まだ足りない
翌朝、クロードはいつものように庭へ出た。
木剣を振り、身体を温めたあとで小さな雷を生み、《放つ》と《曲がる》を繰り返す。
昨日別のことを考えていたからといって、毎日の鍛錬まで変える理由はない。
一通り終えると部屋へ戻って身体を拭き、朝食を済ませてから机の前へ座った。
鉄、アルミ、シルグリド、雷鳴鋼。
4つの端材を見ながら、昨日書いたノートを開く。
熱した時に何が変わるのか。
そのために何を揃えればいいのか。
昨日は重さを揃えることも考えた。
けれど改めて端材を見ていると、それだけでは足りない気がした。
「同じ重さでも、大きさが違う」
密度が違えば、同じ重さでも大きさは変わる。
厚さや表面の広さが違えば、熱の伝わり方にも違いが出る。
反対に大きさや形を揃えれば、今度は重さが違う。
全部を同時に揃えることはできない。
クロードはしばらく考えてから、ノートへ書いた。
『何を見るために、何を揃えるか』
今回見たいのは、同じような形の金属へ熱を加えた時に、それぞれがどう変わるかだった。
それなら、まず形や厚みをできるだけ近づけた方がいい。
重さが違うことは、そのまま違う条件として記録しておけばいい。
『大きさ、形、厚さをできるだけ揃える』
その下へ続ける。
『重さは揃わない』
完全に同じ条件にはできない。
だからこそ、何を揃え、何が揃っていないのかを先に分けておく。
黒木光哲だった頃も、数字を見る時には条件を確認していた。
同じ結果に見えても、その前提が違えば意味まで同じとは限らない。
クロードはノートを閉じ、4つの端材と懐中時計を持って使用人へ声をかけた。
今日もタングスの工房へ行きたいと伝えると、ほどなく馬車の準備が始まった。
◇
町の入口で馬車を降り、同行する使用人と工房まで歩く。
中へ入ると、タングスが作業の手を止めてクロードを見た。
「また来たのか」
「昨日の続きです」
「毎日来るつもりか」
「終わるまでは分かりません」
タングスが短く息を吐く。
クロードは作業台の空いている場所へ4つの端材を並べた。
「昨日考えてた方法、少し変えたいです」
「何をだ」
「同じ重さにしようと思ってたんですけど、それだと大きさが変わります」
タングスは黙って続きを待った。
「大きさとか厚さが違ったら、熱の入り方も変わりますよね」
「ああ」
「だから、この4つをできるだけ同じ大きさと形にできますか?」
タングスが並んだ端材を順番に見る。
「まったく同じにはならんぞ」
「できるだけでいいです」
「厚さもか」
「はい」
「昨日は削りたいと言って、今日は同じ形にしろか」
「見るものが変わったので」
「面倒なことするな」
そう言いながらも、タングスは4つを作業台の奥へ移した。
クロードはその手元を見ながらノートを開く。
タングスは基準にする大きさを決めると、それに近づけるよう4つの端材を加工していった。
金属が違えば、同じように加工しても手応えは違う。
特に雷鳴鋼は、他の3つより慎重に扱っているのが見ていても分かった。
しばらくして、4つの小片が作業台へ並べられた。
完全に同じではない。
それでも元の端材より、大きさも形も厚みもずっと近い。
「これならどうだ」
クロードは横から見比べる。
「これでやります」
ノートへ書いた。
『大きさ、形、厚さはできるだけ揃えた』
『完全には同じではない』
『重さは違う』
ここに書くのは、タングスに見られても問題のない内容だけだった。
《鉱物生成》について書いたページは開かない。
「それで何を見る」
「時間も見ます」
クロードは懐中時計を取り出した。
「時間?」
「熱し始めてから、変化が始まるまでと、溶け始めるまでと、全部溶けるまでです」
タングスが懐中時計を見る。
「俺が言えばいいのか」
「お願いします」
クロードは観察する項目を書いた。
『加熱開始』
『変化開始』
『溶け始め』
『完全に溶ける』
『冷ました後』
「それと、次を入れる前に火の状態もできるだけ同じにできますか?」
タングスは炉へ顔を向けた。
「完全に同じにはならんぞ」
「それは分かってます」
「なら、俺が見て近いところまで戻す」
「お願いします」
炉の中が何度なのかを数字で知ることはできない。
火の状態も完全には揃えられない。
