずっと長くなっていた。




