畑の仕事
イリアと街へ出かけてから、数日が過ぎた。
クロードは朝になれば木剣を振り、雷の鍛錬をして、それが終われば屋敷で過ごすという毎日を送っていた。
王都へ戻らなければ調べられないこともあり、鉱物については以前ほど一日中考えているわけではない。
そんな日の朝、クロードはふとミーニャとの約束を思い出した。
また畑に行ってもいいかと聞いた時、ミーニャは石を見に来るのかと言って笑っていた。
クロードも野菜を見ると答えた。
あれからまだ行っていない。
今日は特に予定もなかった。
朝の鍛錬を終えてから、クロードは屋敷の使用人にミーニャの家へ行きたいと伝えた。
支度を済ませ、使用人と一緒に屋敷を出る。
ミーニャの家が近づくにつれて、周りには見慣れた畑が広がっていった。
五歳の頃にも歩いた場所だ。
あの時より自分の目線は高くなっているが、畑の中に石が混じっているところまで大きく変わったようには見えない。
家の近くまで来たところで、作業をしていた女性がこちらに気づいた。
ミーニャの母親、マローナだった。
「あら、クロード」
「こんにちは」
「今日はどうしたの?」
「ミーニャに会いに来ました」
「あの子なら畑にいるわよ」
マローナが畑の方を見る。
「ラルダスも一緒だから、行けば分かると思うわ」
「ありがとうございます」
クロードが畑へ向かおうとすると、マローナも手にしていたものを持って後ろからついてきた。
少し歩くと、作物の間に二人の姿が見えた。
一人は身体を屈めて作業している男で、もう一人は見慣れた短い髪の少女だった。
「ミーニャ」
呼ぶと、少女が顔を上げた。
「クロード?」
立ち上がってこちらを見る。
「ほんとに来たんだ」
「来るって言ったでしょ」
「うん」
ミーニャはクロードを見てから、その視線を足元へ落とした。
「石見に来たの?」
「野菜も見るよ」
「やっぱり石も見るんだ」
「それもあるけど、今日は別のも見たい」
「なに?」
「《緑恵》」
ミーニャが瞬きをした。
「前に今も畑で使ってるって言ってたでしょ」
「言ったよ」
「どうやって使ってるのか見たことないから」
「見たいの?」
「うん」
ミーニャは少し考えたあと、クロードを見る。
「また質問いっぱいする?」
「たぶん」
「するんじゃん」
呆れたように言われた。
その声を聞いて、近くにいた男が顔を上げる。
ミーニャの父親、ラルダスだった。
「クロードか」
「こんにちは」
「ああ」
ラルダスはクロードの後ろにいる使用人へも軽く目を向けてから、また手元へ戻った。
「今ちょうど畑をやってるところだ」
「見ていてもいいですか?」
「構わないぞ」
クロードはミーニャの横へ行った。
ミーニャは作物のそばへしゃがみ、葉へ手を伸ばす。
クロードもその横にしゃがんだ。
「今使うの?」
「まだ」
「まだ?」
「触ってるだけ」
ミーニャは葉に触れたまま少し待つ。
「《緑恵》って、触ったら分かるんだよね?」
「うん」
「何が分かるの?」
「元気かどうかとか」
「それだけ?」
「それだけって言われても分かんないよ」
「あ、ごめん」
以前も似たようなことを聞いた気がする。
クロードは少し黙ってミーニャの手元を見ることにした。
ミーニャは隣の作物にも触れ、その次にも触れていく。
何にでもGiftを使っているわけではないらしい。
しばらくすると、一つの株の前で手を止めた。
「これ、ちょっと元気ない」
「分かるの?」
「分かるよ」
クロードには同じように見える。
葉の形も色も、隣と大きく違っているようには思えなかった。
ミーニャはそのまま植物に触れている。
「今は?」
「使ってる」
「《緑恵》?」
「うん」
クロードはじっと見た。
けれどミーニャの手の中で何が起きているのかまでは分からない。
「どんな感じ?」
「どんなって?」
「使ってる時」
「いつもと同じ」
「何か流れてる感じとか」
「分かんない」
「温かいとか」
「分かんないってば」
ミーニャが顔を上げる。
「クロード」
「なに?」
「質問ばっかり」
前にも言われた。
「気になるから」
「知ってる」
ミーニャは少し笑うと、もう一度植物へ目を戻した。
しばらくして手を離す。
「終わり?」
「うん」
「もう元気になった?」
「さっきよりは」
クロードも葉を見た。
やはり自分にはよく分からない。
「触ったら僕にも分かる?」
「分かんないと思う」
「そっか」