それでも、同じタングスが同じ炉を見て、できるだけ近い状態から始めることはできる。
クロードはそれもノートへ残した。
『炉の状態はタングスさんが見て近づける』
『完全に同じ条件ではない』
今日測る時間が、そのまま金属そのものの融点になるわけではない。
それでも、条件をできるだけ近づけて比較すれば、昨日より見えるものは増える。
「お願いします」
「ああ」
タングスは最初の小片を手に取った。
◇
最初はアルミだった。
クロードは炉から十分に離れた場所で懐中時計を開く。
タングスがアルミを器へ入れ、炉へ入れた。
「入れたぞ」
クロードは時計を見る。
加熱開始。
ノートへ時刻を書き込む。
しばらくして、タングスが炉の中を確かめた。
「変わり始めた」
クロードはすぐに時計を見る。
『変化開始』の横へ時間を書く。
さらに待つ。
「溶け始めた」
もう一度時計を見る。
『溶け始め』へ書き込む。
クロードは炉へ近づかず、タングスの言葉と自分から見える範囲の変化を記録していく。
やがてタングスが言った。
「全部いった」
クロードは懐中時計を確かめた。
『完全に溶ける』
最後の時間を書き込む。
タングスが器を取り出し、用意した場所へ中身を移して冷ます。
クロードは冷えていく様子も観察した。
次へ進む前に、タングスは器の中を整え、炉の状態を見る。
「まだだ」
クロードは待つ。
火があるからといって、すぐに次を入れれば同じ条件になるわけではない。
しばらくしてタングスが頷いた。
「次だ」
2つ目は鉄だった。
クロードは懐中時計を開き直す。
「入れたぞ」
加熱開始。
「変わった」
時間を書く。
「溶け始めた」
また書く。
「全部いった」
最後の時間を記録する。
アルミと鉄の数字が並んだ。
同じではない。
けれど、その違いだけで何かを決めることはできない。
条件は近づけただけで、完全には同じではないからだ。
3つ目はシルグリドだった。
クロードは作業台の小片を見る。
前の世界には存在しなかった金属。
けれど、この世界では普通に使われている一般的な金属だ。
タングスは迷うことなく器へ入れる。
「入れたぞ」
時計を見る。
「変わり始めた」
時間を残す。
「溶け始めた」
また記録する。
「全部いった」
最後まで書き終えると、クロードは3つの記録を見比べた。
シルグリドにはシルグリドの変わり方がある。
色や形の変化も、時間の進み方も鉄やアルミと同じではない。
それでも、以前よりずっと具体的に見えるようになっていた。
この金属が熱を受けるとどう変わり、どのように溶けていくのか。
自分の目で見て、時間まで残した。
最後に雷鳴鋼が残った。
タングスは小片を持つと、少し長く眺めた。
「少し離れてろ」
「はい」
クロードは素直に距離を取る。
これだけはタングスにも溶かした経験がない。
分からないものを、分かっているものと同じようには扱えない。
炉の状態を確かめたあと、タングスが雷鳴鋼を器へ入れた。
「入れたぞ」
クロードが時計を見る。
加熱開始。
しばらくは何も起きない。
タングスは何度も中を確認している。
クロードも急かさなかった。
やがてタングスが口を開く。
「変わり始めた」
時計を見る。
時間を書く。
さらに待つ。
「溶け始めた」
クロードの鉛筆が動く。
そして最後に、タングスが言った。
「全部いった」
クロードは懐中時計を確かめ、『完全に溶ける』の横へ時間を書き込んだ。
雷鳴鋼も溶けた。
それだけではない。
変化が始まるまで、溶け始めるまで、完全に溶けるまでの記録も取れた。
タングスが雷鳴鋼を取り出して冷ます。
クロードは4つの結果を最初から見直した。
変化の仕方も違う。
時間も違う。
けれど、クロードが本当に探している分かれ方にはならなかった。
鉄とアルミ。
シルグリドと雷鳴鋼。
生成できた2つと、生成できなかった2つ。
その意味をタングスは知らない。
クロードも話すつもりはなかった。
変化が始まるまでの時間を見ても、2組にはまとまらない。
溶け始めるまでを見ても同じだった。
完全に溶けるまでの時間も、2組を分けるものにはならない。
もちろん、今日取った数字だけで金属そのものの性質を断定することはできない。
形は近づけただけで完全に同じではない。
重さも違う。
炉の状態も完全には同じではない。
