1つのウソ
約束していた休みの日、クロードは学園の門前でノーゼスを待っていた。
少し前に着いたつもりだったが、ノーゼスはすでに門の脇に立っている。
「やっぱり早いね」
「今日は俺が誘ったからな」
「この前も早かったよ」
「そうだったか?」
ノーゼスが首を傾げたところで、門の向こうからエクリアが歩いてきた。
休日用の服に着替えているが、以前のように慌てて支度をした様子はない。
「お待たせ」
「今日は時間ぴったりだな」
ノーゼスが言うと、エクリアは少しだけ目を細めた。
「今日はちゃんと前から決めてたもの」
「ああ、ちゃんと決めただろ」
「街へ行くことだけね」
ノーゼスが黙る。
クロードも少し考えた。
確かに、どこへ行くのかも何をするのかも決めていない。
「でも遊びに行くんだから、それでいいんじゃない?」
クロードが言うと、エクリアは2人を見てから小さく笑った。
「まあ、今日はそれでいいわ」
3人は並んで学園を出た。
大きな通りへ近づくにつれて人の声が増え、道の両側には店や露店が並び始める。
休みの日らしく歩いている人も多く、あちこちから店の呼び込みが聞こえていた。
クロードは歩きながら左右を見る。
前にも3人で歩いた通りだったが、並んでいる品や店先にいる人まで同じではない。
「クロード、また全部見てるだろ」
ノーゼスに言われ、クロードは前を向いた。
「だっていろいろあるから」
「前もそんなこと言ってたわね」
エクリアが笑う。
しばらく歩いていると、香ばしい匂いが流れてきた。
ほとんど同時にノーゼスがそちらを見る。
クロードも見る。
少し遅れてエクリアも見ていた。
「食う?」
ノーゼスが聞く。
「まだ来たばかりよ」
「来たばかりでも腹は減るだろ」
「朝ごはん食べたでしょう?」
「食べたけど」
ノーゼスの視線は露店から動かない。
クロードも焼かれている肉を見る。
表面から湯気が上がり、店の前を通るたびに匂いが流れてくる。
「僕も食べたい」
「クロードまで」
エクリアはそう言いながら、もう1度露店を見た。
「エクリアはいらない?」
「……少しなら」
「じゃあ3人だな」
なぜかノーゼスが満足そうに言い、先に露店へ向かった。
3人はそれぞれ買ったものを手に、また通りを歩き始める。
「おいしい」
クロードが言うと、ノーゼスが頷いた。
「だろ?」
「だから、あなたが作ったわけじゃないでしょ」
「分かってるって」
前にもこんなやり取りをした気がして、クロードは少し笑った。
食べ終わる頃には、また別の店が見えてくる。
今度は甘い匂いだった。
クロードがそちらを見る。
ノーゼスも見ている。
エクリアだけは前を向いたままだった。
「エクリア」
「何?」
「見ないの?」
「見たら食べたくなるでしょ」
ノーゼスが吹き出す。
「もう食べたいって言ってるのと同じじゃん」
「違うわよ」
そう言いながらも、エクリアの歩く速度は少し落ちていた。
結局その店にも立ち寄り、3人は甘い焼き菓子を1つずつ買った。
「今日は食べてばっかりだね」
クロードが言う。
「いつもだろ」
「誰のせいだと思ってるの?」
「エクリアも食べてるじゃん」
「誘うのがあなたなのよ」
話しながら歩いていると、また別の露店が見えてくる。
今度は食べ物ではなく、小さな飾りや日用品が並んでいた。
エクリアが少しだけ足を緩める。
ノーゼスがそれに気づいた。
「見る?」
「ちょっとだけ」
3人で店先を覗く。
エクリアは並んだ飾りを眺め、ノーゼスは隅に置かれた用途の分からない小物を手に取った。
クロードは2人の間からそれぞれを見る。
「またよく分からないもの見てる」
エクリアが言う。
「これ何に使うんだ?」
「知らないわよ」
「クロードは?」
「分からない」
「誰も分からないじゃないか」
ノーゼスはそれでも面白そうに小物を眺めている。
結局何も買わずに店を離れ、それからも3人は人の流れに混じって歩いた。
目的があるわけではない。
気になる店があれば止まり、いい匂いがすればそちらを見る。
それだけで時間は過ぎていった。
「次はあっち行ってみる?」
クロードが少し先の通りを指す。
「いいな」
「また食べ物を探してるんじゃないでしょうね」
「まだ何も言ってないだろ」
ノーゼスが言い返した、その時だった。
少し先から高い悲鳴が聞こえた。
3人の足が止まる。
「今の」
エクリアが声のした方を見る。
もう1度、女性の声が聞こえた。
クロードたちは顔を見合わせると、すぐにそちらへ走った。
◇
人の間を抜けた先で、1人の女性が道の脇に座り込んでいた。
近くにいた人たちも何事かと振り返っている。
「大丈夫ですか?」
エクリアが先に女性のところへ駆け寄った。
女性は驚いたように息をしていたが、エクリアの声に顔を上げる。
「鞄を……」
女性が通りの先を指した。
「取られたの」
クロードもそちらを見る。
人の間を縫うようにして、中年の男が鞄を抱えて走っていた。
もう姿が見えなくなるほど遠くはない。
年の頃はクロードたちよりずっと上で、走り方もそれほど速くなかった。
「追うぞ!」
ノーゼスが言う。
クロードも頷き、エクリアと一緒に走り出した。
「泥棒!」
ノーゼスが声を上げる。
前を歩いていた人たちが驚いて振り返り、逃げる男を見る。
男も後ろを振り返った。
3人が追ってきていることに気づいたらしく、抱えた鞄を押さえながらさらに走る。