Giftを持っている本人にしか分からない感覚があるのかもしれない。
そう考えながら見ていると、ミーニャはもう次の作物へ移っていた。
ラルダスも少し離れたところで作業を続けている。
マローナもいつの間にか畑へ入り、手を動かしていた。
クロードだけがしゃがんだままミーニャを見ている。
少し落ち着かなくなった。
「ミーニャ」
「なに?」
「僕も何か手伝おうか?」
ミーニャが手を止めた。
「畑?」
「うん」
「また石拾う?」
五歳の時のことを覚えているらしい。
「石だけじゃなくていいよ」
「じゃあ草取る?」
「それなら前にもやったことある」
「間違えて抜こうとしてたけどね」
「今は分かるよ」
「ほんと?」
疑われた。
クロードが答える前に、ラルダスがこちらを見る。
「手伝うのか?」
「はい」
「なら、こっちを頼めるか?」
ラルダスが示した場所には、作物の間からいくつも草が伸びていた。
「抜いていいやつはミーニャに聞け」
「分かりました」
「ほら、やっぱり聞かないと分かんないんじゃん」
「五年前よりは分かるよ」
「じゃあ間違えないでね」
クロードはミーニャの隣へ移動した。
最初のうちは一つずつ確認する。
「これは?」
「取っていい」
「こっちは?」
「それも」
「これは?」
「それは駄目」
クロードは伸ばしかけた手を止めた。
ミーニャが笑う。
「間違えてる」
「似てるんだよ」
「似てないよ」
「やっぱり僕にはまだ難しいな」
「毎日見てれば分かるよ」
以前にも聞いた言葉だった。
クロードは今度こそ間違えないように葉の形を見てから、草へ手を伸ばした。
何本か抜いていくうちに少しずつ見分けがつくようになってくる。
土を掴んで引き抜き、根についた土を落とす。
それをまとめて端へ置く。
最初はそれほど大変には感じなかった。
朝には木剣を振っている。
身体も以前よりずっと大きくなった。
これくらいなら続けられると思った。
けれど、しばらくすると腰が少し重くなってきた。
しゃがんでは手を伸ばし、場所を変えてまたしゃがむ。
終わったと思って顔を上げても、その先にも同じような場所が続いている。
「まだあるね」
クロードが言うと、ミーニャが顔を上げた。
「あるよ」
「ずっと?」
「向こうまで」
ミーニャが指した先を見る。
思ったより遠かった。
「全部やるの?」
「今日はここのところまで」
全部ではなかった。
それでも十分多い。
クロードはまた手元へ戻った。
少しして、今度はラルダスがまとめたものを畑の端へ運ぶことになった。
それほど大きな籠ではない。
クロードは両手で持ち上げた。
「重っ」
思わず声が出た。
「持てる?」
ミーニャが聞く。
「持てるよ」
歩き始める。
持ち上げた瞬間は大丈夫だったが、畑の端まで運ぶとなると話が違った。
足元にも気をつけなければならない。
作物を踏まないように歩きながら、籠を運ぶ。
ようやく置いた時には腕が少しだるくなっていた。
「毎日これやってるの?」
「毎日ずっと同じじゃないよ」
「違うの?」
「やること変わるもん」
クロードは畑を見る。
草を取る日もあれば、別の仕事をする日もある。
野菜を町へ届けることもある。
五歳の頃にも、大変なのだとミーニャから聞いた。
石の入った籠を一緒に運んで、重いとも思った。
けれど、あの頃のクロードが手伝ったのはほんの少しだった。
今も今日の仕事の一部しかやっていない。
その一部だけでも、身体にははっきり疲れが残っている。
ミーニャはもう次の作業へ戻っていた。
クロードも後を追う。
◇
昼が近づく頃、マローナの声で一度休むことになった。
畑の端の日陰へ移動し、水を受け取る。
クロードは座ると、思った以上に脚が楽になったことに気づいた。
「疲れた?」
隣に座ったミーニャが聞く。
「ちょっと」
「ちょっと?」
「思ってたより大変だった」
素直に答える。
ミーニャは水を飲みながら笑った。
「だから大変だって前にも言ったよ」
「聞いたのは覚えてる」
クロードも水を飲む。
「でも、聞くのとやるのは違うね」
朝の鍛錬とは疲れる場所も違う。
剣なら何回振ったかも分かるし、終わりも決められる。
畑はそうではない。
目の前の仕事を終えても、その先にまた別の仕事がある。
しかも今日だけ終わればいいわけでもない。
明日になれば、また畑を見る。
作物は育ち続けるし、草も伸びる。
収穫すれば運ばなければならない。
「ミーニャはこれずっとやってるんだね」