それでも、少なくとも今日の条件では、熱への反応だけで生成できるものとできないものを分けることはできなかった。
それは、それで1つの結果だった。
「終わったか?」
タングスが聞く。
クロードは4つの記録をもう一度見た。
「今日は」
「またそれか」
「ありがとうございました」
「ああ」
冷えた4つの小片を種類ごとに分けて包み、使用人へ渡す。
クロードはノートを閉じた。
昨日までより、持ち帰れるものはずっと増えていた。
◇
屋敷へ戻ると、クロードは部屋へ入り、机の上へ今日の4つを並べた。
懐中時計を置き、ノートを開く。
今度は工房では開かなかったページだった。
『鉄・アルミ』
『シルグリド・雷鳴鋼』
その下へ今日の観察結果を移していく。
変化が始まるまで。
溶け始めるまで。
完全に溶けるまで。
冷ました後の状態。
数字を並べても、生成できた2つと生成できなかった2つに共通する並びは見つからなかった。
クロードはその下へ書いた。
『今日の条件では、熱への反応だけでは2つずつに分かれない』
続けてもう1行。
『雷鳴鋼も溶ける』
鉛筆を置き、今度はシルグリドを手に取った。
最初にこの金属を手にした時、自分はほとんど何も知らなかった。
今は違う。
持った時の感覚。
鉄やアルミと比べた重さ。
体積。
そこから見たおおよその密度。
削った時の感触。
削った後の表面。
削りくず。
そして今日、熱を加えた時にどう変わり、どのくらいで変化が始まり、溶け始め、完全に溶けるのかまで自分の目で確かめた。
クロードはページをめくる。
『組成』
『構造』
『性質』
性質の下へ書けることは、かなり増えていた。
組成と構造の下には、ほとんど何もない。
イリシアの言葉が蘇る。
組成、構造、性質など。
対象について十分な理解が必要になる。
十分とはどこまでなのか。
それは今も分からない。
けれど、以前より今の方がシルグリドを理解していることだけは確かだった。
「試してみよう」
クロードはノートを閉じた。
右手を前へ出す。
シルグリドを思い浮かべる。
名前だけではない。
持った時の感覚。
重さ。
削った時の手応え。
熱を受け、少しずつ輪郭を失っていった様子。
懐中時計を見ながら記録した時間まで思い出す。
魔力を込めた。
《鉱物生成》。
身体の中から魔力が抜けていく。
クロードは掌を見る。
何もない。
しばらく待ってみても、シルグリドは現れなかった。
「……まだ駄目か」
魔力は減っている。
発動そのものはしている。
以前と同じ失敗に見える。
けれど、意味まで同じではなかった。
以前よりシルグリドについて知っていることは明らかに増えている。
性質については、自分で確かめたこともかなり増えた。
それでも作れなかった。
クロードはもう一度ノートを開いた。
『性質』の下へ今日の記録を書き足す。
それから、まだほとんど空白のまま残っている2つを見る。
『組成』
『構造』
「何でできてるかと、中がどうなってるか……」
シルグリドが何でできているのか。
中がどのような状態になっているのか。
そこは今も分からない。
性質をもっと調べれば届くのかもしれない。
それとも、組成や構造まで知らなければ《鉱物生成》に必要な理解には届かないのかもしれない。
今のクロードには判断できなかった。
クロードは新しい行へ書いた。
『ここまでの性質だけでは足りない』
その下へ続ける。
『組成を調べる方法』
『構造を調べる方法』
鉛筆が止まった。
どうやって調べればいいのか分からない。
重さなら天秤を使えた。
体積なら水を使えた。
削るならタングスに道具を借りられた。
熱することも、工房ならできた。
けれど組成と構造については、何を使えばいいのかさえ今は分からない。
クロードはしばらく2つの言葉を見つめた。
やがて、シルグリドを机へ置く。
自分には分からなくても、金属を長く扱ってきたタングスなら何か知っているかもしれない。
知らなくても、誰に聞けばいいのかくらいは分かるかもしれない。
クロードはノートの最後へ書いた。
『明日、タングスさんに聞く』
書き終えると鉛筆を置いた。
性質については、前よりずっと分かった。
それでも、まだ足りない。
何が足りないのかを確かめるために、明日もう一度工房へ行くことにした。