それでも速くはならない。
少しずつ距離が縮まっていく。
クロードは男から目を離さず走った。
前にはまだ人がいる。
ここで雷を放つことはできない。
そもそも演習でもない場所で魔法を使えば校則違反だ。
それはノーゼスもエクリアも同じだった。
「待て!」
ノーゼスが叫ぶ。
男がもう1度振り返る。
そのせいで足元への注意が少し逸れた。
距離はさらに縮まった。
「もう少し!」
エクリアが言う。
クロードも息を切らしながら走る。
男は近くの人を避けるように少し進路を変えた。
その先を見たノーゼスの目が動く。
クロードは隣を走るノーゼスを見る。
ノーゼスは一瞬だけ周囲を確認した。
それから手を低い位置で動かし、素早く《印》を結ぶ。
「ノーゼス?」
返事はなかった。
ほんのわずかに、男の進む先の地面が盛り上がった。
壁と呼ぶには小さすぎる。
立ち止まって見ていなければ、最初からそこにあった凹凸だと思うかもしれない。
走っている男の足がそこへ入る。
「うわっ!」
男の身体が大きく前へ傾いた。
次の瞬間、そのまま地面へ倒れ込む。
抱えていた鞄が手を離れ、少し先へ転がった。
「止まれ!」
後ろから別の声が飛んだ。
クロードが振り返ると、衛兵がこちらへ走ってくる。
悲鳴を聞いて駆けつけたらしく、そのまま倒れた男のところまで来ると素早く動きを押さえた。
男は起き上がろうとしたが、間に合わなかった。
「離せ!」
「大人しくしろ」
衛兵が男を押さえる。
クロードたちは少し離れたところで足を止めた。
息が切れている。
エクリアも肩を上下させていた。
ノーゼスだけが、転んだ男ではなくさっき盛り上がった地面を1度だけ見た。
クロードはその視線を見逃さなかった。
少しして、もう1人の衛兵が女性を連れてやってきた。
女性は転がっていた鞄を見ると、すぐに駆け寄る。
「私のです」
衛兵が中身を確認するよう促し、女性が慌てて鞄を開いた。
しばらくして、ほっとしたように息を吐く。
「全部あります」
それから女性はクロードたちを見た。
「あなたたちが追いかけてくれたの?」
「はい」
エクリアが答える。
女性は何度も頭を下げた。
「ありがとう、本当にありがとう」
クロードは少し困ってノーゼスを見る。
ノーゼスも似たような顔をしていた。
「俺たちは追いかけただけだから」
「それでもよ」
女性は鞄を胸元へ抱える。
「あなたたちが追ってくれなかったら、きっと逃げられてたわ」
クロードは倒れた男の方を見る。
衛兵が男を立たせている。
もう逃げられそうにはなかった。
やがて男を押さえていた衛兵の1人が、3人のところへやってきた。
「君たち、怪我はないか?」
「大丈夫です」
クロードが答える。
ノーゼスとエクリアも頷いた。
「そうか」
衛兵は安心したように息を吐く。
それから倒れた男と、3人を交互に見た。
「しかし、よく追いついたな」
「そんなに速くなかったから」
ノーゼスが答える。
「なるほど」
衛兵は男が転んだ場所を見る。
「急に派手に転んだように見えたが、何かあったのか?」
一瞬だけ、3人の間に沈黙が落ちた。
クロードはノーゼスを見る。
エクリアも同じようにノーゼスを見た。
ノーゼスは2人の視線に気づきながら、衛兵へ顔を向ける。
「俺たちは追いかけただけです」
そこで少しだけ間を置いた。
「あのおっちゃんが、勝手につまずきました」
衛兵はもう1度地面を見る。
「そうか」
それ以上は気にした様子もなく、男のところへ戻っていった。
クロードは何も言わなかった。
エクリアも黙っている。
ノーゼスだけが前を向いたまま、少しだけ口を結んでいた。
◇
衛兵が男を連れていき、女性も何度も礼を言ってから人混みの向こうへ消えていった。
3人はしばらくその場に残っていた。
さっきまで賑やかだった通りも、少しずついつもの空気へ戻っていく。
「……ノーゼス」
エクリアが呼ぶ。
「何だよ」
「勝手につまずいたのね?」
ノーゼスは答えなかった。
クロードもノーゼスを見る。
「小さかったね」
「クロード」
「何?」
「お前まで言うなよ」
エクリアが小さく笑う。
「やっぱり」
「仕方なかっただろ」
ノーゼスは声を落とした。
「このままじゃ逃げそうだったし、大きいの出したら絶対バレるし」
「小さくても使ったら同じでしょ」
「分かってるよ」
ノーゼスは少しだけ肩を落とした。
クロードはさっきの地面を思い出す。
休みの間に見せてもらった壁とは比べものにならないほど小さかった。
けれど走っている人の足を引っ掛けるには、それで十分だった。
「でも助かったよ」
クロードが言う。
ノーゼスがこちらを見る。
「鞄も戻ったし」
「そうだけど」
エクリアも少し考えてから頷いた。
「先生には言えないけどね」
「絶対言うなよ」
ノーゼスがすぐに返す。
「言わないわよ」
「僕も」
ノーゼスは2人を見て、ようやく少しだけ息を吐いた。
少しの間、3人とも黙る。
やがてノーゼスが通りの先を見た。
「……腹減った」
エクリアが呆れた顔をする。
「さっきまで食べてたでしょ」
「走ったから減った」
「そんなすぐ減る?」
「減る」
クロードは思わず笑った。
さっきまでの緊張が少しずつほどけていく。
「じゃあ、もう1つだけ食べる?」
「賛成」
「本当に食べるの?」
そう言いながら、エクリアも2人のあとについてくる。
3人はまた人の流れへ戻っていった。