「うん」
返事はそれだけだった。
特別なことをしているという顔ではない。
ミーニャにとっては、これがいつもの生活なのだろう。
クロードは畑へ目を向けた。
「《緑恵》があっても、仕事はいっぱいあるんだ」
「そりゃあるよ」
当然のように返された。
「これだけで全部できたら楽なんだけどね」
「そうだね」
クロードは少し笑った。
Giftがあれば、畑の仕事そのものがなくなるわけではない。
むしろミーニャは畑で働きながら、その中で《緑恵》も使っている。
「今日、何回使った?」
聞いた瞬間、ミーニャがこちらを見る。
「数えてない」
「やっぱり?」
「前にも言ったでしょ」
「じゃあ、まだ使える?」
「使えるよ」
「まだ使うの?」
ミーニャは少し考えてから首を振った。
「今日はもういいかな」
「疲れた?」
「まだそんなに疲れてないよ」
「じゃあ、なんで?」
「疲れる前にやめるの」
第100話で聞いた答えと同じだった。
クロードはミーニャを見る。
「本当に分かるんだ」
「だから分かるって言ってるじゃん」
「どのくらいなら大丈夫か?」
「うん」
「数えてないのに?」
「クロードはそこ気にしすぎ」
ミーニャが笑った。
クロードも少し笑う。
自分なら回数を書いて、使った時間を書いて、身体の変化を残したくなる。
けれどミーニャはそうではない。
毎日畑へ出て、植物に触れ、自分の身体の感覚も確かめながら使ってきた。
その積み重ねで分かるようになったのだろう。
方法は違う。
だからといって、ミーニャが何も考えずに使っているわけではない。
一度やりすぎて、次の日まで身体が重くなった。
その経験を覚えているから、今はそこまで使わない。
クロードは水の入った器を見た。
毎日やっていれば分かる。
五歳の頃、草と作物を見分けられなかった自分にミーニャが言った言葉と同じだった。
畑のことも。
Giftのことも。
ミーニャはずっとここで見て、触って、覚えてきた。
「なに?」
見ていたことに気づいたミーニャが聞く。
「なんでもない」
「また考えてた?」
「ちょっとだけ」
「何を?」
「ミーニャも毎日やってるんだなって」
「畑?」
「畑も、《緑恵》も」
ミーニャは少し不思議そうな顔をした。
「そうだよ」
やはり特別なことではないらしい。
その返事を聞いて、クロードは笑った。
◇
休憩のあと、クロードはもう少しだけ畑仕事を手伝った。
今度は最初より草を見分けられるようになっていた。
それでも一度間違えそうになり、ミーニャに止められた。
「それ違う」
「危なかった」
「まだまだだね」
「毎日見てないから」
「じゃあ毎日来る?」
「それは無理かな」
「だよね」
二人で笑う。
やがて帰る時間になり、クロードは畑の端で手についた土を落とした。
ラルダスも作業の手を止めてこちらへ来る。
「もう帰るのか?」
「はい」
「手伝ってくれて助かった」
「僕がやったのは少しだけです」
「少しでも助かるさ」
マローナも家の方からやってくる。
「疲れたでしょう?」
「少しだけ」
答えると、ミーニャが横から口を挟んだ。
「さっき思ってたより大変だったって言ってたよ」
「ミーニャ」
「言ってたじゃん」
マローナが笑った。
クロードも否定できなかった。
「本当に思ってたより大変でした」
畑を見る。
自分が手伝った場所は、広い畑のほんの一部しかない。
それでも今日は十分だった。
「また来る?」
ミーニャが聞く。
「うん」
「また石見る?」
「野菜も見るよ」
「またそれ」
ミーニャが笑う。
クロードも笑った。
「じゃあ、またね」
「うん、またね」
ラルダスとマローナにも挨拶をして、クロードは使用人と一緒に帰り始めた。
少し歩いたところで、自分の脚にいつもとは違う疲れが残っていることに気づく。
今日見たかったのは《緑恵》だった。
どう使っているのか知りたかった。
実際に見ることもできた。
けれど、それ以上に残っているのは土の感触と籠の重さだった。
ミーニャは今日だけこれをしているわけではない。
明日も、その次の日も畑を見る。
《緑恵》もその中にある。
Giftだけがミーニャの畑を支えているわけではなかった。
毎日の仕事があって、その中でミーニャは自分の力を使っている。
クロードはもう一度畑を振り返った。
遠くでミーニャがこちらへ手を振っている。
クロードも手を上げて返した。
そして今度こそ、屋敷へ向かって歩き出した。




